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「いつでも死ねるんだから今やりたい事をやろう」地の底にいた長女に"翼"を授けた有名漫画家と家庭教師の言葉

プレジデントオンライン / 2024年8月17日 10時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AHMET YARALI

2歳上の兄には障がいがあったが、両親は医療機関などへの相談を一切しなかった。その存在は家族内のアンタッチャブルでありタブー。そうした暗い家庭環境に育った現在40代の女性は中学校に登校することができなくなった。だが、そんな窮地を救う者もいた。それは『ちびまる子ちゃん』の作者・さくらももこさんと、女子大生の家庭教師だった――。

前編はこちら

■限界

山陰地方在住の月野由紀さん(仮名・40代・既婚)は中学校に入学すると、父と母と同じ高校に入りたいと思うようになった。なぜなら、「褒めてもらえるかもしれない」と思ったからだ。両親の高校はその地域の進学校で、周辺の中学校の1学年300人のうち30番以内が合格圏内だと言われていた。

月野さんはいつも30番以内をキープ。10位以内に入ることもあった。しかし、父親はあまり家におらず、母親は2歳上の兄の高校受験でそれどころではなかった。この頃の母親は、月野さんの祖母(母親の母親)の世話もしていた。

祖母はうつ病でずっと入院しており、認知症も進んでいた。祖父が「自宅療養にしたい」と言うため、母親は祖母の世話をするために、自宅から車で15分ほどの祖父母宅に毎日通っていた。

やがて中1最後のテストの順位表を見せた時、母親は言った。

「意味がない」

母親は、学習面に何らかの障害があり、できないことが増えていく兄に気を使い、月野さんが頑張ることに良い顔をしなかった。月野さんは絶望した。

「兄がこんななのは、母の育て方が悪いからじゃない。なぜなら、妹の私が優等生なんだから……。そう証明し続けることが母への愛情の全てだと思っていました。でも、もう頑張れなくなりました。限界でした」

吹奏楽部だった月野さんは、部員の一人が、「内申書って2年生と3年生の成績だけなんだって。先生が言ってたよ」と言うのを聞いて、心底がっかりした。

顧問の先生は、兄のクラスの担任だった。

「これをお兄さんに渡してね。何回言っても持って帰らないの。キャンバスに自画像を描くはずだったんだけど、何も描かないの。何か知らない?」

そう言いながら数十枚のプリントと大きなキャンバスを渡されたが、「知りません」と答えた。

下校途中、雨が降ってきた。月野さんは自分の荷物に加え、吹奏楽部で担当している楽器と、兄の荷物を抱え、やっとの思いで家に入ると、玄関に兄のプリントとキャンバスを放り投げた。大きな音に気付いた母親が出てきたので、「お兄ちゃんの物を担任から渡された」と伝えると、

「なんでこんなに濡らしたの? お兄ちゃんのなんでしょう?」

と責めるような口調で言った。この時、月野さんは、辛うじてつながっていた1本の糸が切れたと思った。

「私が大変な思いをして数十枚のプリントを持って帰ってきても、兄はどうせやらない。できない。キャンバスだって、どうせ描かない。無駄。ゴミです。黒い感情が私を支配しました。でもすぐに、そんなことを考えることにも疲れました。何も考えたくないし、誰とも会いたくない。話したくもない。とにかく休ませてほしい。そう思いました」

翌朝から月野さんは、学校に行かなくなった。

■中学校に行かない

翌朝、月野さんはいつも起きる時間に起きなかった。すると母親が部屋に来た。

「いつまで寝てるの? 早く起きなさい!」

月野さんは「行かない」とだけ言い、布団をかぶった。

「え? 具合悪いの? 熱あるの? 何言ってるの? とにかく早く起きなさい!」

白い布団のなかに小さな子供の足が見えている
写真=iStock.com/Zulfiska
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Zulfiska

母親はそう言って部屋を出ていった。しばらくして、兄や妹を学校に送り出した母親がまたやってきた。布団を剥ぎ取られ、ベッドから引き摺り下ろされる。

「何してるの? 早く学校に行きなさい!」
「行かない」

そう言った次の瞬間、頭を思いきり叩かれた。

「何馬鹿なこと言ってるの?」

背中も何度も叩かれる。

「兄が落ち込んだり苦しんだりしていた時は、母は泣きながら抱きしめていたのに、私のことは叩くんだな……と思いました」

何度も叩かれているうちに腹が立ってきた月野さんは、一度だけ母親の腕を叩き返した。

すると母親は一瞬びっくりした顔をしたが、すぐに「親にむかってなんてことするの‼」と激昂し、月野さんの頬を叩いた。

月野さんは「はあ〜」と大きなため息をつき、父親を呼びに行くと、父親は月野さんを一瞥しただけで仕事に行ってしまった。

「明日怖い先生に来てもらって、学校まで連れて行ってもらうから! 今日は部屋で静かにしてなさい!」

そう言って母親は去ると、数分後にリビングから母親や友達たちの笑い声が聞こえてきた。お茶会が始まったのだ。

「私はどこかで期待していました。母が私の話を聞こうとしてくれるのではないか。何かつらいことや悲しいことがあるのかと気にしてくれるのではないか。私の苦しみを理解してくれるのではないかと……」

