「子どもが大学生になるまでに貯金しよう」では遅い…追跡調査で判明した「教育にお金をかけるべき年齢」
プレジデントオンライン / 2024年9月9日 20時15分
※本稿は、中室牧子『「学力」の経済学』(ディスカヴァー携書)の一部を再編集したものです。
■子どもに大金を「投資」する理由
文部科学省の調査によると、家計が大学卒業までに負担する平均的な教育費は、幼稚園から大学まですべて国公立の場合でも約1000万円、すべて私立の場合では約2300万円に上ります。日本政策金融公庫の調査では、子どもがいる家庭は、なんと年収の約40%をも教育費に使っているそうです。
なぜ、これほどまでに親は子どもの教育にたくさんのお金をかけるのでしょうか。もちろん、子どもにたくさんのことを学んでほしいというお気持ちもあるでしょうが、教育を受ければ将来の収入が高くなるという期待もまた、あることと思われます。
経済学では、「将来子どもが高い収入を得るだろうと期待して、今子どもの教育に支出をする」のは「将来値上がりすると期待して株を買う」のと同じ行為だと考えます。もう少し経済学的に表現すれば、教育から得られる「便益」から教育に支払う「費用」を引いた「純便益」が最大化するように、家計は教育投資の水準を決定しています。
これが、1992年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のベッカー教授が提唱した「人的資本論」という考え方です。詳細はここでは述べませんが、この理論の根幹をなしているのは、教育を経済活動としてとらえると、将来に向けた「投資」として解釈できるという考え方です。
■子どもの将来の収入=収益と考える
一般に「投資」というと、株や債券などを思い浮かべる人が多いでしょう。株や債券に投資をするときに、人々は「収益率」というものを気にします。もし、教育も投資ならば、その「収益率」を考慮するのは自然な行為です。
経済学では、「1年追加的に教育を受けたことによって、子どもの将来の収入がどれくらい高くなるか」を「教育の収益率」として数字で表します。
子どもへの教育を「投資」と表現することに抵抗のある人もいるかもしれませんが、あくまで教育を経済的な側面からみれば、そう解釈できるということにすぎません。
■子どもの教育にお金をかけるならいつ?
子どもの将来の収入は、自立した生活を送るためには大変重要ですから、「どういう教育がわが子にとっていい教育なのか」を考えるときに、収益率を考える現実感覚を持っておくことは決して損にはならないはずです。
もちろん、子どもに教育を受けさせる理由は、金銭的な動機だけではないと考える人もいるでしょう。その場合は、人的資本論における「収益」の中に、「教育を受ける喜び」などの非金銭的なものも含めて考えればよいのです。これは金銭的な収益ほど簡単ではないものの、さまざまな仮定を置いて数値化する方法が提案されています。
前置きが長くなりました。ここからは、「子どもの教育に時間やお金をかけるとしたらいつがいいのか」という疑問に答えるために経済学者が推計した、各教育段階における人的資本の収益率の違い、つまり小学校、中学校、高校、大学、大学院それぞれの収益率がどのくらい違うのかということをご紹介しましょう。
■もっとも収益率が高いのは就学前教育
これまでの研究が明らかにしているところによると、人々は「教育段階が高くなればなるほど教育の収益率は高くなる」と信じているようです。つまり、子どもの成功のためには、小学校よりも中学校、中学校よりも高校、高校よりも大学や大学院と、学齢が上がるほどかけるお金や時間を増やすべきだと。
たしかに、大学や就職先選びなど大事な選択の直前をどう過ごすかが、その人の人生により大きな影響を与えるのではないかと考えるのは理にかなっています。このため人々は、子どもが小さいときはお金を貯めておき、そのお金を子どもが高校や大学に行くときに使おうとするのです。
しかし、教育経済学はこの思い込みを真っ向から否定します。教育経済学の研究蓄積にはまだまだ議論が収束しないテーマも多いのですが、どの教育段階の収益率がもっとも高いのか、と聞かれれば、ほとんどの経済学者が一致した見解を述べるでしょう。
もっとも収益率が高いのは、子どもが小学校に入学する前の就学前教育(幼児教育)です。
■年齢が上がるにつれて、収益率はどんどん低下
図表1は、ノーベル経済学賞を受賞したヘックマン教授らの著書で用いられた、人的資本投資の収益率を年齢別(またはライフステージ別)に表したもので、縦軸は人的資本投資の収益率、横軸は子どもの年齢を表しています。
図表1からも明らかなように、人的資本投資の収益率は、子どもの年齢が小さいうちほど高いのです。就学前がもっとも高く、その後は低下の一途を辿っていきます。そして、一般により多くのお金が投資される高校や大学の頃になると、人的資本投資の収益率は、就学前と比較すると、かなり低くなります。
ヘックマン教授らのエビデンスに基づく概念図は、人的資本への投資はとにかく子どもが小さいうちに行うべきだということを示しています。ただし、ここで「明日からでもわが子を学習塾に通わせよう」と考えるのは拙速です。
「教育」と限定せずに「人的資本」への投資、という言い方をしたのには理由があります。
人的資本とは、人間が持つ知識や技能の総称ですから、人的資本への投資には、しつけなどの人格形成や、体力や健康などへの支出も含みます。必ずしも勉強に対するものだけではないのです。学力以外の能力はとても重要ですから、本書で章を分けて詳しく述べることにします。
■九九ができないと微分積分はできない
なぜ、就学前の子どもの人的資本投資の収益率は高いのでしょうか。
ひとつは、人生の初めの段階で得た知識は、その後の教育で役に立つからです。九九ができないと因数分解ができず、因数分解ができなければ、微分積分もできません。
この主張の根拠となっているのは、シカゴ大のヘックマン教授らの研究業績です。
