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「強がってでも生きる事に希望を抱いて」糖尿病で右腕切断、元近鉄・佐野慈紀さん 復活の“ピッカリ投法”

南海放送NEWS / 2025年1月14日 18時0分

南海放送

「ピッカリ投法」で人気を集めた松山市出身で元プロ野球選手の佐野慈紀さん。実は佐野さん、去年春に右腕を切断するなど、糖尿病と闘いながら入院生活を送っています。そんな佐野さんが先月、復活のマウンドに登りました。左投げの「ピッカリ投法」です。

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先月21日、明治神宮球場。

佐野慈紀さん:

「頑張ってます。ただね僕が頑張るよりね、愛媛の高校野球もっと頑張れよって話ですよ」

車いすに座るのは、松山市出身の元プロ野球選手、佐野慈紀さん(56)です。現役時代はピッチャーだった佐野さん。利き腕だった右腕が、ありません。

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出身は、高校野球の名門、松山商業。1986年には、ライト兼控えピッチャーとして松商の甲子園準優勝に貢献しました。

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その後、プロ野球の近鉄などで活躍した佐野さんは、引退後も、代名詞でもある振りかぶった時に帽子を飛ばす「ピッカリ投法」で人気を集めました。

佐野さん:

Q.もともと遺伝的な?

「可能性もあるということが最近になって分かってきたことで。自分でもそれなりに気を付けていたつもりだったんですけど、ここまでひどくなると」

「明日、お別れする」ブログにしたためた思い

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引退後に発症した“糖尿病”。合併症の影響で右手が壊死し、去年5月、右腕を切断しました。

「ブログに書いたのも、自分の備忘録として書こうと思って書いただけだったんですけど、やっぱり書いていく中で色んな思いが蘇ってきてさすがに思いは強くなりましたね」

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(佐野さんブログより・右腕切断前日)

「中学生で本格的に投手になり右腕を振りかざした。高校野球でも甲子園で投手として出場。大学でもこの右腕が活躍してくれた。1999年、右腕で宝を抱く。2007年、新たな宝を右腕で抱く。この2つの命の感動は忘れない。一緒に戦ってくれた右腕。感動を分かち合った右腕。明日、お別れする。苦難の先には幸せがある。ありがとう。失われた右腕 これも長い人生の一つ。そう思いたい」

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佐野さん:

「ありがたかったのは、高校の同級生、野球部の同級生とか先輩・後輩、監督、コーチが温かい言葉をかけてくれたので、それはすごくうれしかった。『復活しろよ』とか言ってくれてるし、『みんな仲間やから』っていう言葉ですよね」

元チームメイトが知る“負けん気の強さ”

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佐野さんの松山商業時代のチームメイトで、同級生の加藤秀章さん。

加藤さん:

「一言で言うとやんちゃというか面白いやつで。今はピッカリ投法で笑かしてますけど、昔は硬派で通ってた」

加藤さんは松商野球部のマネージャーとしてチームを支えました。

加藤さん:

「実は我々14人の同級生の中で一人糖尿病で亡くしてるんですね。数年前に。同級生が一人亡くなってるんですけど、その中で我々同級生も気を付けようぜという話はあったんですけど、佐野がその時くらいから『自分も糖尿なんよ』という話をしてたので、気をつけろよということは話をしていた」

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加藤さん:

「一番印象に残るのはこの写真です。これが佐野なんですけど、髪がある。ピッカリではなくて。私はこれですね。僕ら一番“松商史上最弱”と言われたチームだったんで。秋も春も一回戦で負けて、本当弱いと言われたチームで。チームワークで勝っていけたというか」

高校時代から佐野さんは「負けん気」が強かったといいます。右腕を切断すると聞いた時も、「佐野なら大丈夫。復活できる」と信じていました。

加藤さん:

「全然佐野は『前向いてる』ということで、佐野らしいねと同級生では言っている」

入院生活続くなか 復活のマウンドへ

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右腕を切断後も腰に新たな感染症が見つかり、現在も入院生活を続ける佐野さん。「子どもたちに挑戦する大切さを伝えたい」これまで運営に携わってきた少年野球大会で、“左投げ”で始球式を行うことになったのです。

佐野さん:

「この日を目指して左投げを始めたくらいですから。ただまさかのまたの感染症だから。何とか状態も良くなって、病院からも外出許可も」

「よし。ボールは投げれんでも帽子飛ばせたらええわ」

病気に次ぐ病気で5年以上の入院生活。息子とのキャッチボール以来6年ぶりにグラウンドへ。

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(始球式)

「プレイボール!」

ボールはツーバウンド。それでも、左投げで復活の「ピッカリ投法」を披露しました。

佐野さん:

「マイナス10点ですね。こういうことが今後何度もあるとは思うので、いちいち落ち込んでいられないので、これがきっかけで僕としてはもっと左投げで投げられるようになって、キャッチボールもできるようになったら、目標はもう一度野球教室をやりたいなと」

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始球式を終えて佐野さんのブログには、この写真とともに、こう綴られていました。

「強がって、強がって、強がってでも生きる事に希望を抱いていきます」

「みんなと笑顔で会えるように」

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