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「商店街のアイドル」は"小さな漫才師"だった…0円で小学生に漫才を教える「大阪のおっちゃん」(54)の正体

プレジデントオンライン / 2024年12月21日 8時15分

「こどもお笑い劇場」で漫才を教えている小川淳さん。芸名は横山チョップ。これがお決まりのポーズ - 筆者撮影

大阪市西淀川区でスポーツジムを営む小川淳さんは、2011年から子どもに漫才を教える「お笑い道場」を開いている。完全無料で、小学生を中心に20人の子どもたちがここに通っている。小川さんはなぜこの活動を始めたのか。インタビューライターの池田アユリさんが取材した――。

■「こどもお笑い道場」に通う子どもたち

2024年11月、「全日本こどもお笑いコンテスト」が行われる大阪市西淀川区の市民ホールへ向かった。

学校の体育館ほどの広さがあるコンテスト会場の一角で、出場者の子どもたちがカレーを食べている。近くにはルーがたっぷり入った大きな鍋が2つと炊飯器が3台。その横にコーンフレークと牛乳、駄菓子が並んでいた。

コンテストの時間が迫ると来場者が増えはじめ、100席ほどある椅子が埋まっていく。この大会は、入場料も飲食代もすべて無料だ。披露する漫才のネタを書いたメモを読み上げる子や、相方と練習を始める子、カレーのおかわりに夢中な子など、それぞれが自由に過ごしていた。

大会前、カレーとコンフレークを無料で配布
筆者撮影
お笑いコンテストに参加した子どもたち。本番前にカレーとコーンフレークで腹ごしらえ - 筆者撮影

筆者も、カレーをいただいた。ふと、近くにいた少年たちと目が合い、「今日はどこから来たの?」と話しかけると、

「俺? チャリで3分くらいのとこから来てん。こいつはな、チャリでアメリカから3分で来たんやで。な?」

オレンジ色のつなぎを着た少年が答え、相方であろう緑色のつなぎを着た少年に話を振る。

「せやねん。今日は調子がイマイチでな。3分もかかったわ……って、なんでやねん!」

■「小さい川やから『ちいかわ』やねん」

即興で漫才のようなやりとりをしている彼らは、大阪市西淀川区にあるフリースクール「こどもお笑い道場」に通っている。

指導に当たるのは、道場を運営する小川淳(おがわじゅん)(54)さん。小川さんはスポーツジムを経営しながら、2011年に子どもたちが芸を磨く場所を作った。

全日本こどもお笑いコンテストは、小川さんの発案で2020年から始まった。今年で5回目を迎えた。これらのすべてをボランティアで行っているという。

開場を沸かせた「ピンポンパントマト」
筆者撮影
会場を沸かせた「ピンポンパントマト」の小学生トリオ。100席ある会場は満席状態だった - 筆者撮影

先ほどの少年に、「小川さんって、どんな人?」と聞いてみた。

「ちいかわ? あ、小さい川やから『ちいかわ』やねん。見た目は怖いけど、ホンマは優しいよ」

漫才を教えてくれている先生をあだ名で呼んでいることに、思わず笑ってしまう。あだ名とはかけ離れたどっしりとした体つきの小川さんは、この日、裏方として忙しく動き回っていた。

いざ漫才が始まると、小川さんは審査員席に座り、子どもたちの出番を静かに見守る。子どもたちが観客にウケると、たびたび頬を緩ませている。彼の大きな目は、子どもたちをまっすぐ見つめていた。

いったい、この大阪のおっちゃんは何者なのだろうか?

コンテスト後に写真撮影
筆者撮影
お笑いコンテストに参加した子どもたち。今年は8組がネタを披露した - 筆者撮影

■ミルクボーイ・駒場さんが通ったジムの会長

小川さんのウェイトトレーニングの指導歴は30年を超える。小川さんのジムはトレーニング愛好家から「聖地」と呼ばれるほど、根強いファンが集まるそうだ。関西の芸人も数多く通っている。「M-1グランプリ2019」にて優勝したミルクボーイの駒場孝さんもその一人。彼はジムで働いていた時期もあったそうだ。「今や、時の人です」と小川さんは振り返る。

ミルクボーイと小川さん
ミルクボーイと小川さん(写真提供=小川さん)

