「もともと男? そんなの関係ないじゃん」日本で初めて性別適合手術からプロレス復帰するエチカ・ミヤビが目指す「理想のレスラー像」
集英社オンライン / 2024年8月19日 11時0分
〈日本初、性別適合手術からのプロレス復帰。エチカ・ミヤビが「女として生きていく」と腹を決めるまで〉から続く
新興プロレス団体〈PPP.TOKYO〉所属のエチカ・ミヤビは、MtF(出生時に割り当てられた性別が男性で、性自認が女性のトランスジェンダー)の女子プロレスラーだ。「強くて、かわいい女になりたい」と、9月に性別適合手術からのプロレス復帰を目指す彼女の覚悟とは。
『わたしたち、体育会系LGBTQです 9人のアスリートが告白する「恋」と「勝負」と「生きづらさ」』より一部を抜粋、編集してお届けする。
コロナ禍で「女として生きる」と決めた
大学に入学したエチカは、それなりに楽しい学生生活を送っていた。得意の英語は海外留学でさらに上達していた。柔道も趣味で続けていた。大学生ともなれば周囲もある程度、大人扱いをする。柔道に励んでいる町道場では、学生の部活とは違って集っている選手の年齢層もバックボーンもさまざま。
練習が終われば、それぞれのプライベートを尊重する空気がある。性をめぐる葛藤が消えたわけではなかったが、町道場では〝男子の体育会ノリ〟を強要されることもなかった。そんな生活は、心地いいといえば心地よかった。だが、大学3年生になる年、生活が一変する。コロナ禍が訪れたのだ。
「大学の講義はほとんどリモートになり、家から出る時間が全然なくなって。それで、ひとりでいろいろ考える時間が増えたんです。性別についてもそう。今までは葛藤しつつも周囲に本心を隠してきた自分。本当は何をしたいのか、どう生きたいのか。
言葉では表せないくらい、すごく考えて。それで、やっぱり自分の好きなように生きるのが一番じゃないか、という結論に至りました」
こうしてエチカは「女として生きていく」と腹を決めた。好きなことなら一生懸命になれる。性別は人間がアイデンティティを形成するうえで重要な要素である。偽り続けるエチカが限界に達する日は、遅かれ早かれ訪れたのだろう。
ただ、決断できた理由として、自身の環境や社会の変化の影響があったのは確かだ。20歳を過ぎて大人になり、周囲のジェンダー的な同調圧力から多少なりとも解放されたこと。同調圧力を受けても、一定の距離の取り方が身についてきたこと。
LGBTQという言葉が広がり始め、世間の理解も深まってきたこと。そして、多様な性的マイノリティの人間がネットやSNSで自らについて発信を始め出したことなどが挙げられる。
「自分のなかでは高2のとき、YouTubeで初めて見た青木歌音ちゃんの存在が大きかったです。『男がこんなにかわいくなれるんだ!』って驚いて」
青木歌音は若者たちに支持され、テレビ番組で女子アナとして抜擢されたこともある、MtFの人気YouTuberである。
「動画では『チンチンはとりました!』なんて話していて、『あれってとれるんだ!』と初めて知りました。よく知らなかったLGBTQのことについても、動画を通じてだんだん知識が増えてきて。『自分は変なヤツなんじゃないか』とひとりで悶々としたり、悲しくなったりするような気持ちが少しずつ薄れていくきっかけでしたね」
そんな憧れの人物にも勇気づけられて、エチカは女性としての一歩目を踏み出す。ステイホームで家にいる間、髪を伸ばし、ずっと憧れていたスカートをはき始めた。歌音のように、いつかは性別適合手術をすることも決めた。
そのための手術費を稼がなければと、大学を休学してアルバイトに励んだ。そして、自分の好みを否定せずに育ててくれた母に人生の一大決心を報告するため、生まれ変わった女性の姿で実家に帰った。
「最初は驚かれましたけど、すぐに受け入れてくれました。もともと母は僕の好みを重してくれる人でしたし、看護師なのでLGBTQについての知識や理解もあったのだと思います。おばあちゃんは最初、いとこのお姉ちゃんと間違えていましたけど(笑)。とにかく家族や親族は、わりと早く理解してくれました」
女子プロレスラーに完敗
こうして揺れ動いた10代を経て、はっきりと生きていく道が見え始めた。そして「女として生きる」決断をしてから約1年後、エチカは2022年の年明けに運命の出会いを果たす。きっかけは筋トレ好きな女性が勤めるバー「筋肉女子マッスルガールズ」で働き始めたことだった。
「もともと働いていたお店がまん防(まん延防止等重点措置)で休業してしまったんです。それで、体と戸籍は女子ではないけど筋肉はあるから(笑)、と思って面接を受けてみたら、合格したんです」
このマッスルガールズで先に働いていたのが、筋トレYouTuberでありセクシー女優でもあった「ちゃんよた」だった。行動力旺盛な彼女は前年の2021年9月に、現在エチカも所属する団体〈PPP.TOKYO〉からプロレスラーとしてデビューしていた。
