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NHK朝ドラ『ちむどんどん』の横浜市鶴見区がリトル沖縄になった理由

集英社オンライン / 2022年5月26日 10時1分

横浜市北東に位置する鶴見区がいま湧いている。4月スタートのNHKの朝ドラ「ちむどんどん」の舞台になったからだ。街を歩いてみると、沖縄県ゆかりの店だけでなく、南米系のレストランも目に付く。なぜそうなったのか、歴史をひもといてみた。

NHK朝ドラに湧く街

「お客さんが倍くらいに増えたのではないでしょうか」

と笑うのは、横浜市鶴見区にある「おきなわ物産センター」の代表取締役社長、下里優太さん(41)。店内には沖縄の食材や雑貨が所狭しと並んでいるが、この店を中心としたエリアがNHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の舞台となっているのだ。その「聖地巡礼」に訪れる人々がいま増えているが、ここは昔から「リトル沖縄」として知られてきた。



「リトル沖縄」があるのは、JR・京急鶴見駅を出て、臨海地域のほうへ15分ほど歩くと見えてくる「仲通り」だ。「おきなわ物産センター」の他にも、沖縄料理の店がいくつか並び、沖縄の「飲む極上ライス」ともいわれるドリンク「ミキ」やグアバなどを売る自販機まである。どことなくのどかな空気は、南国由来のものだろうか。ドラマではこのあたりの1970年代の様子をイメージした街並みが再現されているが、

「当時の街並みや空気に似ていると、昔を知る街の人たちも言うんじゃないでしょうか」(下里さん)

父の代から鶴見で暮らす下里優太さん

お客で賑わう「おきなわ物産センター」の中をのぞいてみると、黒糖を使ったスナック、タコライスの素やスパム、島豆腐、島唐辛子、それに「鶴見」という銘柄の泡盛、ヤギの肉にゴーヤなど沖縄直送の野菜……島の恵みが盛りだくさんだ。

「人気は自社工場でつくっている沖縄そばです」

それに、これも隣接する自社工場で揚げているサーターアンダーギー、それにソーキやてびち、豚のバラ肉といった総菜もどんどん売れていく。

「豚のバラ肉は、そばだしや醤油、泡盛で味つけするのが沖縄風ですね」

ほかにも沖縄の音楽や雑貨も充実しているが、そもそもなぜ、鶴見は「リトル沖縄」となったのだろうか。

鶴見区仲通りの中心にある「おきなわ物産センター」。上階が県人会となっている

苦労しながら鶴見に定着していった沖縄の人々

「はじまりは1890年代の後半といわれています」

下里さんが解説する。明治時代になって日本に編入された沖縄県では、海外へと移民していく人が増えていた。本土に比べて経済的に貧しかったことから、海外に希望を見い出したのだ。1899(明治32)年には、初の移民船が那覇を出発。横浜港にいったん寄港して、それから太平洋を渡る手はずだったが、このときにハワイに向かわずそのまま留まった人たちがいたという。検疫などのチェックで引っかかったのだ。そんな彼らが住み着いたのが、横浜から近い鶴見や川崎だといわれている。

「その後、1920年代、30年代に沖縄から集団就職で鶴見に来る人が増えたんです」

鶴見から川崎にかけて広がる、京浜工業地帯の開発が本格化したからだ。全国から大勢の労働者が集まってきたが、とりわけ沖縄からの出稼ぎ者は多かった。

戦後になっても沖縄から鶴見へ、労働者の流入は続いたが、そこには苦労もあった。沖縄は米軍の統治下にあったため、本土へ渡るにはパスポートが必要だったのだ。

「銀行口座もつくれない、家を借りるのも難しかったと聞きました」

まさに外国人扱いだったのだ。だから沖縄の人々は県人会をつくり、鶴見の街でお互いに助け合って暮らしてきた。そして本土にあっても、沖縄の文化を大切に守り続けてきた。

「おきなわ物産センター」に隣接する「てぃんがーら」のソーキそば(中サイズ、800円)と沖縄風の炊き込みご飯「じゅーしぃ」200円。那覇で食べるのと変わらない味がした