現在、小川さんは漫才師の横山ひろしさんに指導を受けつつ、「横山チョップ」として芸人活動をしている。「お笑いの巨匠たち、横山ノック、キック、フック、パンチに続く打撃系の芸名を自分で希望したんです」と、小川さんは照れ笑いを浮かべた。

もうひとつ、彼は心理カウンセラーの顔も持っている。カウンセリングのボランティアを始めたことがきっかけで、「こどもお笑い道場」が生まれたという。

芸人、ジムのトレーナー、心理カウンセラー。一見なんの共通点もないように思える肩書を見て、彼への謎は深まるばかりだった。だが、小川さんにとっては1本の線でつながっていた。「あれもこれも」の末に、子どもと向き合うことになった。

■阪神淡路大震災でジムの会員が激減

1970年、大阪市西淀川区で生まれ育った小川さんは、体力が余り過ぎる少年だった。物心がついた頃から、じっとしていると手の平が震えるようになり、病院に行くと「ホルモンの異常分泌」と診断された。

症状を紛らわすには運動で発散するしかなく、毎朝母親と川沿いにある大野川緑陰道路をランニングした。少しでも時間が空くと「なんかないかな?」と独り言を言いながら、動き回る日々を過ごした。

小川さん当時21歳
21歳の小川さん。ジムのインストラクターをしながら、ボディビルダーとして活動していた(写真提供=小川さん)

高校卒業後にボディビルディングに目覚め、スポーツ専門学校在学中に身体を鍛えた。21歳でボディビルダーとしてコンテストに出場。専門学校を卒業後は、近隣のスポーツジムでインストラクターとして働いた。そして1994年、24歳で地元・西淀川区の柏里本通商店街に「ジャングルジムスポーツ」を開業した。

当時、まだ周辺にスポーツジムがなかったため、創業して3カ月で100人以上の会員が集まった。小川さんはコンテストに出場する暇もなく、朝から晩までフラフラになりながらトレーニングの指導にあたった。

その翌年、予期せぬ出来事が起こった。阪神淡路大震災である。

その日、小川さんは、両親と2階建ての実家にいた。「ゴゴゴゴッって床から突き上げるような感じで。『うわ、こりゃ終わったな』と思いました」と小川さんは振り返る。

家族3人とも無事だったが、西淀川区にあった実家は半壊。理容師をしていた父親は店を閉じ、両親2人は母の故郷に避難した。小川さんは仕事があったため、大阪に残った。経営するジムは地震の影響をほとんど受けなかったが、震災の影響で会員がたちまち退会していく。

幸い、自営業の両親からのアドバイスで運転資金を500万円ほど残していたため、切り崩しながら営業を続けることができた。「最初の会員数に戻るまで、25年くらいかかりました」と小川さんは言う。

小川さん
筆者撮影
当時を振り返る小川さん。経営するスポーツジム(大阪市西淀川区)で話を聞いた - 筆者撮影

■2店舗経営で追い込まれる

少しずつ復興が進む大阪で、ほそぼそと仕事を続けていたある日、知人から「閉店寸前のジムを引き継いでもらえないか?」と相談を受けた。聞けば、そのジムも会員数が減っているという。

「自分のジムも経営難だし……」と断ろうとしたが、周りの人たちから「立て直せるのは小川さんしかいないよ」と言われ、「それなら、やってみるか」と承諾した。損益分岐点を超えるだろうと見越しての決断だったが、蓋を開けてみると会員はほぼゼロ。見込んでいた会員は戻ってこなかった。

このまま続けても赤字が増えるばかりなので2店舗目は撤退しようと決心した小川さん。しかし、そのジムには嫌がらせをする会員が在籍しており、閉めたくてもできない状態に。前オーナーの頃から続いていた嫌がらせは、店舗を引き継いだ小川さんに矛先が向いた。「これは、えらいことに首を突っ込んでしまった」と思ったが、すぐに引き返すことはできなかった。

2店舗目の経営がうまくいかず、小川さんは次第に精神的に病んでいく。寝ても疲れが取れず、「嫌がらせをする会員さんから電話がかかってくるのでは」と怯えた。無意識に携帯電話の上に何枚も服を重ね、着信音が聞こえないようにした。体温のコントロールがきかなくなり、急に汗をかいたり、立ったまま寝てしまったりした。

