美術館に「順路に従って鑑賞する」というマナーはない…アートのプロが展覧会場を2周する理由
プレジデントオンライン / 2024年8月16日 18時15分
※本稿は、ちいさな美術館の学芸員『学芸員しか知らない 美術館が楽しくなる話』(産業編集センター)の一部を再編集したものです。
■すべての作品に解説パネルをつけるべきか
展覧会を作り上げる中で学芸員は、作品をどのように並べ、そこにどんなキャプションやパネルを付けるのかを検討します。そこで常に頭を悩ませることがあります。
作品の横に詳細な解説パネルを設置するとします。すると、どうなるか。たいていのお客さんは作品そのものよりもまず解説文を読んでしまうんです。で、その解説に書いてある作品の見方、解釈を「正解」ととらえて、作品鑑賞自体はその答え合わせになってしまう。みなさんも心当たりがありませんか?
なので、展覧会を作り上げる時に、なんでもかんでも解説を付けることには抵抗があります。一つの正解を教える学校の授業じゃないんだから、と。
それに言葉で説明できないからこそ、アートという形にする必要があったわけです、作者は。それを言葉にしちゃうのって、はっきり言って野暮じゃないですか。ちょっと違う気もしますが、お笑いを見た後にそのネタがどうして面白いかを解説する、みたいな不自然さを感じてしまうわけです。
■予備知識があれば作品鑑賞の筋道を立てられる
とはいえ、解説なしでポンと美術作品が置いてあっても、たいていの人がポカンとしてしまう気持ちも分かります(現代アートは特に)。そして「あぁ、私は芸術が分からないんだわ」となかば自分に自信をなくして帰る、なんてことになったら、それは悲しいですよね。
作品にどこまで解説を付けるかという問題は、はたして作品鑑賞には美術に関する知識が必要なのかという問題にもつながります。
知識はたしかに役に立ちます。例えば美術館に飾ってある1枚の絵を見た時に、ある程度、予備知識や周辺情報を知っている人は、その作者が他にどういった絵を描いているかを頭の中に思い浮かべ、「あの絵と違って、ずいぶん冒険したんだな」とか「このモチーフは他の絵とも共通するから、作者にとって大事な意味があるんだな」とか、自分なりに鑑賞の筋道をつくることができます。
さらに、その作者だけでなく周辺作家(同じグループ、同じ流派、同じ時代など)についての知識や、その絵が描かれた頃の国の歴史、風俗、習慣など、知識があればあるほど、多角的にその絵を見ることができ、いろいろな発見をするでしょう。
■どの程度解説すべきか、正解は存在しない
逆に、予備知識がゼロだった場合、1枚の絵と向き合っても「あぁ、人が描いてある」「花が描いてある」とか見たままの感想しか出てこなくて、「やっぱり感性がないと、芸術を楽しむのは無理なんだな」と肩を落とすことになります。つまり知識のあるなしは、鑑賞が楽しめるかどうかに直結すると言っても過言ではありません。
そこで学芸員としては、展示を誰の目線に合わせるかに頭を悩ませるわけです。
当たり前ですが、美術館は誰が来てもいい場所です。美術の素養がある人じゃないとだめ、なんてことはありません。せっかく来てもらったからには、どんな人にも何かを感じて帰ってもらいたいな、と願うわけです。作品と向き合った時に何かしら、その人なりの「発見」をしてほしい。「よく分からなかった」で終わったらもったいないじゃないですか。
そこで、全く知識がない人向けに解説を付けるわけですが、そうすると解説文をまず読んでから答え合わせのように作品を見る人が増える、という最初の悩みに戻ることになります。
全体的な傾向としては、かみ砕いた解説があった方が、お客さんの満足度は高いようなのですが、うーむ……。こんなことをウダウダ考えながら、展覧会ごとにいろいろな試みをして、お客さんの反応を観察して次に活かす、その繰り返しですね。
■展示の入り口のあいさつ文は斜め読みで大丈夫
さて、ではそろそろ具体的な鑑賞方法について説明しましょう。
もちろん展覧会の鑑賞方法に決まりなんてないので、それぞれが好きに見ればいいのですが、「せっかく展覧会に行ったのにあまり楽しめなかった」という人のために少しだけヒントになりそうなことを。
生真面目な日本人の多くは、次のような固定観念をもっています。
・解説文はすべてしっかり読まなくてはいけない。
・順路に従って作品を順番通りに見なくてはいけない。
展覧会に行くと、たいてい展示室の最初に人だかりができていて「うわ、混雑してるな」と思いませんか。これは、多くの人が最初にパネルやバナーで表示されたあいさつ文を一言一句ちゃんと読もうとしているからです。
いや、学芸員としてはありがたいんですよ。あいさつ文を書くのも学芸員の仕事ですから、それを読み飛ばさずにじっくり立ち止まってくれるなんて。
でも、あえて言います。そのあたりは斜め読みで大丈夫です。
なぜそんなことを言うかというと、人間の集中力には限界があるからです。
■まずは会場全体をぐるっと回ってみる
展示室に入って最初のエリアは渋滞しがちですが、出口近くになると結構ガラガラになっている光景にはみなさん見覚えがあると思います。
会場が一部屋だけのミニ展示ならまだしも、ある程度の規模の企画展となると、鑑賞者が気合いを入れて最初から作品一点一点を解説文もじっくり読みながら見ていくと、普通は後半で集中力がもたなくなり、だんだん適当に見るようになります。その結果終盤になるほど人がまばらになるのです。
こうした事態を避けるために、私がおすすめする鑑賞方法が「まずはぐるっと会場を最後まで回ってみる」です。
解説をいちいち読んだりしません。人でにぎわっているエリアは後ろの方からのぞいて見るだけでもいいでしょう。会場の構造上、行ったり来たりが難しい展覧会もたまにはありますが、普通は最後まで行っても退室さえしなければ、順路を逆流することも自由です(退室してもチケットを見せれば再入室できる施設もありますね)。まぁ友達と一緒に来た時などはこの技は使えませんが。
