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サッカー界に悪い指導者など存在しない。「4-3-3の話は卒業しよう」から始まったビジャレアルの指導改革

REAL SPORTS / 2024年9月13日 2時42分

スペイン男子クラブ初の女性監督が生まれたのは2003年。当時大きな注目を浴びたこの任に就いたのは日本人の佐伯夕利子だった。その後、アトレティコ・マドリード女子監督や普及育成部、バレンシアCFで強化執行部を経て、2008年よりビジャレアルCFに在籍。佐伯は生き馬の目を抜く欧州フットボール界で得た経験の数々を日本にもさまざまな形で還元してくれている。そこで本稿では佐伯の著書『本音で向き合う。自分を疑って進む』の抜粋を通して、ビジャレアルの指導改革に携わった日々と、キーマンたちとの対談をもとに、「優秀な指導者とは?」を紐解く。今回はビジャレアルの育成からトップチームまで育った選手であり、指導改革を牽引した「メソッドダイレクター」セルヒオ・ナバーロとの対話から改革のプロセスや背景をお伝えする。

(文=佐伯夕利子、写真=島沢優子)

最初の呼び掛けは「4-3-3の話は卒業しよう」

――2014年から始まったビジャレアルの育成改革。あなたは私たちコーチを集めた最初のミーティングで「4-3-3の話は卒業しよう」と呼び掛けましたよね? そこに行き着いた背景は?

セルヒオ(以下S):個人的体験から導き出された結論でした。僕のバックボーンを説明すると、まずは選手としてフットボールをエンジョイしました。キャリアとしては、ビジャレアルのトップチームまでたどり着くことができました。その間、数多くの監督さんと出会いがありました。しかし率直に言えば、

どの監督さんとの経験においても、僕に有益なインフルエンスはありませんでした。「え? これでいいのか? 違うだろう」と指導のあり方に疑問を持ってしまった。そこで、現役を引退してからフットボールについて学習を始めました。大学での学び、さまざまな講習会やセミナーにもたくさん参加したし、大学では修士をとった。本も大量に読んだ。フットボールという競技について自分なりに考察し始めました。

――海外でも学ばれています。

S:ロシアとウクライナで貴重な経験をさせてもらいました。異なる文化に触れることで、また違う角度からフットボールを考察する機会に恵まれました。約10年ほどかかって出した答えが、結局は、選手という個を起点にフットボールを探求することが重要だと気づきました。フットボールは、選手の生き方やあり方など多くのことに起因している。そこから答えは導き出すべきではないか。そう考えました。

――メソッドダイレクターという形で古巣に戻られました。

S:ビジャレアルには数多くの素晴らしい指導者がいました。彼らはそれまで走り続け、一度たりとも立ち止まって考察することがなかったのだと、対話していて気づきました。そこですべてを打ち壊して、もう一度フットボールやコーチというわれわれの職業について見つめ直してみないか? という提案をしました。

「戦うシステムで解決している場合じゃない」という結論

――本格的な改革を始める前にスペインの歴史や社会学、教育学など、フットボールを哲学的に学びました。どういう意味付けだったのですか?

S:歴史だけにとどまらず、教育学、社会学といった分野で名を残してきた多くの偉人たちの足跡やセオリーというものを振り返りながら、指導やフットボールに反映させながら学びを深めました。なぜかというと、何千年という人類の歴史の中でわれわれの物事の考え方や何かを機能させる方法は継承されているよね、と。特に西洋思想のベースとなっているものが、実はピッチ上で指導する際のものの言い方、選手との関わり方にすごく反映されている。そこに僕らは気付かないまま無意識的に引き継いできたと考えたのです。

――最初は「え? 歴史? 社会学? 教育心理学?」と戸惑いましたが、指導を転換する必要性を理解してから入れたのは良かったです。

S:一見するとフットボールと関係なさそうなので、みんな驚いたかと思います(笑)。パブロフ、ソーンダイク、JBワトソン、ヴィゴツキー、オーズベル(※)といった人たちの理論をはじめ、西洋の思想というものがどこから発展してきたのか、どのように整理されてきたのかを僕らも一緒に学べて有意義でした。社会が生産性を上げようと経済重視で発展するなか、われわれは考える余白というか余裕がまったくないなかで育てられてきた。