しかしその期待は見事に打ち砕かれた。

翌朝も月野さんは学校に行かなかった。母親はさらにイライラを増幅させ、「怖い先生に引きずって学校まで連れて行ってもらうから!」と脅した。

しばらくすると、母親が呼んだのだろう。担任の教師が来た。担任は月野さんの前に座り込み、顔を覗き込んだ。涙を流していた。

「ごめんね。そんなにつらい思いをしていたの? 先生は気づけなかった。ごめんなさい」

月野さんは何も言えなかった。

母親のお茶会のせいで午前中はリビングに行くことができず、次第に月野さんの生活リズムは逆転し、家族が寝静まってから一人でご飯を食べるようになった。

「中学生として、しなければならないことを放棄している自分は、働いている父や家事をしている母、学校へ行っている兄や妹たちに合わせる顔がないと思うようになっていきました」

そんなある日、月野さんがトイレに行くために台所の脇を通ると、母親が泣いていた。月野さんが近づくと、「死にたい」と言った。

月野さんが何も言えずただ固まっていると、「私の人生って何なんだろう」と呟いた。

■中学校に行けない

月野さんは中2年になると、約2カ月ぶりに登校した。びっくりしたり、ジロジロ見たりする人はいたが、特に何も言われなかった。

「2カ月以上ほとんど部屋から出ていなかった私にとって、学校は刺激だらけでした。まず、嗅いだことのない匂いに戸惑い、そして人の動きや話される言葉が早送りのように感じ、頭の中をぐるぐる駆け巡っては消えて行きました。他愛もない会話を聞きとって答えることにもすごく神経を使いました。とてつもなく疲れました」

数カ月後、国語の教科書を忘れてしまったため、隣の席の男子に見せてもらうことになる。すると隣の男子から「ずるっ、頭わるっ、キモっ、太ってんなー、こっち見るなよ」などと言われるようになった。

しばらくすると月野さんは、学校に行けなくなった。ずっと習っていたバレエやピアノ、英語教室も辞めてしまった。

それから数日後、母親が突然部屋にやってきて、小さな紙切れを落として言った。

「それがあんたの本当の実力なんだよ!」

その紙切れは、中2になってから受けた学力テストの成績表だった。300人中112番。放心状態の月野さんを、母親は睨みつけてきた。

「以前はテストでいい点をとっても『意味がない』と言い続けてきた母が、なぜ悪い点数をとったら怒ったのかわかりませんでした」

その後、母親のお茶会は毎日から週に2回に減った。その代わり母親は手芸教室に通うようになった。

兄は私立の高校に進学したが、相変わらず友達もおらず暗い顔をしてうつむいていた。

ある日、兄が、「ウォークマンを盗まれた!」と言って怒っていた。高校にウォークマンを持って行くこと自体が校則違反だったため、高校では犯人を探したりはしてくれかったらしい。母親はただ困惑し、「新しいものを買えばいいでしょ?」となだめた。兄は「そんな問題じゃない! 誰にも俺の気持ちは伝わらない!」と激昂して泣いた。

ポータブルカセットプレーヤー
写真=iStock.com/Sensay
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Sensay

中2になってから半年ほど経った頃、月野さんは母親から「病院へ行こう」と言われた。月野さんは、母親が自分のために病院探しをしてくれたことがとても嬉しかった。

受診日、母親と一緒に診察室に入ると、70歳くらいの医師がいた。医師は月野さんが座るや否や、母親や月野さんの話は一切聞かず、一方的に自分の苦労話を聞かせ、最後に「あなたは見るからに病気ではないから、お母さんに苦労をかけないで頑張りなさい」と言った。

「母が事前に医師に何か吹き込んだのではないのかと思い、まるで私には苦しみもなく、毎日ぐうたらしているだけと言われたような気がして、怒りがおさえられませんでした」

■運命の出会い

病院の帰り道、本を読まない母親が本屋に寄ってくれた。

「何もいらないの?」と言うため、月野さんは咄嗟に10代向けのファッション誌を手に取った。

部屋にこもってファッション誌をめくっていると、書籍を紹介するページに釘付けになる。

いても立ってもいられなくなった月野さんは、家に誰もいないことを確かめると、そこで紹介されていた本を買いに出かけた。

歩いて30分の本屋に走って向かい、購入して帰宅すると、汗だくになっていた。しばらくすると、兄と母親が帰宅したらしく、言い争いが聞こえてきた。どうやら兄が高校を辞めたようだった。

