生首演出、汚いセーヌ川、質素な食事…「アンチ極右」に固執した"マクロン五輪"がフランスで不評の理由
プレジデントオンライン / 2024年8月15日 10時15分
■パリ五輪「超リベラル演出」の背景に国内政治対立
パリ五輪では、日本選手の活躍が連日伝えられ、日本中が沸いた。しかし、開会式の演出、セーヌ川の水質、選手村の暑さと喧噪、競技審判の公正さなど、さまざまな問題も指摘されている。
その背景には、今のフランスが抱える問題があるのではないか。7月のフランス国民議会の選挙では、どの勢力も過半数を確保できないという異常事態となったが、その政治混乱は、五輪後さらに先鋭化することが予想される。
私は1973年にフランスに渡り、パリ大学の大学院に籍を置きつつ、外務省、国民議会、元老院などで研究に励んだ。エッフェル塔近くのアパルトマンから、セーヌ川沿いに外務省、国民議会へと徒歩で通う毎日であった。また、ソルボンヌと元老院は近くにあり、このカルチェ(地区)も活動拠点だった。
国会では、フランス人の仲間と柔道に励んでいた。それだけに、今回のパリ五輪は、懐かしい場所での開催であり、心躍るものがあった。
■バチカンも不快感
しかし、違和感を感じ覚えることも多々あった。
開会式では派手な衣装やメイクでドラァグクイーンの芸能人などが登場し、それが、レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」をパロディー化したことが、キリスト教を冒涜していると非難された。バチカンも不快感を表している。
開会式の芸術監督であるトマ・ジョリーも同性愛者であるが、彼をはじめ、LGBTの大会関係者たちに対してSNS上で誹謗(ひぼう)中傷が相次いでおり、検察も捜査に乗り出しているという。
また、ギロチンで処刑されたマリー・アントワネットが自分の首を持って登場するパフォーマンスにも批判の声が上がった。
以上のような演出には、リベラルで自由な国フランスらしいという賛成論もあるが、少し行きすぎのような気もする。
■「極右のメッセージを打ち砕いた」パリ市長が豪語
そもそも開会式で言及された「フランス革命」自体、本当に良いことだったかどうか議論がある。
イギリスの思想家エドマンド・バークがその著作『フランス革命の省察』(1790年)で喝破したように、国王夫妻を処刑したフランス革命には多くの問題があった。政治思想の面からも、偏っているとしか言いようがない出来事だった。
現在のパリ市長であるアンヌ・イダルゴは社会党であり、パリ五輪の開会を前に、「パリは極右に対抗する砦として残る」と発言。また開会式後にはルモンド紙のインタビューに「極右のメッセージを打ち砕いた」と答えていた。
実は彼女は、私がフランス政府からレジオンドヌール勲章「コマンドゥール」を受けたとき、受勲式に同席してくれた友人でもある。
■セーヌ川を泳いだ選手が体調不良に
アンヌ・イダルゴは水質問題が指摘されていたセーヌ川を泳いでみせたが、残念ながら問題は解決しなかった。
結局トライアスロン競技はセーヌ川で実施されたが、水質が十分に改善されたとは言えず、出場した選手のうち、ベルギー、スイス、ノルウェーの選手らが体調不良になった。
大会側は「セーヌ川の水質は基準をクリアしていた」としているが、ただトライアスロンの国際競技連盟の基準は決して厳しいものではなく、大阪の道頓堀川ですらクリアするという。選手の健康を真剣に考慮しているのかと言いたくなるような基準である。
選手村も不評である。エアコンもなく、ベッドの寝心地も悪く、騒音も激しく、食事の質も前回の東京大会に比べて劣るという。
さらには、柔道などの競技で、審判の判定が公正ではないという批判も強まっている。フランスに有利になるような偏りがあるとの指摘もあるという。
■レストランの客数が20~30%減少
パリでは治安対策が強化され、物価も高騰しているという。共同通信によると、ホテルの稼働率は80%を超えたものの、レストランなどは前年より客数が20~30%減ったと、五輪を歓迎していない模様だ。
政府は、警察官、兵士など7万5000人という史上最大規模の治安部隊を配置して警備に当たっている。イギリス、スペイン、ドイツ、韓国、カタールなどからも警察官が応援に来ている。パリでは、移民問題を背景にイスラム過激派のテロが頻発しており、大規模な治安対策が不可欠となっている。
フランス内務省は、大会前に4355人を、「大会に干渉する危険、外国のスパイ、極右・極左やイスラム教徒で過激化の兆候があること、犯罪歴があること」を理由に排除した。その中には、260人のイスラム教徒、186人の極左、96人の極右が含まれている。
■「移民排除を唱える極右勢力」が勢力を拡大
ヨーロッパでは移民問題が大きな政治問題となっており、多くの国で移民排除を唱える極右勢力が勢力を拡大している。
6月6日〜9日に行われた欧州議会選挙もそうで、極右が躍進し、とくにEUの屋台骨であるドイツとフランスでその傾向が著しかった。
この結果を受けて、フランスでは、6月9日に、マクロン大統領が国民議会を解散した。巻き返しを図るためであったが、そのマクロン大統領の狙いは実現せず、6月30日に行われた投票では、極右が大きく伸張した。
■マクロンの不人気が「国民連合」を躍進させた
「極右」とされるフランスの政党「国民連合」は、もともとジャン=マリー・ルペンが、フランス第一主義を掲げて、1972年に「国民戦線(FN)」という名で創立した政党である。ルペンは移民によって治安が悪化し、フランス文明が破壊されことを危惧していた。
2011年1月には、三女のマリーヌ・ルペンが第2代党首に就任し、党勢を拡大した。
2022年11月には、イタリア移民の子であり、28歳の若いジョルダン・バルデラが第3代党首に選出し、党のイメージチェンジを果たした。
また、政策的にも、過激な排外主義的主張を引っ込めて、ウクライナ支援への消極姿勢も棚上げし、EUとも融和的な方向に切り替え、多くの若者を引きつけたのである。
マクロンは、労働者の解雇を容易にしたり、年金支給開始年齢を62歳から64歳に引き上げたりして、国民に不評な改革を独断専行で行ってきたが、そのマクロン政権への反発が、RNへの投票となった。いわばマクロンの不人気が、RNを躍進させたと言えよう。
■三すくみ状態になってしまった
フランスの国民議会(定数577)選挙は2回投票制であり、第1回目の投票で、有効投票の過半数かつ登録有権者の4分の1以上の票を得た候補がいない場合には、決選投票が行われる。
決選投票に参加できるのは、登録有権者の8分の1以上を得た候補者であるが、この条件を満たす候補が誰もいないか、1人しかいない場合は、上位2者による決選投票となる。
第1回投票の結果、極右の国民戦線(RN)とそれに連携する勢力が33.2%で首位、左翼連合の「新人民戦線(NFP)」が28.0%、マクロンの与党連合が20.8%で3位であった。RNの得票数は1000万を超え、297選挙区でトップに立った。
1回目で当選したのは、RNが39人、左翼連合が32人、与党連合は4人で、501選挙区で7月7日に決選投票が行われた。
事前の世論調査(IFOP)によれば、決選投票での獲得議席予想は、RNが240〜270議席、与党連合が60〜90議席、左翼連合は180〜200議席であったが、結果はこれと大きく異なった。
1位が左翼連合で182(+33)議席、2位が与党連合で168(-82)議席、3位がRNで143(+55)議席となったのである。
与党連合も左翼連合もRNも過半数を獲得できず、三すくみ状態となった。
■統治不能な「宙づり国会」
RNとの協力は、他の2会派が絶対に拒否するし、与党連合と左翼連合の連立も不可能である。
左翼連合は、「不服従のフランス(LFI)」、社会党、共産党、環境政党から成るが、その中で最大勢力を持ち、ジャン=リュック・メランションに率いられるLFIは、マクロン政権批判の急先鋒である。
マクロンが国民に強いてきた年金受給年齢の引き上げなどの財政健全化に真っ向から反対。最低賃金の引き上げなどのばら撒き政策を掲げており、ウクライナ支援や中東紛争についてもマクロン政権とは異なる方針であり、両者の連携は無理である。
結局、どの会派も首相を出すだけの議席数(過半数は289議席)を持っておらず、統治不能な「宙づり国会」になってしまっている。
■大統領と首相が共存する
第2次世界大戦後のフランスは、議院内閣制に基づく第4共和制であったが、不安定な政権が続いた。そこで、シャルル・ド・ゴールは、安定した強力な政権を生むために1958年に第5共和制を発足させた。肝心な点は国民が直接選挙する大統領に強力な権限を集中させることであった。
アメリカの大統領制に近いが、アメリカと異なるのは、日本やイギリスのように首相も置いた点だ。首相の任命権は大統領が持つが、議会多数派の意向を無視できない点では議院内閣制的である。
もし大統領が議会多数派の決定とは異なる政治家を首相に任命すれば、すぐ不信任されるので、実際には議会多数派が首相を選択することになるからだ。
ド・ゴールは、国会で安定多数を確保していたので、大統領と対立する会派から首相を選ぶことは想定していなかった。
ところが1980年代になって、大統領と首相が対立する会派から選ばれるという状況が生まれた。1986年3月〜1988年5月のフランソワ・ミッテラン大統領(社会党)―ジャック・シラク首相(保守の共和国連合)、1993年3月〜1997年6月のミッテラン大統領―エドアール・バラデュール首相(共和国連合)、アラン・ジュペ首相(共和国連合)、1997年6月〜2002年5月のシラク大統領―リオネル・ジョスパン首相(社会党)という組み合わせである。
これを、「保革共存(コアビタシオン)」と呼んだ。
■いまだに次期首相が決まっていない
しかし、今回は保革共存ではなく、左翼、中道、極右の3つの勢力が拮抗(きっこう)する状況となったのである。
7月16日、マクロンはアタル首相の辞表を受理した。アタルは、次期首相が決まるまで職務を継続するが、暫定内閣であるため法案の提出などはできない。
また、NFPの内部でもLFIと社会党が対立し、統一した首相候補を提案できないでいる。
7月18日に国民議会が招集され、与党連合のヤエル・ブロンピベ前議長が3回目の投票で220票を獲得して何とか再選された。マクロンにとっては好ましい結果となったが、今後は彼女の議会運営能力が問われることになるし、次期首相に誰がなるかは不明である。
パリ五輪後のフランス政治は混迷の度を深めそうである。
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国際政治学者、前東京都知事
1948年、福岡県生まれ。71年、東京大学法学部政治学科卒業。パリ、ジュネーブ、ミュンヘンでヨーロッパ外交史を研究。東京大学教養学部政治学助教授を経て政界へ。2001年参議院議員(自民党)に初当選後、厚生労働大臣(安倍内閣、福田内閣、麻生内閣)、都知事を歴任。『ヒトラーの正体』『ムッソリーニの正体』『スターリンの正体』(すべて小学館新書)、『都知事失格』(小学館)など著書多数。
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(国際政治学者、前東京都知事 舛添 要一)
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