そんな中に、ドラマの主人公・比嘉暢子(のぶこ・黒島結菜)が飛び込むことになる。第27話(5月17日放映)では片岡鶴太郎演じる鶴見の沖縄県人会会長が登場し、沖縄からやってきたばかりで右も左もわからない暢子の世話を焼くが、いまでもそんな助け合いの心が残っていると下里さんは言う。

「名字で沖縄の人だとわかればすぐに打ち解ける。『いちゃりばちょーでー(一度会ったらきょうだい)』という言葉がありますが、その精神でつながるんです」

沖縄の名字の印鑑も。「斎藤や鈴木はありません(笑)」と下里さん

こうしていつしか鶴見は東日本でも最大の沖縄タウンとして発展してきた。現在、鶴見区の人口はおよそ29万6000人だが、うち2~3万人は沖縄ルーツだといわれる。そんな鶴見の沖縄人にとって、ひと旗上げようと上京してきた暢子の気持ちには共感できるものがあるようだ。

ちなみに暢子は沖縄の本土復帰後に鶴見にやってきたという設定なのでパスポートは不要だ。第29話(5月19日放映)では鶴見の沖縄料理店に下宿しながら都内のレストランで働くことになったが、今後はどんな展開になるのか楽しみである。

鶴見は「南米系沖縄人」の街でもある

鶴見区ではドラマ放映に関連してさまざまな取り組みが行われている。『ちむどんどん』横浜鶴見プロジェクト実行委員会を結成し、ウェブサイトやSNSで地元情報を発信。商店街や大学、自治体などと連携して、地域活性化への取り組みを進める。「おきなわ物産センター」では、記念切手やドラマガイドなど、関連グッズも売り出し、こちらも人気となっている。

記念切手やドラマガイドなどドラマとのコラボグッズもいろいろ

鶴見を実際に歩いてみると、あることに気がつく。沖縄だけでなく、南米の香りも漂っているのだ。ブラジルやペルーのレストランや食材店も点在していて、街並みとふしぎに調和している。彫りの深いラテン系の顔立ちも目にするが、彼らもまた「ウチナンチュー」なのだ。

沖縄からの移民はハワイだけでなく、南米に向かう人々も多く、とくにブラジル移民の歴史は1908(明治41)年まで遡る。『ちむどんどん』の第25話(5月13日放映)でも、陸上部のキャプテン・正男がブラジルに行く話が暢子との会話で明らかになっている。
彼らはおもに農民として働き、苦労をしながら現地に根を張ってきた。沖縄の文化や方言を守りながらだ。世代を超えて2世、3世の時代になっても、家の中の言葉はポルトガル語と「うちなーぐち」だったという人も多い。

その日系人が、今度は日本へと逆流してくる。1990(平成2)年に入管法が改正・施行され、「日系2世、3世とその家族」が日本で働き、暮らせるようになったのだ。バブルの好景気の中、不足する労働者を日系人で穴埋めしようという政策だった。

こちらは南米の食材や雑貨を扱う「ユリショップ」。オーナーはやはり沖縄ルーツの日系ブラジル人

こうしてブラジルやペルーに渡った日本人の子孫が出稼ぎ労働者として日本に舞い戻ってくるが、沖縄にルーツを持つ人たちの一部は鶴見にやってきた。だからこの街には、ふたつの流れを持つ沖縄人が同居しているのだ。下里さんは言う。

「2016年に鶴見沖縄県人会の青年部をつくってからは、南米の人たちにも入ってもらっているんです」

いまでは毎年行われる鶴見ウチナー祭でも、沖縄と南米の人々が協力する。

「県から出た人のほうがむしろ、文化を守る気持ちは強いのだと思います。県外に出たからこそ、沖縄の温かさや人の良さを実感するんです」

ドラマをきっかけに鶴見に興味を持ったなら、ぜひこの街を歩いてみてほしい。

「ユリショップ」のおすすめフェイジョアーダ(肉と豆を煮込んだブラジルの国民食)1800円

(撮影/室橋裕和)

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