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だからNHKは「女性の全裸遺体」をあえて映した…大河のお約束を破壊する「べらぼう」は傑作になる予感しかない

プレジデントオンライン / 2025年1月12日 8時15分

画像=プレスリリースより

2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」がスタートした。なぜ江戸時代の遊郭・吉原を主な舞台に据えたのか。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「大河ドラマが『新たなフェーズ』に入ったあらわれである」という――。

■日曜夜の「ゴールデンタイム」に…

その映像に、息を呑んだ。

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の番組開始から33分が過ぎたころ、主人公の蔦屋重三郎(横浜流星)が駆けつけた先には、4人の女性の裸体が並んでいた。亡くなって寺に投げ込まれた遊女の遺体である。遺体は、身ぐるみをはがされて、うつぶせのまま、打ち捨てられていた。遊女たちは、まともな食べ物も与えられず、劣悪な衛生状態で病にふせった挙句に命を落としたばかりか、着物までも持ち去られる。

日曜夜のゴールデンタイムに見ていた視聴者の多くは、驚きを隠せなかったのではないか。

SNSでの反響をまとめた多くの「こたつ記事」が書かれただけではなく、Yahoo!ニュースは、フリーライターの木俣冬氏による、「#専門家のまとめ」を掲載した。

「大河ドラマを中学受験対策としてチェックしておくように」と、塾で言われた9歳の私の娘とともに見ていたから、わが家には、気まずさというか、戸惑う空気が流れた。けれども娘は、一瞬、目を背けたものの、それでも最後までドラマを見続けたし、「次も見たい」と言う。

■吉原をテーマにした展覧会をめぐる「炎上」

娘の反応を見ながら、私は、去年あった、ひとつの「騒動」を思い出していた。東京藝術大学大学美術館で開催された「大吉原展」の炎上である。「べらぼう」と同じ「吉原」をテーマにした展覧会が、開催前に多くの批判にさらされた、あの「騒動」である。

およそ1年前、私は、「アートだから許される」が通用しなくなったのは、「たかがアート」の視点が欠けているからではないか、との文章を、本サイトに寄せた(なぜ開催されてもいない「大吉原展」が炎上するのか…「アートだから許される」が通用しなくなった根本原因)。たとえ、会場となった東京藝術大学美術館のような公的機関が主催する展覧会であったとしても、アートは非力であり、だからこそ魅力がある。その立場から考え直したい、と結んだ。

そうすると、今回の「べらぼう」もまた、「たかがテレビドラマ」だととらえれば良いのだろうか。日曜夜8時に放送され、小中学生も見るものの、それでも、しょせん、フィクションにすぎない、と深刻に受け止めすぎなければ済むのだろうか。

■「悲惨な境遇」と「江戸の繁栄」

もちろん、そうではない。

国内最大のソープランド街である吉原では、いまも売春が行われている。お金を払ってセックスをする店の密集地でありつづけている。売買春は、江戸時代で終わったわけではないどころか、現在の話である。

それだけではない。

「べらぼう」の時代考証・指導を担当する鈴木俊幸氏が、「江戸の人間にとって、吉原ってのは自慢の土地なんです。もちろん、そこには女性たちの悲惨な境遇があって、その点はきちんと直視しなくちゃいけない。ただ、事実として、吉原というのは江戸の繁栄を象徴するスポットだったんですね」と「文春オンライン」の対談で述べたとしても、それでも、すべてをポジティブには考えにくい。

鈴木氏が強調する「悲惨な境遇」と「江戸の繁栄」、その2つの性格を「事実として」持っているから、吉原に対する態度が、両極端にわかれがちになるのではないか。

浄閑寺
東京都荒川区の浄閑寺。吉原の遊女たちの遺体が投げ込み同様に葬られたことから、通称「投込寺」とも呼ばれる。(写真=あばさー/PD-self/Wikimedia Commons)

■「事実として」の姿を示そうとしている

いっぽうでは、「女性たちの悲惨な境遇」にフォーカスし、ともすれば断罪するだけに走る。いかに、彼女たちがかわいそうだったのか。遊女たちは、そもそも身を売られてきたのであり、その後も、搾取しつづけられるだけではなかったのか。「べらぼう」の全裸遺体が、何よりの証拠だ、というわけである。

