イスラエルはなぜ「世界一の暗殺国家」と呼ばれるのか…ハマス、ヒズボラ幹部を殺害した諜報機関の"神話"
プレジデントオンライン / 2024年8月12日 9時15分
※本稿は、豊島晋作『日本人にどうしても伝えたい 教養としての国際政治 戦争というリスクを見通す力をつける』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■生まれながらにして戦うことを義務付けられている
(前編からつづく)
なぜイスラエルの指導者たちは「殺(や)られる前に殺れ」という論理を自分たちの行動指針にしたのでしょうか。もちろん、どの国の政治指導者も国家と国民を防衛する役割があります。ただ、特にイスラエルの政治家や政府機関の指導者たちは、何十年にも渡って実際にこの国家防衛の義務を果たさなければなりませんでした。今もそうです。
イスラエルは過去に何度も戦争をしかけてきた敵国(アラブ諸国)や、今も攻撃を続けるヒズボラやハマスなどの敵対組織に国土を囲まれてきました。さらに、自分たちが土地を奪ったせいで、イスラエルを強く憎むようになった大勢のパレスチナ人たちがすぐ近くに住んでいます。
「敵」が近くにいる以上、現実問題として、先に殺らなければ殺られるという実感は、イスラエルの過去の経験に由来しています。イスラエルは生まれながらにして戦うことを宿命づけられた国家なのです。
■歴代首相は特殊部隊の出身者が多い
国が生まれた瞬間、つまり建国の翌日から周辺諸国に戦争をしかけられています。1948年5月14日にイスラエルが建国された翌15日、周辺国のエジプトやヨルダン、シリア、レバノンなどアラブ諸国の軍隊がイスラエルに攻め込みました。これを第一次中東戦争と呼びます。これ以来、イスラエルは4度もの戦争を経験してきました。まさに「殺さなければ殺される」状況に何度も直面してきたのです。
ここから、以下のような論理を抱くようになったのです。
「自分たちは国家がなければ生き残れない。そして国家を持った今でもなお自分たちは常に存亡の危機にあり、戦わなければ生き残れない。だから、たとえ世界を敵にまわしてでも戦い続ける」
イスラエルでは、首相をはじめとした多くの政治指導者が実戦経験のある元軍人です。男女ともに徴兵制のある国なので、指導者が元軍人というのは当然ですが、特に歴代のイスラエル首相には、軍の中でも最前線に立つエリートである特殊部隊の出身者が複数いるのは無視できません。特殊部隊員は、軍のイデオロギーを体現する存在でもあり、「確実に相手を殺す」意識がひときわ強い集団でもあるからです。
■海軍の特殊部隊や空挺部隊の指揮官など
例えば現在のベンヤミン・ネタニヤフ首相は、イスラエル軍の最強部隊と言われるサイェレット・マトカルの元隊員です。同じくナフタリ・ベネット首相(2021―22年)、エフード・バラク首相(99―01年)もサイェレット・マトカル出身です。
イスラエルでは首相の次に国防相が重要な閣僚とされていますが、ネタニヤフ政権のヨアブ・ガラント国防相も海軍の特殊部隊として名高いシャイェテット・13の元隊員で、イスラム武装組織幹部の暗殺作戦に何度か従事した経験があります。
ほかにも、2000年代に首相だった、アリエル・シャロン首相は軍のエリートである空挺(くうてい)部隊の指揮官ですが、もともと、ハガナーと呼ばれるかつてのユダヤ人軍事組織の隊員でした。ハガナーは今のイスラエル軍や情報機関の礎になった組織で、パレスチナとの和平合意で有名なイツハク・ラビン首相もシモン・ペレス首相もこのハガナーの隊員でした。
さらに、これらのどの人物も実戦経験があります。ネタニヤフ首相は実戦で負傷し、同じく特殊部隊員だった兄は作戦で死亡した「英雄」として知られています。こうした指導者たちの戦場での経験が、イスラエル政府の政策決定に影響を与えているのは事実でしょう。
