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殺人は償えるのか? 懲役刑はあくまで国家からの罰であって被害者への「償い」ではない…殺人事件の加害者と被害者にとっての謝罪

集英社オンライン / 2024年8月15日 17時0分

少年犯罪の取材に長年携わってきたノンフィクションライター藤井誠二氏のもとへ、殺人の罪で服役する水原(仮名)からの手紙が届く。犯してしまった殺人の罪は償えるのか? 二人は手紙のやり取りを通じて考える。

【画像】ノンフィクションライターの藤井誠二氏

書籍『贖罪 殺人は償えるのか』より一部を抜粋・再構成し、加害者から被害者への謝罪について考察する。

無期囚のテレビドキュメンタリーを観て

某日。水原からの手紙に次のようなことが記してあった。地上波テレビの視聴が許されている時間帯にオンエアされている報道番組についてだった。手紙から抜き出してみる。

(TBSの〕「報道特集」で無期囚の特集をやっていたんですが、見ましたか。自分は見ていてあの番組が何を伝えようとしているのかがわかりませんでした。見ている中で、戸惑い、違和感を覚えました。



「報道特集」については、所内の高齢化の現状をただ流しているだけで、それに対する問題提起などはなく、投げっぱなしの印象を持ちました。50年、60年、〔刑期を〕務めている人がいるということですが、おそらくそれは何度も何度も規則を破り、懲罰を受け続けた結果なのではないでしょうか。

その経緯も示さず、何十年も務めているということをただ見せていることに一抹の危惧を覚えました。

受刑者の運動時間の様子やかすかな「生きる希望」についてもありましたが、そこには反省や被害者、ご遺族に対する謝罪の言葉はなく、その存在すらありませんでした。そのかすかな「希望」という光は、反省や更生、贖罪という大前提のもとそれらを持ち得る者のみに付与されるものであり、体現することで初めて差し込むものです。

反省のない者は、その光を享受するには値しないのではないでしょうか。番組では被害者の存在がすっぽり抜けており、その構成に違和感を覚えました。

私もその番組はたまたまリアルタイムで観ていた。刑務所にカメラが入り、受刑者の半分ぐらいをしめる無期懲役囚の様子を映し出した作品だった。

有期刑の上限が30年になったことから、無期懲役は自動的に30年以上となり、否応なく事実上の終身刑となり、高齢化が進む。獄死する受刑者も多いと番組は伝えていた。

被害者や被害者遺族は不在だった

人員の不足もあり、同じ無期懲役囚が高齢の囚人の世話をするシーンもカメラは記録していた。病に冒され、医療刑務所に移送された高齢の囚人がその数日後に死亡したという事実も含まれていた。

すでに被害者遺族が亡くなったケースも多く、加害者も記憶がだんだんと薄れ、あるいはアルツハイマー病と診断され、自分の罪名すらわからない受刑者もいる。死刑を紙一重で逃れた彼らの「末路」の断面を垣間見ることができた。

介護施設状態になるのを避けるために、仮釈放数を増やすべきなのではないかというメッセージが番組には込められていたように思ったが、最新の「犯罪白書」によると無期懲役囚の「仮釈放」については大きな上下はなく、微増の傾向にある。

一方で、全体では2005年(平成17年)から6年連続で低下していたが、2011年(平成23年)に上昇に転じ、2022年(令和4年)には62.1%になっている。

受刑者の多くは運動の時間、体力づくりに余念がない。いつか社会に戻れることは死刑囚以外にはかすかな「生きる希望」であり、それで生きつないでいるのだという受刑者の言葉には、なるほどそういうものだろうとの印象を受けた。

しかし、水原の指摘通り、そこに被害者や被害者遺族は不在だった。

長い時間の中で、被害者や遺族、加害者は歳をとり、亡くなっていく。そうでなくとも、もともと交流がなかった両者には年を追うごとに「距離」ができ、加害者のほうは記憶も薄れていく。身内もなく、手紙などの交流もない受刑者が多い。

更生保護施設の長は「一生かけて償いをしなければいけない」というふうに曖昧なことを言っていたが、具体的な「償い」については言及していなかった。

あるいは、更生保護施設の役割は、元受刑者が「娑婆(しゃば)」の居住地や仕事を見つけるまでの橋渡し役であり、被害者サイドとの交渉をするという役割はないので、被害者や被害者遺族の事件後の「時間」をイメージできないのかもしれない。

被害者遺族にとっての「時間」

被害のスティグマやトラウマは時間の経過とともに薄れていくと考えられがちだが、そうではない。時間は事件時で止まったままだったり、スティグマなどは逆に深まっていったりするケースも多いことが、矯正に携わる者にどれだけ周知されているだろうか。

被害者や被害者遺族にとってみれば、時間はそれなりに要するが刑事裁判や民事裁判は、殺された側の状況や気持ちに関係なく、淡々とシステマチックに進んでいくものでしかなく、それを乗り越えていかねばならないことも「二次被害」といえなくもないだろう。

同時に、加害者の罰が決まるまでのプロセスが、折れそうな、狂いそうな心をかろうじて支えているともいえると思う。

が、それはいつか終わりを迎える。するとまた、新たな悲嘆が襲う。ましてや未解決の事件の遺族などは裁判などの区切りもない。

私は未解決事件の遺族にもずいぶん取材をしてきたが、恨む対象がいないことの辛さは、加害者が捕まったケースとはまた異質なものだった。未解決事件はただそこに理不尽な「死」と「悲嘆」が横たわっているだけだ。

謝罪の手紙をどう送ればいいのか?

受刑者が歳を重ねれば、事件についても風化していくし、加害者としての記憶もかすんでいくものなのだろうと思う。犯した罪について常日頃から思いなおすようなプログラムは実施されていないし、加害者は時間とともに被害者の顔まで忘れていく。

凶悪事件の場合、長い時間、あるいは永遠に互いは隔絶される。それを望む被害者遺族もいるが、加害者は被害者や被害者遺族の存在を忘れるべきではない、と私は思う─そう水原にも書き送ったことがある。

懲役刑はあくまで国家からの罰であって、被害者を慰める一つの要素でしかない。慰めにもならないどころか、司法への不信を深めるケースも多々ある。被害者や被害者遺族の思いが法廷で通じるのはごくわずかなケースだけで、現実的に、「罰」と被害者の願望のバランスは取ることができていないのが私の実感だ。

被害者や被害者遺族が望んだ場合、加害者とつなぐ役割の不在を、私は常に感じる。弁護士がつくのは裁判の期間だけがほとんどだし、加害者の出所後も、保護観察官や保護司も両者の間を積極的にファシリテートしてきたとは言いがたい。

受刑中も同じで─あくまで被害者遺族が望めば─それぞれの状況や気持ちなどを伝える、被害者遺族の立場に寄り添った役職はなかった。

もしあれば、それは受刑者の更生のためにもなる可能性もあるかもしれないし、加害者の受刑状況や様子、何よりも犯した事件と奪った命について反芻しているのかを知りたい被害者遺族にとってその現実は辛いことだろうと思う。

「修復的司法」といって、被害者の希望があれば、社会復帰した後の加害者を向き合わせる取り組みも、弁護士などの一部にはある。私は何度もケースを取材させてもらった。

たまたまと思いたいが、同じ部屋に加害者と遺族だけを残し、弁護士数人は協議のために別室に移動してしまった現場に私は居合わせたこともあり、その無神経さに驚いたことがある。修復的司法は原則的に、殺人や傷害致死、強姦などの人身に関する「修復不可能」な凶悪犯罪には成立し得ないという立場を私は取る。

自分のしたことを思えば恵まれた環境ですらあります

話を番組に戻す。水原は被害者と加害者の関係についてこんなことを書いてきた。

(被害者遺族と加害者の)両者をつなぐ役割の必要性は常々考えていました。同囚と謝罪などについて話すことがありますが、(刑務所内でそのための)アクションを起こして良いのかどうかや、謝罪の是非についてなどの話がよく挙がります。

謝罪をしたいのだけど、それは自己満足かもしれない。事件のことを思い出させてしまう。苦しませてしまう。それを考えるとするべきではない。しかし、もし、相手が謝罪を望んでいたら……と。

また謝罪する場合、直接、被害者やご遺族とやりとりできないと思うから、どうやればいいのかという声もあります。

その間をとりもつ組織があればと(同囚と)話をしますが、これまでそういった組織の必要性が議題に挙がることはなかったのでしょうか。

この中の生活を見たい、知りたいというご遺族の方々が少なくないとのことですが、ご遺族の方々は加害者にどのような生活を、何を望まれているのでしょうか。

今の刑務所は教育にも、罰にもなっておらず、宙ぶらりんな状態にあるように思います。施設側も教育に関しさまざまな取り組みを行っていますが、なかなかその実はともなっていないように思います。罰についてはこれはほとんど機能していません。

服役前はどのようなところなのだろうかとあれこれと考えていましたが、実際に服役してみますと、食事はまずくなく、舎房も汚くありません。「自由」が無いとよく耳にします。

けれど自分はそうは思わず、不便な点はよくありますが、自分のしたことを思えば恵まれた環境ですらあります。これでいいのだろうかと、ときどき思います。

結局、教育も罰も機能していない中では、反省やここでの生活の送りかたは個人次第ということになります。

写真/shutterstock

贖罪 殺人は償えるのか

藤井 誠二
贖罪 殺人は償えるのか
2024年7月17日
1,210円(税込)
新書判/312ページ
ISBN: 978-4-08-721325-6
少年犯罪を取材してきたノンフィクションライターの著者のもとへ、ある日、見知らぬ人物から手紙が届いた。
それは何の罪もない人の命を奪った、長期受刑者からの手紙だった。
加害者は己の罪と向き合い、問いを投げかける。
「償い」「謝罪」「反省」「更生」「贖罪」――。
加害者には国家から受ける罰とは別に、それ以上に大切で行わなければならないことがあるのではないか。
著者の応答からは、現在の裁判・法制度の問題点も浮かび上がる。
さまざまな矛盾と答えのない問いの狭間で、本書は「贖罪」をめぐって二人が考え続けた記録である。
◆目次◆
はじめに 加害者からの手紙
第一章 獣
第二章 祈り
第三章 夢
第四章 償い
第五章 贖罪
おわりに 受刑者に被害者や被害者遺族の声を交わらせるということ

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