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安倍洋子「晋三の性格は父親、政策は祖父の岸信介だった」…国葬儀の式壇に置かれた安倍晋三の議員バッジともう一つのバッジ

集英社オンライン / 2023年6月12日 18時1分

2022年9月27日、日本武道館で執り行われた安倍晋三の国葬儀。あの日、あの場所で行われたことから、人間・安倍晋三に迫る真実の物語を『安倍晋三・昭恵 35年の春夏秋冬』(飛鳥新社)から一部抜粋・再構成してお届けする。

#1

式壇には安倍の議員バッジと、もう一つのバッジ

令和4(2022)年9月27日、安倍晋三の国葬儀が日本武道館で執り行われた。

この日の午後1時30分、安倍昭恵は、安倍の遺骨とともに、渋谷区富ヶ谷の自宅を車で出発し、自衛隊の儀仗隊約20人が敬礼しながら見送るなか、日本武道館へと向かった。

車は、午後1時46分ごろ、市ヶ谷の防衛省庁舎前の広場に到着した。集まった約800人の自衛隊員らが敬礼して見送った。



武道館の会場には、雪化粧した日本の山々を生花で表現した式壇の上に、柔らかな笑みを湛えた安倍の遺影が設置され、式壇には安倍が着用していた議員バッジと拉致問題解決への思いを込めたブルーリボンバッジが置かれていた。

陸上自衛隊が弔砲を撃った

午後1時55分、昭恵と安倍の遺骨を乗せた車列は日本武道館に到着。陸上自衛隊が弔砲を撃った。約20秒間隔で計10発。武道館周辺には「ドドドン」との大きな音が響き渡った。

遺骨を抱えた昭恵は、正面玄関で、葬儀委員長を務める岸田文雄総理に迎えられた。しめやかな音楽が鳴り響くなかで、岸田を先頭にして、昭恵らが会場内に入ると、参列者たちは起立して迎えた。

遺骨が昭恵から岸田らの手を経て式壇に置かれたあと、皇族も会場に入場された。皇嗣の秋篠宮さまと皇嗣妃の紀子さまを先頭に、秋篠宮ご夫妻の次女・佳子さま、三笠宮家の信子さまと彬子さま、高円宮妃久子さまと長女・承子さまが最前列に着席された。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が派遣された四人の使者も会場に入った。

2020年の総理退任後、60年ぶりのピアノに挑戦

午後2時15分、葬儀副委員長の松野博一官房長官が開会の辞を述べた。

「ただいまより、故安倍晋三国葬儀を執り行います」

続いて、君が代が演奏され、その後、約一分間の黙が捧げられた。
黙祷ののちに、安倍の政治家としての歩みをまとめた映像が流された。会場に設置された大型モニターには「内閣総理大臣 安倍晋三 憲政史上最長の3188日」とのタイトルが浮かび上がった。

冒頭、「2020年の総理退任後 60年ぶりのピアノに挑戦 震災復興への強い思いを胸に 自宅で練習を重ねた」との字幕とともに、東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」をピアノで弾く安倍の姿が映し出された。

ピアノの音色に合わせて、アベノミクスの宣言や、安倍が人気キャラクターのマリオに扮したリオデジャネイロ五輪の閉会式、国会での演説や記者会見、東日本大震災の被災地を訪問する姿、日本の総理大臣として初めてアメリカ議会上下両院合同会議で演説した様子、外遊の写真や映像が多く流れた。

約8分間の映像の最後は、冒頭の安倍のピアノ演奏の映像に戻り、安倍が笑顔で「もう一回行きます?」と語る姿で締め括られ、会場は大きな拍手に包まれた。

菅の弔辞を聞き、昭恵は涙を浮かべた

午後2時30分、葬儀委員長を務める岸田文雄総理が追悼の辞を述べた。

岸田に続いて、三権の長である細田博之衆議院議長、尾辻秀久参議院議長、戸倉三郎最高裁判所長官が、そして友人代表として菅義偉前総理が弔辞に臨んだ。

官邸で苦楽を共にした日々を振り返る菅の弔辞を聞き、昭恵は涙を浮かべた。目頭を押さえる参列者も多く見られ、会場からは自然と大きな拍手が起こった。葬儀では異例のことだった。

参列者の献花が長く続き、国葬が終わったのは予定より約一時間遅い午後6時15分過ぎだった。

「花は咲く」が再び奏でられ、敬礼する自衛隊員らに見送られるなかで、遺骨は兄の寛信に抱きかかえられながら、日本武道館を後にした。

祖父・岸信介に対する思い

かつて安倍は筆者に祖父・岸信介についてこう語ったことがある。

「私は、祖父・岸信介の背中を見て育ち、政治家になる決意をしました。祖父は、安保改定に政治生命をかけて、取り組みました。それは、"政治家にしかできないことがある。それは国の骨格について、しっかりと考え抜くことだ"という強い思いを持っていたからだと思います。

祖父は、日米安保条約の改定に尽力しましたが、それだけに力を注いでいたわけではありません。国民皆保険を確立し、最低賃金制・国民皆年金など最善の社会保障制度を整え、福祉国家の骨格を作ったのも岸政権です。また、高度経済成長がスタートしたのも、実は岸政権のときです。