月野さんは目の前が暗くなったが、買ってきた本を読み始めると、不思議とやる気が漲ってくるような感じがした。

「その本は、さくらももこさんのエッセイでした。何度も読み返して、その度に笑いました。『いつでも死ねるんだから、今やりたいことをやろう』。そう思えてきました」

月野さんはまず、「なまった体を鍛えよう」と思い、ファッション誌に載っていたエクササイズを始める。生活リズムを整え、朝起きたら日光浴をし、裏庭で自転車漕ぎをした。

母親に「目がよく見えないから、コンタクトにしたい」と言うと、「いいよ」と言って買ってくれた。ほとんど手をつけたことがないお年玉で美容院に行き、髪を切った。

「母は反対したり文句を言ったりはしませんでしたが、『どうしたの?』とも言いませんでした。だから私からも話しませんでした。母の頭の中は、兄が高校を辞めたことでいっぱいだったのだと思います」

中2の終わり。月野さんは部活だけは行くようになっていた。たまに教室にも顔を出すと、

「誰も何も言うなよ! デリケートな子がきたよ!」

と担任の教師が半笑いで叫んだ。担任は30代くらいの女性の体育教師だった。

馬鹿にされていると思うと悔しかったが、そんな時は本を買って読むとどうでもよくなった。

月野さんは問題集を買って自分で勉強を続けていたが、時々自分ではどうしても解けない問題に悩んだ。少し前まで兄に家庭教師をつけていたことを思い出した月野さんは、母親に「家庭教師をつけてほしい」と頼む。

すると母親は、

「高校に行く気があるの? 知らなかった」

と驚いた。

「高校に行かないなら、私はこのまま家に引きこもっておけばいいの? 放っておくつもりだったの? 兄にはすぐに新しい高校を探したのに……? 私の未来なんて将来なんてどうでもいいと思っているのかと苛々しました。同時にすごく悲しくて、頑張ろうという気持ちが押し潰されました」

それでも母親は家庭教師をつけてくれた。それが国立大学1年生の夏希先生だった。真希先生はさっぱりとした性格で、初対面でこう言った。

「あー! 騙された! 不登校の子って聞いてなかった! まぁ、でもいい子そうで良かった!」

面食らって固まっていた月野さんに、夏希先生はニカっと笑った。この出会いが月野さんの未来を大きく変えた。

笑顔の女性の口元
写真=iStock.com/fizkes
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fizkes

夏希先生は、月野さんが問題を解くたびに大袈裟なくらい褒めてくれた。それは月野さんが長年、母親からされたかったことだった。

中3になると担任が変わったが、やはり月野さんがたまに教室に行くと、面倒くさそうに扱われた。

月野さんはこの頃、

「高校に行って、夏希先生みたいに大学生になるんだ。家を出るんだ」

という目標があった。

夏希先生は時々月野さんを連れ出し、美味しいものを食べさせてくれたり、大学の話をしてくれたりした。

月野さんは私立高校に合格した。

■月野家のタブー

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。

月野さんの両親は、時代的に偏見があったとはいえ、あまりにも短絡的だ。明らかに何らかの障害がある兄に対し、誰にも医療的な相談をせず、適切な検査や治療も受けさせず、“普通”を装い続けようとする。その結果、兄は苦しみ続けることになり、本来その苦しみとは無関係だったはずの月野さんやその下の妹まで“被害”が及んだ。

子どもたちの教育を母親に丸投げしていた父親は論外だが、父親や親族から「お前の育て方が悪いからだ」と責められてきた母親は、母親なりに頑張ってはいたのだろう。しかしその頑張りは本当に兄のためだっただろうか。自身の体裁を保つためではなかったか。孤軍奮闘する母親は文字通り孤立していた。毎日お茶会で親しい友達たちに会ってはいても、彼女らとは悩みや苦しみを共有できない浅い関係だった。

兄のことは月野家にとって、アンタッチャブルであり、タブーな存在だった。おそらく兄自身も含め、家族の誰もが心の奥底で「恥ずかしい」と思っていたように感じる。そしてそうさせたのは両親に他ならない。

電気のついていないキッチン
写真=iStock.com/Free art director
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Free art director

■毒親の連鎖は止められる

結局、親に勧められるまま大学に進学し、一人暮らしをしていた兄は、20歳の時に統合失調症を発症。大学を退学して実家に戻り、それから22年間、入退院を繰り返している。

