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「本好きな子ども」はどうやって育つか…"乱読家"坂東眞理子が10代のころ読んでいた「名著のタイトル」

プレジデントオンライン / 2024年8月11日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kobus Louw

読書が好きな子どもに育てるにはどうすればいいか。昭和女子大学総長の坂東眞理子さんは「私の場合、子どものころに特に親から指導されず、本が十分になかったから本好きになったと思う。一方、私に『この本を読んだら』とたくさんすすめられた娘たちは、残念ながら本好きにはならなかった」という――。

※本稿は、坂東眞理子『人は本に育てられる』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

■『即興詩人』がなぜか心に残っている

小学校の3、4年生ごろからでしょうか、学校の図書室に行かなくても家にも読める本が多数あるのに気が付きました。芥川龍之介、夏目漱石、森鷗外などの古くて少しかび臭い、漢字まじりの字がぎっしり書かれた本が土蔵にありました。これは1941年夏に中国で戦死した叔父の義雄さん、父の弟の残した本だったようです。

芥川龍之介の『杜子春』や『蜘蛛の糸』のような子供向けの短編小説は教科書にも載っていましたが、有名な『羅生門』や『地獄変』『或阿呆の一生』などは深く理解できていなかったはずながらも、蔵の本で読んだという記憶とストーリーだけはおぼえています。

夏目漱石の『坊っちゃん』は面白く読みましたが、『こころ』『三四郎』などの青春小説は読んだにしろ、小学生としてどこまで理解していたか、疑わしいものです。『吾輩は猫である』『それから』『門』は読んでみましたが面白くありませんでした。

森鷗外も『山椒大夫』や『雁』は面白く読みました。文語で書かれた『舞姫』や、史伝はまだ歯が立ちませんでしたが読んだ記憶だけはあります。文語訳のアンデルセンの『即興詩人』はなぜか心に残っています。誰が残したか吉川英治の『鳴門秘帖』など挿絵入りの本もたくさんありました。

■自分の血肉になっている百人一首の和歌

また母が数少ない愛読書として実家から持ってきたもので、国文の授業で教科書として使った金子元臣さん監修の挿絵入りの厚い『源氏物語』の三巻本もありました。

へーこれがあの有名な『源氏物語』かと、冒頭の「いずれのおおんときにか、女御、更衣あまたさぶらいたまいける中に、いとやんごとなききわにはあらぬが……」をたどりましたが、もちろん意味もわかりませんでした。それに比べれば『平家物語』は漢字にカナが振ってあるテキストだったこともあり、「祇園精舎の鐘の声……」と口調もよく記憶していました。

小学校の低学年のころからお正月に姉たちと百人一首をしました。上の句、下の句は全部覚えていても札がどこにあるかわからず、競技かるたのように取るのが速かったわけではありませんが、いつも一番多く札を取っては得意になっていました。幼いころに覚えた百人一首の和歌は自分の血肉になっていて、今でもふと口ずさみます。

中学生のころには『万葉集』『古今和歌集』を読み通すことはできませんでしたが、たまに百人一首で知っていた歌人の歌を見るとうれしく、時に心ひかれる歌をメモしたり、解説書を読んだりしていました。

■男性に比べて女性の偉人伝が少なすぎる

このような日本古典に加え、母が好きだった樋口一葉や与謝野晶子などの伝記も、家にあった本は繰り返し読みました。平塚らいてうや津田梅子でなく与謝野晶子だったのは母の影響でしょう。

女性の偉人伝といえば子供のころに読んだのはキュリー夫人、ナイチンゲール、それに紫式部、清少納言でしょうか。もちろん彼女たちの伝記も読みましたが、それよりナポレオン、ベートーベン、シーザーやアレキサンダー大王、あるいは中国の秦の始皇帝や劉邦、項羽、孔明など、多く読んだのは圧倒的に男性の英雄たちの伝記でした。

女性の偉人伝は少なく、大学生になってやっと持統天皇の伝記を読みました。北条政子なども私が読んだものでは源頼朝の妻としてだけ描かれていました。クレオパトラも楊貴妃も英雄の恋人、妻として有名で、本人が何をしたという業績は知りませんでした。今の子供たちには、私たちの世代よりもっと女性の偉人伝に触れることができるよう期待します。

