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“過去の気持ち”を忘れてしまう私たち 陸上自衛隊第32連隊の旧ツイッター「大東亜戦争」

RKB毎日放送 / 2024年4月10日 19時42分

弊衣破帽姿で高校生活を送ったというRKB毎日放送の神戸金史(かんべ・かねぶみ)解説委員長。40年前でも、高下駄をはくバンカラ文化はさすがに絶滅寸前だったという。古い時代に郷愁を抱くそんな神戸解説委員長が、4月9日の朝刊をみて「強烈な違和感を抱いたニュース」とは? 同日出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で語った。

朝刊を見て思い出した12年前のセンバツ甲子園

今日(4月9日)の朝刊を読んで、ある記憶がよみがえってきました。センバツ高校野球、今年の優勝は健大高崎高校(群馬県)ですが、同じ群馬県にある県立高崎高校(通称タカタカ、公立の男子高校)は私の母校で、12年前に甲子園に出場していました。その時のアルプス席の風景を思い出したのです。

今から40年前、高校時代の私はかなり右翼的で、裸足に10センチぐらいの高下駄を履いて学帽をかぶり「校歌を歌おう」「校旗を仰げ」と言っていた生徒会長でした。だから、校歌や応援歌はもちろん、生徒会の歌とか庭球部の歌とかみんな覚えていました。

ところが12年前の甲子園出場時、後輩たちが歌い出したのは私が知らない歌でした。前の人が歌詞カードを持っていたので、それを見たら「旧校歌」(旧制・高崎中学校校歌)と書かれていました。大正時代(1915年)に制定された歌です。

「軍国主義的だ」と廃止された旧校歌

実はこの旧校歌、歌詞が「軍国主義的だ」として戦後に廃止され、1957年に非常に明るい新校歌に変わっていました。

群馬県立高崎高等学校 校歌 (草野心平・作詞、芥川也寸志・作曲) (1番) 上州の三つの山は 遥かにかすみ セルリアンブルーの 烏川(かわ)は流るる 高きを求む 夢の如くに 榛名山 白き雲沸き バラの香匂ふ学び舎にて 友よ 健康と真理 かち得ん 高崎 われらが母校 未来よ 燦とかがやけ

昭和32年制定なのに「セルリアンブルー」って、すごいでしょ。ハイカラな感じですね。一方、1915年に制定された旧校歌にはこんな歌詞があります。

群馬県立高崎中学校 校歌 (陸軍戸山学校軍楽隊・作曲) (3番) いよよ励みて 健児等よ 倭雄心(やまとおごころ) 振り起し 君と親とに 尽くすべき 誠の道を 窮めなむ

「君」は天皇ですね。大変な戦争の被害があり、軍国主義に対する痛烈な反省があって、「二度と戦争を起こしてはいけない」「平和国家であるべきだ」という国民意識が圧倒的に多くなった時代、「この校歌はふさわしくない」となったのです。

この旧校歌を現役の高校生が歌ったことに驚いてしまいました。スタンドの応援部は、私たちと同じ格好をしていました。高下駄を履いて学帽をかぶって、いわゆる「バンカラ」です。

古いことに対する価値、伝統校ならではの誇りみたいな、ちょっと思い上がったところが僕にはあったので、よく気持ちはわかります。「懐古趣味」と言ってもいいでしょう。しかし「先人たちがなぜ旧校歌を歌わなくなったのか」ということに対する知識は、後輩にはないのでしょう。

“大東亜戦争”という言葉をなぜ使わないのか

けさの西日本新聞に出ていたのは、『陸自連隊Xに「大東亜戦争」投稿3日後削除』という記事です。

陸自第32普通科連隊公式Xに「大東亜戦争」と投稿 「不適切な表現」3日後に削除(西日本新聞me)

陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が、活動内容などを紹介する公式X(旧ツイッター)で、「大東亜戦争」という言葉を使って、こんな投稿をしていました。

