我が子がこの世を去った1カ月後に新治療が承認…メッシになりたかった12歳少年の親が今も後悔していること
プレジデントオンライン / 2024年12月20日 15時15分
※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 増刊号』の一部を再編集したものです。
■父と息子で久保建英の背中を追いかけて
次に生まれる子どもが男だと岸部 知佐子が知ったのは、2008年5月、妊娠5カ月のときだった。
最初の子ども――小春はなかなか性別の判別がつかなかった。男の子だと思い込んだ夫の哲郎は、「蹴」という漢字の入った名前を考えていた。
子どもの頃からサッカーに魅せられた哲郎は、サッカー推薦で京都の洛南高校に進んだ。その後は別の道を進んだため、サッカー選手となる夢を託すつもりだった。しかし、生まれてきたのは女の子だった。
「私たち遅い結婚だったから、女の子でも生まれてきてくれて嬉しかった。旦那は蹴子という名前も考えていたんですが、小春日和に生まれたということで小春になりました」
小春にボールを与えてみたが、あまり興味を示さなかった。そこで哲郎は、他の子どもを育てようと地元のサッカークラブでコーチを務めるようになった。第二子を授かったのはそんなときだった。
「エコー(超音波検査)でおちんちんが映っていた。もう滅茶苦茶嬉しかったですね。私は、女きょうだい。母親も女きょうだいしかいない女系家族。男の子ってどんな感じなんだろうって。女の子、男の子のどっちものママになれるなんて、なんてラッキーなんだって」
10月8日、第二子である岸部 蹴(しゅう)が生まれた。蹴は2歳ぐらいからボール遊びを始めた。
2011年8月、同じ川崎市に住む小学3年生の少年が蹴が2才のとき、日本人として初めて、スペインの名門FCバルセロナの下部組織に合格した。後に日本代表となる久保建英(たけふさ)である――。
久保は小学校1年生に麻生区を拠点とするFCパーシモンに入り、小学校3年生のときに川崎フロンターレの下部組織に合格していた。哲郎と蹴は、久保の背中を追いかけることにした。
「まずはサッカー教室に(保育園の)年少から通い、年長からパーシモンに入りました。小学3年生になったらフロンターレを受けることも考えていました」
FCパーシモンは学年によって増減はあるが、一学年30人ほど所属していた。
「みんな(サッカーの)英才教育を受けている。負けず嫌いな蹴は、毎朝、パパと朝練をやっていました」
■「メッシ」になるため、足技を磨く
知佐子は小学校入学直後の運動会でリレー選手に選ばれず、悔しがっている蹴の顔を覚えている。
サッカーにおいて絶対的な足の速さは武器となる。ただし、陸上の短距離走のような速さは必要ない。肝心なのは瞬発力と緩急だ。蹴が目標としたのは、FCバルセロナに所属していた、アルゼンチン代表のリオネル・メッシだった。
「試合中、メッシはのそのそ歩いているけれど、ボールが来たら、パッパッとドリブルして相手のディフェンダーを抜く。メッシになるために足技を磨くと。パーシモンの中でもリフティングの回数が一番ならば、足が遅くても(コーチから)認められるはずと考えたんです」
やがて蹴のリフティング回数は連続千回を超えた。
「1年生で3人ぐらいが、2年生と一緒に練習、試合に出られる制度があったんです。蹴はその3人に入ることができた」
2016年2月11日、蹴は2年生に混じって東京で行われた練習試合に出場している。異変が起きたのは、その翌朝のことだった――。
■原因不明の激痛に痛み止めも効かず気絶
夜明け前、知佐子は蹴の泣き声で目が覚めた、時計を見るとまだ5時。蹴は布団の中でうつ伏せのままで左足を立て、「足が痛い」と左太腿の横を押さえていた。全身汗びっしょりで顔が真っ白だった。
まずはインフルエンザによる関節痛を疑った。風呂に入れると、咳き込み、嘔吐した。何かおかしい。近所の小児科の診療開始時間を待ち、すぐに運び込んだ。医師は原因は分からないと首を振った。誰か助けて、と蹴は身体をよじりながら叫び続けた。
そこで川崎市宮前区にある聖マリアンナ医科大学病院に連れて行くことになった。
「蹴の苦しんでいる姿を見たくなかった。痛みを抑える薬を早く打ってくださいと頼みました。しかし、医者は何かわからないのに痛み止めは打てないと言うんです。(午後)3時ぐらいに、ようやく痛み止めを打ってもらいました。
30分で効くという説明でした。30分経っても効かないので、蹴はパニックになったのか、約束と違うと大声で泣き、そのまま気を失ってしまった」
