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「戦争の道具」にも「外国人客の見世物」にもなる…富士山が「何にでも使える都合のいい山」に成り下がった理由

プレジデントオンライン / 2024年8月26日 9時15分

世界文化遺産の富士山 - 筆者撮影

富士山に多くの登山客が押し寄せ、オーバーツーリズムが問題となっている。静岡在住ジャーナリストの小林一哉さんは「富士山は昔から『都合のいい山』として日本人に利用されてきた。戦時中は戦争に利用され、今は観光に利用されているに過ぎない」という――。

■都合よく利用されてきた富士山

2013年に世界文化遺産に登録された富士山には、日本人だけでなく、多くの外国人観光客が訪れている。

約2カ月間の夏山シーズン中には30万人以上が頂上を目指し、過剰利用(オーバーツーリズム)が問題となっている。

ことしのお盆期間中も大混雑し、救援依頼などが続出した。弾丸登山による無謀な事例も数多く見られた。尿入りのペットボトルが捨てられるなど、ごみやし尿の問題もまだまだあるようだ。

それだけに、地元からは「せっかく世界文化遺産に登録されたのに、富士山が泣いている」などと嘆く声が聞こえる。

筆者は1990年代前半の富士山世界遺産登録運動を担ってきた。昔から天然自然にある富士山が「世界文化遺産だから泣いている」と言われても非常にわかりにくい。

■自然美が評価されたわけではない

富士山の世界遺産登録を巡っては、2013年7月の世界遺産委員会総会において、日本政府が提出した「富士山」の名称を「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」と変更することで登録がようやく決定した。

富士山を信仰の対象、神とみなしたのは江戸時代に盛んとなった庶民信仰の富士講である。富士講を象徴する和歌がその教えをよく伝える。

「富士の山登りて見れば何もなし よきもあしきも我が心なり」

富士講では、毎月3のつく日にごま焚きなどを行い、富士登山に向かうまでに身を清める修行に明け暮れる。先達の教えを守り、富士山に登るのは、自分自身の精神を高めることを目標とする。

富士宮浅間大社の大鳥居越しの富士山
筆者撮影
富士宮浅間大社の大鳥居越しの富士山 - 筆者撮影

だが、いまや富士山を「信仰の対象」とする富士講信者らも、数えるほどしかいない。まして、観光で訪れる海外の人たちに富士講の教えは何の意味も持たない。

富士山が日本を代表する自然美として世界に認められたわけではなく、4つの登山道など25の構成遺産が、すべて「信仰の対象」として世界文化遺産に登録された。

つまり、富士山の自然の美しさではなく、「信仰の対象と芸術の源泉」に関わる点と線の部分が世界遺産になったに過ぎない。

■漱石が『三四郎』で触れた富士山

明治の文豪、夏目漱石(1867~1916)が富士山の「文化的景観」を論じている。

1908年、新聞連載小説『三四郎』を発表した。その中に富士山が登場する。

東京大学に合格して、熊本から上京する三四郎は蒸気機関車の中で、広田先生と偶然出会う。そこで、広田先生が富士山を話題にする。

「あなたは東京が初めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外(ほか)に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方ない。我々が拵(こしら)えたものじゃない」

そんな話をしたあと、突然、広田先生は「(日本は)亡(ほろ)びるね」と思い掛けないセリフを口にした。

三四郎がびっくりしていると、広田先生は「日本より頭の中の方が広いでしょう」と言い、「囚(とら)われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ」と続けた。

日本一の名物・富士山を車窓から眼前にしながら、日本そのものが「亡びる」と言うのだから、驚かないほうがおかしい。

ふつうに考えれば、富士山が大噴火して、日本列島に大異変でも起きると思ってしまうだろう。広田先生の謎の話はわからずじまいになってしまう。

夏目漱石
夏目漱石(写真=小川一眞/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

■崇高であり、偉大であり、雄壮

その後、東京で生活を始めた三四郎は広田先生と再会する。そこで、広田先生は再び、富士山を話題にする。

「富士山に比較するようなものは何にもないでしょう」

三四郎は富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓から初めて眺めた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。(略)

「君、不二山を翻訳して見た事がありますか」と意外な質問を放たれた。

「翻訳とは……」

「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうから面白い。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」

三四郎は翻訳の意味を了した。

「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳する事の出来ない輩(もの)には、自然が毫(ごう)も人格上の感化を与えていない」