学校の教科書も授業で使わなければ魅力的な読み物だったように、高校生だった姉たちの日本史や世界史などの歴史の教科書は網羅的、体系的に記述されており個人個人の偉人が歴史の中でどう位置付けられるのかがわかって、とても役に立ちました。自分の歴史観の骨格は姉たちの高校教科書によって形作られたような気がします。

■自分が読んでいない本がまだ山のようにある

手当たり次第、活字の書かれた本なら何でもよいとばかりに読んでいた小学生時代から中学校に進学すると、世の中が落ち着いてきたこともあり、学校の図書室が充実してきました。

積みあがった本
写真=iStock.com/DmitriiSimakov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DmitriiSimakov

世の中には山のように本があり、自分が読んでいるのはそのうちのほんの一部なのだ、とわかってきました。また町立の図書館が公民館の一角にオープンし、そちらも大人の小説がたくさんあり、いつの間にか貸本屋には行かなくなり、図書館の本を読むのが中心になりました。

中学校の3年ごろから発行された中央公論社(当時)の緑色のハードカバーの「世界の歴史」シリーズは読み物としても興味深く書いてあり、繰り返し読みました。しばらくのちには茶色のハードカバーの「日本の歴史」シリーズも刊行され、それもかなり愛読しましたが、大学生になってからのことです。

■宇宙に思いをはせた『星雲からきた少年』

「世界の歴史」は基礎的な歴史の流れを描写しており、当時バリバリの歴史学者が書いておりギリシア・ローマ、秦、漢や隋、唐など有名な時代だけでなく、中世ヨーロッパ、シルクロードなどの世界にも目を開かされました。中でも愛読したのは「ギリシアとローマ」「フランス革命とナポレオン」などすでに偉人伝などで切れ切れの知識のある時代でした。

またこれは町立の図書館だったか学校の図書室だったか記憶はあいまいですが、ジョーンズの『星雲からきた少年』のようなSFも愛読書でした。太陽系、恒星や惑星、他の銀河系あたりまでは夢が広がりましたが、相対性原理、核融合、多次元空間など物理の世界への関心を持つというところまではいきませんでした。

コナン・ドイルの『失われた世界』や「地球の歴史」も興味を持って読んでいたのですが、基本は文学書、歴史書で、理科系への興味にまでは至らなかったのか、指導者のいない、我流の読書の弊害だったと今になって思います。

■親がすすめても、子どもは本好きにならなかった

一方で、特に指導されなかったから、本が十分になかったから本好きになったのではないかと思います。私は娘たちにたくさん「この本を読んだら」「この本は面白いよ」とすすめたのですが、それがうるさかったのか娘たちは本好きにはなりませんでした。

中学生から高校生にかけて一番良く読んだのはいわゆる世界文学全集でした。学校の図書室でも大きな場所を占めていたのは世界文学全集でしたし、大学を卒業し就職して教員になったばかりの姉が、河出書房新社から刊行された世界文学全集を毎月定期的に買っていました。

ドストエフスキーの『罪と罰』、トルストイの『戦争と平和』、ロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』など定番中の定番の名作の翻訳を私もせっせと読みました。アンドレ・ジイド『狭き門』、ビクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』、モーパッサン『女の一生』、スタンダール『赤と黒』、バルザック『谷間の百合』などなど。

定評ある名作とはいえ中学生には理解できない部分も多かったのですが、次々と読み通すことができたのは子供のころからの活字漬けの影響で、本を読むスピードが速かったからでしょう。

■試験の前ほど本が読みたくなる「悪癖」

高校に進学するとさらに大部の本も読むようになり、今ではとても読む気のしないほど長いロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』、ショーロホフ『静かなドン』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、ロマン・ローラン『魅せられたる魂』などを読みました。

本当は試験に備える勉強や受験勉強をしなければならないのに、こんなに本を読んでいてはいけない、もっと生産的な活動をすべきだと罪悪感にとらわれながらも、試験の前ほど本が読みたくなるという悪癖から脱することができませんでした。

