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視聴率・募金額は悪化するばかりだが…感動ポルノと言われても日テレが「24時間テレビ」をやめない本当の理由

プレジデントオンライン / 2024年8月30日 10時15分

日本テレビ(東京都港区) - 写真=時事通信フォト

日本テレビ系列の「24時間テレビ」が今年も放送される(8月31日~9月1日放送予定)。SNSではたびたび「偽善」「感動ポルノ」と指摘され、視聴率は低下傾向にある。なぜ日テレは番組を放送し続けるのか。元テレビ東京社員で桜美林大学教授の田淵俊彦さんは「『視聴率を獲れて、儲かるから』と指摘されることがあるが、それは間違っている。テレビ局のクリエイターにとっても、別の重要な意味がある」という――。

■「寄付金の着服」で番組の存続が危ぶまれた

「偽善」「感動ポルノ」などと常に「バッシング」の対象にされてきた日本テレビ系「24時間テレビ」が今年もまた放送される。昨年11月には、系列局の日本海テレビジョン放送(鳥取市)の幹部社員が寄付金およそ137万円を着服した事件が発覚。番組の存続が危ぶまれる事態になっていた。

昨年の世帯平均視聴率は11.3%で、22年の13.8%から2%以上も低下した。放送終了時に発表された募金額は2億2223万8290円で、22年の3億1819万4209円に比べて1億円近くも減った。

視聴率も募金額も「下げ傾向」にある。さらに番組のサブタイトルもかつての「愛は地球を救う」から今回は「愛は地球を救うのか?」と変わり、自信ない印象に見える。それでも日テレが番組を続ける理由は一体何なのか。

「24時間テレビ」は1978年にはじまったチャリティー番組だ。「愛は地球を救う」を初回から掲げ、障害者や高齢者福祉・支援の必要性を伝え、推進することを目指している。今では日テレの代表的な大型長寿番組になった。

一部のネット記事では、「視聴率を獲れて、お金までもうけることができるのだからやめるという選択肢があるはずはない」という理由が述べられているが、それはまったく的外れな指摘だ。

「24時間テレビ」の総製作費は4億円を超えると言われている。そんな大金をかけて視聴率11%しかとれないのでは、コスパや費用対効果が悪すぎる。これでは、「視聴率が獲れている」とは言えない。

■日テレが「24時間テレビ」を作り続ける理由

また、事業年度の今年5月末までの集計で8億4805万9341円となった寄付金総額の使用用途は「キャッシュレス募金の手数料を除き、経費を差し引くことなく福祉・環境・災害復興などの支援事業」(公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会HPより)なので、番組予算の補填にはならない。したがって「お金がもうかるから」という理論も成り立たない。

では、なぜ日本テレビはそんな逆境のなかでも「24時間テレビ」を作り続けようとするのだろうか。そこには、近年起こっているテレビ局の構造的欠陥からくる「ほころび」が原因として潜在している。

私はこれまでプレジデントオンラインにおいて、さまざまなテレビ局の構造的欠陥を指摘してきた。「人材流出」「アナウンサー問題」「現場への締めつけ」「局と制作会社の関係値」「出演者依存」「ドラマ多産化現象」「企画の枯渇」など、開局から70年、60年経ち人間ですら「老害」と揶揄されるような年齢になったテレビ局には、さまざまな「経年劣化」が生じている。そんな「ほころび」を取り繕うために、日テレは「24時間テレビ」を続けるのだ。

日本テレビ「24時間テレビ」「24時間テレビ47」出演者・チャリティーマラソン・チャリティー企画情報 第一弾解禁 オフィシャルサイトより
日本テレビ「24時間テレビ」オフィシャルサイトより「24時間テレビ47」出演者・チャリティーマラソン・チャリティー企画情報 第一弾解禁 

「ほころび」は「機能不全」とも言い換えられる。本来、正常に機能しているはずの仕組みがうまく働いていないのである。なかでも、テレビ局の大きな「機能不全」として、以下の2つを挙げることができる。

