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「自衛隊=レスキュー隊」という認識が強すぎる…ロシア・ウクライナ戦争でわかった日本の大きな課題

プレジデントオンライン / 2024年8月27日 9時15分

海軍パレードでのウラジーミル・プーチンとセルゲイ・ショイグ。サンクトペテルブルク、2017年7月30日(写真=Presidential Press and Information Office/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

ロシアのウクライナへの軍事侵攻が続いている。国際法・防衛法政研究者の稲葉義泰さんは「軍事的に非合理的な戦争でも起きてしまうことが露わになった。そんな時代の中で自衛隊は何のためにあるのかを、いま一度考えるときに来ている」という――。(後編/全2回)(インタビュー・構成=ライター・梶原麻衣子)

■「ロシア・ウクライナ戦争」における最大の衝撃

(前編より続く)

――ウクライナ戦争が勃発してから2年半。内戦や紛争ではなく、国家間の大きな戦争が起きてからの過程を目の当たりにして、日本国民の安全保障意識に変化はあったのでしょうか。

【稲葉】確かに何らかの変化はあったのだと思います。ただし「戦争は本当に起きるものなのだ、それに備えなければならない」というところまで行っているかと言えば、それはわからないところで、やはり無関心の方が大きいのではないでしょうか。

無関心、というのは必ずしもニュースを見ない、全く知らないということではなく、「情報に接してはいるけれど、自分とは関係のないことだととらえている」姿勢を指します。例えば岸田政権はウクライナ支援策にかなり力を入れていますが、国民からの評価にはつながっていません。

ウクライナ戦争に関する報道量は多いのでしょうし、今はネットでも情報を得られます。SNSでも、言及している人は少なくありませんが、しかしその中身はどうかと言えば、「ロシアもウクライナもどっちもどっち、喧嘩両成敗」といったものも少なくありません。しかしこれは実際には「国際法を破ったのは誰か」という非常にクリアな話で、どっちもどっちにはなりえないのです。

また、さらにその先に進んで「我が国も当事国になるかもしれない。準備しておかなければ」という意味で意識している人はそう多くはないように思います。どこか他人事。やはりウクライナは地理的に遠すぎたのかもしれません。

■専門家は「まさかやるはずがない」と思っていた

――実際にはロシアという日本の隣国が、反対側の隣国であるウクライナに侵攻したという話なのですが、そういう捉え方はできていないですね。

ウクライナ戦争の衝撃は何かと言えば、軍事的合理性から考えれば起こさないはずの戦争を、国家の指導者の決断一つで起こしてしまったことです。

軍事の専門家からしても、当初は「まさかやるはずがない。脅しだろう」と思っていたものが、「あれ、まさか本当にやるつもりか」と言っているうちに、本当に始まってしまいました。

我々はどこかで「そうはいっても国家の指導者は合理的な判断を下すだろう」と思っていたのですが、ロシアの場合はそうではなかった。ましてや21世紀に入ったこの世界で、あれほど原始的なやり方で戦争をするのかと。大量虐殺まで行っていますし、現代の常識では考えられないような事態になっています。

■戦争でわかった日本の3つの課題

確かに国際社会は「アメリカ一強」の時代ではなくなっています。しかしNATOという強力な同盟関係があり、ウクライナは加盟していないもののヨーロッパにあれだけの拠点を持って、ロシアに対峙してきたのも事実。

しかしそれでも止められなかったという現実がある以上、「起きてしまったらどうするのか」を考えないわけにはいきません。もちろん、習近平や金正恩が必ずしもプーチンと同じ行動をとるわけではありませんが、可能性がないわけではない。

――ウクライナで起きていることを目の当たりにしているにもかかわらず、日本では抑止力強化にさえ反対する世論があるのが現状です。ウクライナ戦争で明らかになった日本の課題とは何でしょうか。

ひとつは継戦能力、というか「弾の数」です。ウクライナ戦争では、「どれだけ弾を撃てるか」が如実に状況を左右しています。ウクライナの場合は榴弾砲(りゅうだんほう)や砲弾を使っていますから比較的安価で、だから数十万発を撃てるという状況があります。

一方、日本の場合は海に囲まれていますから、対艦ミサイルや対地誘導弾などの精密誘導のものが必要になるため、「1発数億円」するものを、数多く備えておかなければなりません。

