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「宮内庁御用達」など今はもう存在しないのに…皇室をめぐる詐欺事件がなくならない諸悪の根源

プレジデントオンライン / 2025年1月17日 7時15分

華頂宮博経親王の肖像写真(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

なぜ皇室や皇族をめぐる詐欺事件はなくならないのか。皇族の歴史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「戦後に身分制度は解体されたものの、天皇と皇族は特別な立場で存続し、そうした特権を旧皇族の末裔を騙る人物などは利用している。とくに断絶した宮家の名前は悪用されやすい」という――。

■華頂宮家を名乗るYouTuberの騒動

旧皇族の末裔(まつえい)だと称するYouTuberが現れて、騒ぎになった。

旧皇族とは、戦後、日本国憲法と新しい皇室典範が施行された後の1947(昭和22)年10月14日に臣籍(しんせき)降下した11の宮家に属していた人々のことを指す。

今回のYouTuberは、華頂宮(かちょうのみや)家の華頂博一(ひろかず)を名乗っている。華頂宮家という名はあまり聞かないものだが、それもそのはずである。華頂宮家は、旧皇族の伏見宮(ふしみのみや)家の分家ではあるものの、大正時代にすでに断絶していた。

これを報道した『週刊文春』によれば、華頂博一なる人物は、旧皇族が歴代の総裁をつとめてきた一般社団法人日本文化振興会の副総裁になっていた。しかも、歴史研究家の肩書で「旧皇族 華頂宮チャンネル」に出演し、旧皇族にしか知り得ないという話を披露していた。チャンネルの登録者数は11万人にも及び、全国各地で有料の講演会まで開いていた。

今のところ、事件にはなっていないのだが、旧皇族の末裔を騙(かた)って金銭的な利益を得てきたのだとすれば、それは社会的に問題になる行為である。

■旧皇族のニセの末裔の正体

そもそも華頂宮家は、慶應4(1868)年に創設された歴史の浅い宮家である。

初代の当主は伏見宮邦家(くにいえ)親王の第12子だった博経(ひろつね)親王だった。博経親王は一旦は出家し、知恩院門跡となったが、孝明(こうめい)天皇の勅命によって還俗し、華頂宮家を創設している。

華頂宮家は、その後、第4代まで続く。だが、第4代の博忠(ひろただ)王が嗣子(しし)(あとつぎ)を残さないまま亡くなったことで、宮家として断絶した。弟に博信(ひろのぶ)王がいたが、旧皇室典範では、直系でなければ、宮家の継承が認められなかった。そこで博信王は臣籍降下し、侯爵として華族に列せられた。侯爵は公爵に次ぐものである。華族制度も、戦後廃止された。

博信王には孫が現存している。その孫によれば、華頂博一の存在は初耳だということだった。明らかに、華頂博一は旧皇族の末裔の偽物ということになる。

『週刊文春』の記事のなかでは、その人物は佐世保の出身で、派遣労働で生計を立てながらバンド活動をしていたという。記事が出た後、YouTubeの動画はすべて削除されている。最後の動画では、華頂博一なる人物がスーツを着て、トレードマークの山高帽をかぶり、騒ぎを起こしたことを謝罪していた。謝罪はしているものの、自分が旧皇族の末裔を騙ったとは告白していなかった。

■よみがえる「有栖川宮詐欺事件」

この出来事は、2003年に起こった「有栖川宮(ありすがわのみや)詐欺事件」のことを思い起こさせる。

有栖川宮家は、天皇に世継ぎがいない場合、次の天皇を立てることができる世襲親王家の一つだった。ところが、第10代の威仁(たけひと)親王には子がいたものの20歳で早世してしまう。その後、威仁親王が亡くなったことで、有栖川宮家は断絶することになった。

有栖川宮威仁親王
有栖川宮威仁親王(写真=『皇室族聖鑑 大正篇』東洋文化協会編、昭和12年/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

有栖川宮の名は有栖川宮記念公園として残されている。この公園は東京メトロ日比谷線の広尾駅近くにあるが、もとは有栖川宮の御用地だった。

有栖川宮詐欺事件は、高松宮宣仁(のぶひと)親王の落胤(らくいん)で、有栖川宮家の祭祀を継承していると称し、「有栖川識仁(さとひと)」と名乗っていた男が、知り合いの女性と共謀し、東京の青山で結婚披露宴を行い、約400名の招待客から祝儀など約1200万円を騙しとったものだった。

披露宴には、石田純一やエスパー伊東といった芸能人が参列していたことでも、この事件は注目を集めた。

男の本名は北野康行で、女は坂本晴美だった。二人のあいだには婚姻関係も恋愛関係もなかったが、この事件により二人は逮捕され、ともに詐欺罪で2年2カ月の実刑判決を受け、服役している。

北野氏は出所した後に、依然として有栖川識仁を名乗り、「有栖川宮記念」という政治団体まで結成していた。ただし、この団体は現在ではほとんど活動していないようだ。

■皇室をめぐる詐欺事件の有罪判決

この二つの出来事の共通性は、華頂宮家と有栖川宮家が、ともに大正時代に断絶していたことだった。有栖川宮家の断絶は、大正2(1913)年のことである。有栖川宮家と聞けば、公園のことを思い出すが、そうした宮家が断絶していることなどは誰も記憶していない。宮家の末裔を称した人間は、そこに目をつけたのである。

