1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 国際
  4. アジア

<日本人の忘れられない中国>「案内する」という青年に付いて歩くこと30分、「相当やばい!」と覚悟したが…

Record China / 2024年10月6日 16時0分

<日本人の忘れられない中国>「案内する」という青年に付いて歩くこと30分、「相当やばい!」と覚悟したが…

相当やばい!きっとあのボロ屋の陰から男の仲間たちが躍り出て、さっと僕らを取り囲むに違いない。僕は覚悟を決めた。写真は紹興市。

「美味しい中華を食べに行こうぜ!」――親友I君の誘いにふわっと乗って、中国旅行に出かけたのは31歳になった翌日だった。

1986年3月下旬、上海に降り立った僕らは、自ら立てたプランをもとに、蘇州・無錫・杭州・紹興をわずか1週間で回って来ようと考えていた。往復の航空券だけは予約して、あとは気ままに江南の春を楽しもうという料簡だった。ちょうど日本国内を旅するように中国も旅行できるものと考えていたのだが、甘かった。当時の中国は改革開放からまだ日が浅く、交通機関も宿泊施設も暢気な二人組を受け入れてくれるほど整備されていないことに気が付くはずもなかった。

試練はすぐに訪れた。列車の切符が簡単に取れない。一度だけ座席が取れた後はずっと立ち席。最後にはどの列車の切符も買えなくなった。ホテルに泊まるのも苦労した。杭州ではどこでも「部屋は空いてない」とすげなく断られ、次のホテル、また次のホテルと濡れ鼠になって歩いた時は、雨に煙って美しいはずの西湖の景色も目に入らなかった。旅のメインの中華料理も、有名店はどこへ行っても長蛇の列。食事を断念せざるを得ないこともあった。

そんな中で最後の訪問地・紹興へと向かった。駅でどんなに粘っても切符は手に入らなかったため長距離バスに変更。杭州からずいぶん長い時間バスに揺られて、やれやれなんとか紹興に到着した。

しかし、バスターミナルに着いてから困ったことが発生した。ガイドブックの地図にある場所とはどうも違うようなのだ。近づいてきたおばさんから地図を買った。目的地の紹興飯店の場所は地図に書いてあるのだが、残念ながら現在地が分からない。おばさんは地図の一点を指さしてここだと言う。だが、今度はホテルの方向が分からない。

やりとりを見ていたおじさんが近づいてきて、「紹興飯店ならあっちだ!」と顎をしゃくる。しかし、おばさんは「違う、違う!」と全く別のほうを指す。お互いに自信ありげに主張するからどちらを信じていいか分からない。そうこうするうちに野次馬がどんどん集まってきた。僕らをぐるっと取り巻いて事の成り行きを面白そうに眺めている人もいれば、この議論に参加する者も出てきて収拾がつかない。どうしたらいいんだ!

するとその時、一人の青年が現れた。僕が手に持っていた地図をさっと奪い取って、「一緒に行こう!」と歩き出す。その勢いにおばさんもおじさんも置き去りにされ、地図を奪われた僕とI君は彼の後に付いて行くしかなかった。青年の足取りは自信に満ちている。ともかく彼を信じるしかない。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください