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現代社会を批評し、宝塚らしさを貫く ――稀代の演出家・上田久美子の足跡を振り返る

集英社オンライン / 2022年6月9日 11時1分

宝塚歌劇屈指の演出家・上田久美子が退団した。退団に際してのインタビュー記事も話題を呼ぶなど、宝塚の座付き演出家として際立った個性がファンの注目を集めてきた。現在は多方面で活躍する彼女の宝塚時代の功績と作品の魅力を、『歌劇とレビューで読み解く 美しき宝塚の世界』の著者・石坂安希が解説する。

2022年3月末に惜しまれながら宝塚歌劇を退団した演出家・上田久美子。2013年に演出家デビューを果たして以来、宝塚らしいロマンを帯びた重厚な人間ドラマを描くと共に、社会の問題も提起するような作品の数々は常に注目を集め、多くの観客の心を掴んできた。

退団後は、中村勘九郎主演の朗読劇の脚本や、イタリア名作オペラの演出などが発表され、今後の活躍が期待される若手演出家のひとりだ。ここでは、上田が宝塚で手掛けた4作品を取り上げ、その魅力を紹介していきたい。


ショー・テント・タカラヅカ『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る−』

2018年、珠城りょう、愛希れいか主演の月組公演にて、『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る−』が上演された。本作は、宝塚史上初の女性演出家によるショーという点においても注目される。だがそれ以上に大きな反響を呼んだのが、社会を風刺するような内容だった。

舞台は、全ての悪が鎮圧された上に、飲酒・喫煙が禁じられている平和な惑星国家・地球。あるとき、月から大悪党・バッディ(珠城)がタバコを吹かせ、仲間たちと乗り込んでくる。地球の秩序を守る女性捜査官・グッディ(愛希)は、やりたい放題悪さをするバッディを捕まえようと躍起になる。地球と月の人間たちは対立し合いながらも、次第にお互いの持つ魅力に影響されていくという物語仕立てのショーである。

とりわけ印象深いのは、バッディに出会ったことで、グッディに生まれて初めて「怒り」の感情が沸き起こる場面だ。グッディは「血潮が駆け巡る! 身体中の細胞が蘇る! 私は生きている!」と歌い、激しく踊る。そんな彼女に呼応し、仲間・グッディーズによるほとばしる感情を爆発させたようなラインダンスが展開される。皮肉にも、怒りや憎しみといった感情は、グッディに生きていることを実感させるものだったのだ。

本作を観ると、胸がすく思いがする。善悪・愛憎といった、相反するものの共存は世の理であり、「必要悪」と呼ばれるグレーな部分もあってこそ人間らしいと感じられるからだ。上田は舞台上で都合の悪いものに蓋をし、小さな衝突をも避けるような無菌室状態の世の中に警鐘を鳴らしたのである。

宝塚では斬新に感じられる作風の本作。だが実は、こうした風刺を含む内容は、宝塚の創始者・小林一三が歌劇団の目指すべき舞台として唱えた「国民劇」の思想に適っているのだ。国民劇とは、時局や国民思想を取り込んだオリジナル・ミュージカルを指す。余談であるが、小林が国民劇の見本であると絶賛した作品は、当時の戦後日本の混沌とした世相を風刺的に描いたグランドレビュー『河童まつり』(作・演出/高木史朗、1951年花組初演)であった。

もし、小林が上田のショーを観たら、「これぞ理想の国民劇だ!」と賛辞を送ったに違いない。

トラジェディ・アラベスク『金色(こんじき)の砂漠』

上田は2016年に、宝塚の王道とは異なる、激情にかられた主人公たちが織りなす狂気的な愛の物語を発表している。当時の花組トップコンビ・明日海りお、花乃まりあに当て書きした『金色の砂漠』である。

舞台は、架空の古代砂漠王国・イスファン。この国では、王子には女の、王女には男の奴隷が付くという奇妙な慣習があった。自分の出生を何ひとつ知らず、王女タルハーミネ(花乃)の奴隷として育てられたギィ(明日海)。奴隷でありながらも誇り高いギィは、自分と似た激しい気性の美しいタルハーミネに恋心を抱いていた。彼女もギィを意識していたが、奴隷に惹かれるなど自尊心が許すはずもなく、高圧的な態度でギィに接するのだった。

タルハーミネの婚礼前夜、思いを募らせたギィは彼女に迫り、一線を越えてしまう。そして、二人は駆け落ちすることを決める。ギィは、国を抜け出したら、この砂漠の何処かにあるという〝金色の砂漠〟を見せると約束する。まだ見ぬ金色の砂漠は、幼い頃に危険を冒して探しに行こうとするタルハーミネを、ギィが力尽くで連れ戻したという思い出が宿る特別な場所であった。

だが二人は、密告により捕らえられてしまう。追い詰められたタルハーミネは、無理やり汚されたと述べ、ギィに死罪を言い渡す。投獄されたギィは、実は自分は奴隷ではなく、今の国王に殺された前王の嫡子であったという事実を知ることになる。そこで、脱獄して砂漠へと逃亡したギィは復讐を誓うのだった。

7年後、ギィはイスファンに攻め入り、勝利する。自らが王となり、タルハーミネを妃にすると宣言した矢先、彼女は一人砂漠へと消えてしまう。

追って城を飛び出したギィは、灼熱の砂漠を彷徨うタルハーミネを見つける。タルハーミネは「お前を愛している。お前を、お前なんかを愛するなんて、私が」と思いをぶつける。そんな彼女をギィは抱きしめながら「焼け付くような憎しみの中で、俺はお前に恋したのだ」と告げる。互いを隔てるものがなくなったとき、二人は探し求めていた、人が魂だけになるという金色の砂漠にいることを悟り、息絶えるのだった。

この後に展開されるフィナーレ(ショー)のデュエットダンスを見ると、金色の砂漠は彼らの苦しみや罪を飲み込み、安楽の地へと魂を運んでいったかのように感じられる。その場面は、金色の砂漠ないし天国に見立てられた大階段で、ギィとタルハーミネが目覚めるところから始まる。現世の縛りから解き放たれ、愛のみに包まれた二人の魂が浮遊しているかのように踊る姿は、まさにカタルシスの極みであった。

渦巻く情念、善悪では割り切れない愛を描きつつ、最後は宝塚らしく全てが浄化されていく上田の本作に、衝撃にも似た深い感銘を受けずにはいられないのである。

ミュージカル・シンフォニア『fff -フォルティッシッシモ-〜歓喜に歌え!〜』とロマン・トラジック『桜嵐記(おうらんき)』

2021年、上田は二組のトップコンビの退団公演を手掛けた。

ひとつは、雪組の望海風斗、真彩希帆の退団公演『fff −フォルティッシッシモ− 〜歓喜に歌え!〜』。フランス革命後の混沌とした欧州を舞台に展開される作曲家ベートーヴェンの物語である。同時代を生きた軍人ナポレオン、劇作家ゲーテの思想が交錯していく演出も見所のひとつ。

舞台は、モーツァルト、ヘンデル、テレマンが天国の扉の前で足止めされている場面から始まる。智天使ケルブは、音楽は神のためのものであったのに、彼らが貴族の楽しみのために作曲したことを咎め、地上にいる後継者ベートーヴェン(望海)が音楽をどのように扱うかで、彼らの天国行きを決定すると告げる。

ベートーヴェンは失聴をはじめ、様々な不遇に見舞われる。絶望する彼の前に、謎の女(真彩)が現れるのだが、彼にしか見えないその女の正体こそ、人類の不幸を背負う〝運命〟だった。彼女の存在を受け入れ、愛したことで、ベートーヴェンは自分がつくるべき音楽に気づく。「人と国は傷つけあい憎しみあう。それでもこれを歌わなければならない」と言い、運命と共に人類愛を歌ったシンフォニー『歓喜の歌』(第九)を紡ぎ、出演者全員で大合唱となる。舞台から発せられる歓喜と祈りに満ちたエネルギーに、客席は感動の渦に包まれた。

もうひとつは、月組の珠城りょう、美園さくらの退団公演『桜嵐記(おうらんき)』。本作は上田が宝塚で手掛けた最後の舞台となった。鎌倉幕府滅亡後に朝廷が二つに割れ、武家の北朝と、公家の南朝が争った南北朝時代を背景に、武将・楠木正行(珠城)の生き様と、公家の娘・弁内侍(美園)との束の間の恋が、舞い散る吉野の桜の情景に乗せて、儚くも力強く描かれている作品だ。

公家側についた数少ない武士であった正行。北朝の圧倒的な兵の数からして、南朝が滅びゆく運命にあることは明白であった。では、なぜ最後まで南朝を見捨てず、戦い続けたのか。劇中、正行はその理由について「己だけの流れは何十年、せやけど日の本のもっと長い流れがある。(中略)日の本が平らかになるまで、其、南朝を見捨てるわけにはまいらん」と言い放つ。国に平安をもたらすために戦い、散っていく姿に、観客は涙をこらえきれないほどに心揺さぶられる。

作品の時代や国は異なるが、この二つの退団公演の根底には通ずるものがある。前者は「音楽は誰のものなのか?」、後者は「何のために戦うのか?」という問いが提起されており、上田が描いた主人公たちは、民衆のため、そして国の未来のために、その身を捧げているのである。

上田は退団後、読売新聞のインタビューで「世界に資する作品をつくりたい」と今後のビジョンを語っている。宝塚の様式美を踏襲しつつも、社会や物事の本質に意識を張り巡らせたくなるような舞台をつくり上げてきた上田が、これからどんな作品を私たちに見せてくれるのだろうか。新しい扉が開く瞬間を心待ちにしたいと思う。

上田久美子が宝塚で演出した作品たち

文・画像提供/石坂安希 編集/嵯峨景子

『歌劇とレビューで読み解く 美しき宝塚の世界』(立東舎)

石坂 安希

2022/2/19

1,980円(税込)

単行本‎ 272ページ

ISBN:

484563712X(ISBN-10 )
978-4-84-563712-6(ISBN-13)

《ベルサイユのばら》《エリザベート》から《ルパン三世》まで、歴代の名作も数多く登場!
100年以上の歴史を持ち、兵庫県の宝塚市と東京の日比谷に専用劇場を所有する宝塚歌劇。
本書では、その目玉のひとつである「レビュー」をキーワードに、宝塚歌劇を様々な角度から深く掘り下げ、その魅力の真髄に迫っていきます。
劇団の歴史や美学、演出の特徴などを知ることで、観劇のきっかけとなり、また観る前の予習としても使える1冊。
巻末には「宝塚名作紹介」として、歴代の傑作をじっくり取り上げています。

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