これで文系でも天才数学者と同じ景色を見ることができる…現代数学の超難問をできる限りやさしく解説する
プレジデントオンライン / 2024年12月30日 9時15分
※本稿はNHK「笑わない数学」制作班編『笑わない数学2』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■超難問BSD予想とはどんな問題なのか
今回のテーマは「バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想」です。この難問を世に送り出した2人の数学者、ブライアン・バーチとピーター・スウィンナートン=ダイアーに敬意を表して名付けられました。ちょっと長いので、イニシャルをとって「BSD予想」とも呼ばれています。
このBSD予想、アメリカのクレイ数学研究所が100万ドルの賞金を懸けている「ミレニアム懸賞問題」のひとつなのです。21世紀の数学が向かうべき指針として掲げられたミレニアム懸賞問題については、2024年12月6日配信の「数学史に残る快挙を成し遂げた男は忽然と姿を消した…『決して近づいてはいけない難問』を解いた数学者の現在」でも紹介していますので、そちらもご覧ください。
このBSD予想、数学の問題としてもとっても難しいのですが、まずどんな問題なのか理解することが難しいのです。ですから今回の1つの目標は、BSD予想がどんな問題で、どんな重要性があるのか、それをお伝えしてみたいと思います。
とはいえ、いきなりBSD予想の本丸に切り込むのは荷が重いですから、少し簡単な話から始めていきましょう。
■入り口は数学で習った「座標」から
数学が得意であった方、理系の大学に進学した方は覚えているかもしれません。「方程式x²+y²=2で表される円周」という用語。いかがでしょうか。「方程式が円周(図形)を表すなんて聞いたことがない」と思う方も少なくないでしょう。
方程式と円(図形)が、どうつながるというのでしょうか?
方程式と図形をつなぐもの、それが「座標」です。座標とはある空間内での点の位置を示す住所のようなもので、数の組として表されます。
例えば将棋では、2七歩のように将棋盤のマス目を指定するのに「右から何行目、上から何段目」と表しますが、これと同じように平面上の点を「原点から右にいくつ、上にいくつ動いたか」と表すのです(ただし、数える方向は将棋と逆です)。
このように、数の組と対応づけて点の位置を捉える道具が座標です。座標の発明によって、図形の問題(幾何)を数の組の問題(代数)に、また逆に代数を幾何に結び付けることが可能になりました。
例として、原点O(0,0)を中心とする半径√2の円を考えてみましょう。この円周上の1点の座標をA(a,b)とすると、OA=√2と、三平方の定理から
a²+b²=2
です。これは、方程式x²+y²=2にAの座標(a,b)を代入すると、きちんと成り立つことを意味しています。逆に、方程式x²+y²=2に代入して成り立つ数の組(a,b)が座標として表す点をすべて集めると、原点Oを中心とする半径√2の円が浮かび上がります。つまり「方程式x²+y²=2が表す円周」とは原点Oを中心とする半径√2の円周に他なりません。
今回のテーマ「BSD予想」は、方程式が表す図形に関する超難問なのです。
■図形上にある「特別な点」を探す旅
BSD予想と比べたらとても簡単な問題を何問か考えてみましょう。
方程式x²+y²=2で表される円周上には、座標の値がともに整数である点はいくつあるか。
2つの座標の値がともに整数である点を「整点」と呼びます。方程式x²+y²=2が表す円周の図をよく見てみると、どうも
(x,y)=(1,1)、(-1,1)、(-1,-1)、(1,-1)
の4個の整点がありそうです。
実際に計算してみると、
・1²+1²=2……OK!
・(-1)²+1²=2……OK!
・(-1)²+(-1)²=2……OK!
・1²+(-1)²=2……OK!
となり、この4点は円x²+y²=2の上にあります。
そして、x²+y²=2を満たす整数の組(x,y)は、この4つしかないこともわかります。
では、次の問題はどうでしょうか?
方程式x²+y²=2で表される円周上には、座標の値がともに有理数である点はいくつあるか。
問題文は、先のものとよく似ていますね。ただ一カ所だけ、「座標がともに整数」のところが「座標がともに有理数」に変わっています。整点と同じように、2つの座標の値がともに有理数である点を「有理点」と呼びます。この問題は、どう考えたらいいでしょうか?
