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「外務省にけしからんと言われても、私は『ロヒンギャ』という言葉を使いますよ」ミャンマーのクーデターから3年。今も難民支援を続ける元外交官の想い

集英社オンライン / 2024年3月27日 11時30分

2021年2月にミャンマーで軍がクーデターを起こしてから3年が経つ。ミャンマー政府に国籍を剥奪されるなどの弾圧を受け、「世界で最も迫害された少数民族」と呼ばれるロヒンギャ難民は今も過酷な避難生活を余儀なくされている。外交上、日本政府も”見捨てた“形となっているこの少数民族に、今も支援を続ける元外交官を追った。

外務省では「ロヒンギャ」はNGワード

今年の3月1日、群馬県館林市。アウンティン(55)は茂林寺駅前でそわそわしていた。招待した客が、次の電車でやってくるのだ。彼は、国連が世界で最も迫害されている民族と報告したミャンマーの少数民族ロヒンギャである。弾圧を逃れて来日し、現在は日本国籍を取得して舘林で暮らしている。



電車がやってくると、ホームに長身の男性が降り立った。改札から凝視していたアウンティンが「あっ、泉大使!」と声をあげた。泉裕泰(66)はすでに外務省を退官しているが、それでもロヒンギャの彼からすれば今でも「大使」なのだ。

泉は2017年から2年間、駐バングラディッシュ特命日本全権大使を務めていた。当時から、ロヒンギャに関する難民支援とその地位的な救済の必要を発信し続けてきていた。後述するが、これはミャンマー政府の意向を過剰に忖度する日本政府のなかでは異例の振る舞いであった。

ロヒンギャはミャンマー政府に国籍を剥奪され、居住地を限定されるなどの弾圧を受けていたが、国軍はさらに国外への追い出しを狙って2017年8月26日から軍事掃討作戦を展開した。

この日、現場となったラカイン州のシットウエにいた筆者は、現地の男性から「これから軍の非道が続くだろう」と聞かされた。実際、この日より、国軍がロヒンギャに対して犯した人道に反する罪は、凄惨を極めた。

村を焼き、住民を無差別に殺害し、女性に対しては組織的な集団レイプが行われた。クトゥパロンの難民キャップだけでも約4000人の性被害が報告されている。ロヒンギャは難民となって 、隣国バングラディッシュに約80万人が逃れていった。

事態を重く見た欧州連合はミャンマーに対する関税優遇措置を外すことを検討し、アメリカ財務省もミャンマー軍幹部に経済制裁を科すと発表した。

しかし、日本政府はこれらの動きに同調せず、一貫してロヒンギャを見捨ててきた。ロヒンギャの暮らすラカイン州は、インド洋から中国まで伸びるパイプラインの起点であり、その利権が欲しいミャンマー政府は、ロヒンギャの先住権を認めずにベンガルからの違法移民とし、国籍を剥奪している。

そして日本の外務省もまたこれに追随し、ロヒンギャという民族名を一切、使用せず「ラカイン州のムスリム」と呼称している。

2018年に国連総会で、ミャンマー政府によるロヒンギャ迫害を非難する決議が採択されるも、日本はこれを棄権。同年12月には駐ミャンマー日本大使の丸山市郎氏が「今、ミャンマーは経済も民主主義も発展しており、日本政府はさらにサポートしていくつもりです」と発言した。

ミャンマーに対する最大の投資国として、日本はロヒンギャに対する虐殺や性テロリズムを容認し、ビジネスを優先させると宣言したに等しかった。丸山大使は翌年にも「ミャンマー軍はロヒンギャの大量虐殺に関与していない」と発言し、「ベンガル人」という呼び名を使った。殺戮を繰り返す国軍におもねる官製ヘイト発言であった。

群馬県館林市にある日本最大のロヒンギャコミニュティ

舘林は日本最大のロヒンギャコミニュティとして、約300人を超える人々が住んでいるが、この丸山発言には皆、絶望と憤怒を隠さなかった。「日本はお金に目がくらんで、私たちが絶滅するのを待っているのか」とアウンティンは怒りを露わにしていた。
 
彼が失望したような日本外交が展開される中、ミャンマーの隣国・バングラディッシュの日本大使が、逃れて来たロヒンギャ難民たちに対する積極的支援を行っているという情報が入って来た。それが泉だった。

泉は2017年に、バングラディッシュの首都であるダッカに赴任すると同時に、国連が主催する難民キャンプ視察ツアーに参加した。ロヒンギャ難民であふれるクゥトゥパロンキャンプの惨状は想像をはるかに超えるものだった。

それ以降、泉は2か月に一度はキャンプを訪れ、難民を支援する国際機関やNGOの職員を支援し続けた。

政府系のNGOである「難民を助ける会」でさえヤンゴンの現地オフィスを心配してか、「ミャンマー避難民」としか呼ばなかった時期があるが、泉は外務省ではタブーとされる「ロヒンギャ」というワードを公然と使った。

「迫害を受けた難民のアインデンティティーに関するものとして、最も重要な言葉ですよ。もしも(外務省から)けしからんと言われたら、強調して、カッコ付きで『私はロヒンギャと言っています』と言い返しますよ」

文字表記ではなく、会話だから「」は見えないだけ。サッカーでの民族融和を図ったオシムが、提出した書類をセルビア人の政治家から(セルビア人の使う)キリル文字の書類ではないと言いがかりをつけられたときに「じゃあ、会議はキリル文字で話し合おう」と宣言して爆笑を誘ったことを想起する。このように圧力をユーモアで返しながら泉は勢力的に活動を続けた。

