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元横綱・曙の「54歳で死去」はまったく不思議ではない…「野球選手14%」に対し「幕内力士58%」という死亡率の高さ

プレジデントオンライン / 2024年4月27日 16時15分

2001年9月29日、東京・国技館で断髪式前の最後の土俵入りを行うハワイ出身の元横綱・曙と、息子の洋一さんを抱く行司(右)。 - 写真=AFP/時事通信フォト

大相撲史上初の外国出身横綱だった曙太郎さんが、今年4月に死去した。54歳だった。ライターの広尾晃さんは「力士の平均寿命は他のスポーツ選手よりかなり短い。相撲界の将来のために、日本相撲協会はこの状態を放置してはならない。現役だけでなく親方衆など元力士の健康管理をすべきだ」という――。

■私が愕然とした衝撃のデータ

今年4月、元横綱の曙太郎が心不全のため東京近郊の病院で死去した。54歳だった。人生100年時代と言われる時代だが、力士の「早世」は目新しい話でも何でもなくなっている。

ここ2年では、6人の元幕内以上の力士が死去している。

2022年
7月16日 元横綱 二代目若乃花幹士 69 肺がん(数字は享年、以下同)

2023年
11月2日 元大関 四代目朝潮太郎 67 小腸がん
12月17日 元関脇 寺尾常史 60 うっ血性心不全

2024年
2月24日 元前頭筆頭 琴ヶ嶽綱一 71 心不全
3月10日 元関脇 明武谷力伸 86 老衰
4月上旬    元横綱 曙太郎 54 心不全

日本人男性の平均寿命は81.05歳と言われるが、6人のうち5人は、それよりはるかに若い享年になっている。

筆者は十代の頃から大相撲の本場所に通っていた。ちょうど大横綱の大鵬幸喜が引退する時期で、北の富士、玉の海の「北玉時代」から初代貴ノ花と輪島の「貴輪時代」、さらには、北の湖が台頭して、無敵になるのを夢中になって観ていた。試みに今から44年前の1980年夏場所の幕内力士の現在の生死について調べて、愕然とした。

1980年夏場所 番付から ●は物故者

横綱:●北の湖、●二代目若乃花、●輪島、三重ノ海
大関:●初代貴ノ花、二代目増位山
関脇:●荒勢、琴風
小結:●朝汐、●千代の富士
前頭:鷲羽山、●麒麟児、●玉ノ富士、●栃赤城、高見山、巨砲、●蔵玉錦、●黒姫山、魁輝、出羽の花、●鳳凰、●天ノ山、黒瀬川、青葉城、●照の山、闘竜、●隆の里、●青葉山、●蔵間、●栃光、富士櫻、●満山、●豊山、三杉磯、神幸、舛田山

■同時代のプロ野球選手と比較すると

幕内力士36人の内、すでに58%にあたる21人が物故している。現時点で、1980年当時の幕内力士で物故した力士の没年は平均57歳。大相撲親方の定年は65歳だから、多くは定年前に世を去っているのだ。

この場所当時の幕内力士の平均年齢は、28.2歳であり、44年後のいまでは72歳前後になる。平均寿命よりも9歳も若いから、一般的には存命者の方が多いはずなのだが。

同じ1980年のプロ野球、セ・パ両リーグで規定打席に到達した66人(セ30人、パ36人)を調べてみると、亡くなっているのは9人(13.6%)、存命者は57人だった。この年のセの首位打者は中日の谷沢健一、パはロッテのレロン・リーで、巨人の王貞治がこの年限りで引退。現阪神監督の岡田彰布の名前もランキングにある。

66人の当時の平均年齢は30.1歳と大相撲の幕内力士よりも高齢だったが、44年後も86%の57人が存命。存命者の平均年齢は74歳だから、後期高齢者になる前であり「生きていて当然」と言う年齢でもあるのだ。

【図表1】1980年に現役だった力士とプロ野球選手の比較
幕内と十両をあわせて計算しても、45%が既に死去している。

■なぜ力士は短命なのか

力士の短命は、戦後になって顕著になってきた。

日本相撲協会が公認している歴代横綱は73人いる。このうち生没年がはっきりしているのは70人。存命者を除く56人の寿命を調べてみた。

江戸時代に生まれた14人(1760~1866 谷風から初代小錦)の平均没年齢は58歳、
明治大正期に生まれた25人(1869~1923 大砲から鏡里)は57歳、
昭和期以降に生まれた17人(1925~69 栃錦から曙)は63歳

