ピクサーのオスカー映画「インサイド・ヘッド」が公開までに8回も作り直されたという逸話を知っていますか
集英社オンライン / 2024年5月19日 8時0分
〈プロジェクト成功の可否を握るのは「計画立案」。期限も予算も大幅に崩れたシドニー・オペラハウスと理想通りに進んだビルバオ・グッゲンハイム美術館の決定的な差とは〉から続く
トイ・ストーリー、モンスターズ・インク、ファインディング・ニモ、Mr.インクレディブル、カーズ、インサイド・ヘッド――。これら大ヒットタイトルを制作しているのはアメリカのピクサー・アニメーション・スタジオだ。これだけのヒット作を連発する秘密は徹底した作り込みにある。予算内、期限内で「頭の中のモヤ」を成果に結びつける戦略と戦術を解き明かしたベストセラー『BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?』より一部抜粋、再構成してお届けする。
【画像】アメリカ・カリフォルニア州にあるピクサースタジオのゲート
ピクサーは「灰色のモヤモヤ」から始まる
現在ピート・ドクターは、「カールじいさんの空飛ぶ家」「インサイド・ヘッド」「ソウルフル・ワールド」の3作品でオスカーを受賞した映画監督である。
彼は1995年の世界初のフルCGアニメーション映画「トイ・ストーリー」をはじめ、時代を象徴する名作を連発している映画スタジオ、ピクサー・アニメーション・スタジオのクリエイティブ・ディレクターも務める。
だがドクターが入社した1990年、ピクサーはほんの小さな会社で、デジタルアニメーションはまだ揺籃(ようらん)期にあり、ドクターは若くて世間知らずだった。
「ウォルト・ディズニーのような人は、眠っている間にひらめくのかと思っていたよ。突然『そうだ、ダンボだ!』なんて叫んでね」とドクターは笑う。「アイデアが完成した状態で降りてきて、最初から最後まで物語をスラスラ語れるんだと思っていた」
経験を積んだ今は、映画の物語がそんなに簡単に生まれないことを知っている。「それは灰色のモヤモヤから始まる」と彼は言う。
「灰色のモヤモヤ」を、劇場で公開されるオスカー受賞作品に変えるためにピクサーが用いているプロセスを、ドクターは長い会話の中でくわしく説明してくれた。
その方法は、ゲーリーがグッゲンハイム・ビルバオの設計で用いたプロセスとはまったく違うのだろうと、私は思っていた。なにしろアニメーション映画と美術館は、オペラハウスと風力発電所ほどかけ離れているのだから。ところがドクターが教えてくれたプロセスは、ゲーリーのプロセスと本質的にとてもよく似ていた。
1つめの共通点は時間だ。ピクサーの監督は、アイデアを探し、映画のコンセプトを練り上げるのに、数か月かけることを許される。この時点でのアイデアは、いずれ木になる種のように、最小限のものでしかない。たとえば「料理好きなフランスのネズミ」「気むずかし屋のじいさん」「少女の頭の中」など。「たったそれだけ。キャッチーで、興味をそそるアイデアであればいいんだ」とドクターは言う。
そして最初の小さな一歩として、そのアイデアがどういうふうに物語の土台になるかを説明する、12ページほどのあらすじを書く。「主に、何が起こるかを説明するんだ。舞台はどこか? どういう状況なのか? どんなことが起こるのか?」とドクター。このあらすじは、監督や脚本家、アーティスト、経営陣からなる集団に渡される。
「全員がそれを読んで、批評や質問、懸念をぶつける。監督はそれらを持ち帰ってあらすじを書き直す」。その後、論評と書き直しのラウンドが再度くり返されることもある。
ピクサーの「原型」のつくりかた
ドクターによれば、いったん「物語の大筋が決まる」と、脚本の執筆が始まる。
最初の草稿は120ページほどで、このときも同様のプロセスが「2回ほどくり返される」。そして、監督はこれ以降のどの段階でも、誰からのどんなフィードバックも取り入れる義務はないのだと、ドクターは強調する。「ここにアイデアがあるよ、使うも使わないも君の勝手だ、という感じでね。監督に唯一求められるのは、脚本をよくしていくことだけ」
この工程は、脚本を書いたことがある人なら誰でも、少なくとも大まかには知っているだろう。だが脚本がある程度かたちになると、ピクサーは一風変わったことをする。監督が5人から8人のアーティストのチームと組んで、脚本全体の詳細な絵コンテ(ストーリーボード)を描く。