経営するジムにて
筆者撮影
ジム経営の悩みが、心理学を学ぶきっかけになった - 筆者撮影

■「心の構造を知れば、今の状態を抜けだせるかも」

追いつめられた小川さんは、京都・北野にある書店に向かった。現実を忘れられるような、没頭できる書物を求めたのだ。書棚を歩き回りながら背表紙を眺めていると、ある本のタイトルにパッと焦点が当たった。心理学の本だった。

「頭がパニックになってるから、わかりやすいタイトルじゃないとあかんかったんでしょうね。3日でわかる臨床心理学、みたいな(笑)。簡単にわかりますよっていう本でした。実際に読んでみて、『心の構造を知れば、今の状態を抜け出せるかも』って思ったんです」

もともとトレーニングを指導する中で、「体を鍛えるためにはメンタルが重要だ」と感じていた。今後の仕事にも活かせると考え、大阪・天満にある「公益財団法人 関西カウンセリングセンター」の門を叩く。その学校は50年以上の歴史があり、受講後に認定試験に合格すれば、心理カウンセラーの民間資格を取得することができた。

畑違いの場所で専門用語を覚えることから始めなければならなったが、小川さんは講師の著書を読んで予習し、毎回授業に臨んだ。同スクールではフロイト、ユング、アドラーなど多数の学派を学ぶことができ、小川さんは心理学の奥深さに引き込まれた。

なかでも小川さんがもっとも惹かれたのは、臨床心理学者のカール・ロジャーズが提唱する「パーソンセンタード・アプローチ(PCA)」という心理療法だった。

PCAとは「人は誰でも自分を受け入れられ、安心することができれば、自分自身を成長させる力を発揮できる」という技法だ。小川さんは「今まで認知行動療法(うつ病や不安症などに対する精神療法)が最善の心理療法だと思ってたけど、これを身に付ければ、いろんなことに役に立つんじゃないか」と思った。

3年間の学びと試験の末、上級心理臨床カウンセラーを取得した。この頃には2店舗目のジムを閉店させることができ、暗黒期を乗り越えた。「ほんまね、誰でも心が壊れることがあるんだって、身をもって知りました」と小川さんは振り返る。

小川さんが経営する「ジャングルジムスポーツ」
筆者撮影
小川さんが経営する「ジャングルジムスポーツ」。根強いファンが集まり、関西の芸人も数多く通っているという - 筆者撮影

■“釜ヶ崎のマザー・テレサ”が教えてくれたこと

ただ、上級心理臨床カウンセラーは国家資格ではないため、一つの仕事として活動することが難しかった。そこで小川さんは「みんなで学び合えるような場所を作ろう」と、2009年に知り合いを集めて「人間研究所 こころラボ(以下、こころラボ)」という任意団体を立ち上げた。

こころラボを立ち上げ、無料のカウンセリングを始めた頃
こころラボを立ち上げ、無料のカウンセリングを始めた頃(写真提供=小川さん)

ある日、知人から1人の女性を紹介される。日雇い労働者の街として知られる大阪・釜ヶ崎(あいりん地区)で30年間、地域の人々をサポートしている入佐明美(いりさあけみ)さんだ。“釜ヶ崎のマザー・テレサ”と呼ばれる入佐さんは、どんな相手にも1人の個人として尊重する姿勢を貫く人だった。小川さんは、こう振り返る。

「カール・ロジャーズの心理療法って机上の空論って言われることがあるんですけど、ホンマにやってはる人がいるんやって、お会いして涙が止まらんくなりました。入佐さんが『目の前にいる人がどうやったらもっと良くなるかなって考えて、行動しているだけよ』って仰って、また、わーっと泣けて。完璧にここまでとはいかないけど、近い人になれるんじゃないかって思えたんです」

当時の小川さんは、学んだことを何かに生かそうと必死だった。いつも自分のことを肯定してくれる入佐さんから、このように言われたという。

「小川さんはどうしてそんなにカウンセリングにこだわるの? そんなのどうでもいいじゃない。あなたの周りには手を差し伸べてもらいたい人がたくさんいるのに、その人たちに目を向けてないような気がするわ」

その言葉を聞いて、小川さんはハッとした。学びを深めることに躍起になり、肝心なことが抜けていると気が付く。

そこで、小川さんは振り返った。10代の頃、有り余る情熱や葛藤を受け止めてくれる大人に出会うことができなかった。大人になった自分は、理解しようとする人間になれているだろうか?

