「政権構想は…ないんだよね」自民党のキングメーカーと呼ばれる男が総裁選前に漏らした「地味な本音」
プレジデントオンライン / 2024年9月5日 9時15分
■「総理大臣が変わる」大騒ぎの永田町で…
会館事務所に駆けつけると、菅は例によって前置きもなく、こう言った。
「(月刊「文藝春秋」の)締切はいつですか」
しめた! と思う間もなかった。このあとすぐに政権構想インタビュー、原稿のまとめ、記事チェック、校了と、スケジュールに思いをめぐらす。すべてを算段しなくてはならない。菅はむしろ「来るのが遅いじゃないか」という顔をしていた。痺れる展開が続いていく。インタビューのための日程は、翌9月1日の午後5時から6時30分までしか時間を取れないという。
すでにこの日の新聞朝刊には、「自民党総裁選 菅氏優位」(読売)、「主要派閥 菅氏支持の動き」(朝日)、「菅氏選出強まる」(毎日)という見出しが躍っていた。総理大臣が変わる――政治部記者が最も高揚する永田町の鉄火場である。そんなときに雑誌編集者がのこのこと議員会館に出かけていって、当事者に時間をもらえることに感謝しなくてはならない。
その時間、議員会館の部屋の前には官房長官番の記者が押し寄せていた。
■「政権構想は……ないんだよね」
「それで、政権構想はどういったかたちになるのでしょうか」
インタビュー時間を気にしながら、わたしは菅に尋ねた。
「政権構想は……ないんだよね」
この瞬間、わたしは椅子から転げ落ちそうになった。しかし同時に、菅さんらしいなとも思った。そもそも菅は政権構想といった大風呂敷を広げるタイプではない。
ただアタマの中でこちらの考えがまとまらない。どういう形で構想を打ち出せばいいのか。かねてより、「出馬する意思はない」とは言っていたものの、密かに政権の構想を練ってきたのではないのか。
菅は微笑んでいた。そのうしろには、官房長官秘書官の高羽陽(平成7年外務省入省)、大沢元一(平成7年大蔵省入省)が控えている。彼らは寝ずに政権構想の枠組みを考えているに違いない。菅が口にしたのは、「自助、共助、公助」という言葉だった。確か自民党の綱領にもあった文言だと思いながら、菅の言葉を聞いていた。
■安倍政権のキャッチとは裏腹に「すこぶる地味」
「私の持論は、国の基本は『自助、共助、公助』。自分でできることはまずは自分でやってみる。そして、地域、自治体が助け合う。その上で、政府が必ず責任を持って対応する。国民から政府がそのような信頼を得られるような、そういう国のあり方を目指したい」
安倍政権が掲げてきた「戦後レジームからの脱却」といった派手なキャッチとは裏腹に、すこぶる地味な印象があった。「菅らしい」といえば、そうなのだが。アタマの中ではなおも、キャッチフレーズを探している。話を聞いていくうちに、1976年、福田赳夫内閣誕生時の「(さあ、)働こう内閣だ」というキャッチがあったはずだと思い起こした。
やはり、先週、アタマの中で思いめぐらせていた「国民に尽くす、国民のために働く」といった路線でいくのがいいのではないか。時間の制約のなかで思いつくのは、その程度であった。
■“仕事師”はなぜ総裁選に出馬したのか
菅義偉は徹底的にプラグマティックな政治家である。
これまで歴代の総理大臣が掲げたようなスローガン、国民受けするようなキャッチを好むひとではない。政治をなりわい、職業とする仕事師であって、高邁な思想を語るひとでもない。冷戦終結から30年を経たからこそ、菅のようなタイプの総理が誕生したのではないか。「菅義偉『我が政権構想』」(「文藝春秋」2020年10月号・9月10日発売)を振り返ってみたい。
まず菅はなぜ総裁選に出馬するのか、その決意を語る。
「この国難への対応には一刻の猶予もなく、政治の空白は許されません。誰かが後を引き継がねばならない。果たして私がやるべきか――熟慮に熟慮を重ねました。それでもこの難局に立ち向かい、総理が進めてこられた取り組みを継承し、更なる前進を図るために、私の持てる力を尽くす(後略)」
そして、喫緊の課題は新型コロナウイルス感染症との闘いであることを明言する。
「感染防止と社会経済活動の再開を両立させなければ、国民生活が立ち行かなくなる」
いま聞くとすでに懐かしい響きになってしまったが、地域の観光業を支援するための「GoToキャンペーン」をさらに押し進めるという。
「私は秋田の寒村のいちご農家に育ち、子どもの頃から『出稼ぎのない世の中を作りたい』と思っていました」
■「大臣っていうのは何でもできるんだよね」
菅は、最優先課題として「地方創生」を掲げた。総務大臣時代(第一次安倍政権)に立ち上げた「ふるさと納税」制度を自らの実績として挙げ、地域の活性化の目玉を「観光」と「農業」と位置付けた。菅は「観光」、すなわちインバウンドについては自信を持っている。外国人観光客の誘致拡大について説明する。
「当初は法務省と警察庁の官僚が『ビザ緩和で治安が悪化する』と大反対でしたが、本当にそうだったでしょうか。外国人観光客が増えること自体は良いことのはずです。そこで私は当時の法務大臣と国家公安委員長の二人にまず了解をもらい、観光庁を所管する国土交通大臣と外務大臣を加えた五人の閣僚で、十分足らずで観光ビザの緩和を決めました」
豪腕・官房長官の面目躍如である。実はここに菅独特の政治スタイルがある。かつて初めて閣僚となった総務大臣時代に菅はこう語っていた。
「(驚くことに)大臣っていうのは何でもできるんだよね。政務官や副大臣とはまったく違う。大臣が決めれば、(国の仕組みを)変えることができる」
■「携帯電話料金の値下げ」に見る政治目標
菅は総務大臣に実際に就任して初めて、大臣の権限の大きさに気がついたという。「ビザ緩和」についていえば、関係する所管の大臣たちを集めていわば「関係閣僚会議」を主宰することを考えついた。その場で意見を集約して意思決定を行う。その結果を各大臣がそれぞれの役所に下ろすことで改革を押し進める。こうした変革のための閣僚たちによる意思決定スキームを、菅は発明した。
反対する警察官僚に、菅は「治安が悪くなるというが、それを取り締まるのがお前たちの仕事だろ、と言って聞かせた」と話してくれたことがある。この関係閣僚会議方式を使って、警察官僚たちを封じ込めたわけだ。事実、外国人観光客は836万人(2012年)から3188万人(19年)へと飛躍的に増えた。
菅の、政権構想というより政治課題の目標には、いつも具体的なターゲットがある。
最も有名な施策となった携帯電話料金の値下げを例にとろう。ターゲットは大手通信会社三社だった。「国民のライフライン」となった携帯電話の料金は世界で最も高い水準であり、同時に契約体系も複雑。「0円プランが横行していた」時代である。
大手通信会社の営業利益率が20%前後(大企業の平均利益率は約6%)であることを槍玉に挙げた。その後、菅政権において、大手三社の一角に楽天グループを参入させて楔を打った。さらに携帯料金を一気に4割近く下げ、契約体系も乗り換えを容易にする形に改めた。
■水害対策に使えるダムの容量を倍増させた功績
もうひとつのターゲットは、「行政の縦割り」である。これは治水ダムの問題であった。気候変動のせいで、台風が接近してくると大小問わず河川の水位が上がり堤防が決壊して大災害が繰り返される。そこで、ダムの事前放流などの水害対策を関係省庁に指示したところ、国交省の役人から報告があったという。
「全国に1470のダムがあるが、そのうち水害対策に活用されているのは国交省所管の570のダムだけ。残りの900は、経産省が所管する電力会社のダム、農水省が所管する農業用のダム等で、これら『利水ダム』は水害対策には利用されていない、と」
そこで菅のツルの一声が飛んだ。
「台風シーズンに限って、国交省が全てのダムを一元的に運用する体制」に変えてしまった。これで、全国のダム容量のうち、水害対策に使える容量が46億立方メートルから91億立方メートルに倍増した。八ッ場ダムの50個分に相当するという。治水対策として絶大な効果があったという。異常気象によって台風の日本への襲来が飛躍的に増えている現在、これはあまり知られていない、菅のお手柄だろう。
■「夜中に救急車のサイレンの音で目が覚める」
そんな「国民にとって当たり前なこと」を政治課題とした、仕事師内閣もコロナには勝てなかった。安倍政権もコロナ対策で追い詰められたように、菅政権も東京五輪開催をめぐるドタバタ、何より感染者数の急増大の前に、政権のちからを削がれていった。
コロナ対策を次々と繰り出すものの、国民に対して丁寧に説明することがうまく出来なかった。元来、口下手ではあるものの、それが言い訳にならない局面を迎えた。
21年9月3日、菅は、次期総裁選への出馬を断念する。10月4日に内閣総辞職。菅政権は384日で終わった。
総理在任中に菅と会った際に、こう尋ねてみた。
「竹下総理は、夜中に針が落ちた音でも目が覚めると言っておられました。官房長官から総理になられて、何がいちばん違いますか」
菅は少し考えて小声で呟くように答えた。
「やはり、私の決めたことが最後ですから」
官房長官としての発言なら、多少乱暴であっても修正が利くが、総理の口から出れば、当然ながら、それは最終決定である。その言葉の重みが、菅の口をさらに重くしていったように思う。のちに、総理を辞めたあとの会合で菅はこう洩らしていた。
「夜中に救急車のサイレンの音で目が覚める。乗っているひとは大丈夫かなあ、無事かなあと考えるとね」
「国民の安心安全」、言葉は言い古されたものかもしれないが、総理大臣の職にあるものの業のようなものを感じた。
■「なる気はない」と言って総理になった男の姿
結果からいえば、菅政権は短命に終わった。
コロナの感染状況が一段落して国民が冷静さを取り戻すにつれて、菅への評価が変わり始めた。ある有力財界人のひとりも「菅さんは惜しかったよなあ、時期がよくなかった」としみじみ語っていた。メディアやYouTubeでは、「菅さんしか100万人ワクチン接種など出来なかった」「携帯料金を下げさせた豪腕ぶり」「改革への決断力が凄い」といった評価が語られる。
しかし、コロナ禍がなければ、常に「総理になる気はない」と明言していた菅が総理の座に座ることもなかったであろう。わたしが見つめてきた菅は、一貫してその政治姿勢を変えることはなかった。国民の見る目が変わっただけなのである。
政治とはほんとうに不思議なものだ。
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文藝春秋 元編集長
1960年、東京都生まれ。1984年、慶應義塾大学を卒業後、文藝春秋入社。『オール讀物』『週刊文春』『諸君!』『文藝春秋』各編集部を経て、2004年から『週刊文春』編集長、2009年から『文藝春秋』編集長を歴任。その後、執行役員、取締役を務め、2024年6月に同社を退職し、小さなシンクタンクを設立。『文藝春秋と政権構想』(講談社)はその活動の第一作となる。
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(文藝春秋 元編集長 鈴木 洋嗣)
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