1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

極右政治家の象徴として韓国が忌み嫌った「アベ」が亡くなったことに、韓国人はなぜ困惑しているのか

集英社オンライン / 2023年8月22日 8時1分

日韓外交に絶大な影響を及ぼしてきた故安倍晋三元首相と韓国の反日勢力の関わり合い。「ポスト安倍」時代の日韓関係はどうなっていくのだろうか。『日韓の決断』(日経プレミアシリーズ)より、一部抜粋・再構成してお届けする。

「極右政治家」の象徴

第26回参院議員選挙の投開票日まであと2日と迫った22年7月8日、元首相の安倍晋三は奈良県での演説中に銃撃され、帰らぬ人となった。

この訃報が韓国に伝わると、一介の日本人記者である私にまで韓国の知人からお悔やみの言葉がいくつも届いた。その姿に、個人の問題を国民全体の問題としてとらえがちな韓国の集団主義文化を感じつつ、この国にとって「アベ」を失ったインパクトの大きさを肌で感じた。



韓国で「アベ」は特別な響きをもつ。だからこそ標的にもなりやすい。

保守系与党「国民の力」に羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)という裁判官出身の著名な女性議員がいる。日本にも度々訪れ、筆者も東京で開かれた国際会議で席が隣同士になり言葉を交わしたことがある。

国内では舌鋒(ぜっぽう)鋭く革新政党を追及するため保守層に人気があるが、大統領時代の文在寅を「金正恩の首席報道官」とからかったときは革新層の反発を招き、逆に親日派と攻撃され「安倍の首席報道官」とか、羅の名前を安倍(アベ)と掛けて「ナベ」などと呼ばれた。

韓国人の一般的な安倍観は、A級戦犯容疑者だった元首相、岸信介の孫であり「歴史修正主義者」「極右政治家」とのレッテルに代表される。国民にもメディアにも安倍は右傾化する日本政治の象徴であり、巨大な存在だった。さらにジェンダーや性的マイノリティーへの差別的な表現が批判を受けた議員を重用したことも韓国内で安倍のイメージを悪くした。

摩擦が経済、安保に波及

日韓関係が「国交正常化後で最悪」といわれたピークは、おそらく19年8月22日、文在寅政権が日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めたときではないだろうか(後に「日本への破棄通告の効力を停止」に変更)。

これに先立ち日本政府は日本企業に対する元韓国人徴用工への賠償命令を確定させた大法院判決への事実上の対抗措置として、半導体材料の対韓輸出管理の厳格化措置に踏みきっていた。日韓間の摩擦が歴史問題から経済、さらに安全保障分野まで波及した点で極めて深刻な事態に陥った。

筆者はGSOMIA破棄決定のニュースに韓国で出くわした。日韓関係の立て直し策を話し合う国際会議に参加していたソウルで大きな衝撃を受けた。

この直前に取材した韓国外務省幹部は「破棄だけはあり得ない」とはっきり否定していたし、国際会議の韓国側メンバーも青瓦台の決定に「想定外だ」「考えられない」と一様に動揺を隠せないでいた。

そのうちの1人に北朝鮮情勢と安全保障が専門の尹徳敏(ユン・ドクミン)(尹錫悦政権で駐日大使に就任)がいた。「日米韓の3カ国協力を揺さぶるような決定を喜ぶのは北朝鮮の金正恩だけだ。理解に苦しむ」。

こうした尹徳敏のコメントを載せた急ごしらえの記事を翌日付の日本経済新聞1面用に仕立てて東京に送ったのを思いだす。

韓国社会が「反日」で一枚岩になった瞬間

日本の輸出管理厳格化措置を契機に、それまで文在寅の経済運営や外交政策を厳しく批判してきた保守系メディアも矛先を日本に転じ、韓国社会が「反日」で一枚岩になった。

「経済戦争が全面化」「破局へ追いやるアベ」――。
首相として同措置を最終決定した安倍を批判する言説が韓国メディアにあふれた。

左派系の市民団体や労働組合などの反政権勢力が結集して「民心」と呼ばれる国民感情をあおり、政権を突き上げるかたちで日本との2国間の取り決めを覆す。あのときと同じだ――。

日韓GSOMIA破棄決定の一報に筆者は、15年末以降にソウルで目の当たりにした日韓慰安婦合意をめぐる騒動を思いだしていた。

この年の春、筆者にとって2度目の韓国勤務がスタートした。慰安婦問題をめぐり日韓の対立が泥沼化しているさなかだった。

韓国の報道・ニュース番組で「アベ」という言葉を聞かない日はないと言っていいほどだった。そのほとんどが「首相」や「氏」などの敬称を付けず「アベ」と報じていた。革新系勢力が国内を反日で束ねるために「アベ」を積極的に利用したのが実態だった。

海外の政治家の中でも抜群の知名度をもつ安倍は、韓国で政治家やメディアの関心を一身に集め、元慰安婦の女性らを顧みない「極右政治家」の象徴に目されていた。

当時は朴槿恵大統領時代だったが、朴政権発足の直前に、安倍が米国で「次期大統領の朴槿恵さんのお父さんは私の祖父(岸信介元首相)の親友でもあった」と紹介したことも韓国内でやり玉にあげられた。

安倍にとっては日韓修復に努める考えを示す発言だったが、韓国では朴父娘の親日ぶりを証明するエピソードとして野党からの攻撃材料に使われたのだ。結局、朴父娘は2人とも在任中に一度も訪日できない大統領となった。

日韓にようやく訪れた「春」は短かった

日韓は冬の時代が長く続いたが、15年11月に雪解けを迎える。

安倍が日中韓首脳会談に出席するため韓国を訪問し、朴と日韓2国間では約3年半ぶりとなる首脳会談を開いた。翌12月に日韓両政府は慰安婦合意を交わした。このときだけは韓国メディアも「アベ」と呼び捨てでなく、「安倍首相」や「安倍総理」と呼んだ。

安倍が日韓首脳会談後に随行者と食事したソウル市内の焼肉屋を後に何度か訪れたことがある。安倍が利用した部屋や席が一目で分かるようになっており、「客寄せ」に使われていた。

日韓にようやく訪れた「春」は短かった。反保守と反日を結びつけた慰安婦合意の抗議運動が各地で繰り広げられるなか、大統領選で政権交代が起こると、新たに大統領に就いた文在寅のもとで慰安婦合意はあっさりと白紙化されてしまった。

安全保障より「自尊心」

「重大な挑戦だ」「2度と日本に負けない」「政府が先頭に立つ」――。19年の韓国で、日本による対韓輸出管理の厳格化措置に対抗する反日運動の旗を振ったのは大統領の文在寅自身だった。

米国の反対を押し切ってGSOMIA破棄決定に突っ走った選択は、韓国の安全保障には明らかにマイナスだったが、文の信任が厚い青瓦台国家安保室第2次長、金鉉宗(キム・ヒョンジョン)の記者団への説明には仰天し、常識では測れない韓国政治の恐ろしさを体感した。

金鉉宗は8月15日の文の光復節演説を持ち出して日本をこき下ろした。

「われわれは日本に対話の手を差し伸べ、演説発表前には日本側に内容を知らせたのに、日本側は何の反応も見せず、『ありがとう』の言及すらなかった」「日本の対応は単なる拒否を超え、韓国の『国家的自尊心』を傷つけるほどの無視で一貫するなど外交的欠礼を犯した」――。

その言葉は、自国民の生命や安全を守る安全保障よりも、国家、民族のプライドの方が大事だ、と言わんばかりだった。

「自尊心」を守った韓国政府の決定は国民に支持されると考えたのだろう。確かにこのとき市民団体など反政権勢力が用いた「経済戦争」というワーディングは、韓国の基幹産業である半導体が日本に標的にされた国民の心に突き刺さった。ソウル中心部で展開された反日デモで「NO! 安倍」と書かれた巨大な横断幕が登場したのもこのときだった。

なぜ安倍と文は交われなかったのか。

実は2人は日韓が小泉純一郎、盧武鉉両政権時代にそれぞれ官房長官、秘書室長という最も首脳に近い補佐役の立場で首脳外交の失敗をつぶさに見ていた。

両国内で保守と革新を代表する力のある政治家同士が教訓を生かして手を結べば日韓に新たな時代をつくれるのではないか、「小泉・盧」は必ずしも悪い組み合わせではない。筆者はかつてコラムにこう書いたことがある。

