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「外食は福寿しかなかった」電気グルーヴ・石野卓球が惜しむ老舗ラーメン店の閉店

集英社オンライン / 2022年6月16日 10時1分

東京・笹塚の老舗ラーメン店「福寿」が2022年5月末に突然の閉店。「生涯で一番食べたラーメン」と35年以上通い続けた電気グルーヴの石野卓球に多くのラーメン好きに愛された名店の思い出を訊いた。

71年続いた味に終止符

東京・笹塚の老舗ラーメン店「福寿」が閉店したらしいという噂を耳にしたのは2022年の5月のことだった。昔から笹塚に住んでいる友人が教えてくれたが、はっきりした事実はわからなかった。

建物は古いが店内は店主の小林さんがいつも綺麗に掃除していた

「福寿」は1951年創業。2代目店主である小林克也さんが一人で切り盛りし、蕎麦のつゆを思わせる甘みのあるスープに黄色くて細いちぢれ麺。味の染みたチャーシュー。中身に餡を入れない軽い食感のワンタン、スープを飲み干した後にどんぶりの底に現れる「日本一」の文字など、ここにしかない唯一無二のあれこれで多くの人に愛されてきた。



小林さんは「歳? 28歳だよ」と言い張るが、一方で「いつ死ぬかわからない。今日でおしまいかもね。まあ暖簾が出てれば生きてるからまた来てよ」なんて言ってもいたから、言われてみればいつお店を閉めたっておかしくない気がした。

「福寿」2代目店主の小林克也さん

私は以前「福寿」を取材させていただいたことがあり、その縁で店主の小林克也さんとLINEアカウントを交換していて、ごくたまにやり取りをしていた。閉店の噂に動揺し、LINEで直接たずねてみたところ、どうやら噂は本当だったらしいことがわかった。

その後、電気グルーヴの石野卓球さんが「福寿」の閉店を惜しむツイートをしているのを見た。

笹塚 福寿が閉店。
あそこのラーメンを初めて食べたのは18才の頃
最後に食べたのは閉店のうわさをききつけて瀧といっしょに行った今年の2月。そのときもいつもの小林節で店をたたむ話は雲に巻かれたな
生涯で一番食べたラーメンだった。
小林さん、長年にわたりごちそうさまでした&
お疲れ様でした。

そんな卓球さんに「福寿」についてもう少しくわしくお話を伺うことができた。

一杯410円のラーメンに支えられた日々

――卓球さんが初めて福寿に行かれたのが18歳の頃だったとツイートされているのを拝見したのですが、きっかけはなんだったんでしょうか。

18歳で最初に上京した時に住んでいたのが笹塚だったんです。バイトをしていて、お金がないんで、とにかく安く食べられるところっていう。「外食」って金銭的に福寿ぐらいしかできなかったんで。

その当時から店構えはもう結構レトロっていう感じだったんですけど。バイト帰りに通ったり、バンドの練習帰りに寄ったりとかっていうので通い始めて。18歳の時だから、1985年ぐらいですね。まだその頃、夏は冷やしラーメンもやってたんですよ。

――えっ! 冷やしもあったんですか?

そうなんですよ。あと、パートのおばちゃんがいたりとか。

「オレの中で『ラーメン=福寿』だったから」

――小林さんお一人じゃない頃もあったんですね。それは石野さんが「人生」(電気グルーヴの前身となるバンド)としてデビューされる前ということですよね。

そう。ラーメンが500円しなかったんじゃないかな。中途半端な値段だったんですよ。なんか410円とかね。

――通い初めた頃のことは憶えていらっしゃいますか?

憶えてますよ。本当にしょっちゅう行ってました。というか、逆にあそこ以外には金銭的に入る余裕がなかったので(笑)。あそこ21時までやってたんですよね。15時から21時までやってて、だからバイト終わりにあそこで夕飯を食って帰るっていう感じだったんです。

最初の頃は小林さんと会話をすることもなくて。ずっと通ってたから小林さんも俺のことは認識してくれてたらしいんだけど、初めて話したのは電気グルーヴでデビューした後なんですよ。その時はまだ笹塚に住んでたんですけど、ある時「お兄さん、この前テレビ出てたよね?」みたいな感じで話しかけられて。「昔から楽器持ってよく来てたよねー」なんて言って。

――最初は小林さんの方からだったんですね。

そうそう。デビューしたのが22、23歳とかだから、通い始めて4年ぐらい経ってからっていう感じですね。

――初めて行った時、私は小林さんってちょっと怖い人というか頑固な人なのかなと思ったんですけど。

俺はそういう印象はあんまりなかったんですけどね。でもまあ、特に話しかけることもなかっていうか。18歳だと「最近、暑いねぇ!」とかでもないっていうかね(笑)。

自分へのご褒美メニュー

――卓球さんは「福寿」でいつもどのメニューを食べていたんですか?

