「なりたい自分になる」は無理、その必要もない…禅僧が"意識高い系"の生き方をやめたほうがいいと説くワケ
プレジデントオンライン / 2024年12月25日 7時15分
※本稿は、南直哉『新版 禅僧が教える心がラクになる生き方』(アスコム)の一部を再編集したものです。
■「自分を大切にする」ことをやめる
人生相談に来られる方々とお話ししていると、ほとんどの方がある勘違いをしていることがわかります。
それは、「自分」という存在がちゃんとあり、その自分を大切にしなければならないと思っていることです。それで、「大切な自分」の人生を充実させなければと考え、思いどおりにいかない日常や人間関係に苛立ち、「私の人生は、もっとよくなるはず」と焦っている。そういう方が多いのです。
「いや、“自分”がいるのは当たり前じゃないか」「自分を大事にするのは当然だろう」と、あなたは思うでしょう。
しかし、そもそも「自分」とはなんでしょうか?
「体」かというと、そうではありません。体の細胞は、3カ月もすればすべて入れ替わります。そうすると、それはもう「別人」です。
では、「心」が自分かといえば、これもまた証明できる話ではありません。「“昨日の心”と“今日の心”が同じだと言える根拠は?」と尋ねられると、答えに詰まるはずです。
そもそも、「昨日の自分」と「今日の自分」が同じだと言える根拠は、2つしかありません。
それは、自分自身の「記憶」と「他人からの承認」だけです。
■「自分」とはもろい存在である
たとえば明日の朝起きて、もし今までの記憶がすべてなくなっていたとしたら、どうでしょう。今あなたが思っている「私」は、そこに存在しないはずです。
あるいは、明日まわりの人間がすべて、あなたのことを別人のAさんだと言い出したら、どうしますか? あなたはAさんとして生きるか、精神を病むか、自死するしかなくなるはずです。
大げさな話ではありません。そのくらい「自分」とは、もろいものです。
私は「私」であるという記憶。そして、他者から「私」だと認めてもらうこと。この2つのどちらか、あるいは両方を失ってしまったら、自分であることの根拠は消え、「私」はその場で崩れてしまいます。
ふだん、あなたが「私」と呼んでいるものは、突き詰めれば、「記憶」や「人とのかかわり」で成り立っている存在にすぎないのです。その大した根拠もなく存在する不確かな「私」を大切にするとは、何をしたいと言っているのだろうと私は思うのです。
「でも、自分はここにいるじゃないか!」と言う人に、「その“自分”とはなんですか?」と尋ねると、名前や性別、年齢、性格、職業、家族、住所などについて話し始めます。
しかしそれは、その人が「その時点」で持っている属性にすぎません。
それらをすべて取り払ってしまったら、何が残るのかということです。
■他人からの「いいね」を気にしてはいけない
人という存在は、誰もが生まれた瞬間に「他人に着せられた服」をそのまま着続けているようなものです。生まれる日も、場所も、性別も、体の特徴も、自分で選んだわけではありません。名前も、親に決められました。その親すら、たまたま「親」になっただけです。そもそも、自分から「この世に生まれたい」と希望して生まれてきたわけでもありません。
もし仮に、自分で望んで生まれたのであれば、生まれる日も、場所も、親も、自分で思いどおりに決められ、「望んだとおりの自分」になっているはずです。でも、「私は、何もかも望みどおりの自分だ」と言える人がいるでしょうか。
人はこの世に「たまたま」生まれ、他人から「自分」にさせられたのです。
その「自分」を受け入れるためには、人から認められ、ほめられなければなりません。自分ではなく人が選んだ服を着ているのですから、誰かから「似合うね」「いいね」と言われて初めて安心でき、その服を着る気になれます。
それで人間の最大の欲求は、自分を「自分」にしてくれた存在、つまり“他人から承認されたい”ということなのです。
むりやり「自分」にさせられた自分と折り合いをつけ、苦しさに「立ち向かう」のではなく、その状況を調整し、やり過ごして生きていく。私がお話したいのは、そういう生き方についてです。
■「なりたい自分」になれなくたっていい
「なりたい自分になる」という言葉があります。
「今の自分」ではなく、憧れの自分になれば、幸せに生きられる。だから努力して、自分を「なりたい」と思う自分に変えていく。そういう生き方です。
私は、このやり方には、無理があると思っています。さきほどお話したように、人は自分自身の「記憶」と他人の「承認」によって規定されている作り物にすぎません。「なりたい自分」の「自分」とは何かすら、はっきりわかっていないのです。
最近よく耳にする「本当の自分になる」「ありのままの自分になる」という考え方も、あり得ません。「本当の自分」「ありのままの自分」とは、一見、なんのとらわれもなく心のままに生きられる、ひとつの理想像のように思えるかもしれません。