1.社内のモチベーションを維持できなくなってきた
2.社会的なステイタスを保てなくなってきた

■テレビ局に現れた「ほころび」

1.「社内のモチベーションを維持できなくなってきた」という「ほころび」は、前述の「人材流出」「アナウンサー問題」「現場への締めつけ」や「企画の枯渇」に関係している。

テレビ局はかつてのように「ヒット番組」や「花形番組」というものを生み出せなくなってきた。それは過剰なコンプライアンスやリテラシーによって番組制作にリミッターがかかっているということもあるだろうが、それは作り手側の言い訳でしかない。

実は、現場の人材をないがしろにしてきたことや「企画選定」の方法にその原因がある。かつては、「売れている番組」や「おもしろい番組」を作るが多少会社としては扱いにくいクリエイターも、テレビ局は「猛獣使い」のようにうまく使いこなしていた。

だが、いまはそうではない。「猛獣」のようなクリエイターは社内では厄介者扱いされ、隅へ追いやられる。企画を選ぶ、選ばれる基準は「企画のおもしろさ」ではなく、「キャスティングファースト」や「売れる=マネタイズしやすい」ものへと移行していく。

優秀なクリエイターたちは局外へ流出し、我慢して現場に残った者たちの不満は蓄積し、「モノづくり」の継承は途絶えてゆく。それが、テレビ局が「ヒット番組」や「花形番組」を生み出せなくなった理由である。

■社員のモチベーションや士気を取り戻す

「ヒット番組」や「花形番組」が生まれなくなるとどうなるだろうか。CMが売れなくなる、会社がもうからなくなるという営利面でのデメリットがあるだろうが、やはり一番痛いのは「ヒト・モノ・カネ」のうちで最も大切な「ヒト」に影響してくるということだ。

制作現場はもちろんのこと、社内全体の士気が落ちてゆくのである。テレビ局で番組制作現場にいられる社員は一握りである。放送業務をおこなう会社を運営してゆくため、大半の社員が人事、経理、総務、営業などの地道な仕事を日々担っている。

そういった制作現場“以外の”社員たちにとっても、対外的に誇れる番組、胸を張って“うちの局の”と言える番組がなくなってしまうということはさみしいことだ。それどころか、愛社精神やエンゲージメントを下げる要因にもなりかねない。

では、そんなふうに下がってしまった社員のモチベーションや士気を取り戻すための方法とは何だろうか。その答えのヒントが、4年ぶりに復活し、7月20日から21日にかけて放送されたフジテレビの「FNS27時間テレビ 日本一たのしい学園祭!」にある。

フジテレビ「FNS27時間テレビ 日本一たのしい学園祭!」オフィシャルサイトより
フジテレビ「FNS27時間テレビ 日本一たのしい学園祭!」オフィシャルサイトより

この番組が復活したのには社長の港浩一氏の意思が大きく働いていると私は分析している。それは、港氏が社長に就任したタイミングとこれまでの経歴を見れば歴然である。

港氏の社長就任は2022年6月、そのわずか8カ月後の2023年2月に「FNS27時間テレビ」の復活を発表している。また、港氏は1991年から1993年にかけて大晦日に生放送していた「FNS大感謝祭」などの大型番組を演出し、これまで何度も「FNS27時間テレビ」を手がけている。

■フジテレビ系「27時間テレビ」復活の狙い

それらの番組がどんなメリットを秘めているのかを知り尽くしているに違いない。だから、多くの障壁があるなかで「FNS27時間テレビ」を復活させたのだ。

社内においても反対意見があったであろうことは想像に難くない。では、その「メリット」とは何なのか。それはズバリ「社内のモチベーション」を上げるためである。

港氏が手がけてきた「FNS大感謝祭」や「FNS27時間テレビ」は、社員が一丸となっておこなう番組だ。全社挙げての番組は、人事、経理、総務、営業など、普段は制作現場を経験しない社員たちもさまざまなかたちで参加する。イベント的要素が強く、社内の各部署の連携や結束を強めるのに最適だ。