まず、整点A(1,1)は有理点の1つです。実は、この点を通り、傾きが有理数である直線Lを考えると、この直線Lと円周x²+y²=2の交点は必ず有理点になります。さらに、傾きが有理数である直線は無限個あることがわかっていますので、グラフ上の座標が有理数になる点もまた無限個ある、というわけなんです。
ある図形の上にある有理点を(すべて)見つけよ、という問題は「有理点を求める問題」と呼ばれています。
■古代ギリシャ時代から天才たちが夢中になった
……なんだか退屈そうな問題だな、って? 確かに、そう見えるかもしれません。
でも実は、この「有理点を求める問題」は、古代ギリシャの時代に誕生して以降、いろいろな方程式の整数解に挑んだフェルマーや、「笑わない数学」の常連中の常連であるオイラーやガウスなど、数々の天才たちが夢中になって取り組んだ、数学における一大テーマなんです!
数学史に詳しいマーカス・デュ・ソートイ博士は、有理点を求める問題の重要性をこう語ります。
「私たち数学者は、現在に至るまで2000年もの間、有理点を求める問題に夢中になってきました。有理点の問題は、決して何かの役に立つわけではないものの、数学の新しいアイデアをもたらす源となってきたのです。」
みなさん、グラフ上の有理点を求めるという、なんだか退屈にも見える問題が意外に大事なのかもということ、なんとなく感じていただけましたか?
■「特別な点」がないことも
ではここで、有理点にまつわるおもしろい現象を見ていただきましょう。
さっきの円周x²+y²=2上には、有理点が無限個ありました。ところが、半径をちょっと変えた円周x²+y²=3上には、一転して有理点が1つもないことがわかったのです。
方程式だけ見ているとほとんど差はないように感じますが、有理点に注目してみると状況がまったく違いますね。
いったい、どんな円なら有理点があって、どんな円なら有理点がなくなるのでしょうか? もっと一般的に、どんな曲線なら、どれほどたくさんの有理点があるのでしょうか?
フェルマーやオイラーなどのそうそうたる数学者たちが、有理点にまつわる不思議な現象に興味をもち、曲線上の有理点の様子を明らかにしていきました。
もしかして「有理点をコツコツ解き明かした数学者たちはきっとすごいんだろうけど、やっぱり有理点の問題って地味でぱっとしないなぁ……」なんて、思っていませんか? なんと、有理点の問題は、実はめちゃくちゃすごいことにつながっているんです!
円周上の有理点について解き明かした数学者たちは、さらに難しい曲線上の有理点の解明に乗り出していきました。そしてBSD予想を生み出す曲線「楕円曲線」に行きつくのです。
■曲線とBSD予想のつながり
いきなりですが、皆さんは楕円曲線を見たことがありますか? いくつか描いてみましょう。楕円曲線とは、こんな感じのぐにゃりと曲がった曲線です。
この楕円曲線上の有理点の問題はとてつもなく奥の深いものでした。この難問へのチャレンジが、今回のテーマ「BSD予想」を生み出します!
では、楕円曲線上の有理点を考えてみましょう。まずはこの楕円曲線から。
楕円曲線y²=x³+1上の有理点の個数は?
まず、グラフをじっと見ると、(-1,0)と(0,±1)の3個、有理点がありますね。
では、この3点で全部かというと、実はそうではありません。
2個の有理点(-1,0)と(0,1)を通る直線と楕円曲線との交点(2,3)も有理点。同じように(2,-3)も有理点で、これで5個です。
実は、この5個以外には有理点がないことが証明できるので、y²=x³+1の有理点は
(-1,0)、(0,±1)、(2,±3)
の5個だけと決定できました。
■次から次へと点が生まれる
ではもう1問。
楕円曲線y²=x³+2上の有理点の個数は?
この楕円曲線も、グラフから(-1,±1)が見つけられます。
この2点を結ぶと……この直線はもう楕円曲線とは交わりません。ですから、他の方法を考えたいところです。
そんなときは、楕円曲線上の(-1,1)での「接線」を引いてみましょう。(-1,1)での接線とこの楕円曲線の交点をちゃんと計算すると有理点になっています。
この新たな有理点が見つかったことで、次から次へと、芋づる式に有理点が見つかっていきます。問題1のように、新たに見つかった有理点と、すでにあった有理点を結ぶ直線と楕円曲線との交点、またその点と既存の点を結んだ直線との交点、と、次々に繰り返します。
このようにして新たな有理点を無数に見つけ出すことができます。つまり、この楕円曲線y²=x³+2上には、無限個の有理点が存在するのです。
■無限個のグループが2つも…
さらにもう1問。
楕円曲線y²=x³+17上の有理点の個数は?
