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「認知症になったらどうしよう、老後が不安」心配する人ほど認知症になりやすいと認知症専門医が断言する理由

プレジデントオンライン / 2024年8月26日 8時15分

山口晴保 Haruyasu Yamaguchi 認知症専門医/群馬大学名誉教授。専門は認知症の神経病理学や臨床、リハビリテーションとケア。著書に『認知症ポジティブ! 脳科学でひもとく笑顔の暮らしとケアのコツ』(協同医書出版社)など。

■「長生きの勲章」とポジティブにとらえよう

世の中にはさまざまな障害を負った人がいますが、その人たちがみんな不幸かといえば、そうではありません。本人が不幸だと思えば不幸ですが、障害があってもそれを受け入れて「できること」に目を向ければ幸せになれます。認知症もまったく同じなのです。

人生は何事もポジティブにとらえたほうがうまくいきます。私は多くの認知症の人とその家族を見てきましたが、幸せな老後を過ごせるかどうかは本人や家族のとらえ方しだいです。

「認知症になったら悲惨な日々が待っている」「家族に多大な迷惑をかけてしまう」と信じてしまう人は多いものです。認知症の介護が大変なことは否定しませんが、人間は誰でも他人に迷惑をかけながら生きていくものなのです。

ネガティブなことに視点を向けるのではなく、まだまだできることがあるとポジティブなことに視点を向けることは脳だけでなく体にとってもいいことばかりです。喜び、感謝、安らぎ、興味、希望などポジティブな感情を持てば持つほどストレスは減りますし、免疫機能が向上し、炎症を抑えて老化を遅らせることもできます。逆にネガティブな感情を抱けば抱くほど、免疫機能が落ちて、がんになりやすくなり、感染症にもかかりやすくなり、老化が進みます。皮肉にも、「認知症になったらどうしよう」「老後が不安だ」と心配するほど、記憶に関係する神経細胞の突起が減り、認知症になりやすくなってしまうのです。

今の日本では、認知症のネガティブな面ばかりが注目されていますが、私は認知症になるのはむしろ幸せなことだとポジティブにとらえたほうがよりよく生きられると思います。

そもそも、認知症になるのは、戦争や事故や震災で死なずに長生きしている人だけです。もちろん若年性アルツハイマーなど例外はありますが、基本的に年を取れば取るほど認知症の有病率は上がります。5年長生きするごとにリスクは約2倍になると言っていいでしょう。これは40代から当てはまります。95歳以上では約8割が認知症。つまり長生きをした当然の結果です。

健康に気をつけ、適度な運動や良質な睡眠を心がければ、認知症の発症をなるべく遅らせることは可能です。そうやってうまく長生きができれば、最後にようやく認知症が待っています。

“長生きで なれて幸せ 認知症”

私の詠んだ一句です。

認知症は「長生きの勲章」だとポジティブにとらえてほしいのです。

95歳以上の約8割に認知症

■発達段階を逆行する「赤ちゃん化」が起きる

認知症をポジティブにとらえるべき理由はほかにもあります。脳の仕組みのおかげで、認知症が本人の主観的幸福度に悪影響を与えることはあまりありません。認知症特有の不安を感じることもありますが、適切なケアを受け、周囲の人たちに理解のある対応をしてもらえれば、最後まで幸せを感じながら生きていくことができます。アルツハイマー型認知症になった本人が幸せと感じることができる理由を3つご紹介しましょう。

1つめは「合理化」です。脳には自分の言動を正当化する「合理化」というメカニズムがあり、認知症になってもこの機能は働きます。目の前の状況を自分に都合よく解釈するのです。この機能のおかげで、何か大きな失敗をしても自分を正当化します。「自分のせい」と落ち込むことはありませんから、本人にとっては幸せなことです。特に、自分の認知能力の低下を自覚していない場合にこの傾向が強くなります。

幸せになれる理由の2つめは「利他行為」です。私たちは人の役に立つことをすると脳でドーパミンという神経伝達物質が放出され、喜びを感じます。認知症になってもこの仕組みは変わりません。

鎌倉市のデイサービス「ケアサロンさくら」では、認知症の利用者が公園に行って掃除をしたり、近所のお宅で庭の草取りをするなどして活動資金をもらっています。デイサービスの利用者による戸外での活動や有償ボランティアが厚生労働省によって2018年に認められてから、このような取り組みは各地で少しずつ始まっています。認知症の人であっても、一定の役割を担って周囲に貢献することはできます。他人の役に立って感謝されることは、本人にとって大きな喜びとなり、生きがいが生まれます。

3つめは「赤ちゃん化」です。アルツハイマー型認知症が進行していく過程では、小児の発達段階を逆行します。

赤ちゃんの脳は、見る、聴く、体を動かすといった、いわば原始的な機能にかかわる部分から先に発達していきます。「自分がこんなことをしたら、あの人はどう思うだろうか」というように他人の思惑を想像できるようになることを「第三者視点の獲得」といいますが、このような高度な認知が可能になるのは生まれてからずっと後、4~9歳ごろのことです。そして認知症になると、後から発達した部分から順に機能が失われていくことがわかっています。

初期の段階でできなくなることは、複雑な手順の作業や金銭管理です。さらに、他人の顔色を窺ったり、嫌われないかどうかを気にして言動に気を配ったりすることもできなくなっていきます。しかし、これはむしろ幸せなことといえるかもしれません。認知症の人は素直に、ストレートに意思表示をします。楽しいときは楽しそうな顔を、つまらないときはつまらなさそうな顔をしていますが、それでいいのです。

赤ちゃんは一人では何もできませんが、愛情のこもったケアをしてくれる人がいれば幸せでしょう。認知症の人も赤ちゃんと同じです。「認知症になったら何もできなくてみじめ」というのは健常者の思い込みにすぎません。

「認知症になっても幸せ」な3つの理由

■世界一幸せな民族「ピダハン」との共通点

重度のアルツハイマー型認知症では、「時間軸」が消失します。多くの高齢者は時間の感覚がなくなることに対して不安を抱くようですが、時間軸の消失ははたして本当に不幸でしょうか。

過去を振り返って後悔したり、未来を心配して不安になりがちな健常者と違い、重度認知症の人には「今、このとき」しかありません。遠い過去の記憶は残りますが、昨日の失敗は覚えていません。今が幸せであれば、それで幸せなのです。認知症が進行するに従って死への恐怖も薄れていきます。安心して、平穏な最期を迎えることができるのです。

この時間感覚は、アマゾンに暮らす民族「ピダハン」と似ています。ピダハンの社会はいわば未発達で、時間や数をあらわす言葉がありません。人の名前ですら頻繁に変わるそうです。過去も未来もなく、「今」を生きるピダハンの幸福度は世界一高いと言われています。

認知症へのネガティブなイメージが形成された大きな原因の一つは、妄想や徘徊、暴力などの症状が現れることではないでしょうか。このような介護家族が「手に負えない」と感じる症状を医学用語でBPSD(認知症の行動・心理症状)と言います。もしもBPSDがなければ、介護する家族の心理的負担はかなり減るはずです。

実はBPSDが生じる背景や予兆を知り、介護者が接し方を変えるだけで、ある程度予防することも可能です。家族が困る症状に対しては、一時的に薬剤を調整しておさえることもできます。

BPSDを誘発しやすいのが、認知症の人の発言を否定したり、失敗を指摘したりすることです。たとえば認知症の人はしつこく同じことを質問してきますが、それは時間軸が崩壊し、記憶がつながらないという不安からです。そこで家族がイライラして大声を出したりすると、本人の「怒りスイッチ」が入り、暴力などBPSDに結びつくというわけです。

認知症になると脳の前頭葉の機能が低下するため、思いやりのない発言をすることもあります。健常者なら「自分が悪かった」と反省することもありますが、指摘されても気づけないのが認知症です。介護者が反発せず、穏やかに接していれば、穏やかな言動が返ってくるケースがほとんど。介護者が認知症をネガティブにとらえ、ネガティブな気持ちで接すると、相手からもネガティブな反応が返ってきます。ケアする人にもポジティブさは欠かせないのです。

たとえば、介護者は「お風呂に入らないと汚いよ」と言うより「お風呂に入ったらさっぱりして気持ちがいいよ」とポジティブな言い方をしたほうがいいでしょう。さらに言えば、嫌がる人を無理やり入浴させる必要はありません。発想を変えるだけで、とたんに楽になるものです。

日付や時間がわからなくても不幸ではない

■80歳以上の人なら薬は減らしたほうがいい

適切なケアを受ければ、認知症になっても幸せに暮らせると説明してきました。しかし、「認知症になった後の人生をどうやって幸せに生きるか」を決めるのは、介護者ではなく、あくまで本人です。日本は患者の自己決定を軽視しがちな国ですから、注意が必要です。

日本の医療や介護は「認知症と診断されたら家族が面倒を見なければいけない」「決まった時間に必ず薬を飲ませなければいけない」という考え方ですが、自己決定を尊重する欧米はそうではありません。早期診断されれば、まず本人が自分の病気について知り、自らの将来を設計します。薬にしても、日本では「患者が薬を飲んでくれないから食事に混ぜて何とか飲ませよう」という発想になりますが、そんなことをすれば欧米の多くの国では違法です。

実際、薬は無理に飲まなくてもいい場合が多いのです。およそ80歳以上の人なら、積極的にさまざまな薬を飲むよりも、できるだけ減らしたほうが元気になれると私は思います。認知症になると生命予後は10年から15年。そうなってから15年先の病気を予防するためにコレステロールの薬を飲むのはムダな治療だと考えます。

また、日本の病院や介護施設では勝手に歩き回って骨折でもしたら訴えられるから「身体の拘束もやむなし」と考えます。しかし人間の身体は使わなければ「廃用」といってその部分が衰えていきますから、身体を拘束すると筋力が低下し、歩行能力の低下が起こります。欧米ではたとえ認知症であっても、本人の意思で立ち上がって転んだら自己責任です(日本では事故)。それでケガをしたとしても、医療関係者や施設の人が訴えられるようなことはありません。

私が診療をしている病院では一切の身体拘束を行いませんが、このような病院は残念ながら少数派です。病院や介護施設が転倒の責任を取らなければいけないとなると、戸外でのボランティア活動なども広がりにくいのです。

日本でも今後、このようなところが変わってくれることを期待しますが、すでによい変化も起きています。診療報酬改定によって、今年度からは病院で「身体拘束の最小化」に取り組むことになりました。介護の面でも、住み慣れた地域でケアを受けながら少人数で暮らせる「認知症グループホーム」が整備されるなど、「安心して認知症になれる社会」ができつつあります。

長生きをしたのだから、できないことがあるのは当たり前。忘れてしまったことは、覚えていなくてもいいこと。こんなふうにポジティブにとらえることで、認知症の人もそうでない人も、より幸福に暮らせます。ぜひとも認知症になれるくらいの健全な長生きを目指してほしいと思います。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月16日号)の一部を再編集したものです。

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山口 晴保(やまぐち・はるやす)
認知症専門医、群馬大学名誉教授
専門は認知症の神経病理学や臨床、リハビリテーションとケア。著書に『認知症ポジティブ! 脳科学でひもとく笑顔の暮らしとケアのコツ』(協同医書出版社)など。

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(認知症専門医、群馬大学名誉教授 山口 晴保 構成=長山清子 図版作成=大橋昭一)

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