■電気がバーンと消えて、世の中が暗くなった感覚
知佐子にはこの日、片づけなければならない仕事があった。そこで後ろ髪を引かれる思いで病院を後にした。自宅で仕事をしていると哲郎からLINEで連絡が入った。
「エコー(検査)をしたら、お腹の中に何かあるって。私、もう手が震えていました」
病院に戻ると医師は検査画像を指差してこう言った。
――腎臓が黒い塊で押し上げられていますよね。神経芽腫(しんけいがしゅ)の疑いがあります。
神経芽腫は、神経細胞、メラニン細胞などになるはずの「芽」である「神経堤(しんけいてい)」が、成長の途中で異常に増殖することで起きる。腎臓の上にある副腎、あるいは交感神経節から発生し、近くにあるリンパ節に転移、大きな塊となって腎臓などを取り囲む。小児がんの中では、血液がん(白血病、リンパ腫)、中枢神経系胚細胞腫瘍(はいさいぼうしゅよう)に次いで多い。
1歳半未満で発見された神経芽腫は自然と腫瘍が小さくなる症例が多く、予後は良い。一方、1歳半以降に発生した場合、見通しは暗い。
「説明を受けたのは夜の7時半ごろ。私の記憶では真っ暗の中にパソコンの画面だけが光っていた。電気がバーンと消えて、世の中が暗くなったような感じでした」
面会時間は夜8時までだった。急いで病室に行くと、蹴は正気を取り戻していた。
「痛み止めが効いてもう超元気。入院になっちゃった。ママは帰らなければいけないけれど大丈夫?って言ったら、わかった、バイバイって平気なんです」
自宅に戻ると、たまっていた感情が一気に溢(あふ)れてきた。どういうこと、なぜ蹴だけがこんな目に遭うのと、哲郎と抱き合って泣いた。
■「骨にいる悪い塊さんをお薬でやっつける」
2月19日、蹴は世田谷区の国立成育医療研究センターに搬送され、精密検査を受けた。すると、「ステージIV」――腫瘍が全身の骨に転移しており、5年以上の生存率は15、6パーセントだという。
「最初はピンと来なかった。しばらくして、ああ、15、6パーセントもあるんだって思ったんです。どんどん新しい薬や治療法もできるはず。5年間で世界は変わる。希望って使い古されたチープな言葉なんですけれど、人は希望がないと生きられない」
化学療法(抗がん剤治療)、自家末梢血幹細胞(まっしょうけっかんさいぼう)移植、放射線治療と畳みかけるように治療を進めることになった。大量の化学治療を行うと骨髄にある正常な造血細胞まで根絶してしまう。
そこで骨髄の幹細胞を薬剤で静脈に導き出し、専用機器で造血細胞を回収。化学療法の後、静脈から造血細胞を再注入し、骨髄にこの造血細胞を根付かせる。これが自家末梢血幹細胞移植である。
蹴は5月に造血細胞を取り出し、7月に戻すことになった。その後、原発腫瘍を摘出し、放射線治療を行う。
「私の父が、がんで亡くなっているんです。がんと言うと蹴が怖がる。だから、蹴のお腹の中に悪い塊さんがいる、その悪い塊さんがあちこちの骨に散らばっている、お薬で骨にいるのをやっつけると説明しました」
誕生日には退院させてもらうように先生に話しておくね、一緒に頑張ろうね、とつとめて明るく言った。そして、約束通り10月4日、すべての治療を終えて蹴は退院した。寛解(かんかい)との診断だった。
■「子どもは未来しか見えないんです」
寛解とは、がんで良く使用される言葉で、症状が消失、検査上は腫瘍がみえなくなることだ。治癒とは違い、がんの細胞が体内のどこかに潜んでいるかもしれない。
このまま再発しなければいい、そう願っていた知佐子たちの願いは、翌2017年8月に砕け散った。骨に4ヵ所の再発が確認されたのだ。
2020年9月、第9胸椎への転移、足に麻痺が出始めた。サッカー選手を夢見ていた少年にとって足が動かなくなることは絶望だったろう。それでもまずは治療に専念する、中学生になったら卓球部に入り、高校からサッカーに戻るのだと蹴は自らを奮い立たせた。
「子どもは未来しか見ないんです」と知佐子は言う。しかし、CTスキャンで肺に小さな転移が映っていた。やがて蹴は支えなしでは歩けなくなった。
最後の頼みは、CAR-T(カーティ)細胞療法だった。これは患者の体内からリンパ球のT細胞を取りだし、遺伝子医療の技術で改変し、CAR-T細胞とする。CARとは「キメラ抗原受容体」の略だ。CAR-T細胞を身体に入れると、がんを発見し攻撃する。
