30歳までダラダラ野球を続けるのは「甘え」である…トヨタ社員が「生涯年収3億円」を捨てて脱サラした理由
プレジデントオンライン / 2025年1月14日 8時15分
■野村不動産会長の父への「対抗心」
侍ジャパン社会人日本代表で4番を経験した男は今、野球とは違うフィールドで輝きを放っている。沓掛祥和(くつかけよしかず)さんは、トヨタ自動車(愛知県豊田市)を退社後、独立リーグの球団経営などに携わり、2024年5月、29歳で「マウイ」を創業。学習塾「みやうち塾」の経営に参画しながら、パートナー企業の営業や採用の支援などを行っている。
「学習塾は神奈川県の横浜市と川崎市に15店舗あり、2025年は10店舗をプラスして25店舗になる予定です。2030年までには200店舗作って、地域密着でシェアを獲りにいくという目標を立てています」
沓掛さんは横浜市出身。幼稚園時代は福井県にいたが、小1で帰浜し、青春時代のほとんどを横浜の地で過ごした。父の英二さんは、野村不動産ホールディングス会長を務めるほどのエリート。沓掛さんが30歳を前に事業を興したのは、父に対する「対抗心もあった」という。
「親父からは『金融にいけ』と言われていましたが、僕は結局事業会社を立ち上げました。レールの上には乗りたくなくて、何か反抗しちゃうんですよね。親父に教わったことは、『結局は人』だということ。それを守って、人への義理だけはしっかりしようと思いました」
■中学卒業後は髪を「真っ赤」に
野球と勉強。文武両道で進路を切り開き、多くの人脈を作ってきた。6歳上の兄と、3歳上の姉が野球をやっていたこともあり、自身も気づけばボールとバットを握りしめていた。4歳から野球を始めると、中学では硬式の「横浜東金沢リトルシニア」で全国優勝を経験。そして2010年4月、慶應義塾高の門をくぐった。
「兄も姉も、大学の附属校でどちらも大学受験をしていないんです。僕も附属校がいいなと思っていて、シニアの中では勉強はできたほうなので、頭もよくて野球も強いところに行きたくて慶應を受験しました」
慶應では自由な校風の中で伸び伸びと個性を育んでいった。中学卒業後に髪の毛を赤に染色。高校の入学式前に黒色に染め直したが、太陽光に反射して赤色があらわとなり、先生や先輩たちに露見してしまった。
「エンジョイ・ベースボール」の旗の下、長髪をなびかせる野球部の中で丸刈りからのスタートとなったが、「奔放だった自分でも慶應の野球部は受け入れてくれました。素晴らしいというか、懐が深いですよね」と懐かしげに振り返る。
■「勝てなくて当たり前」は言い訳
野球の実力は折り紙付きで、強打の内野手として期待されていたが、自分より先に1年夏からベンチ入りを果たした捕手がいた。木村健人さん。高校、大学の7年間、ともに白球を追った球友と、「マウイ」を立ち上げるなど、今でも縁は続いている。
沓掛さんは2年で4番打者、3年からは1番打者を任されたが、甲子園は遠かった。横浜高、東海大相模高など、野球強豪校がひしめく神奈川を勝ち上がるのは至難の業だ。ただ、そこで「野球ばかりやっている訳じゃないので、勝てなくて当たり前」と言い訳を探していることに気づいたという。
社会に出れば、年齢や性別すらも関係なく、同じ土俵で戦わなければならない。高校野球は、沓掛さんの人間形成において、甲子園出場以上に価値のあることを教えてくれた。
内部進学した慶應義塾大では、1年春からリーグ戦デビューを果たした。2年時は原因不明の膝痛(のちに痛風と判明)で、秋の3打席のみの出場に終わったが、3年春からレギュラーに定着。4年春には3本塁打を放ち、同学年の柳裕也(明治大―中日)や石井一成(早稲田大―日本ハム)、2学年下の小島和哉(早稲田大―ロッテ)らと東京六大学選抜の一員に選ばれた。この時には社会人入りを決めていたが、のちにプロで活躍するメンバーに囲まれ、考えは揺らがなかったのだろうか。
■大学との野球観の違いに苦しんだトヨタ時代
「プロに行きたかったですが、何が何でもプロかというと、多分そうじゃなかったかもしれません。社会人に行ってからでもプロで活躍できるんじゃないかという生意気な考えは持っていましたね」