ヘックマン教授らは、1960年代から開始され、現在も追跡が続いているミシガン州のペリー幼稚園で実施された実験に注目しました。
「ペリー幼稚園プログラム」と呼ばれるこの就学前教育プログラムは、低所得のアフリカ系米国人の3〜4歳の子どもたちに「質の高い就学前教育」を提供することを目的に行われ、今なおさまざまなところで高く評価されています。
■少人数制で専門家が読み書きや歌を教える
このプログラムでは、
・子ども6人を先生1人が担当するという少人数制
・午前中に約2.5時間の読み書きや歌などのレッスンを週に5日、2年間受講
・1週間につき1.5時間の家庭訪問
という非常に手厚い就学前教育を提供しました。
さらに、このプログラムでは、貧困家庭が直面する「家庭の資源」の不足を補うため、子どもだけでなく、親に対しても積極的に介入が行われました。
ここで、経済学でよく用いられる「資源」という言葉について述べておきたいと思います。学力など、「アウトプットを生み出すために必要とされるインプット」はすべて「資源」と呼ばれます。
具体的には、親の収入が少なかったり、仕事が忙しくてあまり子どもにかまってやれないというようなことも「家庭の資源」の不足とみなします。
そうした貧困家庭の資源の不足を補うために、ペリー幼稚園プログラムでは、週に1度1.5時間ほどの家庭訪問を行い、先生たちが普段どのように子どもと遊び、話しかけるかを実際にやってみせるなど、親に学びの機会を提供したのです。
■教育の効果は大人になってからも続いた
ペリー幼稚園プログラムは、入園資格のある子どもたちのうち、ランダムに選ばれた58人の入園を許可された子ども(=処置群)と、65人の運悪く入園を許可されなかった子ども(=対照群)を比較するという実験によって、その効果の測定が行われました。
この実験は非常に小規模なものでしたが、その結果がのちに極めて高く評価されたのは、対象者に対して、この後約40年にわたる追跡調査が行われたからです。
処置群と対照群の子どもたちの間でどのような差が生まれたのかをみたのが図表2です。
とくに注目すべきなのは、子どもたちが卒業した後――しかも卒業後かなり時間がたった後も――ペリー幼稚園プログラムの効果が持続していたということです。
■40歳時点の所得、逮捕率に明らかな差
19歳、27歳、40歳のときに行われた追跡調査の結果をみると、灰色の棒グラフで示された処置群の子どもたちは、黒色の棒グラフで示された対照群の子どもたちに比べて、
・19歳時点での高校卒業率 → 高い
・27歳時点での持ち家率 → 高い
・40歳時点での所得 → 高い
・40歳時点での逮捕率 → 低い
ことがわかりました。
つまり、この就学前プログラムに参加した子どもたちは、小学校入学時点のIQが高かっただけではなく、その後の人生において、学歴が高く、雇用や経済的な環境が安定しており、反社会的な行為に及ぶ確率も低かったのです。
■4歳の100円が65歳の6000~3万円に
就学前教育に長期にわたって持続するような効果があったということは、子どもへの教育投資を考えている親にとっても(そして子ども自身にとっても)素晴らしい発見ですが、この発見の持つ意味はそれにとどまりません。
就学前教育への支出は、雇用や、生活保護の受給、逮捕率などにも影響を及ぼすことから、単に教育を受けた本人のみならず、社会全体にとってもよい影響をもたらすのです。
こうした社会全体への好影響を「社会収益率」として推計したヘックマン教授らによると、ペリー幼稚園プログラムの社会収益率は年率7~10%にも上ると指摘されています(他の研究では、さらに高い13%、あるいは17%という推計結果もあります)。
社会収益率が7~10%にも上るということは、4歳の時に投資した100円が、65歳の時に6000円から3万円ほどになって社会に還元されているということです。
現在、政府が失業保険の給付や犯罪の抑止に多額の支出を行っていることを考えると、幼児教育への財政支出は、社会全体でみても、非常に割のよい投資であるといえるのです。
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慶應義塾大学総合政策学部教授
慶應義塾大学総合政策学部教授。慶應義塾大学卒業後、米ニューヨーク市のコロンビア大学大学院でMPA, Ph.D.を取得。専門は教育経済学。日本銀行等を経て、2019年から現職。デジタル庁シニアエキスパート(デジタルエデュケーション担当)、東京財団政策研究所研究主幹、経済産業研究所ファカルティフェローを兼任。政府のデジタル行財政改革会議、規制改革推進会議等で有識者委員を務める。日本学術会議会員(第26期)。テレビ朝日「大下容子ワイド!スクランブル」コメンテーター(木曜隔週)。朝日新聞論壇委員。著書に『「原因と結果」の経済学』(ダイヤモンド社)がある。 最近の論文には、 Takahashi, R., Igei, K., Tsugawa, Y., & Nakamuro, M.(2024). The effect of silent eating during school lunchtime on COVID-19 outbreaks. Social Science & Medicine Sato, K., Fukai, T., Fujisawa, K., & Nakamuro, M. (2023). Association between the COVID-19 pandemic and early childhood development. JAMA Pediatrics などがある。
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(慶應義塾大学総合政策学部教授 中室 牧子)
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