日常を彩る艶やかな輪島塗 機能的な美しさは堅牢優美とたたえられ
産経ニュース / 2024年5月10日 9時0分
先月の日米首脳会談で岸田文雄首相からバイデン米大統領夫妻への贈答品に選ばれた、石川・能登半島の伝統工芸、輪島塗。震災で工房などが壊滅的な被害を受けたが、その伝統を次の世代につなごうと、若い世代が奮闘している。200年の歴史を誇る老舗、田谷漆器店(石川県輪島市)の代表、田谷昂大さん(32)は、「実用品でありながら機能的で美しく、普遍的な価値がある。多くの人に日常の中で使ってほしい」と語る。
「家業を継ごうとは思っていなかった」という田谷さんが、輪島塗の良さに気付いたのは、大学入学した年の春。
「あれ、いつものお椀と全然違う…」。上京を機に始めた1人暮らしで、量販店の汁椀を使ってみると、実家の輪島塗のものとは手のなじみ具合も口当たりも、まったく違った。「みそ汁の熱がじかに伝わり、熱くて思わず手を引っ込めそうになった」
身近すぎて気付かずにいた、輪島塗がある日常の心地良さ。それを伝えようと卒業後は地元に戻った。
124もの工程を多くの職人の手で
丁寧に塗り固められた漆で艶やかな光沢をまとう輪島塗は、丈夫で美しく「堅牢(けんろう)優美」とたたえられる。制作は徹底した分業制。工程は124にもおよび、木から器を削り出す木地師、漆を塗る塗師、磨き上げて仕上げる研ぎ師と多くの専門職人が関わる。その全体を俯瞰(ふかん)してまとめ上げるのが、田谷さんの役割。「塗師屋(ぬしや)といい、オーケストラで言えば指揮者の立場です」
木地師は光に当てれば透けるほどの薄さにまで器の木地を削り上げる。
刷毛(はけ)を操り、「生き物」といわれるほど繊細な漆と対話しながら塗るのが、塗師。漆には輪島塗職人だけに使用が許される地元産の珪藻土(けいそうど)「地の粉」を混ぜて使う。研ぎ師は、寸分の凹凸もなくなるよう何千何万回と丹念に磨き上げる。
塗っては研いで乾かし、塗っては研いで乾かし…。代わる代わる職人が手と時間をかけると、次第に漆が輝きを放ち始め、やがて丈夫にしてきめ細やかな器が生まれる。完成までにざっと2年ほどかかるという。
実用品に宿る工芸美
そうして生まれた輪島塗の器は、すっと手に添い、指先が優しく吸い込まれるようだ。縁に口元を当てるとほんのり温かく、やわらかい。
「輪島塗は実用的で機能性があって、美しいんです」と田谷さん。きらびやかに蒔絵(まきえ)や沈金で飾られた汁椀も、いまにも跳ねそうな鯉(こい)の姿が描かれたぐい呑みも。日用使いに耐える丈夫さと機能性、漆ならではのつやのある輝きと、職人らの匠(たくみ)の技を映し出す工芸美を兼ね備えている。
「しまい込まずに、ハレの日でも日常でも、どんどん使ってほしい」。そんな思いを込め、これからも輪島から器を送り出すことを目指す。
被災乗り越え前を向く
能登半島地震で、輪島市にある田谷漆器店は工房や事務所が全壊し、無数の漆器が傷つき、オープン間近だったギャラリーは焼け落ちた。
「もうここで輪島塗を作ることはできないかもしれない」。被災直後、田谷さんは絶望した。工程のほぼすべてが手作業で分業制。職人が欠ければ完成させることはできない。
地震から数日後、被害確認のため崩れた工房を訪れると、自らも被災した職人らが散乱する漆器や道具類を黙々と片付けていた。そして田谷さんに声をかけた。「漆器を作りましょう」
その言葉で田谷さんは動いた。1月中旬、インターネット上で寄付金を募る「クラウドファンディング」を立ち上げて、輪島塗復興のための資金を調達。4月からは店の敷地内にトレーラーハウスを設置し、ギャラリー兼地域住民の交流拠点とした。「誰も心が折れてはいない。むしろ、何としても輪島塗を作り続けようと、みんなの心が一つになった」
あの日から4カ月余り。「街は地震前の10分の1の状態にすら戻っていないけれど、多くの人たちと心を一つに、輪島塗を地震前よりも発展させたい」と、田谷さんと職人らは前を向いている。(田中万紀)
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