大学では1学年上で、同じ右の長距離砲である横尾俊建さん(日本ハムコーチ)に師事。中堅から右打ちを徹底的に繰り返した。4年間で通算5本塁打を放つなど長打の伸びしろを残したまま、社会人野球の名門であるトヨタ自動車へと進んだ。
「高校の時と違って、大学は右方向のヒットが多かったですね。内角を流すほうが簡単でした。慶應では本当に自由にやらせてもらいました。今振り返るとやっぱり凄い学校だなと感じます」
トヨタ自動車では自由だった大学との野球観の違いに苦しんだが、それでも出場した試合では打ち続け、1年目は打率3割7分をマーク。通常であればレギュラーでもおかしくないが、ベンチからスタートする日々が続いた。
■キャンプの夜、宿泊先のホテルから飛び降りようと…
社会人2年目の沖縄キャンプでも結果を残すことができず、宿泊先のホテルから飛び降りようとする自分がいた。
「本当に死んだほうが楽だと思うところまでいきました。でも、そこで、『あれ、俺は今まで本気で野球をやっていたかな』と思って踏みとどまったんです」
失意のどん底から這い上がった人間は強い。そこから麻雀やカラオケなどの遊びを封印し、24時間365日、野球のことだけを考えた。
「あと2年、本気でやってみようと思ってから変わりましたね。ベストナイン、橋戸賞(都市対抗のMVP)、社会人の侍ジャパンにも選ばれて、タイトルを全部かっさらってから辞めようと心に決めました」
試合に出続けるため、まずは首脳陣に本気度をアピールし、苦手とする一塁守備から徹底的に鍛え直した。打撃では長打率を上げるための改善方法をA4のレポート用紙にまとめ、所属部署の部長に提出。データとして明確に出た答えは「高めと真ん中の“T字”ゾーンを打った時は長打になりやすい」ということだった。
■個人タイトルを制覇しても足りなかったもの
「長打率を上げるために、2ストライクまでは高めのボールだけを“マン振り”で打ちにいったら、本塁打が増えました。追い込まれたり、得点圏に走者が出たりすれば、大学時代にやっていた右打ちに切り替えることで、打点も増えていきました」
そして3年目の2019年。沓掛さんは4番打者としてアマチュア最高峰の大会である都市対抗で準優勝に貢献し、打撃賞を受賞。年間ベストナイン、打点王(20打点)、本塁打王(6本塁打)など、数々の個人タイトルを総なめにした。
さらに、侍ジャパン社会人日本代表にも初選出され、アジア選手権で銀メダルを獲得。有言実行の活躍を果たし、引退も頭をよぎったが、都市対抗決勝で3打数3安打と活躍してもチームを優勝に導けなかった4番の責任感から、あと1年間、現役続行を決意した。
そして2020年、日本一で有終の美を飾ろうと意気込んだが、新型コロナウイルスの世界的流行が猛威を振るう。春先から練習も試合もできず「ラスト1年なのに……」と悶々とした日々が続く。ただ、コロナ禍は、改めて自分の将来を考える上で大切な期間となった。「最後は自分を育て、成長させてくれたトヨタに恩返しをして辞めよう」。都市対抗制覇のため、自身でプレゼン資料を作り、首脳陣にチーム改善を提案した。
ただ、東京五輪の影響で11月開幕となっていた都市対抗予選前にはスタメンを外されることもあった。そのため、予選から調子をピークに持っていき、アピールする必要があった。そのひずみからか、都市対抗本戦では不調の波に襲われ、3打数無安打で初戦敗退。試合翌日、監督に「最後は自分の実力不足です。社会人野球人生、燃え尽きました」と現役引退、同時に退職の旨を伝えた。
■社会から「甘えるなよ」と言われてしまう前に
「自分から野球を辞める人はいても、そのままトヨタを辞める人はいないんじゃないでしょうか。怒られた経験のほうが多いですが、自分を人間的に成長させてくれたのはトヨタだと胸を張って言えますし、見捨てずに僕を怒り続けてくれて本当に感謝しています。コーチとの関係も良好で、今でもご飯に行くなど、恩師だと思っています。その後は有給を使って、2021年1月中旬頃に退職して、3カ月ぐらい何もしませんでした」
トヨタ自動車といえば、日本で一番大きな売上高を誇る大企業。3億円をゆうに超える生涯年収を捨てることへの不安はなかったのだろうか。