泉は2019年4月、故郷の広島にロヒンギャ難民が折った千羽鶴を持ち帰って寄贈している。

「ロヒンギャは自分たちの学びで、原爆の子の像になった佐々木貞子さんのことを知ってくれています。そして鶴を折ってくれた。無国籍にされて国を追われたロヒンギャこそ平和が欲しいはずじゃないですか。だから僕はうれしかったんです。では日本はどうか。同じアジアで起こっているこの悲劇にもっと関心を払ってもいいじゃないですか」

泉の存在を知ったアウンティンはこのとき、ともに広島に足を運んで被ばく者に祈りを捧げている。同年6月に泉は、人権課課長時代のネットワークを活かし、日本ユニセフ協会大使の長谷部誠(ブンデスリーガ・フランクフルト)に手紙を書き、ロヒンギャ難民キャンプで子どもたちとボールを蹴ってくれないかと打診。

快諾した長谷部と一緒にクトゥパロンに足を運び、日本代表キャプテンがサッカーをする機会をセットした。常々、泉は「ロヒンギャの子どもたちに教育の空白期間を持たせてはいけない」と言い続けてきた。約80万人の難民のうちの半数以上が未成年である。いつかミャンマーに帰国するまでに学習する機会を与えなければ、社会復帰も厳しい。

バングラディッシュでの二年の任期を終え、次の赴任地、台湾の台北事務所長に着任してからも泉の心はロヒンギャとともにあった。

ミャンマー国軍の「本質」がむき出しになったクーデター

2021年2月1日、ミャンマー国軍によるクーデターが起こった。同日未明に国家顧問のアウンサンスーチーをはじめとする与党NLDの幹部政治家たちが国軍によって一斉逮捕された。

前年11月に行われた総選挙においてNLDが476議席中396議席を獲得し、国軍系政党USDPは大敗を喫していた。選挙は国際機関による監視下で公正に行われていたが、国軍は不正があったと主張し、この暴挙に出たのであった。

そしてあらゆる権力がミャンマー軍の最高司令官であるミン・アウン・フラインの下に統合されることになった。

以降、すべての権力を掌握した国軍政権に盾突く者は拘束され、反軍政デモは暴力によって徹底的に弾圧された。ミャンマー国内は内戦状態に陥り、現在もそれは続いている。

クーデターの一報が世界中に発信された同年2月1日の明け方、一本の電話が台湾の首都・台北から舘林のアウンティンに入った。コールしたのは、日本台湾交流協会台北事務所の泉裕泰所長。泉は言った。

「ミャンマーの市民には本当に気の毒な状態に陥った。しかし、あなたたちロヒンギャにとってはこれひとつのチャンスでもある。この機会は大事だと思う」

クーデターによってミャンマー国軍の本質がむき出しになった。ロヒンギャが受けて来た迫害がいかに理不尽で許されざるものであったのか、いまだに「ロヒンギャはベンガルからの違法移民」というデマを信じて国籍を奪う弾圧に加担する人々に、理解を迫る機会であると泉は説いた。

クーデターから3年、国軍政府は徴兵制まで導入

クーデター後、ミャンマー国内では、ロヒンギャに対する懺悔の声が大きく巻き起こった。不当に政権を奪取した国軍政府に対して、民主派がつくったNUG(挙国一致政府)は、現在ロヒンギャのアウン・チョー・モーを副大臣に任命している。

泉は世界がコロナウイルスに覆われると、密になるロヒンギャのキャンプを心配し、台湾の外交部長にマスクを現地に贈って欲しいと依頼した。部長は承諾してくれたが、台湾はバングラディッシュと国交がなく、輸送の技術的な問題から実現できなかった。

しかし、こうした泉の着任国を超えた尽力はアウンティンのコミュニティでも知られることとなった。

「祖国からも日本政府からも見捨てられた私たちに、彼はずっと向き合ってくれた」

2023年11月に外務省を退官し、日本に帰国した泉を招きたいという舘林のロヒンギャたちの夢が3月1日に実現したのである。

茂林寺前駅に降り立った泉をアウンティンは車で迎え、豪勢なハラルフードでもてなし、舘林市役所での多田善洋市長との会見をセットした。

席上で泉は、最も迫害されているロヒンギャの人々を行政として受け入れ、ともすれば偏見もともなうイスラム教徒の人たちとの共生社会の実現に積極的な舘林市の姿勢に感謝を捧げた。

ロヒンギャの人々の意見交換もさかんに行ってきた多田市長もこれに応え、人権の先進自治体としての抱負を語った。

「夜は皆で盛大なバーベキューの準備をしているので」というアウンティンの誘いを丁寧に辞した泉は、午後には再び東武線に乗り込んで帰途についた。

「ロヒンギャのキャンプにいた若者が今年、広島大学に3人入学したそうですね。素晴らしいことです。難民に対しては健康と教育を絶やしてはいけない。僕は外交官にはイマジネーション(想像力)とコンパッション(思いやり)が重要だと思うのです。ロヒンギャやクルドは本当に気の毒な人たちです。他の立場の人は、決して僕らが世界を見ているのと同じように世界を見ているわけではない」

それを泉はサン・テグジュベリの小説『星の王子様』から学んだという。

ミャンマーは外務省の南東アジア一課、バングラディッシュは南西アジア課がそれぞれ担当する。縦割りの中でも、泉の関心は着任国以外にも向けられていた。いうまでもなく人道、人権は人類における普遍の価値だからである。

3月27日はミャンマーの国軍記念日である。クーデターから3年、国軍政府は徴兵制まで導入した。自分たちを虐げた祖国が強権を振るい続ける中、かような日本の外交官がいたことをロヒンギャたちは忘れない。

文/木村元彦

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