(※)パブロフ(イワン・パブロフ/帝政ロシア・ソビエト連邦の生理学者。『パヴロフの犬』の実験で有名)、ソーンダイク(エドワード・L・ソーンダイク/アメリカ合衆国の心理学者・教育学者)、JBワトソン(ジョン・ブローダス・ワトソン/アメリカ合衆国の心理学者。行動主義心理学の創始者)、ヴィゴツキー(レフ・セミョーノヴィチ・ヴィゴツキー/ベラルーシ出身のソビエト連邦の心理学者)、オーズベル(デイヴィッド・オーズベル/アメリカ合衆国の心理学者)

――本当の問題解決を求められています。

S:その通り。ピッチで選手がどのように不安を感じ、どんなアクションをしているのか。どうしたら自信を持ってチャレンジできるのか、そういうところへの問題解決が求められています。にもかかわらず、そこへのアプローチはせず4-3-3の話ばかり繰り返してきた。戦うシステムで解決している場合じゃない。それが僕の結論でした。

学び壊し、学び直し「普段の会話からして大きく変わった」

――学び壊し(unlearn/アンラーン)、学び直し(relearn/リラーン)ですね。セルヒオにとって、ひとつの壮大な実験でもあったわけですね?

S:おっしゃる通りです。チームや指導者たちのさらなる可能性へのチャレンジ。その可能性を自分たちで見い出して欲しかった。当時すでにビジャレアルでは世界トップレベルの育成組織が整備されていました。それでもまだ私たち指導者は、勝ち負けにとらわれていました。その「とらわれた状態」に、指導者がどこに意識を向けていたのかが見て取れます。そこを変えたかった。なぜならば同じ勝利という成果を生むのに、今までよりもっと豊かなやり方がある。選手に勝利だけでなく人として成長をもたらす異なるやり方もあると気づいてほしかった。そのプロセスとして、フットボール、チーム、選手、育成などすべての概念を一つひとつみんなで細かく考察しました。それによって新たな視座が生まれました。

――学び壊しは、例えばどの部分?

S:まず指導者が立っている舞台というものが揺るがされる。そういう事象が起こりました。みんな撮影された自分の姿を見て混乱していた。ユリコもね(笑)。そういう目視で測れるものがあったと思う。もうひとつ、指導者一人ひとりの現在地は、その人の言葉や言葉を介さないコミュニケーションからはかり知ることができます。勝利にとらわれている人は、勝つことばかりに執着したコンテクスト(分脈)で選手にメッセージを送っていた。主語は誰? 意識(フォーカス)の焦点はどこにあたってる? とみんなで何度も立ち返る作業を行った。

――どんな成果を感じますか?

S:スペイン語で言うとレスルタディスタ(resultadista)。つまり成果優先主義と、成果に繋げる過程をヒューマナイズする(人間味あふれるものにする)2つの指導法があると考えました。要は成果を出せばそれだけで良いのか、それとも選手を起点にして成果までの道のり、つまり「過程」にアプローチするのか。それまでビジャレアルでもレスルタディスタ的指導者が多くみられましたが、人を中心に物事を考える方向に変換できた。それが大きかった。そうすることで、指導者たちがより安心して、肩の力を抜き、本当に大切なことに集中して取り組める環境が生まれました。それが自分の中では一番の満足です。

――しかも、指導者が主体的に変容した。成果を生むまでのプロセスが良かったですね。

S:指導者の変容は「自分のものになる」ということで初めて完成と言えます。他人から聞いて「ああ、わかった。いい話を聞いた」で終わっていてはダメ。強制的に押し付けられているものでは根付かないし、本物ではない。

――具体的にはどんな姿を見ましたか?