水と油だった安倍政権と文政権

実際にはそうならなかった。文政権発足直後の17年7月、ドイツ・ハンブルクでの初の出会いこそ悪くはなかった。

このとき筆者も文に同行取材したが、首脳会談の冒頭、安倍は「アンニョンハシムニカ」と第一声に韓国語を用いて会場の笑いを誘った。前夜の米大統領、トランプを交えた夕食会でも、安倍と文が相手の腕に手を添え満面の笑みで握手する写真が韓国メディアに載った。安倍周辺が「歴史問題を切り離す文は前大統領の朴槿恵より話しやすい」と語っていたほどだ。


だが、互いに角突き合わせるまでそう時間はかからなかった。

日韓で対立する歴史問題と安全保障や経済などの協力を分離するとした文政権の「ツートラック」政策が破綻したからだ。

「未来のために過去をたださなければならない」とあくまで「過去」の歴史にこだわった文と、「過去を断ち切らなければ未来は訪れない」と考える安倍の信念はまさに水と油で最後まで溶け合わなかった。

何より「北朝鮮」をめぐる2人の対立は決定的だった。

南北融和を最優先する文は北朝鮮指導部を敵視し圧力強化の必要性を訴え続けた安倍を、自らが主導する対北朝鮮政策と米朝対話にブレーキをかける張本人とみなした。

安倍にとっても日本人拉致をはじめとする北朝鮮問題はライフワークだ。2人にとって絶対に譲れない一線が北朝鮮だったのだ。

「嫌韓」「反日」の流れを止められない?

日韓関係の破局を食い止める「安全装置」も機能しなくなって久しい。

現大統領、尹錫悦の外交ブレーンである国立外交院長の朴喆熙は日韓関係が「国交正常化後で最悪」と呼ばれていた19年の日本記者クラブでの講演で、最近の日韓関係について、①政府当局間を含めて意思疎通のパイプが極めて細くなった、②ともに「自分が正義、相手が悪」という善悪二元論に陥っている、③相手の価値を軽視し、「嫌韓」「反日」の流れを止められない――と指摘。「日韓関係が難しくなった」と話した。

超党派でつくる議員連盟や自民党の外交部会・外交調査会は一昔前まで、政府間交渉が行き詰まると韓国との議員間のパイプを使って独自に解決策を探り、軟着陸に導く緩衝材の役割を果たしてきた。

なかでも日韓議連は首相経験者ら大物政治家が会長ポストに就いてきた議連の名門で政府間の窮地を幾度となく救ってきた。しかし、自民党内の世代交代や政府機構改革などによって党の存在感が低下し、日韓議連もすっかり影響力を失った。

こうしたなか、今後の日韓関係を占う意味で日本でも注目される人事があった。

23年3月、日韓議連の新たな会長に前首相の菅義偉が就任した。首相経験者の会長就任は13年ぶりだ。安倍首相時代に内閣の要である官房長官を長く務め、韓国との外交の酸いも甘いも知る菅は徹底したリアリストでも知られている。

菅会長について韓国政府高官は筆者に「(22年11月の)麻生太郎元首相が訪韓し尹大統領と会談したのに続く日韓関係への良いシグナルだ」と評価してみせた。

安倍を「極右政治家」と蛇蝎のごとく嫌った韓国が「アベ喪失」に複雑な波紋

「日韓は経済的にも、安全保障上も極めて大事な隣国だ。両国の友好発展に取り組む」と決意を語った菅は日韓外交のキーパーソンになり得る。

日韓外交で岸田が思い切った決断に踏みきり、党内や支持層を抑えなければならないときにこそ菅の真価が試される。

それでも党内を束ねるうえで安倍の代わりになるのは難しいだろう。

韓国は安倍を「極右政治家」と蛇蝎のごとく嫌った。一方で自民党最大派閥を率い、日本の保守層をまとめられる安倍の抜きんでた実力を認め、対日外交の羅針盤にしていた。大統領選に当選した尹が就任前に日本に派遣した政策協議団が安倍との面会を強く希望したのもそのためだ。その際は安倍も面会に応じた。