■ポイントは集中力に緩急をつけること
ぐるっと一通り展覧会を見てみると、いろいろなことが分かります。
まず展覧会全体の構成が分かります。「作家の人生に沿って作品を並べているんだな」とか「細かく章立てしているんだな」とか「メイン展示は半分ぐらいまでで、後半は関連展示なんだな」とか、どんなストーリーで展覧会が構成されているのか、企画側の意図がなんとなく理解できます。そして自分が最も気になる作品や気になるエリアが見つかるはずです。
それらを踏まえた上で、あらためて最初から見ていきましょう。
ポイントは集中力に緩急をつけること。全体の構成が頭に入っているので、あまり興味がわかないところでは無理して気合いを入れすぎず、そのかわり琴線に触れそうな作品のところではじっくり集中して鑑賞するのです。
これだけで鑑賞が終わった時の満足感がだいぶ変わりますし、自分なりの発見や気づきを得る確率がぐんと高まります。だまされたと思ってやってみてください。
■音声ガイドを外してもう一度見てみる
最近はスマホのアプリと連動させて利用できる無料の音声ガイドも増えてきました。あ、この音声ガイドですが、学芸員が原稿を作る場合もありますし、図録の作品解説などをもとに外注業者が作る場合もあります。
展覧会でこうしたものを利用してみるのももちろんおすすめなのですが、できればこれも音声ガイド付きで鑑賞した後に、ぜひイヤホンを外してもう一度自分なりの見方で会場を一周してほしいです。
もう一つ、さらに上級編としておすすめなのが「メモを取りながら鑑賞する」ことです。あくまで上級編なので、万人におすすめするわけではないのですが、一歩踏み込んだ鑑賞体験をお望みなら試してみる価値があります。
きれいな絵を見て「あー眼福、眼福」で満足するのも良いのですが、美術鑑賞の醍醐味は、作品とじっくり向き合うことで、自分の中の価値観だったり常識だったり固定観念だったり、そんなものが破壊されるとまでは言いませんが、少しぐらついたり、揺らいだりするところにあると私は思います。それが現代アートであれ、古美術であれ、展覧会を「見る前の自分」と「見た後の自分」は、同じではないのです。
そんな体験を後押ししてくれるのが、鑑賞メモです。
■スマホでメモをとるのはおすすめできない理由
作品を見ていると、自然と頭の中にアイデアや言葉が浮かんできたり、ふとした疑問や感想がわいてきたりしませんか。それを頭の片隅に残しておきながら、他の作品を見るのは大変です。一つの作品に触発されて浮かんだ言葉は、泡のようにすぐに消えてしまい、次の作品を見る時にはまた別の言葉が浮かんできます。
「あれ、さっきまで考えてたことって何だったっけ? 何かフワッと良いことを思いついた気がするんだけど、うわー忘れちゃった。気になる……思い出せない……」とか考えていると、その後の展示に集中できなくなります。
というわけで、最後まで展覧会を楽しむためにも、感想はなるべくその場で、思い浮かんだ瞬間に、パパッとメモ帳に書き留めておくことをおすすめします。
ただ、展示室内でメモをする時にはちょっとした注意点があります。
撮影可能な展覧会も増えてきたとはいえ、まだ多くの美術館では写真撮影が禁止されています。スマホアプリを使ってメモを取ろうとすると、スマホで撮影しようとしているのではと監視スタッフにいらぬ警戒をされてしまいます。
注意されないまでもスマホを出していると「むむ、撮影しようとしてるのか?」とマークされてしまい、落ち着いて鑑賞できなくなるので、写真撮影OKの展覧会でしか、スマホによるメモはしない方がいいでしょう。
■ボールペンの使用は禁じている美術館が多い
「それならメモ帳を持っていこう」という話になるのですが、そこでもう一つの美術館ルール「筆記用具は鉛筆のみ」に注意しなくてはいけません。
日本では、筆記用具は鉛筆のみとしている美術館が多数派です。なぜかというとボールペンや油性ペンを使うとインクが誤って作品に付いた時に、取り返しがつかないからです。シャープペンシルならいいのかというと、ペン先がとがった金属であること、またボールペンと見分けがつきにくいことから、やはり禁止されている場合が多いです。
メモを取るために、鉛筆も携帯しなければいけないのは、少しおっくうですよね。鉛筆の芯が折れたら困るのでキャップをかぶせておかないといけませんし、ボールペンやシャープペンシルのようにフックがついていないので、メモ帳に引っかけて一緒にしておくこともできません。
でも大丈夫です。鉛筆は、美術館の受付でお願いすればたいていの場合、貸してくれます。最初から「ご自由にどうぞ」と用意してある美術館もあります。積極的に利用してください。
さて、メモを取るといっても難しく考える必要はありません。
作品を見て、引っかかったこと、あとで調べようと思ったこと、特に良かった部分などを箇条書き程度にささっと書くだけで十分です。それだけでも鑑賞の深みが全然違ってきます。上級者コースではありますが、そんな鑑賞方法もあるということを覚えておいてください。
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東京都生まれ。都内のとある美術館で働く学芸員。ときおり大学非常勤講師。2022年からnoteにて美術館や学芸員に関する仕事コラムをスタート。初の著書『学芸員しか知らない 美術館が楽しくなる話』(産業編集センター)は現在6刷(2024年8月時点)。
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(学芸員 ちいさな美術館の学芸員)
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