S:ラ・リーガのグラナダで(2023年9月現在)監督をしているパコ・ロペス監督はビジャレアルで当時U―23の監督でした。2部リーグのレバンテのハビ・カジェハ監督は当時U―21監督。そしてユリコはレディーストップチームの監督だった。ビジャレアルのトップ5(※)の監督の中でこの3人はよく話をしていましたが、普段の会話からして大きく変わった。個々の選手がどうだとか、チームのここがまだ弱いといった評価から、自分たちの指導や扱う言葉に目が向くようになった。それは彼らの意識の方向(フォーカス)が変わったからです。選手やフットボールそのものに対する見方が変わり、監督の役割についての概念も変わった。数え切れないほど多くの変化を感じました。思考が具現化し始めた瞬間です。

(※)ビジャレアルCF、40チームのトップ5チームのこと。トップチーム・U―23・U―21・U―19・レディース。

10年前に行ったアプローチの成果は…

――当時、セルヒオと「改革の成果は10年経たないとわからないね」と話しました。いま10年経って、当時育成年代だった子たちが大人になりました。あの改革をどう評価する?

S:育成部からプロになる選手の数や質について僕が評価する立場にはないけれど、成果のひとつは指導者の質の向上でしょうね。先ほど挙げたパコさんやハビさんのようにコーチの指導力は間違いなく伸びた。そこを他クラブに認められているからこそ、多くのビジャレアル出身コーチが移籍して活躍している。

――何をもって成果とするかっていうのはすごく微妙です。

S:それは当時から話したね。選手は結局、指導者からどんな感情にさせられたか?が一番記憶に残ると考えます。例えば僕らだって、人生の中で出会った人たちのことを思い出すとき、その人とコミュニケーションしてどのような気持ちになったかが記憶に残るよね。それがフットボールシーンだと、どのタイトルを何回獲ったとか、何回勝ったとかっていう事はどんどん忘れ去られていく。実は永続的に残るのはその人との関係性の中で生まれた感情記憶だと思う。

――優勝何回とかではないのですね。感情にすべて紐づいているのですね。

S:例えばパコ・ロペス監督の例を出すと、彼が当時指導した選手は今でもパコさんに連絡を取っています。それはよくありがちな「試合観戦したいのでチケットください」みたいなものではなく、選手としての相談や悩みを打ち明けます。そこには、選手のパコさんへの信頼の眼差しがある。彼らのパコさんとの日々が豊かだった証です。

――ああ、わかります。試合に先発で出た、勝ったという幸せではなく、パコさんのすべてに納得している。選手は「嫌なところはあるけど勝たせてくれたから」という理由では相談に行きません。

S:繰り返しますが、勝ち負けの記憶は選手の中にさほど深く長くは残らない。良いサッカーをしたなんてことも。残るのはその人を見る眼差しです。指導者の存在が、選手の人生を構成する大切な因子のひとつになっている。それに尽きる。これこそが10年前にやったアプローチの成果と言えるでしょう。

「ユリコは自分の中に多くの問いを立て、それに対する解を…」

――かしこまって尋ねるのは恥ずかしいけど、私はどう変わったでしょう?

S:僕がともにした3年間で大きく変化しました。それは以前は未熟な指導者だったけど、成長したという意味じゃないよ。自分に足りなかった部分を補足することで、異なるやり方を身に付けていった。その過程でセンシビリティ(感度)が高くなったと感じます。

――私は決して高圧的な監督ではなかったけれど、選手とのかかわり方などコミュニケーション能力が乏しかったと感じています。

S:うん、うん、そうだったかもしれない(笑)。指導者というのは、ひとつの道だよね。そのとき、どの地点を歩んでいたとしても「悪い指導者」は存在しないと自分は思っている。あくまで、その人の「現在地」に過ぎない。もちろん、暴力や明らかなパワハラは論外だけど。あの3年間、ユリコは自分の中に多くの問いを立て、それに対する解を模索した。より多様な視点を身につけ、異なるアプローチを試みることで、明らかに質が上がったと思う。

――最初はどんな印象でした?

