日本の冠婚葬祭は派手すぎる…そう話す精神科医が「これ以上の葬儀はない」という"人生最期のあり方"
プレジデントオンライン / 2024年8月27日 15時15分
※本稿は、保坂隆『お金をかけない「老後」の楽しみ方』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■簡素な葬儀になっていくのは、望ましい傾向
最近、新聞の訃報欄を見ても「葬儀は近親者ですませ……」という文言をよく見かけるようになりました。そのうえで後日、親しい友人などが集まり、お別れ会を開く――。次第にこうした簡素な葬儀になっていくのは、望ましい傾向だと私は思っています。
これまで、日本の冠婚葬祭は派手すぎるうえ、弔意や祝意を「香典」や「御祝」などの現金で示すことが普通でした。でも考えてみれば、これは戦後の何十年かの間に急速に発達した習慣だったのではないでしょうか。
戦前の庶民の暮らしを描いた映画などを見ると、結婚式も葬式もそれぞれの家で執り行なわれ、近所の奥さん連が割烹着(かっぽうぎ)片手に台所に集まり、ふるまい料理などを手伝ったりしたものでした。
それがいつの間にか、結婚式も葬式も、専門業者の手で行なわれるようになります。商業主義が介在するようになると、形ばかりが派手になり、ただ空々しい後味が残るような式が増えたように感じられてなりません。
これは冗談にせよ、「葬式代ぐらい残して逝きたいよ」などと口にする人がいるのも、いつの間にか、こうした仰々しい費用のかかる葬式が当たり前のことだという思いが、刷り込まれてしまったからかもしれません。
私が知っているかぎり、アメリカでは葬儀も結婚式ももっとアットホームです。もちろんお金もそれほどかからず、それゆえにいっそう心に沁みるものであるようです。
「驚いたよ。彼の供養に行ったら、仏壇はいうまでもなく、位牌(いはい)もなければ線香立て1つないんだ。遺骨と写真だけ。遺骨の前には、大好物だったバーボンウイスキーのキャップが数個置かれていただけだった……」
昨年、仕事仲間を見送った知人がこう語っていました。海外出張先で訃報を受け取り、帰国してからお参りに行ったため、葬儀の様子を知らなかったらしいのですが、息子さんから通夜も葬儀もなし、病院から火葬場へといわゆる直葬にしたと聞いたそうです。
戒名もなく位牌もない弔い方は、亡くなった人の固い遺志だったということでした。故郷の海に散骨してほしい、墓も要らないと言い残して逝ったそうです。
■「逝った人を深く静かに思う」以上の葬儀はない
「ちょっと驚いたけれど、いかにも彼らしいなあと、かえって清々しい思いだったよ」
その気持ちは、私にもよく理解できるような気がしました。
どんな送られ方をしたいか、どんな葬儀にしてほしいかは、自分の人生の最終の幕をどのように引きたいか、ということだといえるでしょう。
自分が本当に見送られたい形で、旅立っていけばいいのです。「葬式ぐらい人並みに……」と思うのも自由なら、彼のように病院から火葬場へという直葬を選ぶのも自由です。もちろん、最後の最後まで盛大にしてほしいという考えだってありでしょう。
立派なものはさておき、簡素な形を望むと世間体が……と気にすることはありません。葬儀を含めて、人は限りなく自由でありたいと願う生き物なのですから。
ただ、そう望むのであれば、家族などにきちんと言い残しておくことが大事です。そして家族の側も、その遺志を尊重することが旅立っていった者をリスペクトすることになる、という認識を持つべきでしょう。
お父さんの遺志通りに、通夜も葬儀も戒名も位牌もない弔い方を貫いた息子さんの例は、知人から話を聞いた私にまで、お父さんへの尊敬や深い思いが伝わってくる感慨深いものでした。
私自身も葬儀はできるだけ簡素に、親族のほかは指折り数えるくらいの友人に穏やかに見送られたいと願っています。
簡素さは心を研ぎ澄ますものです。逝った人を深く静かに思う――。その思いがあれば、それ以上の葬儀はないと思うからです。
■年齢を重ねたら、死について深く考える時間を持つ
私は40代で自分の墓を作り、60歳になった年に仏教を本格的に学び始めました。それほど意識していたつもりはないのですが、やはりどこかで、死を強く意識しながら生きてきたのかもしれません。
医師という職業を選んだ以上は宿命といえるのでしょうが、若いときから日常的に死がそこにある日々を送ってきたのです。やがて、人はなぜ死んでいくのだろうと考えるようになっていました。
幼い死、若い死、人生の盛りの死、老いて枯れるようにして亡くなる死……。
ときには、なかなか死を迎えられず、苦しむ例も見てきました。そうしているうちに、生きるとはどういうことなのか。どう生きれば死を静かに受け入れられるのかという考えが膨らみ、深まっていくのを体験してきたのです。
「死ぬことを学ぶことと、死ぬことは、あらゆるほかのはたらきと同様に価値の高いはたらきである」
ヘルマン・ヘッセの『人は成熟するにつれて若くなる』にある一節です。
老いの日は、体力的には人生の盛りを終え、静かに夕暮れに向かう軌跡です。
それは否定することもできず、逃れることもできない定めというべきでしょう。
その最後に死があることも皆、知っている……。しかし死は人生の終わりなのではなく、人としての完成形なのかもしれない。
私は最近、そう思うようになっています。老年になり時間にゆとりができたら、もっと死について熟考すべきだとお勧めしておきます。より多くの死を見つめ、自分なりの死についての思い、考えを確かなものにしていくべき年齢になったのだ、という自覚を持つべきです。