つまり、イスラエルは武人政治の国家なのです。少なくとも、国家の歴代指導者にこれだけ特殊部隊の隊員や軍人がいる国家は、他に例がありません。
■ユダヤ人の血の歴史「マサダ要塞」とは
また、ガザで戦うイスラエル国防軍の兵士たちも、「殺さなければ殺される」というイスラエルの歴史を体現する場所で、兵士としての誓いを立てています。伝統的にイスラエル兵は、マサダ要塞(ようさい)という歴史的な場所で入隊宣誓式を行います。
マサダ要塞は死海(しかい)のリゾートから車ですぐに行ける山の上の要塞で、ロープウェイで山頂にも登れる観光地として知られ、イスラエルの雄大な景色が望める場所でもあります。ただ、そこから見える景色の素晴らしさとは裏腹に、実はこの要塞はユダヤ民族の悲劇を象徴する場所でもあります。
今からおよそ2000年前、当時のユダ王国がローマ帝国の支配下に入る中、マサダには抵抗を続けたユダヤ人約1000人が約3年間立てこもり、最後に集団自決しました。先に妻子を殺したユダヤの兵士たちは、続いて互いを殺し合ったとも言われています。こうしてマサダは、ユダヤ人の祖先が他の勢力に追い詰められ、死に追いやられた悲劇の場所となりました。
■「マサダは二度と陥落しない」と誓わせる
イスラエル軍はまさにこの場所で、悲劇は二度と繰り返さないという意味をこめ、「マサダは二度と陥落しない」を合言葉に、新兵たちに国を守る誓いを立てさせます。つまり、自分たちは二度と敵に破滅させられるようなことはない、ユダヤ国家を絶対に死守する、と誓わせるのです。ガザで戦い、ハマスの戦闘員やパレスチナの民間人を殺害したのはそこで誓いを立てた兵士たちです。
ユダヤ人の苦難は、マサダの悲劇だけではありません。正確な年代は不明ですが、今から3400年ほど前にはエジプトの王ファラオに大勢が奴隷にされています。その境遇から逃れるため、紀元前13世紀ごろにエジプトを脱出、紀元前10世紀頃にユダヤ王国を建国しますが、その後、新バビロニア王国ネブカドネザル王の侵略を受け、多くの人々がバビロンに連行されます。世界史の教科書にある「バビロン捕囚」です。
結局、ユダヤ人たちはパレスチナへの帰還を許されましたが、続いてローマに侵略されてマサダの悲劇が起こったというわけです。
マサダの後、ヨーロッパなど世界各地に散り散りになったユダヤ人は、その後も人類史の長年にわたる差別と迫害に苦しむことになります。
■「イエスを殺したユダヤ人」と蔑まれた貸金業
ユダヤ人への迫害の歴史については、歴史の授業で習った方も多いと思います。特にヨーロッパに移り住んだユダヤ人たちへの迫害です。ではそもそも、ユダヤ人たちは、なぜ迫害され続けたのでしょうか。
大きな理由は、ヨーロッパはキリスト教徒の社会であり、ユダヤ教徒は完全に異質の存在だったことです。何より約2000年前にイエス・キリストを処刑したのがユダヤ教徒だったことも大きく影響したと考えられます。イエスを十字架に貼り付けたユダヤ人に対し、キリスト教徒は「イエスを殺した人々」というレッテルを貼ったのです。こうした背景から、ユダヤ人たちは差別され迫害され続けてきました。
もっとも、イエス自身もユダヤ人であり、彼はユダヤ教の改革者でした。つまりキリスト教はユダヤ教の異端として生まれたと言えます。このように大昔は異端だったキリスト教がもはや完全な主流派になったヨーロッパでは、ユダヤ教徒は少数派に過ぎず、社会から排除されたのです。
2つ目の理由はユダヤ人の生業(なりわい)つまり職業です。ユダヤ人には職業選択の自由が十分に与えられず、少なくないユダヤ人たちは貸金業を営み、ヨーロッパの庶民から貴族まで幅広くお金を貸し付けていました。借金を踏み倒される場合も多かったのですが、多くの債務者から恨みを買いやすく、社会で何か問題が起こるとスケープゴートにされやすかったのです。
■ナチスの大量虐殺で「国を持たないと殺される」
例えばウィリアム・シェイクスピアの『ベニスの商人』では、ユダヤ人は貸金業を営むシャイロックのような悪役として描かれています。『ベニスの商人』はユダヤ人にとっては侮辱的な内容の戯曲です。
そうした何百年にも及ぶ不当な差別、迫害が続き、ついには国家による組織的な大虐殺も経験することになります。言うまでもなく第二次大戦中のナチス・ドイツによる大虐殺、いわゆるホロコーストです。
およそ600万人ものユダヤ人が殺されてしまいます。安易な比較はできませんが、これは第二次大戦中の日本の戦死者のおよそ2倍の数に相当します。ヨーロッパにいたユダヤ人の3人に2人が殺害されるという凄(すさ)まじい大虐殺でした。
第二次大戦におけるドイツの敗北でホロコーストは終わりますが、ユダヤ人たちは、長年の迫害とホロコーストを経て、「自分たちの国を持たないとユダヤ民族は生き残れない。身の安全は守れない」と強く決意したのです。
この決意と、ホロコースト前からユダヤ人たちの間で広がっていたシオニズムという思想が結実し、第二次大戦後、ユダヤ人国家の建設へ向けた動きが加速していきます。シオニズムは、1896年にウィーン出身のユダヤ人ジャーナリスト、テオドール・ヘルツルが、著書『ユダヤ人国家 ユダヤ人問題の現代的解決の試み』(佐藤康彦訳、法政大学出版局)を出版し、政治思想として確立されました。
■「聖書に書かれた土地」には、アラブ人が住んでいた
ヘルツルは、フランスの陸軍大尉アルフレッド・ドレフュスが、ユダヤ人であるという偏見によりスパイの嫌疑をかけられ、終身刑にされたことに衝撃を受けます。ドレフュスは最終的には無罪となりましたが、この「ドレフュス事件」はユダヤ人社会に大きな衝撃を与えました。
ヨーロッパ社会に居場所を見出(みいだ)したはずでしたが、「やはり自分たちは国を持たなければ、周囲の偏見から身を守ることができない」と痛感させられる出来事だったのです。
そんなユダヤ人たちが建国の地に選んだのが、パレスチナでした。自分たちの祖先たちが住んでいた土地であり、“神がユダヤ民族に与えた土地”です。つまり“聖書に書かれた約束の地”という、ユダヤ人にしか通用しない物語が利用されました。
当時のパレスチナには多数派のアラブ人が住んでいたわけですから、彼らとすれば勝手な都合でそんなことを決められるのは迷惑極まりない話です。しかし、ユダヤ人たちはイギリスなど当時の強国の力を利用し、そこに自分たちのユダヤ国家を打ち立て、安全を確保するしかないという考えを明確にしていったのです。
■“情報の価値”を理解しているイスラエル
イスラエルは、ただ「戦う決意」があるだけでは十分でないことも学んでいきます。戦うためには「準備」が必要です。
1948年の第一次中東戦争の緒戦では、兵力も装備も優勢なアラブ軍が戦いを有利に進めていました。しかし、バーグマンの『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史』によれば、初代首相となっていたベン・グリオンは何年も前からアラブ諸国内に情報ネットワークを構築し、戦争直前にはその情報部門から5月15日に攻撃があることを事前に知らされ、攻撃の前から察知していました。
このため、ある程度の戦争準備はできており、ユダヤ人たちは素早く部隊を再編成して反撃に転じていきます。ヨーロッパからはホロコーストの生存者たちが応援に駆けつけ、最終的には国連の分割案で割り当てられた領土よりも広い土地を獲得して勝利したのです。
この経験がイスラエルにとって重要な別の論理を生むことになります。つまり、ベン・グリオンにとって、そして生まれたばかりのイスラエルという新生国家にとって「情報こそが決定的な役割を果たす」という論理です。これこそが中東最強と言われる強力な軍と、世界最高水準の情報機関をイスラエルが育ててきた背景にある論理です。
■「イスラエルの最強の盾」モサドとは何か
