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「国際弁護士ってことになってるから」帰省が憂鬱でしかたない"高学歴難民"になった30代男性が漏らした本音

プレジデントオンライン / 2024年12月31日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MikeSaran

年末年始などに実家に帰省する際、苦しい思いをしている人たちがいる。NPO法人代表の阿部恭子さんは「私が話を聞いてきた高学歴で定職に就けずにいる人たちは、地元に帰るたびに肩身の狭い思いをしている。過去の栄光とのギャップに苦しみ、家族や地元の友人たちと会うことに苦痛を感じている」という――。

■親戚のなかでは“ダントツの高学歴”だったが…

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、忘年会や年末年始の帰省ができなくなった時期があったが、数年前から平常に戻り、そうした恒例の行事を面倒に感じるという人々も少なくはないのではないだろうか。

今回は、年末年始、地方の実家に帰省することが憂鬱(ゆううつ)で仕方がない「高学歴難民」。つまり、高学歴にもかかわらず、定職に就けずにいる人々に焦点を当てたい。彼らにとって帰省は、優秀だった過去の自分と現在のギャップを思い知らされる過酷な旅となっている。

なお、個人が特定されない範囲で修正を加え、名前はすべて仮名である。

【事例① 地元では優秀だったが、大学院に進学し年収100万円に】

西田勉(30代)は、四国で生まれ育ち、地元の進学校から東京都内の有名私立大学に合格し上京した。

「高校の同級生には東大に行く人もいたし、僕はトップクラスとは言えなかったかもしれませんが、中学では常にトップで、親戚の中ではダントツの高学歴でした」

勉は上京してから、毎年、帰省を楽しみにしており、中学高校の同窓会には必ず出席し、新年に集まる親戚の中では鼻高々だった。ところが……、

「大学院に進学してから社会人の友人とは話が合わなくなり、だんだんと帰省しなくなりました」

勉は、文系の大学院に進学したが30歳を過ぎても定職に就けないまま、非常勤講師を掛け持ちし、現在の年収は100万程度しかない。塾講師のアルバイトをしていたが、年々、生徒や保護者からの評価が厳しくなり、十分な成果を上げられずクビになっていた。

■「いまだにスタート地点に立てずにいます」

少子化の影響で、かつては高学歴難民の受け皿となっていた塾や家庭教師の職も減っており、待遇のいい会社では、それだけ受験勉強のプロとしての能力を問われる。

「こんな惨めな生活をしていることは、絶対に地元の連中に知られたくはありませんし、地元に行くこと自体、嫌なのですが、実家から仕送りをしてもらっているので帰らないわけにはいかないんですよ……」

親戚は既に皆、自分の家庭を持っており、まったく話が噛み合わないという。大学に入学したばかりの頃は、東京の街の様子や大学生活について興味津々に尋ねられたが、今では完全に無視されている。

「順風満帆な生活を送っている中高の同級生の話にはとことん、打ちのめされます……」

地元の私大を卒業し、地元の役所や企業に勤めた彼らのほうが、勉よりずっと年収が高く、ゆとりのある暮らしをしているのだ。留学をしたり、資格を取ったりと、第二の人生を始めている人々もいるという。

「どこで道を間違えたのか……、僕はいまだにスタート地点に立てずにいます。もうここまでくると、逆転の人生はないと諦めていますが……」

■「司法試験を受けて転職する」と伝えていたが…

帰省先ではどのように過ごすのか。

「とにかく、友人に会わないように家に引きこもっています。誰にも見られたくなくて、実家の最寄り駅に着いてからは、ずっとマスクで顔を隠して歩いています。指名手配犯のような生活ですね」

罪を犯したわけでもないのに、後ろめたさが付きまとうのだという。

「生まれ故郷なので、いつかマスクを外せる日が来ればいいですが……」

【事例② 母親に「息子は国際弁護士」と言いふらされた男性】

北野友也(30代)は、中国地方の人口の少ない町で生まれ育った。両親は非常に教育熱心だったことから、友也は幼い頃から成績が良く、東京の有名国立大学に合格し、卒業後は大手商社に勤務していた。