■わずか数百円の古本に無限の価値
「自分は医療関係者ではないので、たくさんの死を見る機会などない」という人もいるでしょう。でも、死は病院の中だけにあるわけではありません。いちばんたくさん死があるのは、実は本の世界ではないでしょうか。
読書はいちばんお金のかからない趣味であり、手軽なものでありながら、人間を磨き深める最高の手段だと思います。文庫や新書ならコーヒーかラーメン一杯程度の金額で、古今の叡智(えいち)に触れることができるのです。図書館を利用すれば、もっとお金はかかりません。
私は以前から無類の本好きでしたが、仏教を学ぶ目的で大学院生になってからさらに読書好きに輪がかかり、毎月数十冊以上の本を読んでいます。空海に学び、親鸞と出会い、道元の言葉に耳を傾けたのも皆、本の中でです。
わざわざ高速料金を使って車通勤しているのも、このほうが時間を一時間も短縮できるから。その分、自分の時間が増え、読書する時間も確保できます。本だけではありません。映画、ドラマ、芸術……。
一見死を描いた作品でなくても、そこに人が描かれている以上、生きるということ、どのように人生を送ればいいのか、そして、どう自分の死を迎えればいいのかという示唆にあふれているはずです。
「豊穣の生命」は「豊穣の死」とイコール。生きることの裏側には、常に死が密着しています。その気になれば、草や花、庭に住む小さな生き物からも死を学ぶことはできるでしょう。
「生は来にあらず、生は去にあらず。生は現にあらず、生は成にあらざるなり。しかあれども、生は全機現なり、死は全機現なり」
道元の『正法眼蔵』にある言葉です。私は『正法眼蔵』をわずか数百円の古本で手に入れましたが、そこから得たさまざまな知識、感慨はまさに無限の価値がありました。
■死に臨んだときの自分の思いを書き残しておく
自分が死んだ後、家族の心身の負担を最小限にするためにも、死に臨んだときの自分の思いを書き残しておくこと、いわゆる「エンディングノート」を書いておくといいと思います。
エンディングノートは書店や文具店などで手に入りますし、パソコンを操作して関連サイトからダウンロードすることもできます。一般的には、次のようなことも書いておくといいとされています。
②資産一覧
③介護や延命治療などについての考え方、希望
④葬儀や墓についての希望
⑤遺産相続における希望。遺言書の有無
⑥家族や親戚、友人などへの言葉
ただしエンディングノートは、正式な遺言書(遺言公正証書や自筆遺言書)と違って、法的な効力はありません。法的な効力を必要とする場合は、エンディングノートとは別に、正式な遺言書を用意しておきましょう。
しかし、ある意味では正式な遺言書以上に、故人の思いが込められているのがエンディングノートと考えられます。遺族はエンディングノートにある故人の思いを、最大限尊重する気持ちを持つようにしたいものです。
同時に大事なことは、ときどき、エンディングノートに書いたことを配偶者や子どもたちに話しておくことでしょう。
■「自分の最期」について夫婦や家族ともっと話し合おう
先日も知人が、奥さんや子どもに「万一のことがあったら葬式は……」と話そうとしたら、「そんな縁起でもないこと、やめてくださいよ」と一蹴されたと語っていました。日本には、いまでも死を忌み、なるべく遠ざけようとする感覚が強く残っているのでしょう。
知人は、エンディングノートを書いておいても、その通りに実行してくれるかどうか……という不安も口にしていましたが、だからこそ普段から死についても率直に話し合っておく必要があるのです。
そのときの印象が強く家族に残っていれば、万一のときに、亡くなった人の遺志をないがしろにすることなどあり得ないでしょう。
NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」の調査(平成25年3月発表)によれば、自分の最期の医療について「家族に希望を伝えている人」は31パーセント。残りの3人に2人は、自分の思いどおりの最期を迎えられるかどうか、あやふやな状態になっているのです。
老いを深める中で夫婦や家族で死について語り合うことは、縁起が悪いわけでも何でもなく、ある意味、人生においていちばん大事な取り組みといえるのではないでしょうか。
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精神科医
1952年山梨県生まれ。保坂サイコオンコロジー・クリニック院長、聖路加国際病院診療教育アドバイザー。慶應義塾大学医学部卒業後、同大学精神神経科入局。1990年より2年間、米国カリフォルニア大学へ留学。東海大学医学部教授(精神医学)、聖路加国際病院リエゾンセンター長・精神腫瘍科部長、聖路加国際大学臨床教授を経て、2017年より現職。また実際に仏門に入るなど仏教に造詣が深い。著書に『精神科医が教える50歳からの人生を楽しむ老後術』『精神科医が教える50歳からのお金がなくても平気な老後術』(大和書房)、『精神科医が教えるちょこっとずぼら老後のすすめ』(海竜社)など多数。
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(精神科医 保坂 隆)
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