■ウクライナの高い広報力

ウクライナ戦争は2年半を過ぎましたが、日本が同程度の長期戦を戦えるかというとかなり難しい。弾薬数も、人の数も、燃料もそうですし、産業構造としても長期戦を支えられる形にはなっていません。

ミサイルに関しては予算が割かれていますが、「外国から買うのではなく、国産ミサイルを持つべきだ」と主張する人たちもいます。これに対しては「いざというときに効率的に使えるものはどれなのか」を念頭に判断すべきではないかと思います。

また、義勇兵の問題も考えておかなければなりません。ロシア・ウクライナ戦争でも両陣営に日本を含め各国から義勇兵が渡っていますが、日本がどこかの国と戦争状態になった場合、「日本のために戦いたい」という人たちが世界中からやってくるかもしれません。

ウクライナの場合はそのまま義勇兵部隊を組織して戦争に協力してもらっていますが、今の自衛隊法では義勇兵という存在を想定していません。もしもの場合、義勇兵志願者をどうするのか。空港に留め置くのか。これは考えておかなければいけないでしょう。

もうひとつ、大きなものは「国際世論への広報」です。ウクライナは非常にうまくやってきていますが、国際世論をどう味方につけるかはよく学んでおく必要がありそうです。

■「自衛隊=レスキュー隊」ではない

――有事の際に心配なのは「自衛隊の本来任務」が国民に理解されているかという点です。自衛隊に対する国民の信頼度は高まっていますが、それは「侵略してくる敵と戦う自衛隊」では必ずしもないのではないか、と。

そこは私も強い懸念を抱いているところです。国民にとって、自衛隊は災害派遣のイメージがかなり強くなり、「何かあったときに助けに来てくれる」というレスキュー隊のように感じている人が多いのではないでしょうか。

全域が焼失した「輪島朝市」で捜索する自衛隊員=2024年1月10日午前、石川県輪島市
写真提供=共同通信社
全域が焼失した「輪島朝市」で捜索する自衛隊員=2024年1月10日午前、石川県輪島市 - 写真提供=共同通信社

実際には、災害派遣は副次的な任務であって、主たる任務は国防です。他国からの侵略を受けた場合に対処するのが自衛隊の仕事であって、もしもの場合にはそちらに能力を振り向けるので、災害派遣時のような国民への直接の支援は難しい。

この違いに対する理解がどこまで国民の間に浸透しているか……。これはかなり気がかりで、有事の際に「自衛隊に期待していたことと違うことをやっている」という批判が出るのではないか、という懸念はあります。

――災害派遣自体は被災者も助かるし、自衛隊自体も訓練の成果を発揮でき、やりがいがあって隊員の士気を高める、国民からは感謝されるという、大事な仕事ではあるのですが。

広報効果という意味でも大きいでしょう。しかし前提としては災害時には地方自治体と警察・消防が第一に対応に当たるのが大前提であり、それでもキャパシティが足りないところを自衛隊が補う形になっています。

■災害時のように国民を助けるとは言えない

災害対応の手が足りないのであれば、本来は自衛隊に頼るのではなく、担当の行政機関の能力を底上げしなければなりません。

また、有事と災害時の違いについても知っておく必要があります。災害派遣は発生時点が最も状況が悪く、もちろん余震などもあり得ますが、状況がそれ以降、劇的に悪化することはほとんどありません。綿密な計画を立てておけば、二次被害、三次被害は生じにくいといいます。

一方で戦争は、始まってしまうと状況は二転三転しますし、隊員数も死傷などによって損耗していきます。その中で自衛隊が国民保護までを災害派遣時のように実施するのは無理です。

ただでさえ人員が足りないという状況を鑑みても、自衛隊は本来の任務に専念した方がいいのかもしれません。

あるいは大きく体制を変えて、災害派遣専門の部隊を作るか、実戦担当部隊を切り離して待遇を変えるなどの対策を打ち、国民にも「自衛隊は何のためにあるのか」を、いま一度、振り返ってもらう必要があるのではないでしょうか。

■話し合いでは解決しない

――国民意識もアップデートが必要ですが、何から始めればいいのでしょうか。

それぞれの分野ごとに当然違った面が必要になるとは思うのですが、一丁目一番地で言えば、国民に安全保障に対する関心を持っていただく、ということになるのではないでしょうか。

つまるところは教育の話にならざるを得ないのだと思いますが、現状では安全保障と言っても何のことだかわからず、戦争と言えば第二次世界大戦のイメージで止まってしまっています。

沖縄戦は悲劇だ、東京大空襲は悲惨だというのは全くその通りで、悲惨でない戦争はありません。必ず誰かが命を奪われるのですから。しかし「悲惨だね」で終わってしまっては、何の教訓にもなりえません。「悲惨だから、もう二度と起こさないように戦争について考えるのをやめよう」という思考停止に陥ってはいけないのです。

「軍事力がなくても、話し合いで何とかすべきだ」という声も根強くありますが、話し合いだけで解決しないからこそ難しいのであり、そもそも話し合い(外交)と、いざというときの備え(軍事)は対立関係にはありません。

そのあたりのことを、まずはきちんと理解して、そのうえで自衛隊という組織がなぜ必要なのか、「戦える自衛隊」であることにどんな意味があるのかというのを考え続けていかなければならない。それは防衛省や自衛隊をどんな時も擁護するというのとは違って、やはり健全な批判も必要になります。

■やっぱり改憲すべきなのか

――「抑止力強化というが、抑止が破られたらその後は軍事力の行使になるんだ! だから抑止力強化そのものに反対する」というような意見を目にするとこちらも「話し合いの余地がない」と思ってしまうのですが、それではいけませんね。

今必要なのは、紋切り型の言葉で相手を批判することではなく、相互のリスペクトではないかと思います。政治的な立場はいろいろあっても、平和な暮らしを願っている点では一致しているはずなので……。国家間でも抑止と対話は対立関係にはないのだから、同じ国民同士、意見が違っても互いをリスペクトして話し合うところから始めるしかないと思います。

憲法議論もどうにも低調ですが、やはり憲法9条があることで対処が難しくなっていることはさまざまあります。憲法に自衛隊を組み込まないまま、解釈で幅を持たせてここまで来てしまった。本来なら改正すべきですが、国民も解釈で幅を持たせるという方針を受け入れてきた。そのせいでひずみはどんどん大きくなっています。

一方で、憲法9条の実績というものも無下にはできないし、改憲論も手段と目的をはき違え、「変える」こと自体が目的化したような議論もあります。

■改憲派、護憲派双方がやるべきこと

私は国際法専攻ですが、昨年1年間は憲法学者の先生と2人で延々と9条研究をやっていました。その時に気付かされたのは、確かに9条研究には教条的なところがないではないのですが、きちんとした理屈、ロジックが存在することです。これは外から見ているだけではわからなかったことです。

稲葉義泰/JSF/数多久遠/井上孝司/芦川淳【著】『“戦える”自衛隊へ 安全保障関連三文書で変化する自衛隊』(イカロス出版)
稲葉義泰/JSF/数多久遠/井上孝司/芦川淳【著】『“戦える”自衛隊へ 安全保障関連三文書で変化する自衛隊』(イカロス出版)

改憲派も護憲派も、お互いのロジックを理解したうえで、「ここはそのままでいい」「ここは変えたほうがいい」と、お互いに妥協策を見出していく。そういう作業が必要なのではないでしょうか。

平和論を重視する人、改憲や保守的な思想を持っている人達両方がお互いこうした作業をやるべきで、攻撃ではなく対話してみることがまずは重要だと気づかされました。

自衛隊だけでは対処できない、特に認知戦の問題はこのあたりの対立ともかかわる、国民にとっての大きな課題です。

真剣に、いま日本が置かれている安全保障環境を考え、対立ではない形で、さまざまな立場の人たちが話し合える場が必要です。

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稲葉 義泰(いなば・よしひろ)
国際法・防衛法制研究者、軍事ライター
専修大学在学中の2017年から軍事ライターとしての活動を始める。現在は同大学院に進学し、主に国際法や自衛隊法などの研究を進める一方、『軍事研究』や『丸』等の軍事専門誌で自衛隊の活動に関する法的側面からの記事を多数寄稿している。また、大手Webニュースサイト「乗りものニュース」にも法的見地から軍事に関する記事を多数寄稿するほか、2019年からはフランスを拠点とする海外の大手軍事ニュース媒体「Naval News」に日本人として初めて執筆中。

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(国際法・防衛法制研究者、軍事ライター 稲葉 義泰 インタビュー・構成=ライター・梶原麻衣子)

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