これが、旧宮家ではなく、現存する皇族だと名乗れば、すぐにばれてしまう。落胤と称する手はあるかもしれないが、それで信じさせることは難しい。

旧皇族の末裔を名乗ったものではないが、最近、皇室との関係をうたった詐欺事件も起こっている。こちらは、皇室に献上するとして福島県や茨城県の農家から桃やトマト、シイタケを騙しとったもので、犯人は逮捕され、2024年9月5日、詐欺罪などで懲役3年執行猶予5年の有罪判決を下されている。

加藤正夫という本件の犯人は、東京大学大学院客員教授や樹木園芸研究所長であると称し、「天皇陛下が食べる食品を検査している」とか、「献上品を選定できる」と農家に告げていた。しかも「皇室献上桃生産地」といった紙に包まれた木札まで用意し、それを農家に渡していた。

■旧皇族の末裔を騙る人物が現れるワケ

皇室の中心にある天皇という存在は、古代においては政治的な権力者であった。しかし、時代が進むにつれて、藤原氏などに権力を奪われていった。それでも、藤原氏による摂関政治に終わりが訪れると、院政を敷き、膨大な荘園を所有することで権力を行使した。

その後、平安時代の終わりから武家が台頭し、武家政権が誕生すると、朝廷はしだいにお飾りのような存在に変質していった。それでも、武家政権が天皇を廃そうとしなかったのは、天皇には官位を与える権限があったからである。武家が政権を掌握できるのも、天皇という後ろ盾があってのことだった。天皇は実質的な権力を失っても、権威として君臨し、近代の社会では立憲君主に祀(まつ)り上げられた。

明治以降は、明確な身分社会で、天皇と皇族がその頂点に立ち、その下には華族がいた。江戸時代に武士だった家の人間には「士族」という称号が与えられ、「平民」と区別された。そうした身分制度は、戦後解体されたものの、天皇と皇族は存続し、一般の国民とは異なる特別な存在と見なされている。そこで、旧皇族の末裔を騙る人物が現れたり、献上品をめぐる詐欺事件が起こるのだ。

■宮内庁御用達など今は存在しない

紛らわしいのは、現在でも「宮内庁御用達(ごようたし)」ということばが生きていることである。これは、戦前の「宮内省御用達」の制度に遡る。戦前、宮内庁はそれよりも格が高い宮内省だった。宮内省御用達の制度は、明治24(1891)年にはじまり、優れた商工業者にお墨付きを与える役割を担った。

明治期の宮内省
明治期の宮内省(写真=「明治百年の歴史 明治編」より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

戦後、宮内省が宮内庁に格下げになると、宮内庁御用達の制度に改められるが、それも、昭和29(1954)年に廃止されている。

つまり、宮内庁御用達など今は存在しないのだ。

日本広告審査機構では、歴史的な事実を表示する場合を除いて、「宮内庁御用達」ということばは使用できないとしている。

しかし、今でも宮内庁御用達を名乗っている業者はいる。あくまで歴史的な事実として示されたものだが、その制度が廃止されたことへの言及はないので、今でも宮内庁御用達が存在すると思っている人たちも少なくないことだろう。

■旧皇族の養子となった出羽三山の山伏

これに似たことを経験したことがある。

それは2014年9月のことだった。神道系の団体のシンポジウムに呼ばれ、パネラーをつとめたのだが、そこには梨本隆夫という人物も含まれていた。梨本氏は、一般財団法人梨本宮記念財団の代表理事を名乗っていた。

梨本宮家も、戦後に臣籍降下した旧皇族である。ただ、その後、梨本宮家の血筋は絶え、梨本氏は梨本家最後の当主となった徳彦氏の養子となった人物である。元は神林隆夫といい、出羽三山の山伏(やまぶし)だった。

実は、その前年の2013年12月、首相の座に返り咲いた安倍晋三氏が靖国神社に参拝し、アメリカからも苦言を呈された出来事があった。それ以降、安倍氏は首相在任中、靖国神社に参拝することはなかったのだが、参拝したときに、境内にある鎮霊(ちんれい)社にも参っている。

そのことは、ニュースでもほとんど取り上げられなかったのだが、鎮霊社は、靖国神社第5代の宮司で、A級戦犯の合祀を先送りにしていた筑波藤麿(ふじまろ)氏が、本殿で祀られていない氏名不詳の戦没者や世界中の戦争犠牲者を祀るために創建したものだった。

■国際関係にも影響した“末裔”の進言

なぜ安倍氏は鎮霊社にも参拝したのか。

梨本氏は、シンポジウムの際に、それは自分が安倍氏の昭恵夫人に進言したものだということを強調していた。それによって、首相の靖国神社参拝に反対する周辺諸国に対して、日本の対外戦争を称賛するのではなく、あくまで世界平和を願ってのことだとアピールできるからだというのだ。

安倍首相が参拝した靖国神社の鎮霊社=2013年12月26日午後、東京・九段北
写真提供=共同通信社
安倍首相が参拝した靖国神社の鎮霊社=2013年12月26日午後、東京・九段北 - 写真提供=共同通信社

このもくろみは、アメリカからの反発で功を奏さなかったことになる。しかし問題は、昭恵氏が梨本氏のことをどのようにとらえていたかである。梨本氏は梨本宮祭祀継承者を名乗っている。養子に入ったのだから、それは騙っていることにはならないが、昭恵氏が養子ということを知らなかったら、梨本氏を旧皇族の末裔と考えたことだろう。

そうであれば、YouTuberをめぐる出来事や有栖川宮詐欺事件よりも、事としては重大である。なにしろ、日本の国際関係にも大きな影響を与えたからである。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)

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