と少しは寿命が延びている(生没月日が不明の横綱がいるので、数字は概算)。

しかし、日本人男性の平均寿命は1955年には63.60歳だったものが90年には75.92歳、そして2022年には81.05歳と急速に伸びている。

かつては横綱の寿命は、日本人男性の平均より少し短い程度だったのが、今では18年以上もの差になっているのだ。

63歳と言えば、まだ年金受給年齢に達しない。一般社会では現役で活躍する人も少なくない。この年齢で亡くなるのは「短命」だと言わざるを得ない。

なぜ力士は短命なのか? 多くの医療関係者が指摘している通り根本原因は肥満だ。

土俵
写真=iStock.com/c11yg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/c11yg

■巨大化が進む大相撲

2024年3月場所の大相撲幕内力士の平均身長、体重は184.5センチ、160.4キロ、今年開幕時点でのプロ野球選手の平均は181.0センチ、85.9キロ。BMIは力士が47.1(肥満度4)、プロ野球選手は26.2(肥満度1)だった。

筋肉量が多いアスリートは、BMIは「やや肥満」になるとされるが、BMI47.1は重度肥満であり一般人であれば「肥満症」と診断されることもある。

実はこの40年ほどの間に、大相撲力士の巨大化はさらに進んでいる。冒頭で紹介した1980年夏場所の幕内力士の平均身長、体重は183.3センチ、135.3キロ、BMIは40.3。身長はほとんど変わらず体重は19%増加したのだ。

かつて大相撲力士はあんこ(肥満体)、そっぷ(やせ型)など体型で分類したものだが、今の力士はあんこか、超あんこしかいない。

体形の変化は相撲の決まり手にも影響が出ている。かつては大型力士が小兵力士を釣り上げて土俵外に出す「つり出し」などの「つり技」や、「投げ技」が多く見られたが、今の大相撲では「押し出し」「寄り切り」「突き落とし」「はたきこみ」などの押し技、引き技がメインになり、特に「つり出し」は絶滅危惧種のようになっている。

1980年時点での幕内力士でさえも、すでに6割弱が物故していることを考えれば、さらに巨大化した今年の幕内力士の寿命はどうなるのだろうか、と暗澹たる気持ちになる。

■62キロ→150キロに巨大化した白鵬

力士の巨大化の背景にあるのが、外国人力士の増加だ。外国人力士の先駆者は1980年夏場所の番付で前頭3枚目にいたハワイ出身の高見山大五郎だ。1972年7月場所で高見山は外国人として初優勝をし、引退後は年寄東関として横綱曙を育てた。

それ以降、ハワイだけでなくモンゴルやヨーロッパなどから力士志望の若者が相撲界にやってきた。彼らの多くは自国でトップアスリートだったので番付を駆け上がることが多いが、同時に体格も日本人より上回っていることが多かった。これに対抗するために、日本人力士も大型化する必要が生じ、力士全体の巨大化が進んだのだ。

今は、大学、高校相撲部出身などで、150キロ超の巨体で入門する新弟子も多いが、一般人と変わらない体格の新弟子でも入門すると急速に巨大化することが求められる。

大横綱白鵬は、入門時62キロだったが、横綱昇進時に155キロになったのはよく知られている。トレーニングをして筋肉をつけていくのならともかく、今の相撲界は、昼と夜の2食(大相撲では朝は稽古があるので、原則として朝食抜き)で、ちゃんこを中心に高カロリーの食事を大量に摂取して太らせるのが基本になっている。

明治中期まで相撲界は、食事と言えば辛子味噌や沢庵など味の濃い少量の副菜と大量の米を食べて力士を太らせてきた。栄養価が偏ると憂慮した明治の大横綱常陸山が、有識者のアドバイスを得て野菜、肉、魚などをバランスよく食することができる「ちゃんこ」を考案したとされる。