ストレスで毛髪が抜け落ち、ドス黒い顔をして痩せ細り、目だけをギョロギョロさせ、体調が良い時は少しなら会話ができるが、基本的には独り言を言っており、体調が悪い時は布団から起き上がることもできない。

「独り言をよくよく聞くと、兄は一人二役をしています。兄を徹底的に罵倒し、存在を否定する側と、それに反論する側。兄の内面の戦いなんだと思います。そんな兄を見るたびに、『なぜこんなに苦しまなければならなかったんだろう』と胸がえぐられます。離れて暮らしていても、ふと思い出すたびに涙が出ます」

月野さんが大学進学のために家を出たとき、3歳年下の妹は高校1年生。大学を辞めて実家に戻った兄の怒りや執着は全て妹に向かった。妹は何度も「兄を病院に連れて行ってほしい!」「何か変だと思う!」と訴えたが、両親は聞き入れなかった。

兄が統合失調症を発症した要因のひとつが、“両親の無知”ではないかと月野さんは言う。

「約40年前なので、子どもの障害についての情報は少なかったんだと思います。でも年々情報は増えていったはずですし、探せば見つかったはず。両親はそれをしようとしませんでした。兄の現在や未来より、自分たちの世間体やプライドを重視したのだと思います」

月野さんは夏希先生のような教師になることを目指して大学に進み、塾の講師になった。28歳で結婚し、翌年長女が、その5年後に次女が生まれた。自分が母親になり、娘たちに向き合っていると、時々強烈に襲ってくる感情があるという。

「母を許せない」

という感情だ。

「私が母だったら、片っ端から関連する本を探して読んだり、知識や情報を得るために講習会に行ったりしたと思います。相談できる機関には全て相談し、病院や療育センターに通ったりして、何を犠牲にしても少しでも子どもが快適に過ごせるように、必死に自分ができることをしたと思います。でも私から見て、母はそんなふうには見えませんでした。よく泣いてはいたけれど、毎日お茶会を開き、にこやかで穏やかに暮らしていました。親の無知は罪だと思います」

兄は42歳で「軽度知的障害と自閉症」と診断された。

「母は電話で、『やっとプライドがなく市の職員に相談できた』と私に言ったのです。『プライドって何だよ』と思いました。そんなくだらないもののために、兄はずっと健常児として扱われ、苦しめられ続けたのかと。(その影響で、私も)頑張っても頑張っても駄目だと、邪魔だと、努力が足りないと言われ続けてきたのかと……。『それでも母親かよ! 兄の人生を返せよ! 私や妹の苦しみを思い知れ!』と大声で罵ってやりたくなります。しかし今さら老いた母にそれを言って何になるのか。言葉を飲み込みます……」

月野さんの両親は進学校から大学に進み、遅れることなく卒業している。2人とも知能的には問題がないはずなのに、なぜ兄には的外れな教育を繰り返し、月野さんのことは放置の限りを尽くし、妹の訴えを聞き入れなかったのか。

■母親を反面教師に、娘たちの話を聞き、抱きしめる子育て

どうやらその理由は、両親が育った家庭にあった。

月野さんによると、父親の母親はネグレクト気味。母親の父親は過干渉で、家族を執拗にコントロールしようとする人だったらしい。だから母親の姉も母親も鬱になり、母親の姉は自死している。母親が自分の母親の介護をしていたのも、幼い頃から自分をコントロールし続けてきた父親が命じたからだった。

「母はよく『私は何も考えずに生きてきた』と言っていましたが、想像するに母は、祖父からコントロールされる人生を歩んできたせいで、深く考えると死にたくなってしまうから、自分を守るために、考えずにやり過ごそうとする病気みたいなものにかかっていたのかもしれません……」

月野さんの、兄に対する思いや言葉は、幼い頃に苦しんでいた自分への思いや言葉のように感じる。

願わくばその言葉を飲み込まず、少しでもいいので、生きているうちに母親や父親に伝えてほしい。

なぜなら、月野さんはアダルトチャイルドに他ならないからだ。

幼い頃から今までの苦しみを直接吐き出すことは、自分自身の心の傷と向き合い、心の痛みを取り除き、自分自身を受け入れる絶好のプロセスであるだけでなく、自分自身が人間として成長し、健全な人間関係を作っていく一歩となる。

それが月野さん自身のためであることはもちろん、両親のためでもあり、兄のためでもあり、月野さん自身が築いた新しい家族のためでもあるのだ。

「40年前と比べ、現在は知的障害や発達障害などの情報はかなり増えました。それと同時に、そのそばにいるきょうだい児についての情報も、もっと増えればいいなと思っています」

月野さんは現在、自分の母親を反面教師に、娘たちの話を聞き、抱きしめる子育てを実践している。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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