ある日、エチカは「ちゃんよた」から試合観戦の誘いを受けた。そして、選手と観客が一体となってリングと会場を盛り上げるプロレスに一発で魅了された。試合後、興味を持って「ちゃんよた」の練習を見学しに行くと、リングに上がらせてくれた。そこで、この上ない楽しさを感じた。
「倒されても、すぐに起き上がって、相手を見て、距離や体勢、状況を理解して、次にどう動くか反応する。プロレスは考えることが多いな、と感じました」
自分の頭で考えて体を動かし、成長していくタイプのアスリートだったエチカにとって、このプロセスは楽しめる類いのものだった。ロープワークは想像より痛く、受け身は柔道とは勝手が違う。
そこに上達心をくすぐられ、新しい技を覚えることにも興味を覚えた。「プロレスラーになりたい」という思いが芽生えるのに、それほど時間は必要なかった。
その後、〈PPP.TOKYO〉に正式入門。マッスルガールズで働きながら練習に励む日々が始まった。夕方から深夜までバーで働き、帰宅して少し睡眠をとる。気合いで起きて、午前中の合同練習に参加する。
トレーニングが終わったら少し寝て、夕方からまた店に出る。ハードなスケジュールだが、女性として、アスリートとして本気になれることは幸せだった
そんな姿勢が認められたのか、その年の9月には早くもデビューが決まる。もちろん、女子プロレスラーとしてだ。もともとフィジカルと運動能力に恵まれ、格闘技経験があったのも早いデビューにつながったのだろう。
相手は世羅りさ。かつてプロレス団体〈アイスリボン〉でチャンピオンになったことがある強者だ。エチカはそのときの自分が持てる力をすべて出したけれど、試合は世羅の圧勝だった。
だが、そのときMtFとしてプロレスの面白さ、奥深さ、魅力をあらためて感じた。
エチカがMtFであることは、試合前に行ったデビュー会見で公表された。エチカは性別適合手術を視野に入れる一方で、女性ホルモンを注入する治療も受け始めていた。とはいえ、まだ日は浅く、外見上は鍛えた男性という体つき。当然、女子プロレスラーとして闘ううえで、有利に働くと周囲が感じても無理はない。
実際、エチカのデビューにあたり、ネットではその手の批判の声もあった。そんな視線を向けられる理由はエチカ自身が十分理解していた。
しかし、エチカは完敗した。
世羅の得意技であるニードロップをボディに食らった後は、痛みで意識がなくなりそうだった。
プロの世界は甘くはなかった。
「MtFがアスリートとして女性のカテゴリーに出場する。それについて批判の声が上がることは理解できます。個人的には、生まれた性別を間違えただけなのに、かわいそうだな、認めてあげてほしいって思うけど。ただ、〝数字〟で勝負するスポーツでは難しい点があるのも確か」
だから、プロレスは楽しい。
「プロレスって性別が関係ない〝ネオ無差別〟みたいなところがあるんですよ」
その言葉どおり、近年のプロレスでは男女が対戦することも珍しくない。過去には男性中心の団体で女性がチャンピオンになったこともある。スポーツでありエンターテインメントであるプロレスは、ただ強いだけでは一流とはいえない。強いうえで、いかに観客の心をつかみ、魅了するかが何よりも大事である。
そんなプロレスならば、「MtFが女子プロレスに挑戦する」という〝新しい物語〟としてエチカが受け入れられる可能性は十分ある。事実、エチカの前には男女問わず試合を行い、団体の垣根を越えて活躍するジェンダーレスプロレスラーのVENYという先人もいる。
「プロレスはどんな人間もウエルカムな、自由な世界。そこが何よりも魅力だし、だからお客さんも熱狂できる。競技の性質では、だいぶアドバンスだと思う。ずばぬけてジェンダーフリーですよ。
まあ、飲み会とか昭和体質が抜けていないところもあると思うし、改善が必要な点はあるけど、私はプロレスが好き。サイズやパワーが上回れば勝てる、という世界ではないことを身をもって知りました」
世間からの批判の声は、どちらかといえば、ふだんプロレスをあまり見ない人からのものが多かった。真のプロレスファンは「エチカの挑戦もアリ。否定するものではない」と、プロレスの本質をよく理解していることがうかがえた。
エチカはそれに喜びを感じたが、甘えすぎてもいけないと自戒している。プロレスラーとして「見られる立場」となった自分には、「MtFがどう見られるか」という責任もついて回ると感じているからだ。
トランスジェンダーの希望へ
「私みたいな存在が批判を浴びることも理解しています。だけど、SNSでMtFの話題が出るたび、MtFのすべてがゴミクズみたいに叩かれているのを見ると、『ああ、またか』と思ってしまう。自分は何もしていないのに、いろいろ批判されなくてはならないんだって。
私は今の状態で女風呂に入ったこともないし、トイレも基本的には性別を問わない多機能トイレを使うことにしています。気づかいをして、みんなに迷惑をかけないように」
エチカは、トランスジェンダーに対する世間の反応を冷静に受け止めている。
「ちげーよ、バカヤロウ。お前ら、ナメんなよ。ウチの店に来いよ!私のことを好きにさせて、色恋営業で破滅させてやんよ!」とプロレスラーらしいウイットとアジテーションに満ちた言葉を吐き出したい思いもあるが、それを押し出さない。そんなことを言えば、一部の攻撃的な批判者をさらに煽ることになるとわかっているから。
「こちらの権利を強く主張すると、相手をトランス嫌いにさせてしまうんじゃないかって。こっちの印象を上げて、『私たちも普通なんだよ』と思ってもらうことが大切というか」
トランスジェンダーとトイレをめぐる論争についても、落ち着いて持論を語る。
「MtFが女子トイレを使用することに対して、シス(出生時に割り当てられた性別と性自認が一致するシスジェンダー)女性が不安を感じたりするのもわからなくはないんです。
基本的にMtFは女性を襲ったりしないと思っていますが、『怖がらせてごめんね』という気持ちだってある。だから今は、私はできる限り男女ともに使える多機能トイレを使うことにしているんだし。
でも、シス男性が気軽に『男子トイレ使えばいいじゃん』と言うのは、ちょっと無責任。手術をして体も女性になったMtFが男子トイレにいたら、ギョッとされることもあるだろうし、過去には逆に襲われそうになったMtFもいた。
だから、シス男性が『オレは何もしないから』なんてMtFに男子トイレの使用を強制するのは疑問。というか、男の言う『何もしないから』がいかに信用できないか、よく知っていますしね」
大切なのは、臨機応変な対応だ。
「今は場面によって、ジェンダーはデジタルに切り分けないといけないこともあると思います。たとえば公衆浴場なら、男・女の2つ。あるいは、手術した男・女を合わせての4つ。でも実際のジェンダーって、アナログというかグラデーションになっているのも確かなんです。
FtMで男が好きとか、シス男性で女装が好きとか。いきなりそこまで細かく分ける対応を社会に求めるのは現実的ではないし、いつまでもLGBTQが社会に溶け込めない原因になりかねない。というか、私だって勉強が追いつきません(笑)。だから、私たちがどうしても歩み寄らなければならない限界もあることを認める必要がある。陸上や競泳など数字で結果を出すタイプのスポーツも、そのひとつかもしれません」
この言葉を裏返せば、だからこそエチカは〝ネオ無差別〟なプロレスに深く引き込まれたようにも感じる。
2024年に入り、コツコツと働いて費用を貯めたエチカは性別適合手術を行った。そのため1月からプロレスラー活動を一時休止している。同年秋の復帰を目指し、戸籍も女性に変更する予定だ。
これで心も体も女性になれる。喜びしかないが、ひとつだけ女子プロレスラーとしては肝に銘じていることがあるという。
「早く手術をしたかったのは事実なんですけど、名実ともに女性になれることで、自分の内面の弱さも克服できると期待しすぎてはいけないというか……。手術さえすれば完全に女性になれると思うのは、いわばガワだけに頼っていることじゃないですか。
身体だけではなく自分も心から女性であると自信をもって生きていけるようじゃないと、本物ではないし、お客さんを魅了できないと思っています。声援を送ってくれるお客さんの存在は本当にありがたいですし、うれしい。だけど、『本心はどうなんだろう?』と疑ってしまう子どもの私が、まだいるんですよ」
子どもの頃、他の男子と異なる感覚があることに引け目を感じていた自分の姿が脳裏をよぎる。エチカの考えすぎる一面が出ているのかもしれない。ただ、それだけ強さと自信にこだわっているのは、自分のファイト、そして強く有名になることには意味があると感じているからだ。
「私がこれまで歩んできた人生を知って、救われる人もいると思うんです。自分の性別や生き方に悩んでいる人、要は昔の私のような人はまだたくさんいると思う。そういった人がプロレスを通して私を知り、自分なりの正解や道を見つけてくれたら、すごくうれしい。私もそうだったけど、『自分はヘンな人間なんじゃないか』という思いって、人によっては死にたいという気持ちにつながりかねない。私がそれを少しでも食い止められるくらい、影響力を持てるようになれたら……」
かつての自分が青木歌音の存在に勇気づけられたように。
「今が一番楽しいし、自由なんですよ。だから私は、もっと素敵な女、カッコいいプロレスラーになりたい。『もともと男?そんなの関係ないじゃん』とたくさんの人にいわれる魅力的なプロレスラーに。そのためには何でもする覚悟ですよ」
文/田沢健一郎 監修/岡田桂
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