「テクニックや理論じゃなくて、別になんも知識のないおっちゃんやおばちゃんが『いや、あんたの言うてることようわからへんけど、もうちょっと聞かせてくれるか?』って。関心を持ってくれる人がいるかどうかが大事だったんだなって。ほんなら僕が出会えなかった大人に、自分がなればいいんちゃうかって思うようになったんです」

■ビールケースとベニヤ板で作った舞台

そこで小川さんは、地元・西淀川区の子どもたちに何かできないかと考え始める。心理学の理論をもとに「誰でも受け入れられて、自由な発想ができるものって何だろう?」と考え、閃いたのが「お笑い」だった。

2011年、こころラボのメンバーとともに、フリースクール「こどもお笑い道場」を立ち上げた。

ひとまず、「こども新喜劇をやってみよう」と近隣の人たちに声をかけた。すると、商店街で働く親を持つ子どもたちが6人ほど集まった。だが、いざ練習を始めたものの、全員の時間を合わせることが難しかった。

閉店した古本屋を改装しながら、こどもお笑い道場を始めた
写真提供=小川さん
閉店した古書店を改装して「道場」をつくった - 写真提供=小川さん
子どもの漫才を見守る小川さん
写真提供=小川さん
子どもたちの漫才の練習を見守る小川さん - 写真提供=小川さん

そこで「最小ユニットの漫才ならいけるんちゃうか?」と思い、新喜劇から漫才にシフト。これが功を奏し、子どもたちは目を輝かせながら取り組むようになる。

子どもたちの姿を見て、小川さんは「みんなが練習したものを披露する場所を作ろう」と思い立つ。閉店した100坪ほどの古書店の一角を借り、そこにビールケースを裏返してベニヤ板を貼って簡易的な舞台を作った。古い建物のためむき出しになった土壁にはブルーシートを被せ、手作り感満載のお笑いライブ会場ができ上がった。

こどもお笑い道場の子どもたちと
写真提供=小川さん
こどもお笑い道場の子どもたち - 写真提供=小川さん

■舞台に立った子どもたちに起きた変化

すると、「小川さんが子どもたちのためにお笑いの舞台をやっている」という話を聞きつけた落語家の桂福丸さん、そして駆け出しだったミルクボーイの内海崇さんと駒場孝さんがたびたび手伝いに来てくれるようになる。

そこで月に1度、その場所で、彼らの前座として子どもたちを舞台に立たせることに。落語に挑戦する子やコントをする子、プロのネタを完コピして披露する子。どれも粗削りだったが、観に来た近所の人たちから大いにウケた。子どもたちの表情には、「人を笑かすことが楽しい!」「絶対にウケてみせる!」というエネルギーが満ち溢れていた。

小川さんのボランティア仲間として15年の付き合いがある北村純(きたむらじゅん)さんは、当時のことをこのように語る。

「私はお笑いのことも、子どものこともよくわからなかったので、小川さんから『子どもにお笑いを教える』って聞いたとき、半信半疑でした。でも、お笑いの力はすごいです。目が見えない子や、字が書けない子、学校に通えない子も楽しそうに取り組んで、参加者全員を明るくしてくれる。こんないいもの、他にないなって思います」

道場に通う子どもの親から「引っ込み思案だった子が、漫才を始めてから学校でも自分の意見を言えるようになったんです!」と言われたことがあった。なかには、学校でいじめられていた子が、テレビ番組で漫才に取り組む姿を取り上げられ、いじめがなくなり、学校に通えるようになったという事例もあった。小川さんが信じた心理学者カール・ロジャーズの理論を、子どもたちが実現していったのである。