安倍に限らず、日本の政治家による韓国への厳しい言葉遣いに「もう少しうまい言い方があるのではないか」と思ったことは1度や2度ではない。

一方で、安倍があれだけ強く押し込んだからこそ韓国が日本の本気度や事の重大性に初めて気がつき、その結果として尹政権による様々な対日政策の転換につながったとみることもできる。

「アベ」の喪失は韓国にも複雑な波紋を広げている。「日本で実際に外交・安保の議論をリードしているのは誰か」「誰と話せば岸田首相に届くのか」――。安倍の死後、韓国のあちこちでこうした戸惑いの声が漏れている。

安倍構想への追随もためらわず

尹の大統領就任はアベにとらわれてきた韓国政治に風穴を開けた。

22年12月28日に公表された韓国初の包括的な外交・安全保障指針「自由・平和・繁栄のインド太平洋戦略」は、「台湾海峡の平和と安定が、朝鮮半島の平和と安定に重要」と明記し、韓国で台湾と朝鮮半島のリスクを結びつけた初めての文書である。

台湾有事に備え、自由や人権を重んじる国々と手を携える決意や、台湾海峡および近海の安定が自らの平和に欠かせないとする韓国自身の問題認識を盛り込んだ。

「インド太平洋戦略」という名称を使ったこと自体が韓国政府の大きな変化を物語る。「自由で開かれたインド太平洋戦略」という言葉の生みの親は日本の安倍であり、米国によって広まった概念だ。「台湾有事は日本有事」と語っていた安倍は国際社会に同調を呼びかけた。

安倍と激しくやり合った文大統領時代は同構想と距離を置きたいとの意識が韓国政権内に浸透していた。その点、尹は日本や安倍へのわだかまりが全くない。

文前政権はインド太平洋戦略に対し「中国囲い込み」と猛反発する中国政府に配慮して終始、消極的だったのに対し、尹政権は韓国独自の外交文書で堂々と打ちだした。

感情よりも戦略を重視する尹らしい決断だ。岸田文雄政権時代に日韓両首脳の手を結ばせたのは、緊迫する安全保障情勢への危機感だが、日本側も尹の覚悟を認めるほかなかった。


文/峯岸 博 写真/shutterstock

『日韓の決断 』(日経プレミアシリーズ)

峯岸博

2023/7/8

1,100円

280ページ

ISBN:

978-4296117451

【内容紹介】
《変容する日韓の深層に迫る》

2022年5月に韓国大統領に就任した尹錫悦氏は、文在寅前政権の対日政策を刷新し、「国交樹立以降で最悪の状態」を改善するため大きく舵を切った。2023年3月には、「日本はすでに数十回にわたり、私たちに歴史問題について反省と謝罪を表明している」と明言。過去に縛られる日韓関係を根本的に変える強い決意を示した。日本はどう応えるべきか。『日韓の断層』で両国の亀裂の深みに迫った日経のベテラン記者が、双方の社会で静かに進む変化を捉え、両国の今後を探る。

●経済成長の続いた韓国では、1人当たりGDPが日本を追い抜き、先進国入りを実現した。政権交代を後押しした新しい世代が台頭する一方、歴史・伝統に固執する「民心」が存在感を誇示しており、社会の二面性に特徴がある。本書は、この韓国社会の特性と見え隠れする変化の底流を対日関係と絡めて読み解く。とくに尹政権を誕生させたイデナム(20代男性)・イデニョ(20代女性)の実像、成熟しない政治やメディア、成長する経済と豊かさを実感できない民衆の姿などを取り上げる。

●日韓最大の懸案である徴用工問題では、尹錫悦大統領が大きく踏み込んだ決断を表明した。「反日の政治利用」を韓国大統領自らが言及したことは、日本人を驚かせた。従来の韓国の政権とは大きく異なる尹大統領の決断は、どのような背景のもとで行われたのか、今後はどうなるのか、鋭く分析する。

●企業の海外展開が加速し、ビジネスの面では日本以上に世界を意識している韓国。一方、安全保障の面では中露、北朝鮮に対峙し、緊張の度を増している。2022年11月には、韓国が避けてきた「インド太平洋」戦略を発表して日米と歩調を合わせる姿勢を見せた。中国に対する複雑な国民感情、米国との関係改善、強硬な北朝鮮。日韓が置かれた厳しい状況についても、わかりやすく解説した。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください