救出活動中に生き埋め、助け求める声に応えられず…震災現場知る消防士が訴える自助の備え
産経ニュース / 2025年1月17日 11時37分
30年前のあの日、神戸市消防局の消防士として必死の救出活動を行うなか、自らも倒壊家屋の生き埋めになり、死を意識した。神戸市北消防署消防司令の香西(こうざい)義隆さん(58)は17日午前5時46分、自宅で両手を合わせ、静かに黙禱(もくとう)した。消防士の自分に救助を求めた多くの叫びに応えられず、「何もできずに申し訳ありませんでした」と毎年わびる。「教訓を広く伝えたい」との強い思いで、5年前からボランティアで、自らの経験を語り続けている。
午前5時46分。東灘消防署1階の仮眠室で突き上げるような激しい縦揺れに襲われた。倒壊が激しいとの情報があった木造住宅の密集地に向かう命令を受け、消防車両で同署を出発。当初、まだ暗かったこともあり被害の状況がよくわからなかったが、空が明けだすと、目に飛び込んできたのはいつも見慣れた町の変わり果てた姿だった。
「あの光景を見て、現実を受け入れられなかった」
とにかく、一刻も早く目的地に到着しようと先を急ぐと、次から次へと助けを求めて市民が車両に駆け寄ってきた。それでも命令に従わねばならず、「みんな頑張ってくれ」と声をかけるのが精いっぱいだった。「お前、消防士のくせに何言うてるんや」「人殺し」など非難の声を浴びた。
自らも生き埋めに
この日の午後、1階が倒壊した2階建てアパートで生き埋めになったきょうだいの救出へ。崩れたアパートの屋根伝いに近づき、まずは近くにいた小学生の妹を助け出し、続いて、少し遠くで「痛い、痛い」と叫んでいた中学生の兄のところへ。自らを含む隊員3人で兄を抱え、同じく1階が倒壊した隣の2階建てアパートの屋根に移動したそのとき、その屋根が抜け落ちて約3メートル落下、瓦など大量のがれきが降ってきて室内で生き埋めになった。
一瞬「死んだ」と思ったが、なんとか自力でがれきをのけて脱出、兄も救出した。
自身で備えを
それから25年後の令和2年、「人と防災未来センター」(神戸市中央区)の語り部となった。
団体の来館者を対象に、主に日曜日に活動する。講話は3部構成にしており、最初に当時の救出活動の状況などを説明。続いて、救出に優先順位をつける〝命の選択〟を何度も迫られた経験を話す。
そして「大きな災害では、消防力だけでみなさんのもとにまんべんなく行くことは不可能」と断言。「自分たちで命を守るよう、みなさん自身が普段から災害に対する備えをしっかりしてください」と訴える。
2年前からは、消防学校で新人消防職員を対象に阪神大震災についての講義も担当。震災を知らない後輩にも、経験や教訓を語り伝えている。
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