ベン・グリオン首相は戦争後、これら3つのインテリジェンスの三本柱の元になった機関を設立します。イスラエル参謀本部諜報局「アマン」、総保安庁「シン・ベト」、そして海外での諜報活動を行う政治局です。政治局とは、のちに世界最強のスパイ組織としての名声を手にする諜報特務庁「モサド」です。
バーグマンが本で指摘している通り、特にモサドは新生ユダヤ国家である「イスラエルの最強の盾」としての役割が期待されていました。当時のベン・グリオンは首相兼国防相で、これら全ての機関を一人でコントロールしていたとされます。バーグマンによれば、政治権力がたった一人に集中する状況でしたが、これは国民には隠され、公の場でシン・ベトやモサドという名前に言及することは1960年代まで禁じられていたと言います。それぐらい厳重に秘匿されるほど重要な存在だったのです。
これらの諜報機関は公には存在していないことになっていたので、法的な裏付けもありませんでした。これにより3つの機関は、法律に縛られず、国家の安全を守るという大義のもと、暗殺や秘密工作などの違法行為を次々と実施していくことになります。
■虐殺の主犯格・アイヒマンを捕らえた執念と戦闘力
イスラエルという国家を守るため、イスラエルの諜報機関は首相の承認があれば、拉致や暗殺も行います。今回のガザでの空爆や作戦も、ハマスの幹部の殺害を目的とした攻撃が多く実施されています。
ここにおけるイスラエルの基本的な考え方は、「敵は世界のどこにいても必ず見つけ出して殺害する」という論理です。同胞を殺した者には、必ず報復するということです。2023年10月7日以後も、攻撃を行ったハマスの戦闘員は全員を見つけ出して殺害することが重要な国家目標になっています。
この「敵は必ず見つけ出して殺害する」というイスラエルの論理を世界に知らしめたモサドの秘密作戦があります。第二次大戦中のナチス・ドイツでユダヤ人の虐殺に中心的な役割を果たしたアドルフ・アイヒマンの拉致と処刑です。
1960年、アイヒマンはアルゼンチンでリカルド・クレメントの偽名で隠れて暮らしていましたが、イスラエルの諜報機関モサドに発見されます。モサドは現地でアイヒマンを拉致し、国営のエルアル航空でひそかにイスラエルまで移送しました。その後、アイヒマンは裁判にかけられて処刑されました。
■ミュンヘン五輪で起きた「イスラエル選手団殺害事件」
このアイヒマン裁判により、それまであまり明らかになっていなかったホロコーストの実態が明らかになりました。当時はユダヤ人たちの中でも、詳細な事実関係について知らない人は多かったのです。
しかし、アイヒマン裁判でその凄惨(せいさん)な実態がイスラエル社会に改めて共有され、同時にユダヤ民族のアイデンティティが民族の悲劇を通じて強化されていきました。
そして、アイヒマンの処刑以外にも、各地に逃亡した他の元ナチス幹部が、モサドのエージェントらによって多数殺害されています。ナチスへの報復以外で有名なのが、ドイツのミュンヘン五輪でイスラエル選手団が殺害された事件への報復です。
1972年、ミュンヘンの選手村に侵入したパレスチナの過激派組織「黒い9月」のメンバーがイスラエル選手団の宿舎を襲撃し、複数の選手が殺害され、さらに人質に取られました。イスラエル軍のエリート特殊部隊サイェレット・マトカルはすぐに救出作戦のため出動準備を整えますが、ドイツ政府から入国を許可されず、事件解決はドイツの治安当局に任されました。
しかし、ドイツの治安当局の不手際のせいで人質11人全員が死亡してしまいました。イスラエル国内では、「ホロコーストの現場となったドイツの土地でまたもユダヤ人が虐殺された」という衝撃が広がりました。
■「モサドはいついかなる場所でも攻撃できる」
当時のゴルダ・メイア首相はイスラエル議会で、「我々は見つけ次第、テロ組織を攻撃するしかない。それは我々と平和への義務である」と述べて復讐(ふくしゅう)を誓います。