こどもお笑い道場に参加する親子たちと
写真提供=小川さん
こどもお笑い道場に参加する親子たちと - 写真提供=小川さん

筆者が「このお笑い道場を始めて、良かったことはありますか?」と聞くと、小川さんは少し考えてからこう答えた。

「傍から見たらちっちゃな事かもしれないですけど、子どもたちが自分たちで作り上げてきたものを1つ形にして、それを発表することで泣いたり、笑ったりするわけじゃないですか。結果が良かったら笑うし、あかんかったら泣くし。その時間を一緒に体験できるっていうのが、一番良かったです」

■42歳で芸人になる

ふと、小川さんに「もともとお笑いを教える経験があったんですか?」と聞くと、彼は首を横に振った。

「まったくなかったです。ただ、テレビでしょっちゅう漫才を観てましたし、中学の友達に芸人の兵動大樹がいたり、高校の同級生に東京で芸人してるハローケイスケがいたので、僕にもできるだろうって軽く考えてました(笑)」

相方が見つからない時期に、腹話術を取得し、舞台に上がった
写真提供=小川さん
相方が見つからない時期、腹話術を取得して舞台に上がることもあった - 写真提供=小川さん

当初、小川さんは子どもたちに「漫才の台本を一緒に考えて」と頼まれたことがあった。けれど、漫才の台本を書いた経験がない。「これはまずい」と思った小川さんは、大阪にあるシナリオ学校で漫才の台本講座を受講した。

漫才の台本の添削指導を6回ほど受けた後、今度は知り合いの漫才作家に家庭教師をお願いした。すると、その作家に「人に漫才させたいなら、まず自分が舞台に立たなあきませんで」と言われる。

「そうか。まず芸人にならんとあかんな」

そう思った小川さんはアマチュアで漫才を始めた。NSC大阪(吉本興業の芸人養成所)を卒業した現役消防士と組み、M-1グランプリに出場。だが、あっけなく一次予選で敗退。当時42歳の小川さんは「自分が面白いと思ったことが、観客にうまく伝わらない……」と、漫才の難しさを痛感する。

■漫才師・横山ひろしに弟子入り

2017年の1月、漫才のイベントを鑑賞した帰りに、友人と道頓堀にある立ち飲み店「たまやん」に寄った。その店は、松竹芸能のベテランの師匠がよく飲みに来る店だった。店内はお互いの肩があたるほど込み合っており、小川さんは体をねじりながら店の奥側のカウンターに辿り着く。「だれか芸人さん、来うへんかな」と思いながら、店内を見渡した。

すると、貫禄のある男性が入ってきた。当時69歳の漫才師・横山ひろしさんである。幸運なことに、横山さんは小川さんの横に立った。

全日本こどもお笑いコンテストで審査員をする漫才師の横山ひろしさん
写真提供=小川さん
漫才師の横山ひろしさん(中央) - 写真提供=小川さん

小川さんは「テレビで観た漫才師さんが僕の隣にいる!」と思った。店員と雑談をしている横山さんがパッと振り向き、「ところで君、何やってる人や?」と聞いてきた。

小川さんはすかさず、「実は、漫才やらせていただいております」と答えた。横山さんは「イイッ! 同業かいな」と驚く。そこで、小川さんはスポーツジムを経営しながら、アマチュアで5年ほど芸人の漫才をしていて、子どもたちに漫才を教えていることなどを話した。

ひとしきり話が弾んだ後、小川さんは「このチャンスを逃したら、一生ないかもしれへん」と思い、大きな賭けに出る。

「師匠、僕に漫才を教えていただけませんか?」

すると、横山さんは腕を組んで少し考え、「いっぺん僕の漫才、生で観においでよ」と言って、その場でLINEのアドレスを交換。後日、舞台公演に招待してくれた。

公演後に飲みに誘われ、そこで小川さんは再度弟子入りを志願。一緒に来ていた横山さんの友人・サムライ朝起太郎さんから「いい子そうやし、弟子にしたったら?」と合いの手がかかり、すんなりと小川さんの入門が決まった。現在も、横山ひろし師匠との濃い師弟関係が続いている。

