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ユニクロとスーパーを目の敵にする意外な事情…老父が老老介護する認知症母から受ける「妄想攻撃の破壊力」

プレジデントオンライン / 2025年2月1日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/michellegibson

現在40代の女性の母親は76歳で認知症の症状が出始めた。同じ食材ばかりをスーパーで買い、父親の浮気を強く疑った。実家で老老介護をする父親はしばしば意識消失するように。女性は車で3時間の実家へ定期的に向かい、きょうだいとともに介護を始めたが――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■我が道を行く両親

中部地方在住の田村千鶴さん(仮名・40代)は、建設業の会社を経営する父親と、看護師の母親の間に双子姉妹の姉として生まれた。すでに5歳上に兄、3歳上に姉がいたが、大きなきょうだい喧嘩もなく、両親も含め穏やかな家族だった。

「父は自由奔放の変わり者で、私たち子どもを兄・姉チームと、私たち双子姉妹チームに分け、幼少期から海外旅行に行くのが趣味でした。私たち双子姉妹チームは、『国内の動物園よりアフリカだ』と言ってケニアに。『サクラダファミリアやピカソのゲルニカを見せてやる』と言ってスペインに連れて行ってもらいましたが、姉も私たち双子姉妹も飛行機が苦手。田舎に住んでいたので、普通に国内の動物園に行ってみたかったですし、時々ハンバーガーなどのファストフードを食べる生活を希望しましたが叶いませんでした。おまけに、旅行には母は行かなかったのもすごく嫌でした」

父親は子どもたちに愛情がないわけではなかったが、いささか独りよがりなところがあったようだ。クリスマスのサンタクロースへの手紙に、田村さんがテレビゲームやマンガなどの欲しいものを書いても、翌朝、枕元にそれがあったことは一度もなく、大きなぬいぐるみやオルゴールなど、全く望んでいないものばかりだったという。

母親は、人との交流より1人を好み、自分が嫌なことはしない性格のため、家族での旅行にも参加しなかった。

「家族全員揃っての旅行は、人生で1回あったかどうかくらいです。母方の祖母と同居しており、私たち子どもの世話は主に祖母がしていて、幼少期は買い物くらいしか母と出かけた記憶がありませんでした」

■実家を出たきょうだいたち

やがて、兄は15歳になると、スポーツ推薦で市外の高校に進学。実家を出て下宿した。高校卒業後は市外で就職したが、20代後半で結婚すると実家と同じ市内に戻り、父親の会社に転職。その後父親の会社を継いだ。

姉は18歳で専門学校に進むと同時に他県で一人暮らしをスタート。卒業後はそのまま就職し、25歳頃結婚。現在は実家から高速道路を使って2時間ほどのところで暮らしている。

田村さんの双子の妹は、他県の短大に入学と同時に実家を出、その後3年ほどアメリカに留学。帰国後は数年実家で暮らしたが、28歳くらいの頃、実家を出て暮らしを始めてから、結婚後も実家と同じ市内で生活している。

田村さんは、大学入学と同時に実家を出て他県で一人暮らしを始め、看護師になりそのまま就職。20代半ばで結婚し、実家から高速を使って車で3時間ほどのところで生活を始めた。

ところが田村さんは、24歳で娘を出産してから半年ほどで離婚。

「もともと1人暮らしのほうが自分に合っていたため、離婚後も実家に帰りたいとは思いませんでした。実家があるのが田舎だったため噂が広まりやすく、両親に肩身の狭い思いをさせるのが嫌でしたし、憶測や噂が飛び交うのが私も面倒だったことも実家に戻らなかった理由の一つです。看護師の仕事は辞めようか、パートにしようかいろいろ迷い、結局正社員のまま続けることを決めました」

ただ、娘が幼いうちは、実家に頼らざるを得ないことはあった。どうしても田村さんが仕事を休めない時は、母親が田村さんの家まで来て娘の世話をしてくれたり、田村さんが看護師だったため、娘が水痘などの病気に罹患した時は、感染解除になるまで実家で娘の看病をしてくれたりした。

「母子2人暮らしの苦労もあったため、友だちのような仲の良い母娘関係が築けました。でもこうした経験から、何事も周りに頼るより、1人で調べて1人で意思決定するという気持ちが強くなったと思います」

■認知症かもしれない

2000年。52歳の父親は自身の会社で働き続けていたが、母親は55歳で看護師を退職すると、母が持つ畑で畑仕事をするように。いつしかカメラ、登山、旅行、編み物が趣味になり、写真を撮りに1人で海外へ出掛けることもあった。

そして2021年春頃のこと。

年に1〜2回実家に顔を出していた田村さんだが、76歳になった母親の言動に「あれ?」と思うことが増えていく。

スーパーで納豆を選ぶ女性の手
写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_

「納豆があるのに、また納豆を買ってくる。冷蔵庫や食品庫内に、賞味期限が切れたものが目に付く。炒めたら食べられるニンニクの芽と肉がセットになったパックばかり買ってきている……など、最初は『おっちょこちょいだなあ』とか、『歳だから簡単に料理できるものが好きになったのかな?』とか思っていました」

しかし、この年のゴールデンウィーク。「ただの物忘れで片付けられない」と思う出来事が起こる。田村さんの家に両親が遊びに来てくれたあと、帰りに母親が、自分の財布やスマホが入ったカバンを忘れて帰ってしまったのだ。

「私が記憶している限り、用心深い母が大切なものを忘れて帰るなんて、初めてのことです。両親が帰ってしばらくした後に私が気づき、家に電話したことで初めて母はカバンを忘れたことに気付いたようです。あまりの信じられない出来事に、この時『母は認知症かもしれない』と疑い始めました」

