シャトレーゼにはなぜ「どらやき社長」がいるのか…一代で1000店舗を育てた齊藤寛会長が語った「2つの大切なこと」
プレジデントオンライン / 2024年8月14日 17時15分
■日に焼けていて、生命力にあふれていた
シャトレーゼの齊藤寛さんが亡くなった。90歳だった。亡くなるまで現役の会長として経営にあたっていた。
戦後の貧しい時代、彼は20歳で4坪の店、今川焼の「甘太郎」を始めた。それが今では海外店舗を含めて1000店舗を超えるグローバル・チェーンに成長している。
齊藤さんはつねに現場に足を運んだ。客と取引先と社員に喜んでもらうために仕事をする人だった。
2年前にインタビューした時の最初の印象は「胸板が厚い人だな」というものだ。その時、88歳だったけれど、日に焼けていて精悍そのもの。生命力にあふれていた。しかも、わたしの目の前でゴルフのスイングをしながら、「野地さん、80代を過ぎてからスイングを改造して飛ぶようになりました」と笑ったのである。素振りの手を見たら、現場の人と感じる大きくてごつごつした手だった。
インタビューした後、わたしは工場見学をした。節電していたから、本社工場の廊下は薄暗かったが、どこもかしこも清潔な状態にしてあった。工場へ入る際には自分の靴から室内履き、工場用の靴に履き替えなくてはならない。
下駄箱を見ると、「会長」と書いてある場所があった。齊藤さんが履き替えた靴を置く場所だ。創業者だから高級ブランドの革靴かなと推測して、なかをのぞいてみたら、履き古したような普通のウォーキングシューズが置いてあった。一足の靴を大切に履く人だったのである。
■「強いものに負けたくない」
齊藤さんは90分間、話し続けた。人生のほぼすべてをゆっくりとした口調で語った。わたしが感銘を受けたのはふたつのエピソードだ。そのふたつが齊藤寛という人間をあらわしていると思った。
ひとつめは「強いものに負けたくない」という正義感だ。
シャトレーゼはSPAだ。つまり、自社で商品の企画から製造・販売までを一貫して行っている。ケーキやアイスクリームを企画、製造して、自社の小売店で売る。一般に菓子メーカーとは製造だけをやる。卸売りに託す、あるいは小売店に持っていく会社がほとんどだ。小売店の場合は店内で作ることのできる数量だけを売る。もしくは卸売りから仕入れて販売する。SPAは決して多くはない。
最初のうち、シャトレーゼもスイーツの製造会社だった。だが、納入していた百貨店からさまざまな要求が来るようになった。
齊藤さんはそれを嫌った。強い立場の者が一方的に要求してくることを許せないと思った。彼はこう語った。
■値引きを断ったら、取引を切られてしまった
「当時、シャトレーゼはまだ売り場を持っていませんでした。洋菓子の製造メーカーだった。売り場を持たないメーカーというのは立場が弱いんです。百貨店から『取引を続けたかったら、協力してもらわなきゃ困る』と言われ、販売協力費という名目の寄付を頼まれたり、500万円もする腕時計を買わされたりしました。とても理不尽なことだと思いました。
ただ、理不尽さよりもつらかったのは、値引きです。一生懸命作った商品を安く納入しろと言われるのです。しかし、うちはすでにコストを切り詰めてやっている。これ以上、安くすることは質を落とすことになる。それで値引きを断ったら、取引を切られてしまいました」
齊藤さんはそう言ってから「はは」と笑った。
「500万円もする腕時計を買えと言われて、それで取引したら、自分も社員も惨めになりますから」とも言っていた。
取引を切られた齊藤さんは直売所を作った。「工場直売店」と銘打ってプレハブの実験店舗を作った。商品の値段は卸価格と一緒にした。一個100円だったら、34%引きの66円で一般消費者に売った。そこまで安くしたら売れないはずはない。商品はたちまち売れた。工場直売店は大成功した。
■シャトレーゼを大きくした「どらやき社長」
シャトレーゼが製造だけの菓子メーカーからSPAに転換したのは不当な商習慣に対する怒りだった。彼は売り上げを伸ばし、利益を追求するためにSPAを指向したのではなく、正義感から直売を始めたのである。
質がよくて値段が安い商品を買うことができて客は喜んだ。社員もまた理不尽な要求をする会社と付き合う必要がなくなり、ほっとした。シャトレーゼに納入する取引先もまた商品が売れたことで喜んだ。SPAへの転換で、彼は客、社員、取引先を喜ばせる「三喜経営」を実現した。
もうひとつのエピソードは家業的な経営についてである。
シャトレーゼは「プレジデント制」を謳(うた)い、組織を小集団に分けて、トップに社長(プレジデント)を置いている。シュークリームの製造ライン統括ならばシュークリーム社長、どら焼きラインなら、どら焼き社長、店舗を統括する営業責任者であれば地区を統括する地域社長だ。
そうしたプレジデント制を始めたきっかけはゴルフ場を経営したことだったという。
齊藤さんに会った時、わたしは「どうして、ゴルフ場をたくさん持っているのですか?」と聞いた。すると、彼は「それ、とてもいい質問ですね」と言って微笑した。
■66歳で単身、北海道のゴルフ場再建に挑戦
そしてこんな説明をした。
「私が66歳の時でした。ちょうど2000年です。一度、シャトレーゼの経営を後継者に譲ることにしたのです。それまでワンマン経営でやっていましたから、そばにいると、口を出すことはわかっていました。それで、ひとりで北海道へ行くことにしたのです。
岩見沢に近い栗山町という人口1万人超の町にゴルフ場があったのですけれど、これがつぶれそうになっていたので、再建を頼まれました。僕はお菓子だけでなくゴルフ場もできるぞというところを見せてやりたくて、再建に挑戦しました。
そのゴルフ場は町から離れた丘の上でね、設備は豪華だったけれど、周囲にいくつものゴルフ場があったから、とにかく人が来なかったんだ」
人を呼ぶために彼はゴルフ場のなかにシャトレーゼの直売店を作った。
「まず、ロビーや玄関の造作を取り外してシャトレーゼの店を作りました。それだけで多くの人がやってきました。それだけでなくゴルフ場のレストランを夜まで開けることにしました。通常、ゴルフ場のレストランは昼だけです。しかし、おいしいディナーを出すことでゴルフをやらない人も顧客にしました。ちなみに、今は19(現在は20)のゴルフ場をやっています。いずれも再生させました」
■山梨へ戻ったら、次は本業がピンチに…
「シャトレーゼのゴルフ場ではどこでもデザートとサラダは無料です。途中の売店には無料のアイスクリームも置いてあります。ゴルフ場の再生といえばゴルフをやる人だけをお客さまとして考えて、会員をなるべく多く集めようとしていますけれど、私はゴルフをしない人にも来てもらおうと思い、飲食の売り上げを増やしていったのです」
こうして、齊藤は北海道栗山町の「シャトレーゼカントリークラブ栗山」を再建した。しかし、話はそれで終わりではなかった。
「ゴルフ場を再生させて、山梨へ戻った時、私は愕然としました。北海道へ行く前は500億円近い売り上げがあったのですが、それがわずか1年で400億円へと減っていたのです。後継者は仕事もよくできて、優秀な人間でした。だが、売り上げを減らしてしまったわけだから、次の人間に代わってもらうしかない。そうして代わった人間も優秀でしたけれど、でも、売り上げを伸ばすことはできなかった」
齊藤さんは後任の社長を問い詰めたという。
「いったい何をやったのか? どうして売り上げが落ちたのか?」
しかし、後継者は「会長(齊藤)がやったことを真似しました」と言うだけだった。
齊藤さんは気がついた。
「悪いのは自分だ」と思った。
■「現場で率先して働く人を経営者にすればいい」
どうして悪いのですか、なぜ、齊藤さんが反省しなくてはならないのですか。
わたしが訊ねたら、齊藤さんはこう答えた。
「500億という規模が大きすぎたんです。あまりにも規模が大きいとなかなか経営はできないんです。後任のふたりがいけないのではなく、私の判断が間違いだった。
会社が500億の規模になると、知らず知らずのうちに社員は安心して会社に寄りかかってしまう。売り上げが減ったのは危機感の欠如です。漫然と業務をこなしていて、売り上げが伸びるはずはない。
そこでゴルフ場のことを思い出しました。ゴルフ場を始めた時、私は支配人をシャトレーゼから呼んだのです。それもゴルフをやらない人間にしました。従来からゴルフ場にいる支配人は背広を着て、ああしろこうしろって威張ることが仕事だと思っています。それでは再建はできない。
だが、ゴルフを知らないシャトレーゼ出身者であれば自分で仕事を見つけてお客さんにサービスをします。お客さんを迎えて、バッグを車から下ろして、昼間になるとレストランで手伝って、夕方またお見送りして、率先して働きます。それが経営者なんです。会社は小さな単位にして、現場で率先して働く人を経営者にすればいい。そうすれば自然に売り上げは上がる」
■客、社員、取引先に喜んでもらうために働く人
「500億のシャトレーゼをやらせたらうまくいかないけれど、5億から6億くらいの規模のゴルフ場なら誰でもできる。これは、家業的な企業経営をすればいいんだと思ったのです」
そうして、シャトレーゼは伸びていった。大企業病にはならず現在では約1500億円の売り上げを誇る会社になっている。
齊藤さんは正義感のある人だった。客、社員、取引先に喜んでもらうために働いた。
そんな齊藤さんは明晰だった。1時間半のインタビューの間、同じ話を繰り返すということをしなかった。
人は年齢を重ねたら、誰であっても同じ話をしてしまう。だが、彼はそうではなかった。
ただ……。
今になって思い返せば、彼がひとつだけ繰り返した言葉があった。
「80歳になってからゴルフのスイングを改造した。そうしたら、ボールが今までよりもぐーんと飛ぶようになった」
そう言った後、「野地さん、今度、東京国際ゴルフ倶楽部(シャトレーゼのゴルフ場)でやりましょう」と誘ってくれた。
それは楽しそうだなと思ったが、結局、実現しなかった。わたしは齊藤さんのスイングを見ることができなかった。ぐーんと飛ぶボールを見ることもできなかった。
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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