小川淳さん
筆者撮影
道頓堀の立ち飲み店で横山さんと出会い、お笑いを学ぶことになった - 筆者撮影

■最大24席の「日本一小さい」お笑いライブ会場を作る

横山さんの下で小川さんがお笑いを学び始めた頃、こどもお笑い道場に通う子どもたちはM-1グランプリで「ナイスキッズ賞」を受賞するなどの活躍を始めていた。

M-1グランプリで受賞した子どもたち
写真提供=小川さん
M-1グランプリの会場。道場の子どもたちも出場している - 写真提供=小川さん

「こりゃ、本格的な場所を作らな」と思った小川さんは、2018年11月、JR塚本駅(大阪市淀川区)すぐの場所の空き店舗を改装し、最大24席のお笑いライブ会場「横っちょ座(現在は近隣に移転)」をオープンさせた。

「日本で一番小さい劇場と呼ばれる『浅草リトルシアター』が30席だから、僕が日本一小さいお笑い劇場の館長やと思います」と小川さんは笑う。

現在、「横っちょ座」では毎月第1・3火曜日に、気心の知れた芸人たちを集めて「塚本コメディアワー」と題してお笑いライブを行っている。「10人でも観に来てくれたら、みんなで『今日はお客さん、多かったなぁ!』って話すんですよ」と小川さん。

毎週土曜の朝9時からは、市内外から十数人の小学生らが漫才のネタ合わせをするためにやってくる。小川さんはそれを客席から真剣なまなざしで見つめ、「ありがとうございました」と漫才でお決まりの一礼をした子どもたちに声をかける。

ここで子どもたちがお笑いを学ぶ
筆者撮影
お笑いライブ会場の「横っちょ座」 - 筆者撮影

■道場で大切にしていること

「道場を始めた頃に、友人で芸人の兵動大樹くんが来てくれたことがあってね。子どもらが、彼の前で漫才を見せたんです。終わってから、彼が『ここのとこな、パーンッてツッコまれたときに、クルッと回ってみたらどうや?』ってアドバイスしたんです。それで子どもたちが試したら、別物の漫才になったんですよ!」

小川さんは、その日から体の動きを工夫するように提案したり、伝わりにくい部分を一緒に考えたりするようになったという。

こどもお笑い道場には、規則がほとんどない。ただ、「人を傷つける表現はやめよう」というルールがある。

漫才の中で出てきた言葉で「これはちょっと……」と思うものがあると、子どもたちに別の言葉で言い換えられないかと話すそうだ。そこで、子どもたちに「なんでこれを言ったらダメなの?」と聞かれるという。「そこからは、倫理の授業です(笑)」と小川さん。かみ砕いて説明すると、子どもたちは理解してくれるそうだ。

子どもたちに漫才を教える上で小川さんが大切にしていることは、「自分の力で考えてもらうこと」、そして「否定しないこと」だという。

「人と違ったことを言って批判されたり、笑われたりすると、恥ずかしくなりますよね。『自分の考えは重要じゃないかも』って感じる。それは、すごくもったいない。どんなアイデアでも僕は『それ、面白いかもしれへんで』って言います」

小川さんは、「子どもそれぞれのパーソナリティーをいかに広げるかが大事です」と語る。だが、集団生活ではその個性がマイナスになってしまうことがある。だからこそ、小川さんはこの道場を開いたのだ。

「学校生活の中でウィークポイントだったことが、漫才の世界ならストロングポイントになるかもしれない。心理的に安全な空間でお笑いをやろうっていうのが、この道場のチャレンジです」

小川さんは独身で、子どもはいない。そのためか、周囲の人に「子育てしてないくせに、子どものことなんてわからへんやろ」と言われることがあった。小川さんは「してないからこそ、わかることもあるんです」と語る。
 
「親御さんが大変なのはわかってます。24時間365日、時にストレスにさらされながら子育てしてるわけですから。僕らは言うて1日数時間のリミットがある。だからこそ万全の状態で子どもたちに向き合えるし、続けられるんです」

クリスマスの漫才イベントにて
写真提供=小川さん
クリスマスの漫才イベントにて - 写真提供=小川さん

■「ここにくれば安心」と思える場所にしたい

こどもお笑い道場から派生して、昨年からひとり親家庭やヤングケアラーのための支援事業も始めた。毎月第3土曜日に、子ども食堂やお弁当の提供などを行っている。

小川さんとともにこの事業に奔走するのは、取材に協力してくれた北村純さん。彼女は今年から共同経営者として小川さんの会社の代表も務めている。

「西淀川区には、助けを必要としているご家庭がたくさんいらっしゃいます。ごみが散乱している中で生活している子や親の介護で学校に行けない子もいました。今は大阪市からの助成金やこども家庭庁から予算を立ててもらえているので、だいぶできることが増えて。ネット通販をしている方から、物資を提供してもらえているのも助かっています」