事実、「FNS27時間テレビ 日本一たのしい学園祭!」は21日(日)18時30分~21時54分の時間帯で個人視聴率6.9%の平均視聴率をマークして、フジテレビの2024年の最高記録を更新した。全時間帯の平均視聴率においても4.0%、コアターゲット(男女13~49歳)4.6%を獲得し、個人、コアともに同時間帯横並びトップを記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

さらに、初の見逃し配信481万再生達成も成し遂げた。地上波も配信も好実績を挙げ、大成功と言っても過言ではない。社内では「祝! 大入袋」も出されたと聞く。社員の士気が上がり、社内の雰囲気もよくなったに違いない。まさに、これから放送する日本テレビの「24時間テレビ」が狙っている効果もそれなのである。

■高揚感と一体感を味わえる「祭り」

著者も同じような経験をしている。テレビ東京に在籍していたときのまだAD時代だったころ、1990年代は歌番組の全盛期だった。わが局にも「メガロポリス歌謡祭」と「年忘れにっぽんの歌」という生放送の大型特別番組があった。

その総合演出を担うのは当時の「花形ディレクター」で、私たちADは「いつかは、ああいうふうになりたい」とその姿に憧れ、やり方や演出方法を学び取ろうとした。会場に観客を入れての放送であったため、経理部からチケットを扱う助っ人が来たり、警備や観客誘導に総務の社員が立ち会ったりしていた。

営業の社員もスポンサーを客席に案内したり、出演者に挨拶したいと楽屋を訪れるお偉方をアテンドしたりしていた。普段は歌番組の担当ではない制作現場の人員も投入された。彼らが皆、口にしたのが、「いや~すごい熱気だね。圧倒されるね」といったような現場の雰囲気を楽しむ言葉だった。

それは、ある種の「祭り」である。そんな高揚感と一体感を、そこに参加するすべての社員が共有していたのである。そういうことがあると、どういうことが起こるだろうか。例えば「もうこんな会社辞めようかな」と思っていた社員も「もう少しこの会社で頑張ってみようかな」と思うようになるのである。そんなマジックのような効果が、実際にあった。

スタジオ収録中
写真=iStock.com/Darwin Brandis
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Darwin Brandis

■低下し続けるテレビのブランド力

2.の「社会的なステイタスを保てなくなってきた」という「ほころび」に関しては、以下のデータを参照したい。文化放送キャリアパートナーズ就職情報研究所が毎年発表している「就職ブランドランキング調査」である。

この調査によると、2008年卒業生、2010年卒業生、2011年卒業生を対象にした3度にわたって日本中のすべての企業における「No.1人気」をフジテレビが獲得している。しかし、2012年以降は就職難のあおりを受けて安定志向が好まれ、テレビ局のランキングは下落してゆく。

直近5年間の「就職ブランドランキング調査(後半)」によると、テレビ局の中で最も高い順位をつけたのは、2020年64位(NHK)、21年44位(NHK)、22年86位(NHK)、23年123位(フジテレビ)、24年121位(フジテレビ)となった。

「ブランドランキング」が下がっているということは、ブランド力や人気がなくなっているということだ。テレビ局が社会的なステイタスを保てなくなっていることに他ならない。

地上波のCM枠売り上げの低下に伴って人件費の切り詰めも進んでいるため、「高収入」というかつてのテレビ局の「高嶺の花」も幻となった。そんないま、「24時間テレビ」は社会的なアピールができ、テレビ局のプレゼンスを高めるために最適な番組であると言えるだろう。

■消えつつある「テレビの良心」

寄付金が増えれば感謝され、福祉や環境、災害復興などの支援事業に貢献しているという役割を担うことができる。

社員にとってもプライドの拠り所となる。「偽善」や「感動ポルノ」という非難の声もあるが、日テレには1970年から半世紀以上続いている「NNNドキュメント」があるように、こういった「テレビの良心」のような番組は社会的なステイタスを保つためにも必要だと私は考えている。

前述したように、「24時間テレビ」は視聴者や世間が考えるほど会社の金銭的な収益面においてのメリットは少ない。「NNNドキュメント」においては、あえて提供スポンサーをつけないなど、採算度外視で企画を選び、取材を重ねている。