しかし、誰が、何を基準に、その自分が「本当」で「ありのまま」だと判定するのでしょうか。私には、それがよくわからないのです。
結局は、「本当の自分」「ありのままの自分」になるために、あるいは「なりたい自分」になるために、記憶と「他人の承認」の中をさまよいながら、「自分は、これでいいのだろうか」と葛藤しているだけになるでしょう。
■夢も、希望も、理想もいらない
「今の自分を好きになれないので、本当の自分を見つけたいのです」と訴える方がいますが、自分というものに対して居心地の悪さを感じるのは、当然です。
私たちは生まれたいように生まれたわけではなく、気がついたらそのように生まれついていただけです。いわば他人に仕立てられた、お仕着せの「自分」なのです。最初から寸法が合うはずもなく、無理をしながら「自分」をやっているのですから。
もちろん、それでも楽しく生きている人はいます。そうやって生きられる人たちはよかったね、と思えばいいだけの話です。夢や希望や「理想の自分になる」といった物語に乗れるのなら、それでなんの問題もありません。
しかし、もしそこに違和感があるのであれば、むりやりその生き方に合わせるのは、新たな苦しみを生むだけです。
「充実した毎日を送りたい」
「人生をもっと有意義に過ごしたいのです」
そうおっしゃる方たちが、「意味のある人生」を送りたいと思う気持ちはわかります。しかし、そう考えて苦しくなっているのなら、その「充実した人生を送る」「自己実現して生きる」といった物語からは、降りてもいいのです。
■力を抜いて生きる
現代社会を見ていると、多くの人が、生きることに対して非常に力が入っています。「よりよい人生を生きなければならない」と思い込み、「人に勝たねばいけない」と焦っている。
「得をしたい」「ほめられたい」という欲もある。だから力んで、仕事に、余暇の充実にとがんばってしまう。
スケジュール帳がびっしり埋まっていないと不安になってしまう。さぞ苦しいだろうから、力を抜いて「大したことのない自分」を生きればいいのにと思います。
しかし同時に、それがむずかしいのもよくわかります。
人間は、力を入れるのは得意ですが、力を抜くのは非常に苦手なのです。坐禅で「肩や手足の力を抜いてください」と指導して、すぐそのとおりにできる人は、まずいません。
ただ、思い出していただきたいのですが、人はやる気に満ちて、力いっぱい生まれてきたわけではありません。もし自分で「これから生まれるぞ」と決めて積極的に生まれてきたのなら、力を入れて生きるのもわかります。でも実際、人は根本的に受け身で生まれてきているのです。
その証拠に、赤ちゃんは人の手を借りなければ、絶対に生き延びることはできません。人生の始まりからして、われわれは他人の存在によって生き延びてきました。
それを思い出せば、「こうあらねば」とむやみに力を入れて生きることの不自然さがわかるでしょう。
■「人生は棒に振るぐらいがちょうどいい」
もともと人間は受け身の存在なのに、何かに駆り立てられるように積極的に生きるのは無理なのです。それでも無理をしないと生きられないのだとしたら、自分を追い込まない「無理の仕方」があるだけです。
しかし本当のことを言えば、無理をすることもない。たいていのことはやり過ごしてもいい話なのです。
乱暴なことを言うと思うかもしれません。でも死ぬ間際になれば、大したことは残っていません。今ジタバタしている問題について、思い出したりもしないでしょう。人生の最後に一生を振り返ったとき、おそらく、「多少の満足」と「いくつかの後悔」が残るのが普通です。
多くの方を弔ってきて、そう実感します。
けれど、それでいいのです。
人生を”棒に振る”くらいの気持ちで生きれば、ちょうどいいのです。
すると、ラクに生きられます。
そして、ラクに死ぬことができます。
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禅僧
1958年、長野県生まれ。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年から曹洞宗・永平寺で約20年の修行生活をおくる。著書に『恐山 死者のいる場所』、『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』(いずれも新潮社)、『善の根拠』『仏教入門』(講談社)、『死ぬ練習』(宝島社)など多数。
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(禅僧 南 直哉)
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