「僕は26歳で辞めましたが、30歳までギリギリ3、4年あるし、まだリカバリーできるんじゃないかと思っていました。これが30歳を超えて、トヨタで野球をやっていましたと言っても、社会から『甘えるなよ』ということになる危機感もありました。本当は25歳で辞める予定だったので、26歳で辞めた時、『30歳まであと4年しかない!』と思いました」
ただ、退社して3カ月間、本当に何もしなかった訳ではなかった。とりあえず「名刺代わりに」本を出版しようとしていた時に、高校、大学の先輩にあたる起業家の福山敦士さんと出会った。
「福山さんに『どうやったら本が書けますか』と訪ねたところ『100社いけば1社は引っかかる』と言うんです。意外と簡単なことだと思い、そこから電話で営業をかけていって、自分に興味のある出版社を見つけました」
■泥臭いことがやれる「元野球選手」の強み
そうして約半年間で10万字を書き上げ『マン振り思考 生意気小僧の僕が野球で本気になれたワケ』(東洋館出版社)の出版にこぎつけると、福山氏が当時関わっていた営業支援会社の「ギグセールス(現DORIRU)」(東京都渋谷区)を手伝うようになる。そこで、参画からわずか数カ月の短期間で営業成績トップの結果を残した。ビジネスと野球が通じていることに気づかされた瞬間だった。
「野球の経験は本当に生きています。まずは、意外とみんなやらないのですが、泥臭いこと、面倒くさいことができること。あとは、野球で得た思考の深さです。なんで打てないのかと、どうやって売り上げを作るのかって、2つとも『なぜなぜ』を考えるじゃないですか。自分は結構深くまで原因を探って、戦略を練るタイプだと思っています」
その後、「ギグセールス」で事業本部長まで上り詰め、数々の新規事業開発を経験した後、2023年に福山さんらと「マネーボール」(香川県高松市)を設立。独立リーグの「香川オリーブガイナーズ」を傘下に置き、球団経営にも携わった。
「香川でも営業活動をしていましたが、きつかったですね。ギグセールスでは1000万円とか平気で売り上げていましたが、香川では年間10万円のユニホームの広告料ですら売れないんです。商材が変わるだけで、こんなに売れないものかと感じました」
■トヨタ時代の苦難があったからこそ今がある
独立リーグの経営の厳しさを知り、1年足らずで香川から神奈川へと戻った。2024年に「マウイ」を創業し、軸となる事業を探していた矢先、大学野球部の同期で、「みやうち塾」の塾長を務める池畠悠さんと再会。学校の授業を先取りで進め、原理から理解させ、圧倒的な演習量で定着していく指導方針などに共感を受けた。
「塾の授業や仕組みを見て、面白いなと思いました。池畠は勉強を教えることができる。じゃあ俺は店舗を増やすための営業をするわ、となったので、合弁会社(2つ以上の企業が共通の利益のための事業遂行を目的として設立し、共同で経営される会社)を作って一緒にやっています」
「マウイ」の1期目の売り上げは、合弁会社と合わせて1億円に達する見込み。死まで覚悟した野球エリートは、父譲りの商才や、多くの人脈に支えられ、経営者として本格的なスタートを切った。
「トヨタの時に本当に飛び降りるぐらいまで追い詰められることはもうないかなという感じです。あれを経験すれば、別に怖いものはありません。これまで辞めた会社とも仲良くやっています。応援してくれなかったら、自分がそれまでの人間じゃないですか」
大企業の看板を外し、「沓掛祥和」の名で勝負する長い旅路は、まだ始まったばかり。その試みを応援してくれる人たちのためにも、走り続ける。
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スポーツライター
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社ではプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツビジネス全般を行う。
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(スポーツライター 内田 勝治)
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