もともと、ちゃんこは栄養食だったのだ。これによって「かっけ」に罹る力士は激減したといわれる。

■現役力士の糖尿病率はそれほど高くない

しかし外国人力士の加入や、近年の若者の食生活の変化もあって、ちゃんこにもバターやチーズ、大量の肉などを入れるようになり、ちゃんこも超高カロリー食に変わりつつある。エスニック風の味付けも多くなり、塩分も増えている。また夜には「タニマチ(贔屓筋)」に連れられて焼き肉店で大量の肉を食べる力士も多い。

こうした「過激な栄養摂取」によって、力士はどんどん巨大化しているのだ。

日本相撲協会は両国国技館内に「日本相撲協会診療所」というクリニックを併設している。ここでは力士のけがの応急処置や健康管理を担っている(一般人も利用可能)。

1964年に所長に就任した林盈六医師は、力士の健康に関する研究を多年続け1979年には『力士を診る』(中公新書)という本を出した。45年も前の本だが、今も「力士と健康」について話すときには引き合いに出されるような「名著」だ。この本は、すでに力士が短命に終わるメカニズムを説明している。

急激に「巨大化」する力士だが、現役力士の糖尿病の罹患率はそれほど高くない。林医師が診ていた約50年前は「数値ギリギリ」の力士も含めて10~12%という。(今のデータは発表されていないが食生活を鑑みるにそれよりは高いだろう)

それは、10代、20代の若い力士は高カロリーを摂取する分、激しい稽古をするからだ。20代後半から30代になって稽古量が落ちると糖尿病の罹患者が増えていく。

多くの力士は、引退時には糖尿病や痛風などの生活習慣病を罹患している、もしくは限界値くらいにはなっている。一番の問題は、引退後なのだ。

ソファで寝ている太った男
写真=iStock.com/South_agency
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/South_agency

■タニマチの変化も

林医師の著書には、

「相撲社会の健康問題を考えるとき、一番の問題は親方衆である。おそらく相撲協会健康保険の大半は親方衆のために使われていると言っても、過言ではないだろう」

という一節がある。

大相撲の親方衆は、引退しても現役時代と同じ調子で暴飲暴食をする。引退したから運動量は急激に落ちているにもかかわらず、飲み歩いたり麻雀をして大量の夜食を摂取する。

そうした生活習慣を続けるうちに、糖尿病、痛風などの代謝性疾患が悪化するのだ。

サラリーマン時代、筆者は力士懸賞金を相撲協会に持っていく担当だったが、事務所では濛々たるタバコの煙の中で、親方衆が真っ昼間から雀卓を囲んでいた。そうした親方衆が今では全員故人だ。要するに「引退後の不摂生」が、力士寿命を縮めているのだ。

昔からのタニマチのひとりはこう話す。

「昔は力士が30人以上、部屋付きの親方もいる大きな相撲部屋があった。そういう部屋のタニマチには、立派なお医者さんがいて親方に栄養指導をしたし、師匠も弟子の親方に健康管理をうるさく言ったものだが、今は親方1人、弟子数人の小部屋ばかりになり、タニマチもベンチャー企業が多くなって親方や力士と毎晩飲み歩くようになった。健康管理ができていない部屋が多い」

「力士の短命」については林医師の時代から指摘されていたが、一向に改善されていない。

■相撲界の将来のためにやるべきこと

この間、スポーツ界の意識は大幅に変わった。

大谷翔平のように食生活からトレーニングまでを自己管理するのが「正しいアスリートの姿」と言われる中で、巨大なカロリーを野放図に摂取した挙句に短命に終わる力士の姿は、若者に「憧れの存在」と映るだろうか?

もちろん力士の中には近代的なトレーニングを導入したり、プロテインを摂取するなどアスリートらしい練習を取り入れている人もいるが、それは少数派だ。

大相撲の力士数は1990年代には900人を超していたが、今年の春場所時点では594人と過去最少になった。遅きに失した感はあるが、日本相撲協会は巨大化する力士と親方衆の健康管理に本腰を入れるべきだろう。

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広尾 晃(ひろお・こう)
スポーツライター
1959年、大阪府生まれ。広告制作会社、旅行雑誌編集長などを経てフリーライターに。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』(共にイースト・プレス)などがある。

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(スポーツライター 広尾 晃)

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