S:今まで言ったことがないね。お伝えします。みんなどう感じたかわからないけれど、君たち指導者と会った初日に僕は感動していた。なぜなら、男子部と女子部が同じ場にいて、指導のメソドロジー(方法論)とかフットボールの話をするのは初めてだった。フットボール界において、まずありえない男女平等機会の創出だった。

――まさしくそうでした。私は女子部の責任者とトップチーム監督を兼任していました。

S:そう。圧倒的な男性社会の中に君はいた。まずヒューマン・クオリティ。人としての質が高いと感じた。それから興味関心が高く、僕らの話を聞こうとする姿勢。それらがポテンシャルとして伝わってきた。対話すればその人の現在地や、何に意識が向いているのかがつかみ取れる。ユリコには大きな可能性がある。改革のキーマンだと確信した。スポーツ心理士でプロジェクトチーフを担ってくれたエドゥさんと話したのを憶えているよ。

「ユリコはこれまで見てこなかった世界観をのぞき見た瞬間、大きく変容する指導者になる可能性を秘めている。ポテンシャルを開花させるためにも最大のサポートをしていこう」と。

――そうだったんだね。ありがとう。私の人生で本当に重要な3年間だった。セルヒオはあの後レバンテのトップチームでコーチングスタッフを、アスレティック・ビルバオでアカデミーダイレクターを任されています。ビジャレアルでの3年間はあなたにとっても大きかったのでは?

S:その通りです。自分にとって唯一無二の経験になった。選手としても長年お世話になったし、会長を始め経営者たちの思想はよく理解している。だから、クラブとして英断ともいえる指導改革に参画できたことは大きな誇りです。しかもその事実をユリコが日本に伝えてくれたように、貴重なフィードバックをくれる仲間たちがたくさんいる。僕にとっては奇跡です。

――ところで、今の日本のフットボールをどう思っていますか?

S:国として組織的に成長していることは間違いない。近年最も競技力が向上している国のひとつであると思う。W杯でスペインにも勝ったしね。でも、まだ伸びしろはいっぱいあると感じている。そして、そこにユリコは貢献できると思う。ただし伸びしろの話をし始めたらスペインも同じだけどね(笑)。

【第1回連載】名門ビジャレアル、歴史の勉強から始まった「指導改革」。育成型クラブがぶち壊した“古くからの指導”

※次回連載記事は9月20日(金)に公開予定

(本記事は竹書房刊の書籍『本音で向き合う。自分を疑って進む』から一部転載)

<了>

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[PROFILE]
佐伯夕利子(さえき・ゆりこ)
1973年10月6日、イラン・テヘラン生まれ。2003年スペイン男子3部リーグ所属のプエルタ・ボニータで女性初の監督就任。04年アトレティコ・マドリード女子監督や普及育成副部長等を務めた。07年バレンシアCFでトップチームを司る強化執行部のセクレタリーに就任。「ニューズウィーク日本版」で、「世界が認めた日本人女性100人」にノミネートされる。08年ビジャレアルCFと契約、男子U-19コーチやレディーストップチーム監督を歴任、12年女子部統括責任者に。18〜22 年Jリーグ特任理事、常勤理事、WEリーグ理事等を務める。24年からはスポーツハラスメントZERO協会理事に就任。スペインサッカー協会ナショナルライセンスレベル3、UEFA Pro ライセンス。

[PROFILE]
セルヒオ・ナバーロ
1979年生まれ。小学校教員を務めた6年間では発語障がいの子どもたちへの教育も経験している。海外での経験も豊富で、主にロシアで3年、ウクライナで1年指導している。2014年からビジャレアルでメソッドダイレクターを務めた後、レバンテUDを経てアスレティック・ビルバオのアカデミーダイレクターとして育成環境の改革に取り組んでいる。2020年には、ゲーム分析について、スペインリーグのアナリストたちと議論するというセッション(Barca Innovation Hub 主催「DECODING the GAME」)にオンライン出演。バルセロナやアトレティコ・マドリードなど強豪クラブのアナリストらと渡り合うなど、その知識と知見はスペイン国内で高く評価されている。

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