その後、モサドなどの諜報機関は軍とも連携し、「黒い9月」メンバーを次々と暗殺していきました。この史実は、スピルバーグの映画「ミュンヘン」の主題になったことでも知られています。モサドは早くも翌年の1973年に、軍との合同で「若き日の青春」作戦を発動し、レバノンのベイルートにいた、ミュンヘン事件の首謀者だった3人の「黒い9月」幹部を暗殺します。
バーグマンの本によれば、事前に偽造パスポートで複数の工作員がベイルートに入り、情報を集めてターゲットの住む住宅などを確認し、作戦当日は海軍のミサイル艇からゴムボートに分乗した約70人の特殊部隊員が現地に乗り込み、銃撃戦を繰り広げて3人の標的全員を殺害するという空前の規模の暗殺作戦でした。まさに国家の総力を挙げて復讐を実行したのです。
バーグマンは、この作戦の成功で「モサドはいついかなる場所でも攻撃できるという神話がアラブ世界に広がっていった」と書いています。
■ドローンを使ってハマスやヒズボラの幹部を暗殺
さらにモサドは、1979年にはミュンヘン事件から実に7年後、「黒い9月」の作戦担当官でパレスチナ解放機構(PLO)幹部でもあった、アリー・ハッサン・サラメをベイルートで自動車爆弾により暗殺しています。サラメは、ミュンヘン事件以外にも飛行機のハイジャック事件などイスラエルへの多くの攻撃に関与しているとモサドは断定していました。
こうした諜報機関と軍が連携した軍事行動のほかにも、イスラエル国内外でユダヤ人を狙った爆弾テロなどが起こるたびに、報復として、数多くの暗殺が行われています。PLOの主流派ファタハの幹部、ハマスの幹部やヒズボラの幹部を爆殺したり、ドローン攻撃、ヘリからのミサイル攻撃などによっても次々と殺害してきました。無人機=ドローンをこれだけ多くの暗殺に本格的に利用した最初の国家はイスラエルです。
■これまで関わった暗殺は推計で2700件にも
暗殺は首相をはじめ政府内で議論されて決定されますが、歴史的にもその数はあまりに多く、情報機関の歴史が専門の日本大学の小谷賢教授は、2700件近いと推定しています。
ミュンヘン事件のように世界的に有名になった攻撃への報復はもちろん、イスラエル国内で繰り返される爆弾テロなどに対して報復するパターンも多く、暗殺はイスラエル政府の日常的な手段となっています。
2024年5月、イスラエルと敵対するイランのエブラヒム・ライシ大統領がヘリコプター墜落事故で死亡した直後には、イスラエル政府高官が「我々ではない」と暗殺を否定したと報じられました。こうした報道が流れるくらい、イスラエルは暗殺作戦を通常の政策手段として使う国家だと見なされているのです。
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テレビ東京報道局記者/ニュースキャスター
1981年福岡県生まれ。2005年3月東京大学大学院法学政治学研究科修了。同年4月テレビ東京入社。政治担当記者として首相官邸や与野党を取材した後、11年春から経済ニュース番組WBSのディレクター。同年10月からWBSのマーケットキャスター。16年から19年までロンドン支局長兼モスクワ支局長として欧州、アフリカ、中東などを取材。現在、Newsモーニングサテライトのキャスター。ウクライナ戦争などを多様な切り口で解説した「豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス」の動画はYouTubeだけで総再生回数4000万を超え、大きな反響を呼んでいる。
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(テレビ東京報道局記者/ニュースキャスター 豊島 晋作)
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