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<日本人の忘れられない中国>動けぬまま船内に取り残され「死ぬかもしれない」、中国人に助けられた命

Record China / 2024年5月12日 17時0分

私は、電話をかけ始めた。幸運なことに、3人目で王さんと一緒にこの港に来ている英語を話せる関係者につながった。私は、彼に事情を説明する。しばらくして、人の声と梯子を降りる音が聞こえてくる。懐中電灯の明かりと王さんの顔を見た時、「助かった!」と涙が出た。

体を動かすと激痛が走る為、タンカーに私を載せて港のクレーンで私を吊上げることになった。しかし人間を港のクレーンで吊るという事は、規定外という事であり許可が下りるまで待たなければならない。しかも何時間かかるかわからないとの事だ。私は、意気消沈した。王さんは、そんな私の手を「ぎゅっ」と握って「大丈夫、心配ない」と励まし続けてくれた。手を握ってくれたのは「気」を送ってくれていたのだろう。その手の暖かさは私に元気を与えてくれた。

結局、3時間後に私は救助され、救急車で王さんが選んでくれた病院に向かった。到着後、先ずMRIを撮った。その写真を見ると、右足の大腿骨がいくつかの破片に分かれていた。こんなひどい怪我が、ここで治るのだろうか?また輸血もしなければならないので感染症も心配になった。王さんにそのことを話したところ、「ここの病院の腕は俺が保証する。心配する事は無い」と力強い言葉を返してくれた。その言葉で、私は安心して手術を受ける事ができた。

手術室に入ると、すぐに全身麻酔の為に意識がなくなり、次に目を覚ましたのはベッドの上だった。6時間もの大手術であった。左足と左手は捻挫の為ギブスで固定されている。さらに右腕には点滴の針が刺されているという状態で、両腕および両足を動かすことができない。

こんな状態でどうなるだろうと不安だったが、この病院には24時間付き添いのサービスがあり、12時間交代で二人の方が親身になってお世話をしてくれた。食事、洗顔、洗髪、髭剃り、買い物そして排泄物の処理、体の動かせない私にとっての命綱となってくれた。そして、松葉杖で自由に動けるようになった段階で日本に帰国した。帰国後の回復も順調で、後遺症が出ることなくゴルフや山登りを楽しんでいる。

中国で命を救われた後の人生は、第2の人生と言っても良いだろう。考え方のベースに日中親交を置き両国の懸け橋となっていきたい。

■原題: 中国で救われた命

■執筆者プロフィール:齋藤 裕之(さいとう ひろゆき)会社員

50代後半、男性。東京の国立大学卒業後、大手企業の建設部門に所属し、エンジニアとして国内外の建設に従事。中国では、惠州市にて石油化学プラント建設、上海にてプラント機器輸出業務に従事しトータル一年の滞在経験あり。

※本文は、第6回忘れられない中国滞在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中国と私」(段躍中編、日本僑報社、2023年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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