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あの日から30年「忘れてはいけない」 震災の悲しみ、教訓受け継ぎ、あすへ続く祈りの朝

産経ニュース / 2025年1月17日 11時59分

犠牲者の名前を刻んだ銘板の前で手を合わせる人たち=17日午前7時4分、神戸市中央区の東遊園地(泰道光司撮影)

犠牲者への追悼行事が行われた神戸市中央区の東遊園地には多くの人が訪れ、震災の発生時刻に合わせ、灯籠を囲み黙禱(もくとう)をささげた。早朝の暗闇に灯籠の明かりで浮かび上がった文字は「よりそう」。30年という年月を経ても犠牲者や被災者らに寄り添い、風化を防ぐという願いが込められており、参加者はさまざまな思いを胸に犠牲者らを悼んだ。

同公園には竹灯籠や紙灯籠計約6500本が並べられ、灯籠には「30年」や「忘れない」、「希望」などと書かれ、中には平成23年の東日本大震災や、昨年1月の能登半島地震の被災者に心を寄せたメッセージもあった。

「悔しい気持ちは30年たっても変わらない」。こう話すのは同市灘区の文化住宅で1人暮らしだった父親を亡くした同市長田区の松嶋美見(よしみ)さん(73)。震災前々日の15日には成人式後に娘の着物姿を父親に見せに行った。「86歳だったがとても元気で。もう少し早くいけば助かったのではないかといつも思う」と悔やんだ。

同市兵庫区の清掃業、立岩友(とも)さん(45)は同市須磨区で被災し、母親を失った。当時住んでいた木造2階建てアパートが全壊し、屋根にはさまれ犠牲となった。毎年、命日前後は気持ちが落ち込むこともあるが、「東遊園地に来ると心が晴れる」といい、母には心の中で「30年たったけど、しっかりこれからも前向きに生きていくからね」と伝えたという。

「私の経験も伝えていきたい」。そう話すのは千葉市の斎藤智子さん(57)。阪神大震災当時は神戸市北区の団地で被災、「死ぬかもしれないと思った」と振り返る。千葉では東日本大震災も経験。最近になって「震災で感じた恐怖心を吐き出せるようになった」と打ち明け、昨年防災士の資格を取った。「東日本大震災や能登半島地震の被災者の中にも私と同じような人がいるかもしれない。これからは無理せずつらい気持ちを吐き出すことが大切と伝えていきたい」と話した。

震災を経験していない若い世代も教訓を引き継ぐ思いを語った。

「実際に来ると追悼の雰囲気がしっかり残っていて、竹灯籠の文字も思いを持って書かれているのが伝わった」と話したのは、ボランティアサークルに所属する神戸常盤大4年の大島かれんさん(23)=兵庫県三木市。サークルを通して東北や能登の被災地を訪れたこともある。

「日本に住んでいる以上地震は避けられない。自分が聞いた話を周りに話すとか、小さなことでも経験は広がっていくと思う。被災経験がないことをあまり後ろめたく思わずに関わっていきたい」

震災の7カ月後に生まれた同県たつの市の三原綾乃さん(29)は、震災で亡くなった伯父に「一度でいいから会ってみたかった」と話す。震災の教訓を受け継いでいく思いを胸に、「これから起こるとされている南海トラフ地震も怖い。自分ができることをしていきたい」と涙ながらに語った。

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