ただし、この治療は日本では認可されていない。調べてみるとアメリカのテキサス州ヒューストンのベイラー病院が治験を始めていた。2020年3月、渡米して治療を受ける手筈(てはず)を整えた。ところが、テキサス州で新型コロナウイルスの患者が急増し、渡航不可となった。
それでも諦めきれない知佐子たちは2021年1月、ベイラー病院に蹴の血液を送っている。3月にCAR-T細胞化に成功したという連絡が入った。しかし、このとき、肺の気管近くにがんが見つかった。この状態では治療を受けられないという。
5月14日から国立成育医療研究センターから自宅に戻っている。そして30日午前1時ごろ、家族に見守られながらこの世を去った。中学校入学直後、まだ12才だった。
■アメリカのコンビニで売られている薬が日本では使えない
時計の針を少し戻す――。
国立成育医療研究センターに蹴が入院してすぐの頃だった。知佐子が蹴の病気をFacebookに投稿した。するとアメリカ人の友人がすぐに反応した。
「ロイという人で、息子のサミュエルが4才半で発病したと言うんです。サミュエルはGD2をしていた」
GD2は「ジシアロガンクリオシド」の略で、神経細胞などの表面の糖脂質を指す。神経芽腫の細胞にもGD2が存在している。
抗GD2抗体を体内に入れるとGD2と結合、ナチュラルキラー(NK)細胞やマクロファージが集まり、神経芽腫を退治するというメカニズムである。
「日本でも治験をやっていたんですが、受付は終わってしまっていた。GD2が認可されればそのときにやればいいからって(成育病院の)先生は言うんです」
また、アメリカでは神経芽腫の患者は再発予防のために『13-cis-レチノイン』(以下、レチノイン酸)という薬を服用していた。これはビタミンAの誘導体の一つで、がんの予防効果があるとされている。
「レチノイン酸はアメリカではコンビニでニキビの薬として売られているそうです。しかし、日本では販売されていないので個人輸入することになりました」
アメリカ、欧州で承認、使用されている薬品が日本では使えない――「ドラッグ・ラグ」である。
■可能な治療法はすべて試してあげたかった
とりだい病院小児科で血液・腫瘍を専門とする奥野啓介は、神経芽腫に限らず小児がんのほとんどは症例が少ない『希少がん』であると評する。
患者数が少なければ、費用対効果が低く、開発が進まない。「ラグ」(遅れ)だけでなく、日本国内での申請もされない「ドラッグ・ロス」も起きている。
「神経芽腫はドラッグ・ラグ、ロスが起こりやすい典型的ながんです。ぼくが医者になったばかりの頃、20数年前、レチノイン酸が出てきました。海外の論文を読むと10パーセントほど長期生存できるようになったと書かれていました」
奥野によればレチノイン酸には妊婦が服用した場合、胎児に影響がある恐れがあるという。「でも、神経芽腫にかかる子どもは妊婦ではない。困っている子どもに飲ませて何が悪いんだって昔から、そして今も思っています」と奥野は語気を強めた。
2021年6月、抗GD2抗体療法が日本で承認された。蹴がこの世を去った1カ月後のことだった。
注意しなければならないのは、レチノイン酸、GD2免疫療法共にすべての患者に効果があるとは言い切れないことだ。それでも現時点で可能な治療法はすべて試してあげたかったと知佐子は考えている。
「神経芽腫の患者は少ないかもしれない。でも私にとって蹴はオンリーワンでした」
知佐子は今、各所でドラッグ・ラグ、ロスの啓発活動をしている。自分のような悲しい思いをする患者や家族を一人でも減らしたい、からだ。
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ノンフィクション作家
1968年3月13日京都市生まれ。『カニジル』編集長。『UmeBoshi』編集長。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て独立。著書に『偶然完全 勝新太郎伝』『球童 伊良部秀輝伝』(ミズノスポーツライター賞優秀賞)『電通とFIFA』『新説・長州力』『新説佐山サトル』『スポーツアイデンティティ』(太田出版)など。小学校3年生から3年間鳥取市に在住。2021年、(株)カニジルを立ち上げ、とりだい病院1階で『カニジルブックストア』を運営中。
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(ノンフィクション作家 田崎 健太)
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