この支援事業は軌道に乗っているというが、こどもお笑い道場との兼ね合いが難しいという。毎日生活することが大変な子どもたちは、お笑いどころではないのだろう。

だからこそ、小川さんたちは「すべて無料」を貫くのだ。いざ、子どもがやってみたいと思ったときに、金銭的なことを足枷にしたくない。漫才をしても、しなくても、みんなが「ここにくれば安心」と思える場所にしたい――。それが小川さんの願いだ。

■子どもたちが漫才に夢中になる本当の理由

2024年11月に開催された「全日本こどもお笑いコンテスト」では、こどもお笑い道場に通う小学5年生のけいじろう、あさひ、じゅんきのトリオ「ピンポンパントマト」が優勝した。冒頭に記述した、即興漫才を見せてくれた彼らである。彼らは今年尼崎キューズモールで行われた「Q1グランプリ」で、プロの芸人が出場するなか、3位に入賞する快挙を成し遂げた。

優勝した「ピンポンパントマト」
筆者撮影
こどもお笑いコンテストで優勝した「ピンポンパントマト」の3人 - 筆者撮影

同じく道場に通う最年少の「いとこチーム」と、盲目の小学生と母親の漫才コンビ「おちゃのは」も、今年のM-1グランプリで1回戦を突破している。

最年少の「いとこチーム」
筆者撮影
道場に通う最年少の「いとこチーム」。こはる、みなと、えいと、げんじゅの4人が元気いっぱいの漫才を披露した - 筆者撮影
特別賞の「おちゃのは」
筆者撮影
特別賞の「おちゃのは」。あいと、みほこの親子コンビが会場を沸かせた - 筆者撮影
横山博師匠の講評
筆者撮影
漫才が終わると横山ひろしさん(中央)が講評する - 筆者撮影

「今年のM-1決勝、子どもたちも楽しみにしています。2019年に身近な存在だったミルクボーイが優勝して、テレビの向こうの世界じゃなく、リアルな感覚があるのかもしれません」と小川さん。子どもたちが漫才に夢中になるのは、夢を実現する大人が身近にいるからかもしれない。

子どもたちの活躍は、地域の人たちの喜びにも繋がっている。「あそこで子どもたちがお笑いをしてるらしい」と噂が広まり、老人会や町内会から声がかかるそうだ。

そこでの子どもたちの人気は、まるでアイドルだ。子どもたちがマイクの前に登場すると、観覧者から大きな拍手で迎えられる。漫才を始める前は人前で立つことが苦手だった子たちは、いつしか大人たちの前で漫才を披露することで自信をつけ、堂々とした姿を見せるようになった――。

子どもたちのために旅行をしたり、縁日を開催いたりとイベントを行う
写真提供=小川さん
子どもたちのために旅行や縁日などイベントを定期的に開いている - 写真提供=小川さん

こどもお笑い道場を立ち上げて13年。最初に通っていた子どもたちは、立派な社会人に成長しているという。卒業生の1人はJR西日本に勤めており、彼女を連れてたびたび横っちょ座の公演を観に来るそうだ。きっと小川さんは彼の前で、お決まりの「チョップポーズ」をして漫才をするのだろう。

「こんなおっさんでも『がんばったら夢、叶うで』ってところを、子どもたちに見せたいですね」

小川さん
筆者撮影
人を笑顔にさせる漫才が、子どもたちを笑顔にしている

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池田 アユリ(いけだ・あゆり)
インタビューライター
愛知県出身。大手ブライダル企業に4年勤め、学生時代に始めた社交ダンスで2013年にプロデビュー。2020年からライターとして執筆活動を展開。現在は奈良県で社交ダンスの講師をしながら、誰かを勇気づける文章を目指して取材を行う。『大阪の生活史』(筑摩書房)にて聞き手を担当。4人姉妹の長女で1児の母。

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(インタビューライター 池田 アユリ)

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