順風満帆に思われていたが、仕事のストレスで鬱病になり、数年で退社することになった。

「内定をもらった時、両親はすごく喜んでいたので、病気の事は話せませんでした。それで、会社を辞めるのは、司法試験を受験して法曹資格を取得して、転職するからと伝えていたんです……」

外階段に座り込み、頭を抱えて苦悩している男性
写真=iStock.com/tuaindeed
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tuaindeed

ところが、病気の影響で集中力が戻らず、試験勉強に着手することができなかった。しばらく通院する生活が続いていたが、最近、障害者雇用で採用してもらえる会社を見つけ、社会復帰の可能性が見えてきた。

給料は、商社の半分だが仕方がない。自分一人で自立して生活できればそれでよいと考えるようになっていた。

■「あの子が受かったんだから、受からないわけないよね」

しかし、実家の両親は落胆するに違いない……。友也は事実を伝えることができずにいた。

「年末、帰省したくはないのですが、姉に子どもが生まれてから、親の世話を押し付けられるんです。『長男なんだから年末くらい面倒見ろ』ってね……」

昨年、嫌々ながら久々に実家に足を運ぶと、大変なことが起きていた。近所に住む知り合いと会った時、

「友くん、日本に戻ってきたの? 頑張ってるね! 今度、飲みながらゆっくり話聞かせて」

と、身に覚えのないことを言われたのだった。

友也はまさかと思い、母親に問い詰めると、

「友くん最近見ない、どうしてるって聞かれるから、『国際弁護士になった』って言ったのよ」

と驚くべき答えが返ってきたのだ。

「国際弁護士ってなんだよ!」
「あれ、眞子さまのダンナもそうでしょ?」
「そういうことじゃなくて……」
「友くんだったらなれるでしょ? 高校で一番だったんだから!」

母親は見栄っ張りで、時々、嘘をつくのだ。姉の夫は普通のサラリーマンだが、かなり高給取りのような話を近所に言いふらしていた。確かに、高校までの友也は成績優秀だった。高校の同級生のひとりは東大を出て司法試験に合格し、地元で弁護士をしている。母はいまだに負けず嫌いで、司法試験の話を出した時、

「あの子が受かったんだから、友くんが受からないわけないわよね。高校で一番だったんだから」

と、昔の息子が健在だと信じて疑わないのだ。

話し合いをする男女
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

■実家に戻るたびに嘘をつかなければいけない

「時間がかかると思うけど、いいでしょ? いつかなるんだから」

そう言われると、友也は「もう、その気がない」とは言えなかった。

東京に戻るとき、

「彼女に料理してもらいなさいよ、いるんでしょ?」

と、沢山の野菜や果物を友也に持たせた。そんな相手はいないが、やはり本当の事は伝えられなかった。友也には、長年、理想の息子を演じる癖が染みついているのだ。

「本来、実家って、気を使わなくていい空間だと思うのですが、うちは違うんです。いつも嘘や言い訳を用意しなくちゃならない……。今年はなんて誤魔化そうか、何を言いふらされているのか、年末に近づくにつれて憂鬱です……」

年末年始という家族が集う時期、家族の事で頭を悩ませている人々も多い。生まれ育った故郷で、消したい過去と対峙(たいじ)しなければならない状況に頭を抱えている人々も存在している。未来が拓けるかどうかは、過去と決別できるかにかかっているのではないだろうか。

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阿部 恭子(あべ・きょうこ)
NPO法人World Open Heart理事長
東北大学大学院法学研究科博士課程前期修了(法学修士)。2008年大学院在籍中に、社会的差別と自殺の調査・研究を目的とした任意団体World Open Heartを設立。宮城県仙台市を拠点として、全国で初めて犯罪加害者家族を対象とした各種相談業務や同行支援などの直接的支援と啓発活動を開始、全国の加害者家族からの相談に対応している。著書に『息子が人を殺しました』(幻冬舎新書)、『加害者家族を支援する』(岩波書店)、『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)、『高学歴難民』(講談社現代新書)がある。

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(NPO法人World Open Heart理事長 阿部 恭子)

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