いつもただのラーメン。それは金銭的な理由からで(笑)。それで、たまに『上チャーシューメン』っていう。『チャーシューメン』と『上チャーシューメン』っていうのがあって、あと『上五目ラーメン』ね。特別な日には『上チャーシュー』とか『上五目』を食うっていう感じでしたね。

2019年頃の福寿のメニュー表

――特別な日っていうのはどういうタイミングでしたか?

給料日です。派遣のバイトをやってたんですけど、給料が月2回あったんですよ。だから月に2回は特別に『上チャーシュー』とか『上五目』を食べるっていう。でも考えてみれば、月に2回をそういう特別な日にしてたっていうことは、最低でも週1回は通ってたっていうことですよね。

上五目ラーメンにはたくさんのトッピングが乗る

――大の常連ですね。その後もそういうペースでずっと通われていたんですか?

最初の頃はそれぐらい行っていて、その後も、彼女と一緒に住み始めたりとかで多少ペースは変わったりとかしてたんですけど、でももう、自分の中ではラーメンといえばあそこっていう感じになってたんで。その当時、豚骨ラーメンとかが流行り始めた頃で、環七の方で「ラーメン戦争勃発!」とか言われ出してたんですけど、『福寿』はそういうムーブメントと一切関係ないっていう(笑)。そこもいいなって。

――その後にお住まいが笹塚から離れても通い続けていたわけですね。

笹塚に8年ぐらい住んでたんで、その間はかなりの頻度で通って、別のところに引っ越した後もそれだけのために通ってましたよ。笹塚に『福寿』以外の用事がないんで(笑)。

瀧も一緒に「人生」の練習の帰りとかよく通ってたんですけど、あの店のどんぶりの底に「日本一」って書いてあるじゃないですか。うちらの間では「ポンイチ」って言ってたんですよね。「今日ポンイチ行く?」とか言って。それから店が閉まるまでずっと「ポンイチ」って呼んでましたね。

どんぶりの底の「日本一」の文字はかつて「日本一の中華ソバ」で商号を登録したことに由来するそう

絶対に他では食べられない、あの味

――瀧さんと最後に行かれた時の写真もツイートされていましたが、あれはどんなタイミングだったんでしょうか。

(2022年の)2月に、笹塚に住んでる友達から「福寿が閉まるらしいですよ」っていう連絡があって、実は何年も前から小林さんからあの辺の再開発みたいな話は聞いてたんで、遅かれ早かれっていう感じはあったんですけど、そういう風に聞いた時も冗談で「まあ、小林さんの方が先に死ぬかもしれないよね」とか言ってたんだけど(笑)。

友達から「2月いっぱいらしいですよ」っていう話を聞いたんで、瀧とうちのマネージャーとかと食べに行ったんですよ。『福寿』の晩年って、すごい営業時間が短かったじゃないですか。13時ちょっと前に行くともう売り切れっていう日とかもあったんで、だからまだ閉まってる11時ぐらいに着いて近くに車停めて、もう張り込みっていう感じで待ってたんですよ(笑)。

開店と同時に入って。で、小林さんに「2月いっぱいだって聞いて来たよ」って言ったら、「そんなことないよ!誰が言ってんの」って、はぐらかされて。「あ、じゃあ、よかったよかった!」って言ってたのに結局5月に閉めちゃって。その時に、うちのかみさんが小林さんとLINEを交換してたんですよ。それまでは個人的に連絡を取り合うことってなくて、まあ店に行けば会えるんでね。

で、その直後に、小林さんがLINEで過去に『福寿』が海外のメディアに取材を受けた動画とかを大量に送ってきてくれて、なんかその時に、「もしかして」とは思ってたんですよ。小林さんもああいう人だから、「ここで閉めるから」って言うと人が押し寄せちゃうし、そうなったら捌ききれないだろうし、だからはっきりと言わなかったんだと思うんですけどね。

――僕もずっとはぐらかされていて、はっきりと店を閉めるっていうのは結局今もずっと言われてないんですよ。

うん。あの人らしいですよね。だから2月に行っておいてよかったなって。それがまた5月に閉まるって聞いていて行ったりすると、せっかく小林さんがそういう風に小林さんなりの接し方をしてくれたのに、それを台なしにしちゃうような気がして、あれはあれでよかったかなって。

ちなみに最後に『上チャーシュー』を頼んだんですけど、『もう上チャーシューやってないんだよね』って言われた。一日に出す分って限られてるじゃないですか。「でもまあ卓球さんだからいいや、特別だよ!」って言って出してくれたんですよ。そしたら、後に来たお客さんにチャーシューが入ってなかった(笑)。悪いことしたなっていう。

それが最後でしたね。でも、あれ以上求めちゃいけないなって。ここ数年っていうか、10年ぐらいかな、前ほどの頻度じゃないですけど、たまに禁断症状が現れるんですよね。あの味は他のところでは食べられないから。あそこじゃないと。

#2 ラーメンより失ったもの…電気グルーヴ・石野卓球が語る「福寿」 につづく

取材・文・撮影/スズキナオ インタビュー撮影/高木陽春

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