グラフから(-1,±4)が有理点だとわかりますが、これらから始めて、接線と楕円曲線との交点、有理点どうしを結んだ直線と楕円曲線との交点、……と繰り返していくと、さっきと同じようにこの操作は無限に繰り返せて、有理点は無限個存在しています。
ところが、です。この楕円曲線には、このように見つかる有理点のグループとは別に、さらに無限個の有理点のグループがあるのです。先ほどは(-1,4)を出発点にしましたが、別の有理点(4,9)を出発点として同じ手続きを繰り返すことで、(-1,4)からの手続きでは探し出せなかった有理点が、さらに無限個見つかってしまうのです。
言ってみれば、この楕円曲線には無限個の有理点のグループが2セットある、つまり
y²=x³+17上の有理点の個数=無限個×2
だと言うのです。
ここまででも楕円曲線上の有理点の個数は曲線によってさまざまで、一言では言い表せないことがわかったと思います。円周上の有理点が「ない、または無限個」とスパッと言い表せたのとは、だいぶ状況が違いますね。
そして実は、無限個の有理点のグループが3セットや、4セットの楕円曲線だって見つかっているんです。
■ようやく見えてきBSD予想
ところで皆さんは、楕円曲線の有理点の個数なんて、ちょっと頑張ればすぐわかるんだろうって思っていませんか? 実はこれ、むちゃくちゃ難しいんです。
例えば3セットの楕円曲線が初めて見つかったのは1938年、4セットの楕円曲線が見つかったのは1945年のことでした。5セットの楕円曲線は、なんと1986年まで発見できませんでした。楕円曲線上の有理点の問題が一筋縄ではいかない難問であることは、こんなところからも見えてきます。
楕円曲線の方程式が指定されていても、その無限個の有理点のグループが何セットあるのか、方程式から簡単に計算する手段はまったくなかったのです。
そろそろ、BSD予想とはどんな問題なのか、うっすら見えてきたのではないでしょうか? そう、この予想は、楕円曲線上の有理点の個数の計算方法に挑む問題なのです。
■英名門大の2人が行った画期的な手法
1950年代半ば、イギリスのケンブリッジ大学に、純粋数学で名を挙げたいと燃えていた2人の数学者がいました。その2人が既に紹介したバーチと、スウィンナートン=ダイアー。後にBSDとして知られる数学者のコンビです。
楕円曲線上の有理点の謎、つまり
楕円曲線の方程式が与えられたとき、無限個の有理点のグループが何セットあるかを、どうすれば決定できるのか?
という問題は、当時から超難問として恐れられていました。しかし、BSDの2人は、それまでにはなかった画期的な方法で、このように計算できるに違いない! という予想を打ち立てたのです!
この問題に挑むにあたって、BSDの2人が選んだ道具は、当時、まだ登場して間もなかったコンピュータでした。コンピュータを使った膨大な数値計算から、楕円曲線上の有理点の謎に迫ろうと考えたのです。
BSDの2人は、さまざまな楕円曲線についての基本的な情報を、コンピュータで地道に計算することから始めました。そして、得られたデータをさらにコンピュータでまとめ、結果をグラフに記入し続けたのです。
実に6年もの時間をかけて計算結果をまとめた結果、2人はそのグラフの傾きとして、無限個の有理点のグループが何セットあるかが読み取れそうだと気づきます。誰も想像もしなかった、驚きの手法でした。
2人の予想を数学の言葉で書くと、こうなります。
皆さん! BSD予想にやっとたどり着きました! 今、皆さんは数学の、ひとつの最先端に立っています。そんな感覚を少しでももってもらえたら嬉しいです。
最後に、BSD予想の意義について、マーカス・デュ・ソートイ博士は次のように言います。
「BSDの2人が、楕円曲線上の有理点の謎が計算できる可能性を示したことは、大きな驚きでした。数学者たちが2000年も行き詰っていた問題に、まったく新しい視点を与えたのですから。数論において、実に革命的な瞬間でした」
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(NHK「笑わない数学」制作班)
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