「テレビの良心」を持つことには、こういったような「会社としての覚悟」が必要だ。だが、肝を据えて覚悟をすれば、「自分たちは社会に貢献している」という自負を糧に番組を作り続けることができる。

日本テレビで定年まで「花形ディレクター」として大型特番を作り続けた元社員クリエイターは証言する。「24時間テレビは『伝統祭り』だ」と。

1970年代には、「アメリカ横断ウルトラクイズ(1977年)」「24時間テレビ(1978年)」「ズームイン‼朝!(1979年)」「欽ちゃんの全日本仮装大賞(1979年)」などのレジェンド的な番組が続々と誕生した。そのなかでいまも定期的なスパンで放送されているのは「24時間テレビ」だけだ。

そういった意味で、日本テレビの人間にとっては「祭り」のような“なくてはならない”番組になっている。同時に、普段はもうけさせてもらっている企業としてはこれくらいは「社会貢献」しなければダメだろうみたいな考え方が、いわば「DNA」のように各人の精神の根底に刷り込まれていると言っていい。

ミニチュアのテレビを後生大事に守る手元
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

■クリエイターにとっての「24時間テレビ」の意義

最後に「24時間テレビ」のような番組を作り続ける「意義」について述べておきたい。

かつての大番組で総合演出を務めるクリエイターに憧れる私がいたように、輝いている先輩や目標とする作り手がいるということは、テレビ業界の活性化につながる。長時間の生放送をやり遂げるノウハウを受け継いでいくことも大切だ。

生放送は収録モノと違って、高度なスキルと経験値が必要になる。何が起こるかわからない状況の中で的確に出演者やスタッフに指示を出し、なおかつクオリティの高い内容の演出をしなければならない。トラブルが起こったときの処理能力も求められる。

それは一朝一夕ではできない。テレビのおもしろさは「リアリティ」だ。そして「速報性」である。生放送はそういったテレビの特性に合っている。生放送のノウハウを伝承してゆくことは、「テレビのDNA」を受け継いでゆくことに他ならない。

本番中のカメラクルー
写真=iStock.com/ponsulak
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ponsulak

また、大型番組は、社内の各部署との意志疎通においてもプラスになる。系列局との連携強化も可能にしてくれる。素晴らしい番組を発信するキー局のネットワークに入っていたい、そう思ってくれると地方局との関係もより強固になるだろう。

■「24時間テレビ」の終わり、それはテレビの終わり

このように、「24時間テレビ」のような番組はいろんな視点から見ても意義が深い。しかし、そこには大きな問題がある。それは、そんな番組は多くは存在しないということだ。そしてそんな番組がなくなってしまったときが、テレビが終わるときなのだ。

いまはテレビ局の大きな「ほころび」を取り繕うために続けている「24時間テレビ」だが、テレビ局の幹部や経営者だけでなくテレビに関わるクリエイター一人ひとりが、そんな番組の存在意義を改めて考え直すときが来ているのかもしれない。

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田淵 俊彦(たぶち・としひこ)
元テレビ東京社員、桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授
1964年兵庫県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、テレビ東京に入社。世界各地の秘境を訪ねるドキュメンタリーを手掛けて、訪れた国は100カ国以上。「連合赤軍」「高齢初犯」「ストーカー加害者」をテーマにした社会派ドキュメンタリーのほか、ドラマのプロデュースも手掛ける。2023年3月にテレビ東京を退社し、現在は桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授。著書に『混沌時代の新・テレビ論』(ポプラ新書)、『弱者の勝利学 不利な条件を強みに変える“テレ東流”逆転発想の秘密』(方丈社)、『発達障害と少年犯罪』(新潮新書)、『ストーカー加害者 私から、逃げてください』(河出書房新社)、『秘境に学ぶ幸せのかたち』(講談社)など。日本文藝家協会正会員、日本映像学会正会員、芸術科学会正会員、日本フードサービス学会正会員。映像を通じてさまざまな情報発信をする、株式会社35プロデュースを設立した。

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(元テレビ東京社員、桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授 田淵 俊彦)

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