しかし、祖父は、内閣総理大臣のポストの座にしがみつこうとは考えなかった。内心、少しでも長く総理として日本のために力を尽くしたいという思いはあったはずです。が、その思いよりも、いましかできないことを成し遂げる道を選んだのだと思います。

政治家には、その政治家にだけ与えられた使命があります。私自身も心に強く誓ってきました。政治家は、いま何をすべきか。そのことを、問わなければならない。選挙に有利か、不利か。世論の支持を受け入れるかどうか。必ずしもそんなことばかり考えるのではなく、それを超えて判断しなければならないものがあるのです。

その一方で、私は、祖父がかつて語っていたことを思い出すこともあります。
”総理経験者がもう一回、総理をやることは、日本にとってもよいはずだ”

その言葉には、実は祖父の本音が隠されていたと思います。どこかで、もう一回、総理を……という強い気持ちがあったのでしょう。

祖父は、山口県で町一番の秀才として名を馳せ、東大でも同窓で親友だった我妻栄(東大教授、民法学者)とトップを争いました。

農商務省に入って以降も、“私がこの役所を担っていくんだ”との強い気概を持ち、四十五歳で次官になっています。エリート中のエリートであった祖父は、総理を退いたあとも、“いつか、また、私の才能が必要なときがくる。私を必要とするときがやってくる”と強く思っていたのだと思います。残念ながら、そのときは訪れませんでしたが……」

安倍洋子「晋三は、政策は祖父の岸信介、性格は父親を受け継いでいますね」

安倍洋子は、筆者にこう語っている。
「晋三は、政策は祖父の岸信介、性格は父親を受け継いでいますね」

さらに安倍は、長州人の強みについて語った。
「2015年、『明治日本の産業革命遺産群』の一つとして、松下村塾の世界遺産登録が推薦されました。明治の産業は、まさに日本が極めて短期間に欧米列強の技術や知識を吸収し、類まれなスピードで産業化を成し遂げた証です。それが遺産群として認められました。私は、この事実が、これから国を発展させていこうというアフリカやアジアの国々にとって、参考になるものだと思っています。

松下村塾は、私の地元・山口県の萩市にあるため、”無理やり押し込んだ”など憶測をいう人もいるようですが、そんなことは決してありません。幕末・明治期の日本を主導した人材を多く輩出したという、教育の重要性が認められたのです。

我々長州出身者は、みんな吉田松陰先生の人格から影響を受けています。高杉晋作も人気はありますが、吉田松陰先生の場合は、まさに人に対して、至誠の人なのですね。孟子の言葉を本当に実践しているようなところがあります。なかなか我々凡人にはできませんが、実際、短い生涯をかけて、その姿勢を貫いたところがあります。

高杉晋作のイメージは、常に行動の人です。山口県では尊敬する人物は、やはり吉田松陰先生が一番になりますが、憧れる人物は高杉晋作です。

吉田松陰先生のような人生は、とても送れない。高杉晋作は、いわばヒーローのような存在ですよね。やりたいことをとことんやるタイプです。

父親の晋太郎、私の晋三の『晋』は、この高杉晋作の『晋』に由来しているわけですが、私自身のなかにも、長州人だなと思うところがあります。
それは、意地っ張りなところですね。長州人は、意地を張るのが好きなのです。傾いたとはいえ、巨大な幕府に立ち向かっていったわけですからね。

長州征伐に遭いながらも、外国の四カ国と戦争をしていました。藩ぐるみで無謀な戦いに挑戦していました。

吉田松陰の言葉の一つに“諸君、狂いたまえ”というものがありますが、まさに藩ぐるみで狂っていたところがありました。
どこかで意地を張れるのが、長州人の強みなのかもしれませんね。私は、政治の転換期において自分の血が騒ぐのは、長州人の気質なのかな、と思うことがあります」

最終的に2万5889人が献花に訪れた

国葬儀には218の国・地域・国際機関から約700人、国内外を合わせると4183人が参列した。

またこの日、武道館近くの九段坂公園には一般向けの献花台が設けられ、献花に訪れた多くの人たちによって、長い行列ができ、列は献花台から二キロ以上、四ツ谷駅まで続いた。開始予定は午前10時だったが30分ほど早められ、最終的に2万5889人が献花に訪れた。

『安倍晋三・昭恵 35年の春夏秋冬』(飛鳥新社)

大下英治

2023年5月18日

1800円

300ページ

ISBN:

978-4864109543

『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)がふれなかった
愛と真実の物語!


増上寺で行われた安倍晋三総理告別式で、昭恵夫人が挨拶でこう言った。

「十歳には十歳の春夏秋冬があり、二十歳には二十歳の春夏秋冬、五十歳には五十歳の春夏秋冬があります。(略)政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後、冬を迎えた。種をいっぱい撒いているので、それが芽吹くことでしょう」

父・安倍晋太郎氏の秘書官時代から40年。
安倍晋三・昭恵夫妻をいちばん数多く取材してきた作家・大下英治が初めて明かす
人間安倍晋三と人間安倍昭恵

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