そしてそれらを写真に撮ったものをつないで動画にし、映画のラフバージョンを作成するのだ。絵コンテ1枚が映画時間の約2秒に相当するから、90分の映画なら約2700枚の絵コンテが必要になる。この動画に、社員がセリフを吹き込み、簡単な音響を加える。
こうして映画全体のラフな原型ができあがる。ここまでの所要期間は3、4か月。「だから、かなり大きな投資になるね」とドクターは言う。それでも、実際のアニメーション制作にかかるコストに比べれば、大した金額ではない。
次に、プロジェクトに関わっていない人たちを含む大勢の社員を集めて、この試作映像を上映する。「誰も何も言わなくても、聴衆が映画を気に入っているのか、いないのかはすぐわかる」とドクター。「何か言われる前から、どこを直すべきかがわかることが多い」
また監督は「ブレイントラスト」と呼ばれる、ピクサーの監督経験者の集団からも批評を受ける。「たとえば『あの部分がわからなかった』『メインキャラに共感できなかった』『最初はよかったが途中で混乱した』というように。いろいろな部分が槍玉に挙がる」
この最初の試写会後、「試作のかなりの部分が削り落とされるんだ」とドクターは言う。脚本は大幅に書き換えられ、新しい絵コンテが描かれ、動画に編集され、新しいセリフが吹き込まれ、音響が加えられる。このバージョン2もブレイントラストを含む観客に見せられ、監督は新しいフィードバックを得る。
これをくり返す。
もう一度。またもう一度。そしてもう一度。
一般にピクサー映画は、脚本から観客のフィードバックまでのサイクルを8回くり返す。バージョン1から2への変化は「たいていとても大きいね」とドクター。「バージョン2から3への変化も、かなり大きい。うまくいけば、その後は使える要素が増えていくから、変化はどんどん小さくなっていく」
「バージョン9」で公開
ドクターがアカデミー賞を受賞した「インサイド・ヘッド」の劇場公開版では、物語の舞台は少女の頭の中で、少女の感情をつかさどる、「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」などの5人のキャラクターが登場する。
だが初期のバージョンには、それよりずっと多くのキャラクターがいた。それぞれが、ドクターが心理学者や脳科学者に相談して選んだ感情をつかさどり、他人の不幸を喜ぶ「シャーデンフロイデ」や、物憂げな「アンニュイ」というキャラクターまでいた。またキャラクターには人間の名前がついていて、どの感情を代表しているかは、行動から察するようになっていた。
これは失敗だった。「あまりにもややこしすぎた」とドクターは苦笑する。そこでキャラクターの数を絞り、名前もわかりやすくした。大手術だったが、うまくいった。
のちの細かい点を詰めるラウンドで、こんなことがあった。このときの脚本では、「ヨロコビ」が、意思決定を行う司令室から遠く離れた心の奥で迷子になり、「司令室に戻らなきゃ!」と何度も言うことになっていた。これは、行動の目的と重要性を観客に伝える大事なセリフなのだが、そのせいで、ヨロコビが自己中心的でいけすかない人物のように思える、という指摘があった。
ドクターはどうしたか? このセリフを別のキャラクターに与えたのだ。「そこで『カナシミ』に、『ヨロコビ、あそこに行かなきゃダメよ!』と言わせたんだ」。些細な変更だが、「キャラクターの印象ががらりと変わったよ」とドクターは言う。
この徹底した、疲弊するプロセスを8回ほどくり返すうちに、監督のコンセプトが細部に至るまで厳密に検証される。ゲーリーが物理的模型とCATIAで建物のシミュレーションをするように、映画のシミュレーションも徹底的に行われる。それがすんで初めて、ピクサーの最先端コンピュータを使った本物のアニメーション制作が開始されるのだ。
シーンを1コマずつつくる。有名俳優に声を吹き込んでもらう。プロの作曲家による楽曲を録音する。音響効果を作成する。これらすべての要素を統合して、世界中の劇場で公開されテレビで放映される実際の映画がとうとう完成する。
「公開版はバージョン9くらいかな」とドクターは言う。
文/ベント・フリウビヤ 写真/shuttertock
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