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旗揚げ公演は全然ウケなくて… 美少女が主役の「リボンの騎士」は適切な団員がおらず 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<11>

産経ニュース / 2025年1月12日 10時0分

三宅裕司さん=東京都千代田区大手町(酒巻俊介撮影)

《昭和54年11月、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)がついにスタートした。翌55年4月15日から、東京・池袋のシアターグリーンで旗揚げ公演「名探偵丸越万太シリーズ第2弾怪奇コメディー『ヤァ!ヤァ!ヤァ』」の上演が始まった。ところが翌16日に国鉄(現JR)と一部の私鉄のストライキが行われ、散々な船出となり…》

「ヤァ!ヤァ!ヤァ」は、劇団青俳から来た岸田良夫さんが演出しました。新劇の演劇青年ということもあって笑いの作り方がまったく僕と合わず、お客さんにもあまりウケませんでした。

劇団員みんなの不満も募っている。で、「これは俺が1本作らないとだめだな」となって作ったのが、活劇ウエスタン「リボンの騎士」(大沢直行脚本、三宅裕司演出)です。

大沢君は才賀明さんの脚本教室にいたころから、「変なものを書くやつがいる」って評判だった。大江戸新喜劇のころには、一緒にコントの脚本を書いていたんですよ。それで(SETの旗揚げ前、大江戸新喜劇時代に上演して好評だった)「名探偵・丸越万太の不完全殺人事件」を書いたんです。

この「リボンの騎士」で、同年7月に行われた「シアターグリーンのサマー・フェスティバル」に参加しました。このイベントはチケット1枚で参加している劇団の公演を全部見ることができるんです。で、この「リボンの騎士」が大ウケして。ほかの劇団のファンもSETを見に来るようになるんです。そこから徐々にお客さんが増えていきました。

この「リボンの騎士」は、歌と踊りとアクションを組み合わせたミュージカル・アクション・コメディーというSETの原型になりました。

そういえば、「リボンの騎士」は主役がマーガレットという美少女の設定でしたが、団員の中になかなか適切なメンバーがいなくて…。この話は、まあいいか。

そのころ、小劇場ブームが起きていたんです。つかこうへい事務所、東京ヴォードヴィルショー、東京乾電池とか。劇団2〇〇(にじゅうまる)は、すぐ3〇〇(さんじゅうまる)になるんですけど。

《つかこうへい事務所は劇作家、演出家のつかこうへい氏が設立。「熱海殺人事件」「初級革命講座飛龍伝」「蒲田行進曲」などユニークな設定と過激なセリフで人気を得た。風間杜夫氏や平田満氏、三浦洋一氏ら俳優を輩出、57年解散。

東京ヴォードヴィルショーは自由劇場を退団した佐藤B作氏が主宰。50周年を過ぎた現在も三谷幸喜氏の作品などを中心に上演している。

東京乾電池は自由劇場を退団した柄本明氏、ベンガル氏、綾田俊樹氏が結成。座長は柄本氏。「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ系)でコントコーナーを担当して人気となったが、チェーホフやシェークスピア、別役実らの作品を上演する。

劇団2〇〇は女優、劇作家の渡辺えり子(現えり)氏、もたいまさこ氏らが53年に設立、55年に3〇〇に改名した》

どの劇団も一世代前の紅テント(状況劇場)とか天井桟敷、黒テントなどアンダーグラウンド(アングラ)の時代とはまた違った内容ですね。

《状況劇場は、劇作家の唐十郎氏が42年、東京・新宿の花園神社において初の紅テント公演を行った。天井桟敷は詩人の寺山修司氏が同年結成、黒テントは作家、演出家の佐藤信氏らが45年に活動を開始した。いずれもアングラ演劇の旗手的存在だった》

僕はアングラの難しい芝居が好きではなくて、もっとエンターテインメントというか、お客さんが楽しめる分かりやすい芝居をしたかったんです。(聞き手 慶田久幸)

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