いざ疑い始めると、「年相応の物忘れではない」と思うことが増えていく。

「振り返ってみると、こちらの言っていることの情報処理が追いついていないのか、母は適当な相槌を打って、適当に返事をしていました。だから会話が浅くなる。でもたまにしか会わないので、『歳とってきたなあ』で片付けていました。『あれ?』っていう小さな気づきに対して日頃から深く考えていたら、もっと早くに適切な治療を受けられたかもしれません……」

■嫉妬妄想

その後も母親の異変は続いた。

「父が『トマトはあるからいらないよ』と言ったら、『あるからいらない』は忘れて『トマト』の記憶だけが残って、トマトばかりを買ってきました。ニンニクの芽と肉のパックばかり買ってきていたのは、料理ができなくなってきたせいかもしれません。焼くだけだから楽ですが、ああいう食材は油が多くて、高齢の父と母では食べ切れないのにまた買ってくるため、食卓に前日炒めた味付け肉のおかずと、今日炒めた味付け肉のおかずが並んでいたりしていました」

田村さんは父親経由で認知症の検査を受けることを勧めたが、母親はテコでも動かなかった。

そして2021年夏頃。母親は時々衝動的に家を飛び出したり、不機嫌になったり怒り出したりということが増える。そこへ新たに出始めた症状は「嫉妬妄想」。レシートの見方がよくわからなくなっていた母親は、レシートの下に載っている広告を見て、「見慣れない店名と住所が書いてある。自分は行っていないから、お父さんが行ったに違いない。そこで女に会って、一緒にご飯を食べたんだ!」と思い込み、執拗に父親を責めるようになった。

「嫉妬妄想の時の母は、女性の嫌な部分を見ている感じですごく嫌でした。認知症で時間の間隔がないため、父が新聞を取りに行っただけで『どこに行っとったんや? 浮気してきたんや!』と責め、新聞を取りに行っていたと説明しても耳に入らない。自分で買ったもののレシートも忘れているので、父が女と買い物に行ったと自信満々で言い張りました」

そんな時、コロナ禍で海外留学ができなかった田村さんの娘が、1年間休学して田村さんの両親をサポートするため、実家で暮らすことに。

「私の娘が説得し、母に付き添って病院を受診したものの、母はMRIの検査を逃げ出し、その後、脳の血流状態を調べる脳血流シンチグラフィも逃げ出してしまったため、『アルツハイマー型とレビー小体型認知症では?』という曖昧な診断になりました」

次第に母親は実家の近くにあるユニクロの若い女性が浮気相手だと言い始めたため、父親はユニクロに行けなくなった。

ユニクロの看板
写真=iStock.com/carterdayne
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/carterdayne

その次はスーパーのレジの女性たちを次々に疑い始めたため、父親はスーパーにも行けなくなった。

この時期、父親のメンタルはかなりダメージを受けていた。ダメージと比例するように、父親の家事負担は増えてく。

認知症と診断された後、母親に介護認定を受けさせると、要介護2。ケアマネジャーを選ぶ際は、母親の嫉妬妄想のため、男性にしてもらった。

「この頃はまだそこまで切迫性がなく、母の性格上、介護サービスの利用は無理だと思っていたため、デイサービスもヘルパーさんも利用せず。結果1年後の更新審査を忘れてしまいました……」

■老老介護の限界

2022年になると、天ぷらや煮物が得意だった母親は見る影もなかった。スーパーに買い物に行っても、もう総菜売り場にしか行かない。

「同じものを買ってくる問題の対処は、誰かが一緒に買い物に行くことです。カゴに入れるか入れないかのタイミングでこっそり元に戻しても、母はすぐに忘れてしまうので気づきません。他に注目させてこっそり元に戻すのがコツです。味付け肉をたくさん買ってしまった場合は、一度洗ってつけられている味をなるべく落としてから炒めると美味しくなります。大量にレタスを勝ってきた時は、レタスチャーハン、レタス餃子、レタススープ、レタスの炒めものと、とにかくいろいろな料理にしました。普段料理をしている人なら当たり前にすることかもしれませんが、父はそれができないので、私が帰省したときはそうしていました」

スーパーでコロッケを選ぶ女性の手
写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_

そして2023年夏。父親が頻繁に意識消失を起こすようになった。

田村さんの妹の子どもの演奏会を聞きに行った際、椅子に座った状態でいびきをかいたまま反応がなくなり、救急車で搬送されたり、父親が母親を乗せて車の運転中、突然意識消失を起こしてガードレールにぶつかったり、会社の駐車場の車内で意識消失し、兄夫婦が気づくも「寝ている」と思われ、後から意識消失と判明するなど……。

幸いなことに、いずれも大事には至っていなかったため受診が遅れてしまったが、あまりに頻繁に起こるため、ついに受診すると、「睡眠時無呼吸症候群」と診断。まずは、就寝時に鼻マスクをつけ、睡眠中に機械で圧力をかけた空気を鼻から気道(空気の通り道)に送り込み、気道を広げて無呼吸を防止する治療法である「持続陽圧呼吸療法(CPAP)」を受ける。

その後、心臓カテーテル検査を実施すると、異常なほど不整脈が出現していることが発覚。

不整脈の治療と埋め込み型心電図の治療を行うことが決定するが、田村さんの実家の近くには大きな病院がないため、一番近い他県の大学病院に4日間ほど入院することに。

その間、認知症の母親が実家に1人になってしまうため、田村さんは姉妹で母親のケアをしながらデイサービス探しを開始した。(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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