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「過去に2人、呪い殺している」SNSで“呪詛エピソード”が大拡散…『光る君へ』でも描かれた日本人と呪いの密接な関係

集英社オンライン / 2024年3月31日 19時0分

「呪いで人を殺してしまった」という体験談がSNSをざわつかせた。その人は、過去にも2人、呪いで殺してしまっているという。にわかには信じられないが、同じような体験談は数多く存在する。現在放送中の大河ドラマ『光る君へ』にも、呪いに関する描写が数多く登場するのだが、日本人と呪いの関係とは…。

「実は過去にも二人、呪い殺している」

先日、SNS上で“呪い”に関するポストが大きくバズって話題となった。それは〈知人が「とある人に酷い仕打ちをされた。バチがあたれ、バチがあたれ、と念じていたら、若くして死んでしまった。自分のせいだろうか」と言うので、ただの偶然なので気にする必要はないと励ましたのですが、「実は過去にも二人、呪い殺している」と言われ…〉というもの。

にわかには信じられないようなエピソードだが、なんとこれを皮切りに、Xでは呪いに関するエピソードが何十件、何百件とそこかしこから集まった。

〈「パワハラ上司が異動しますように」と書いた短冊をスーパーの七夕の笹に吊るしたら、数ヶ月後にめでたくその上司が異動したことがあります〉〈黒魔術と私は呼んでますが、職場で嫌だなと思ってた少なくとも10名の職員はいなくなりましたね〉〈実はこれ、私や周りも結構ある。辞めた職場が必ず潰れる人とかいたなぁ…バイト時代から100%らしい〉といったような職場関係の体験談。

さらには、〈私も心当たりがあります。大嫌いだった人が何人か病気になって亡くなりました〉〈母が「人を悪く思わないように気を付けてるんだ」と言っていた。母に意地悪を繰り返した人たちが怪我したり交通事故に遭ったり死んだりが続いたからだそうだ〉など、人の命にまで影響する体験談が投稿された。

もちろん、これらはすべて“偶然”で片づけられることかもしれない。例えば、パワハラ気質で従業員の不満がつのっているような職場なら、責任者が飛ばされたり、仕事がうまく回らず倒産…なんてケースに陥りやすいだろう。SNSなどでも、こうした呪いの体験談をただの“偶然”と指摘する声は多い。

しかし、こうした“呪い”が当たり前のようにあると信じられ、今とは比べ物にならないほど大きな影響をもたらしていた時代は確かにあった。平安時代だ。

現在放送中の大河ドラマ『光る君へ』(NHK)では、頻繁に占いや呪詛のシーンが登場する。ユースケ・サンタマリアが演じる陰陽師・安倍晴明は、その特殊な能力が買われて、天皇や貴族からも一目置かれ、政局にも大きな影響を及ぼしている。

平安時代に呪いはどのように扱われていたのか

ドラマの第6~7回にかけては、藤原兼家が晴明に、藤原忯子の腹の中にいる子どもを「呪詛せよ」と依頼すると、なんと忯子は母子もろとも命を落とすことになった。子どもだけでなく、忯子の命まで奪った晴明を兼家は責めたが、晴明は逆に「私を侮ると、右大臣さまご一家とて危うくなる」と脅し返して黙らせるなど、晴明は権力者にも屈しないほど、圧倒的な力を持っていることがわかる。

さらに3月17日放送の第11回では、藤原兼家らにそそのかされて出家した花山天皇(現花山院)が、報復とばかりに呪詛を行う姿に合わせて、天皇の即位式の時のみに用いられる高御座で、生首が発見されるという事件が発生した。

従者たちは震えあがっていたが、こういった描写は視聴者の間で〈この時代は占い事が政治的に重要な位置にあったんですね。 今では考えられません〉〈占いの影響度は我らの時代とは比べ物にもならぬわけですよね〉〈呪いや占いが権力を持つ時代〉〈呪詛とか夢とか目に見えないものが怖がられているけど、生首がいきなり現れるような物理的ホラーもあるからこの時代大変〉といった反応があがった。

いったい平安時代では人々の間で、呪いはどのように扱われていたのだろうか。日本人と呪詛の関係について、Podcast番組「主に日本の歴史のことを話すラジオ」のパーソナリティで、歴史に詳しい水無月さんに解説をうかがった。

「古代以来、呪詛により政敵を葬った例や怨みを飲んで死んだ人の怨念が様々な事件を起こすといった出来事や文学作品等が多く伝えられていることから、人々にとって呪詛や怨みのパワーは身近なものであったと考えられます。一方で呪詛を相手に返す方法や、逆に呪詛を仕掛けたとして政敵の罪をでっち上げることもあり、呪詛や怨念とはほどよい距離感で付き合っていたのかもしれません。『人を呪わば穴二つ』(人を呪うと墓穴が2つ、すなわち自分にも罪過がおよぶ)という言葉もあり、多くの人にはダークなイメージで忌嫌われてもいたようですね」(水無月)

われわれ日本人が、心のどこかで呪いや迷信を信じてしまうのは、そういった古くからの時代の流れが関係しているのだろうか。

「呪詛は権力者の道具であり、一方で権力者や強者の絶大な力の前でどうすることもできない弱者の最後の抵抗手段でもあり、どのような時代になっても決して消えることはないように思います。平城京跡からも呪いの人形が出土し、今日でも京都の某神社では、しばしば丑の刻参りの藁人形が発見されるとか。日本人と呪詛のお付き合いは、決して絶えることはないようでしょうね」(水無月)

確かに、ドラマでは権力者が己の地位をあげようと邪魔者を消すために呪詛を用いるシーンが目立っているが、記事の冒頭で紹介した“現代の呪い”の逸話の数々はどれもが、強者に虐げられた弱者が、その恨みとしてやり返しているものばかりだ。やはり呪いは、“最後の抵抗手段”でもあり、“最後の希望”でもあるのだろうか。

取材・文/集英社オンライン編集部 写真/shutterstock

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