つまり、富士山は崇高であり、偉大であり、雄壮といった人格を有しているというのだ。

これであれば、富士山を「文化遺産」と見てもおかしくはない。ただそう思うのは人間の側の勝手な印象でしかない。

ところが、崇高で偉大で雄壮な日本一の名物・富士山を自慢しても、肝心の日本が亡びてしまうらしい。そう広田先生は言うのだ。

■欧米に追い付け追い越せの気分にいた

当時、日本は日露戦争の勝利に浮かれ、大国ロシアを破った世界に冠たる大日本帝国の軍事力を自慢していた。

ついに欧米に追いつき、追い抜いたような気分の中にいたのだ。

もともと『学問のすゝめ』など明治時代きっての啓蒙思想家、福沢諭吉が1885年に、日本の欧化主義を唱えた『脱亜論』を発表した。

「脱亜入欧」(アジアから脱して欧米の仲間入りすること)を唱え、日本は、近隣諸国を植民地化しようとする「欧化主義」を進めるべきだと福沢は主張した。

日本国の最大の目的は欧米の帝国列強に肩を並べることになった。

■「欧化主義」へのアンチテーゼ

この「欧化主義」に対して、植民地化された近隣諸国に深い共感を持つ「アジア主義」が生まれる。

「欧化主義」を嫌った漱石は1906年、「アジア主義」に共感を抱く小説『坊っちゃん』を発表した。

四国・松山の中学校に赴任した正義感あふれる江戸っ子の坊っちゃんと、同僚となる会津出身で反骨精神旺盛な山嵐は「アジア主義」者であり、教頭で、帝国大学出身の赤シャツとその太鼓持ちの野田は「欧化主義」者に描かれる。

カタカナや横文字ばかり使う赤シャツは典型的なハイカラ(西洋風を気取る)人間であり、ハイカラを嫌い、その軽薄さに対する坊っちゃんの嫌悪感は漱石の実感だったことが伝わる。

江戸と会津という明治維新の敗者2人がハイカラに対立する粗野なバンカラな人間として暴れ回るが、結局は、学校に辞表を提出して松山を去るのだ。

極端な「欧化主義」による明治国家体制はいつか「亡びる」とする予感を漱石は抱いた。

だから、『坊っちゃん』から2年後の小説『三四郎』の中で、富士山を日本の象徴として、広田先生に「亡びるね」と言わせたのである。

漱石は、車窓から見える富士山の美しい姿を通じて、外来の「抽象」ではなく、日本人のあるべき姿を求めたのだろう。

■富士山は「戦争」に利用された

しかし、漱石の思いは裏切られ、日中戦争、太平洋戦争に突入すると、日本人は富士山を戦争協力の材料としてしまう。

太平洋戦争中に、富士山は「神国」日本の象徴として、戦意を高揚する絵画や軍歌などに盛んに利用された。

日本美術報国会会長として軍部に積極的に協力した日本画家、横山大観は1940年、「海山十題」の20点の大作を描き、日本橋のデパートで公開した。山にちなむ十題はすべて「霊峰富士」が題材だった。

売り上げはすべて陸軍省、海軍省に献金され、すべて戦闘機の費用にに充てられた。「大観の富士山」は軍部への献納熱をあおり、戦意高揚に利用された。

軍歌にも富士山は多数登場する。

「ああ晴朗の朝雲に そびゆる富士の姿こそ 金甌無欠(きんおうむけつ)ゆるぎなき わが日本の誇りなり」(「愛国行進曲」)など、富士山は「軍国主義」「皇国思想」の象徴になり下がった。

戦後、富士山は「侵略国」日本の象徴として一部の知識人らに忌み嫌われた。戦時中に果たした役割から、あまりにも危険な存在になったからだ。

戦時中の記憶がよみがえり、富士山は「危険な存在」「厄介な存在」であり続けた。

■今度は「観光」に利用されているだけ

ところが、戦後70年近くなって、富士山を日本人の「崇高な存在」としてユネスコ世界遺産委員会が世界文化遺産のお墨つきを与えた。

富士山の戦時中の過去は、まったく問われなかった。

戦時中、日本人が富士山を戦意高揚のために利用したことなど、まったく問題にされなかった。

世界文化遺産登録によって、一部の日本人が抱き続けていた「富士山を戦争に利用した」という罪悪感をきれいさっぱりと吹き飛ばしてくれた。

富士宮口から頂上を目指す登山者たち
筆者撮影
富士宮口から頂上を目指す登山者たち - 筆者撮影

その結果、富士山は今度は「観光」に利用されることになった。

オーバーツーリズムに厳密に対処しようとするならば、もっと積極的な入山規制をすればいいが、行政はそれをしたがらない。

山梨県はことしに入り2000円の入山料と4000人の人数制限こそ始めたが、台湾最高峰の玉山(日本統治時代は新高山、3952メートル)の1日約200人に比べればその差は圧倒的である。まさに富士山を「飯のタネ」としか見ていないということだろう。

富士山を訪れるインバウンド(訪日外国人)の急増は、こうした富士山の戦争利用のことなど遠い過去の話としてしまうに違いない。

漱石の時代と違い、海外から観光客が大挙して富士山を訪れる。

かつては富士山が戦争に利用されたなど夢にも思わないだろう。

日本人でさえそんなことを覚えている人はいずれいなくなるだろう。

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小林 一哉(こばやし・かずや)
ジャーナリスト
ウェブ静岡経済新聞、雑誌静岡人編集長。リニアなど主に静岡県の問題を追っている。著書に『食考 浜名湖の恵み』『静岡県で大往生しよう』『ふじの国の修行僧』(いずれも静岡新聞社)、『世界でいちばん良い医者で出会う「患者学」』(河出書房新社)、『家康、真骨頂 狸おやじのすすめ』(平凡社)、『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太「命の水」の嘘』(飛鳥新社)などがある。

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(ジャーナリスト 小林 一哉)

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