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宮山古墳の被葬者、金剛山麓で政治支配 「生前の居館を埴輪で再現」橿考研・研究員見解

産経ニュース / 2024年6月13日 10時28分

南郷安田遺跡の大型建物跡で発掘されたヒノキの丸柱

天皇に次ぐ権力を握った大豪族・葛城氏のトップの墓とされる奈良県御所市の宮山古墳(5世紀初め、墳丘長238メートル)の被葬者について、金剛山麓に築かれた南郷遺跡群の大型建物で政治を行った「首長」との説を、県立橿原考古学研究所付属博物館の青柳泰介副主幹が打ち出した。同古墳の家形埴輪(はにわ)と南郷遺跡群の建物構造が合致する点などを挙げ、「大型建物で政務や儀式を行った人物が宮山古墳に葬られ、生前の居館などを家形埴輪で再現した」との見解を示した。

■南郷遺跡群との関連性

宮山古墳は「王者の棺(ひつぎ)」といわれる「長持形(ながもちがた)石棺」があり、葛城氏の始祖・葛城襲津彦(そつひこ)の墓ともいわれる。墳頂部から20棟分以上の家形埴輪が出土し、青柳さんは家形埴輪の形態と、西方2~3キロに広がる南郷遺跡群の大型建物跡の構造が類似する点に注目した。

同遺跡群は葛城氏の拠点とされ、その中の南郷安田(やしだ)遺跡では5世紀最大の建物跡(一辺17メートル)と直径約40センチのヒノキの丸柱が出土し、首長が政務を行った宮殿とされる。約600メートル南西の極楽寺ヒビキ遺跡では、広場が設けられた大型建物跡(同14メートル)と長方形の柱の痕跡が確認された。

一方の宮山古墳では、高さ1・2メートル以上と推定される最大の家形埴輪が丸柱をもつ高床式であることから、南郷安田遺跡の大型建物を埴輪で模したと推定。別の大型の家形埴輪も、極楽寺ヒビキ遺跡の大型建物跡と同様の長方形の柱が表現され、同古墳と遺跡群は密接な関係があるとした。

■金剛山の聖水で祭祀

決め手ともなったのが、宮山古墳の導水施設の家形埴輪。青柳さんは、同博物館で開催中の特別展「家形埴輪の世界」の企画段階で宮山古墳から出土した埴輪片を再調査したところ、木樋(もくひ)(水を送るための木製の設備)をかたどった埴輪が小型の家形埴輪とセットになり、導水施設を表していることを突き止めた。

自身が発掘した同遺跡群の南郷大東遺跡では長さ4メートルの木樋と建物の柱が出土し、水を流して祭祀(さいし)を行った導水施設とされ、宮山古墳の埴輪と構造が類似。「葛城の首長は、金剛山の清らかな湧き水を木樋に引き込んで祭祀を営み、宮山古墳の家形埴輪に反映された」とみる。

■銅鏡に王宮の理想像

古墳時代の権威のシンボルである銅鏡との関連にも着目した。「王の屋敷」を表現したとされる佐味田(さみた)宝塚古墳(河合町、4世紀後半)の「家屋文鏡(かおくもんきょう)」には宮殿や祭殿、高床式倉庫、竪穴住居の4棟が描かれ、南郷安田遺跡などで見つかった大型建物跡や竪穴住居跡と構造が合致するという。

鏡に描かれた高床式倉庫については、南郷遺跡群で発掘された工房跡が相当すると指摘。銀や銅などの素材が出土し、豪華な刀装具や馬具などの生産拠点とされることから、高床式の宝物庫があったと推測する。

青柳さんは同古墳の被葬者について「葛城襲津彦とは特定できない」とする一方、「家屋文鏡にはヤマト王権の宮殿の理想的な姿が描かれ、実際に建物として築かれたのが南郷遺跡群。死後の世界では宮山古墳の家形埴輪として表現された」と述べた。

宮山古墳の家形埴輪や南郷安田遺跡の丸柱は同館特別展で展示されている。16日まで。

(小畑三秋)

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