世界観・社会観を形作るうえで影響を受けた本は世界文学だけでなく、日本文学も明治大正時代の漱石、鷗外、龍之介といった作家以外では谷崎潤一郎、吉川英治なども読みましたが、私小説や自然主義派の小説はあまり魅力を感じませんでした。

日本の小説は大正から戦前のものも含め、田山花袋の『田舎教師』、林芙美子の『放浪記』なども読みましたが、ほとんど感動しませんでした。視野の狭さ、身辺の些細なことばかり描写してこの人は何が言いたいのか、という感じで興味をひかれませんでした。

■手塚治虫の描くキャラクターに鼓舞された

どうも日本の純文学はこうした身辺の狭い世界を精緻に描いたものが多く、それが文学賞などでも高く評価されています。大きな世界観や歴史観を反映した大河小説などは大衆系、娯楽系と一段低く見る風潮があるのは残念だなと思います。

人間の劣っているところ、醜いところに共感し受け入れるより、志を持ち困難に負けない人間を描く小説は翻訳もののほうが多かったように思います。むしろ手塚治虫の漫画が壮大な世界観、人間観を描いて魅力的でした。困難な状況の中でも理想に向けて努力する、壮大な歴史の流れに関与する人間像が、若い私を鼓舞する材料でした。

またそうした名作の原本は子供向けにリライトされたものよりよほど内容が充実しており、ストーリーだけでなく、作家の該博な知識、人生観、歴史観なども反映し、自分自身の世界観、社会観を形作るうえでも影響を受けました。

本棚で本を選ぶ少女
写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_

私にとってフランス革命はシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』、ナポレオン戦争は『戦争と平和』で理解し、第一次世界大戦は『チボー家の人々』から学びました。そうした意味で19世紀的教養主義の残像の雰囲気に影響されていたのでしょう。まだカミュやサルトルなどの現代文学には触れる機会がありませんでした。

■古文・漢文の授業に今でも感謝している理由

日本文学でも与謝野晶子訳の『源氏物語』や、現代語訳された『平家物語』『源平盛衰記』『太平記』などの古典文学のほうを好んで読んでいました。吉川英治の『新・平家物語』、山岡荘八の『織田信長』なども気楽に読みました。

坂東眞理子『人は本に育てられる』(幻冬舎新書)
坂東眞理子『人は本に育てられる』(幻冬舎新書)

国語の時間は相変わらず中学生・高校生になっても好きではありませんでしたが、その中で古文や漢文は自分では読めなかった中国や日本の古典の原点に触れられて新鮮な感動がありました。

今でも「力山を抜き気は世を蓋(おお)う」が有名な、項羽の垓下(がいか)の歌など史記の一節、李白や杜甫をはじめ、唐詩の読み下し文を愛読し暗記しているのはそのころの授業のおかげです。

漢文の読み下し文の引き締まった文語の語調は今でも大好きですが、史記や論語、唐詩の訓読などは中国の人には通じず、私たちより若い人にも通じず、おそらく今後なくなってしまう文学の分野なのだろうなと思うと少し寂しい気がします。のちに吉川幸次郎さんの『杜甫』『漢文の話』なども愛読しました。

子供のころのように手当たり次第に読む時期を過ぎ、このころになると自分なりの好みが少しずつ形作られていったように思います。

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坂東 眞理子(ばんどう・まりこ)
昭和女子大学総長
1946年、富山県生まれ。東京大学卒業後、総理府(現内閣府)に入省。内閣総理大臣官房男女共同参画室長。埼玉県副知事。在オーストラリア連邦ブリスベン日本国総領事。2001年、内閣府初代男女共同参画局長を務め、2003年に退官。2004年、昭和女子大学教授、同大学女性文化研究所長。2007年に同大学学長、2014年理事長、2016年総長。著書に300万部を超えるベストセラーの『女性の品格』(PHP研究所)のほか『70歳のたしなみ』(小学館)など多数。

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(昭和女子大学総長 坂東 眞理子)

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