「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に参加しました」

「大東亜戦争」という言葉は、「太平洋戦争に対する当時の日本指導者層による呼称」と言われています。

私たち世代ももちろんこの言葉は知っています。私たちが大学生のころ、昭和の終わりから平成の始めに「大東亜戦争」を使う人たちは、一部の右翼で普通の人ではないという感じでした。そこには戦争に対する無反省があって、ほかにも「八紘一宇」「五族協和」「靖国神社」「教育勅語」…こんな言葉を使う人を、僕らの世代は「気持ちが悪い」と思って避けていました。

アジア解放の戦いが「大東亜戦争」で、和(日)・朝・満・蒙・漢(支)の五族がともに手を携えて西欧の植民地主義から守ろう、という考え方でした。

でも実際は「遅れた植民地主義国」として日本が他の国々に対しての支配を強めていく過程だったことが、後から分かってきました。残虐な行為もそういう中から行われたのだと思いますが、建前は「五族協和」だったわけです。

「大東亜戦争」という言葉には、当時の日本民族が持っていたアジアの優越感や、引き起こされた大きな被害が隠されています。これを旧日本軍の後継者である自衛隊が平然と使ったということに対して、批判を受けているのです。

「時が経つ」とは怖いこと

ところが、使った人は「なぜ使わなくなったのか」ということをわかっていないと思うんですよ。そこが、旧校歌を高校の後輩たちが普通に歌っていたシーンと重なりました。

母校にはほかにも「生徒会の歌」(作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)という歌があります。3番の歌詞は戦後に変わっています。

群馬県立高崎高校 生徒会の歌 (3番) 手をとり歩む健児らよ 豊けき個性(さが)を傾けて 永遠の平和を唱うべき 真理の道を究めなむ

戦前に歌われていた「旧3番」の歌詞を、私は高校時代に見て覚えています。

群馬県立高崎中学校 校友会歌 (旧3番) 護国の宮の 宮近く 武を練り文に励みつつ いざや日本精神を 奮い起こさん もろ共に

高校生の僕は、「いざや日本精神を奮い起こさん」という時代に生きていたら嫌だな、と思っていました。

放送後に寄せられたメッセージ

こういうことが、時間が経つと忘れられていって、今回の陸自連隊の投稿のようなことが起こるんだろうという気がしました。「時が経つ」とは、怖いことです。古いことに愛着を持ったり、郷愁を感じたりするのはいいのですが、「大東亜戦争」には多くの人が死んでいった事実が背景にあるので、日本政府は公式には使っていません。ここはちゃんと覚えておいてほしいと思いました。

放送後に、リスナーからこんなメッセージが寄せられました。

今朝も仕事しながら、拝聴しています。今朝の神戸さんの話を聴きながら、私が小学校だった頃を思い出しました。 あれは、私が小学生だった40数年前、運動会のスローガンを決めていた時のことです。男子の一人が、(神風)ってかっこいいから、スローガンのなかに入れようといいだしました。 しかし、それを近くで聞いていた担任の先生は、君たちは、その神風の意味がわかってそんなこと言うの? と、問いかけそして詳しく説明してくださいました。あの頃、意味さえもわかっていなかった私達に「なぜ、どうして」をなげかけ、教えてくださった先生が懐かしく思いだされました。 今、こんな大人、何人いらっしゃるのでしょうか。私も「なぜ、どうして」を少なくとも自分の子どもには教えられているかなぁ?と、ちょっと反省。でも、今年も子どもたちをつれて広島、長崎の平和学習に行ってきました。これからも、番組でいろいろと勉強させていただきますね。

貴重な思い出を教えていただき、大変ありがとうございました。

神戸金史(かんべ・かねぶみ)

1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。報道部長、ドキュメンタリーエグゼクティブプロデューサーなどを経て現職。近著に、ラジオ『SCRATCH差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』の制作過程を詳述した『ドキュメンタリーの現在 九州で足もとを掘る』(共著、石風社)がある。最新作のドキュメンタリー映画『リリアンの揺りかご』は、TBSドキュメンタリー映画祭で上映(福岡会場限定)。

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