他方では、「江戸の繁栄」をもてはやし、華やかな楽園として褒め称えようとする。漫画家の岡崎京子氏が、バブル期のホテトル嬢を描いた傑作『pink』(マガジンハウス)の「あとがき」で、「すべての仕事は売春である」と言っているように、誰もが、性と金を、時には嬉々として交換してきたではないか、というわけである。

NHKが看板番組=大河ドラマで、「吉原」を舞台にしたのは、まさに、こうした両極端の態度ではない、「事実として」の姿を示そうとしたのではないか。

■「いや、なんか、提案されたので」

「べらぼう」の演出を担当する大原拓氏は、「この時代を描くのも初めてですし、吉原が舞台になるのも初めて」と語っている。

また、制作統括の藤並英樹氏は、直近のドラマ「大奥」や、8年前の大河ドラマ「おんな城主 直虎」でも共にした、脚本家の森下佳子氏について、次のように讃えている。

資料に乏しい人物のキャラクターとその関係性を膨らませ、現代に通じるテーマをエンターテインメントに昇華させる手腕に毎回感嘆します。森下さんは、手に入る文献をすべて読み込み、作品に落とし込んでいます(*1)
(『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 前編』、NHK出版)

とすれば、さぞかし、森下氏の思い入れは強いにちがいない。

そんな期待は、肩透かしを食う。森下氏は、「いや、なんか、提案されたので」と、あっさりと答えているからである(「ほぼ日刊イトイ新聞」)。

■脚本家・森下佳子氏の「戦略」

なるほど、「吉原」のガイドブック「吉原細見」を、蔦屋重三郎が「薄く、平たくして、情報をわかりやすくして、っていう発想は、すごくリクルート的で。だからこれは、私が書いてもいい人なんじゃないかなと」とも森下氏は述べている。

東京大学文学部宗教学科を卒業して、リクルートに勤めていた森下氏にとって、主役の蔦重は、親近感を抱ける存在ではある。

しかし、「おんな城主 直虎」や「大奥」にとどまらず、2013年~2014年の朝ドラ「ごちそうさん」、そして、「ギボムス」こと「義母と娘のブルース」(TBS系列)や、「ファーストペンギン!」(日本テレビ系列)に至るまで、女性主人公のキャラクター造形に長けているとされる森下氏が、なぜ、「吉原」を表現するのに、蔦重を主人公にしたのか。

ここに森下氏の戦略がある。

昨年放送されたテレビ朝日プレミアムドラマ「ブラック・ジャック」にせよ、代表作のひとつ「JIN 仁」(TBS系列)にせよ、森下氏がつくる男性主人公は、ダークヒーローであれ、清い人物であれ、狂言回しとして、女性を引き立てる。いや、引き立てるというよりも、男性/女性の境目を、いつのまにか、ゆるがす役割を担っている。

今回、「蔦重を横浜流星さんが明るくパワフルに演じてくださる(*2)」上で、「吉原」で話を進めるのも、こんな森下氏の戦略の賜物である。

『箱入娘面屋人魚』(部分)
『箱入娘面屋人魚』中の蔦屋重三郎(画像=山東京伝/国立国会図書館デジタルコレクション/PD-Japan/Wikimedia Commons)

■「ただ描くから見てほしい」

森下氏へのインタビューを見聞きするなかで、もっとも印象に残ったのは、NHKのラジオでの発言だった。「吉原」を舞台とした理由について森下氏は、次のように語っている。

まず、この時代に大事だったことは、明日を生きていくことであって、それを「吉原」は助ける装置ではあった。「もう食えない」、「一家、このままだと死んでしまう」っていう時に、「じゃあ私、身売りに行くわ」とか「お前、身売りに行ってくれよ」っていう人を否定もできないというか(*3)
(ラジオ第1「NHKジャーナル」)

こうした貧困の構図は、いまも形を変えて続いている、とした上で、「ただ(「吉原」を)描くから(ドラマを)見てほしいと思ってる。悪いところもいいところも両方描くから、それをわかった上で当事者の人たちが、なんかこう動いていける材料になればなっていう感じですかね」と言う。

NHK放送センター
写真=iStock.com/mizoula
NHK ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula

■大河ドラマは「新たなフェーズ」に入った

おりしも、米国では、テレビドラマシリーズ「SHOGUN 将軍」(Disney+)が高く評価されたり、日本国内では、映画『侍タイムスリッパー』が興行収入を上積みしたり、と、「時代劇」が、あらためて脚光を浴びている。「時代劇」は、あきらかに新たなステージに入ったのである。

これまでの大河ドラマの「お約束」は、豊臣秀吉や源頼朝といった武将、あるいは坂本龍馬や西郷隆盛といった幕末の志士が主人公であり、政治の世界から「日本の歴史を創った」偉人の紆余曲折や波乱万丈を描き出すことだった。

しかし、それでは、見ている側だけではなく、作り手側も満ち足りなくなっているのである。

商人・文化人である蔦屋重三郎を主人公に据え、「吉原」を、あえていま取り上げるのは、チーフ演出の大原拓氏が語るとおり「大河ドラマは新たなフェーズに入っていく時機を迎えました。視聴者の視点も加わって、今作の世界観はどんどん広がっていく(*4)」からである。

■「おんな城主 直虎」で切り開いたもの

ほかならぬ森下氏こそ、この「新たなフェーズ」を「おんな城主 直虎」で切り開いていた。社会学者の佐藤俊樹氏が高く評価したとおり、それは、「(歴史上有名な男性の近くにいた女性を主人公にする)「おんな大河」的な、ジェンダー&政治的配慮の無意味さと時代遅れを、徹底的に見せつけた(*5)」ドラマだった。

「べらぼう」で、「ヌードや性的な描写があるときに、俳優が精神的にも、身体的にも、安心安全に演じることができ、かつ演出家の求めるビジョンを最大限に実現するためのスタッフ(*6)」であるインティマシー・コーディネーターを導入したのも、そのあらわれにほかならない。

■ドラマを「見る側」が問われている

私は、この文章を書くにあたって、ガイドブック(*7)で第16回までの「あらすじ」を読み、豊田美加氏によるノベライズ(*8)を読了し、不覚にも涙を抑えきれなかった。その理由は、ほどなくして、多くの視聴者とも、あるいは、私の娘とも共有するにちがいない。

「吉原」を、「ただ描く」、その覚悟が、「あらすじ」やノベライズの隅々に行き渡っている。「べらぼう」を見る側の覚悟が、問われている。

いや、脚本の世界で「仕事ができる人」を「特殊な能力がある人ということではなく、起承転結をつけてものを伝える文章が書ける、締切を守れる、下調べをやれと言われたとき下調べをちゃんとやってこられる、そういった基本的なことがしっかりできる人」(「東大新聞オンライン」)だと定義する森下氏にとって、「べらぼう」もまた、そうした職業倫理に正直なだけなのかもしれない。

参考文献
(*1)藤並英樹「現代とリンクする娯楽時代劇として、走り続ける蔦重の物語を届けます」『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 前編』NHK出版、2025年、202ページ
(*2)森下佳子インタビュー「蔦重が体験していることは、今の私たちと変わりがないのではないかと感じます」『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 前編』NHK出版、2025年、136ページ
(*3)ラジオ第1「NHKジャーナル」
(*4)大原拓「大河ドラマは新たなフェーズへ 横浜流星さんと紡ぐ蔦重の物語」『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 前編』NHK出版、2025年、203ページ
(*5)佐藤俊樹「[書評]150 城と主と、おんなとおとこ 森下佳子『おんな城主 直虎』(NHKエンタープライズ、2017年)」『UP』2018年6月号、55ページ
(*6)「吉原の表現」(インティマシー・コーディネーター 浅田智穂さん)『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 前編』NHK出版、2025年、122ページ
(*7)『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 前編』NHK出版、2025年
(*8)森下佳子作『大河ドラマ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 一』NHK出版、2025年

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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