1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

「オリンピックを阻止するために韓国の航空機を爆破せよ」北朝鮮のテロ行為が世界的に広まった1987年大韓航空爆破事件の裏側

集英社オンライン / 2024年9月10日 8時0分

「空挺隊員がタクシー運転手を刺し殺した」韓国現代史上、最も悲惨な光州事件…市民や学生に多くの死者が出た事件の始まりとは〉から続く

1987年11月、北朝鮮の工作員2人が大韓航空機を爆破するテロ事件を起こした。乗客乗員115人全員が亡くなり、世界に衝撃を与えたこの事件は、民主化に向かう韓国にも大きな影響を与えた。

【画像】ジョージ H.W. ブッシュ元大統領とテニスをする盧泰愚

書籍『秘密資料で読み解く 激動の韓国政治史』より一部を抜粋・再構成し、事件の全容を解説する。

大韓航空機爆破事件

1987年11月29日、バグダッド発ソウル行きの大韓航空858便が爆破され、乗客95人、乗員20人の115人全員が死亡する事件が起こった。

この大韓航空機爆破事件は翌年のソウルオリンピックを阻止する目的で、北朝鮮工作員たちが起こしたものとして知られている。実行犯2人がバーレーン空港内の待合室で、現地の警察官によって調査を受けている最中に毒薬を飲み、1人は即死、もう1人は死にきれず生き残った。

北朝鮮工作員の金勝一と金賢姫は、「敬愛なる指導者・ 金正日同志」の直筆承認を受けた任務を実行するために、朝鮮労働党対外情報調査部の指導員から、ウィーンで蜂谷真一と蜂谷真由美名義の偽造旅券を受け取り、ベオグラードのホテルでラジオ爆弾と酒ビンに入った液体爆薬を渡された。酒ビンの液体爆薬はラジオ爆弾が破裂すると同時に爆発して威力を高めるものだった。

11月28日午後2時30分頃、2人は親子を装って、ベオグラード空港からバグダッド行きのイラク航空機に乗った。爆破用ラジオと酒ビンはバッグに入れて、蜂谷真由美(金賢姫)が持って入った。搭乗の時に乗務員によって電池4個は別にされてしまったが、バグダッド到着後、返してもらった。

ところが、バグダッド空港の保安検査の際、女性検査員に身体を調べられ、携帯品の中から電池4個を見つけられてしまう。検査員は「電池は機内に持ち込めない」と4個の電池をゴミ箱に投げ捨てた。電池がないとラジオ爆弾を爆発させられない。真由美は大慌てで、ゴミ箱から電池4個を拾い、蜂谷真一(金勝一)にすばやく渡した。真一は女性検査員の前で、ラジオに電池を入れてスイッチを入れ、音を出して大声で抗議した。

「これはただのラジオだ。携帯品検査がしつこすぎる」

女性検査員はこの剣幕に押され、蜂谷真一が電池を持って搭乗することを許してしまった。この特例を許したことが大事件を引き起こす結果となった。

「まだ若い真由美さんには本当にすまない」

蜂谷真一は出国待合室の椅子に座って、出発20分前の午後11時5分頃、9時間後に爆発するよう時限装置をセットし、2人はソウル行きの大韓航空858便に搭乗した。

蜂谷真一はバッグを頭上の棚に上げ、同機は午後11時27分にバグダッド空港を出発、翌日午前2時44分に経由地のアブダビ空港に到着した。そして2人はバッグを置いたまま飛行機を降りた。バッグの中には爆破用のトランジスタラジオと液体爆薬が入った酒ビンが入っていた。

大韓航空858便から降りた2人は、午前9時発ローマ行きのイタリア航空機に乗り換えるため、通過旅客用待合室の方へ歩いて行く。ところが、出口で空港案内員から航空券と旅券の提示を求められ、蜂谷真一はここで躊躇した。

脱出用として用意したアブダビ→アンマン→ローマ行きのチケットを見せると、アブダビが出発地なので、いったんアブダビ空港の外へ出てから、再び出国手続きをして飛行機に乗らなければならない。

通過旅客用待合室へ入るのに、アブダビへ来るまでのルートが明示されていないアブダビ→アンマン→ローマ行きの航空券を提示すれば疑われるはずだと思ったのだ。そこで乗ってきた航空券(ウィーン→ベオグラード→バグダッド→アブダビ→バーレーン行き)と旅券を提示した。

空港職員は旅券と航空券を受け取って、バーレーン行きの手続きをした。2人は通過旅客用待合室で待機後、29日午前9時発のバーレーン行きに乗り込んだ。これは、予想外の出来事だった。2人が予定通り、ローマ行きの飛行機に乗ってすばやく逃げていれば、大韓航空858便爆破事件は永遠に迷宮入りになったかも知れない。

大韓航空858便がミャンマー上空で失踪したという緊急ニュースが流れると、韓国情報機関の安企部が動き出した。アブダビ空港で降りた15人の外国人搭乗者名簿をチェックし、〝蜂谷真一〟と〝蜂谷真由美〟の2人の日本人に注目。

日本政府に依頼し調査した結果、蜂谷真由美の旅券が偽造であることが判明した。日本政府発行の旅券は独自の裏番号があって、すぐ照合できる仕組みになっているのだ。

2人は12月1日、バーレーン空港でローマ行きの飛行機に乗るために出国手続きをしている時に、バーレーンの警察官によって身柄を拘束された。

待合室で待機中、真一は「私は十分に生きたが、まだ若い真由美さんには本当にすまない」と、ささやいた。真由美はこれを自決の指示と受け取って、行動に移ろうとしたその矢先、警察官が「カバンをよこせ」と言ったため、真由美はカバンから毒薬アンプルの入ったタバコを1本抜き取り、アンプルを噛もうとした。

その瞬間、警察官が飛びかかったので、完全に噛み砕けず、ガラスのアンプルの端の部分だけが壊れた。青酸は気化して真由美の口の中へ入り、気を失って倒れた。一方、蜂谷真一はアンプルをガリガリと噛み砕いてタバコとともに飲み込んだため、彼はその場で即死した。

大韓航空機爆破事件の大統領選挙への影響

この時、韓国は大統領選挙の最中で、4人の与野党有力候補が、軍政の延長か民政への移行かをめぐって激しい選挙戦を繰り広げていた。事件の風向きによっては、国民の投票意識がどちらに傾くか、政権維持か政権交代かの重大な局面であった。

そこに、大韓航空機爆破事件は、軍事政権が大統領選挙(12月16日投票)を前に、局面を与党候補に有利に働かせるために作り上げた〝自作劇〟だという疑惑が持ち上がった。また、政府側も安企部(あんきぶ:国家安全企画部)の陣頭指揮のもと、実務対策本部を設置して広報活動を展開。

安企部は実行犯2人が毒薬を飲んだという知らせを受けると、北朝鮮の工作員であると断定し、事件を与党候補に有利に活用するためにあらゆる工作を推進した。

安企部の捜査担当課長が関連資料を持参して、12月2日、急ぎバーレーンに飛んだ。証拠や疑問点などをバーレーン当局に提示して説明し、実行犯2人は北朝鮮工作員であると断言、事故機の登録国であり、被害者が最も多い韓国側に犯人を引き渡すように説得した。日本政府も韓国への引き渡しを了承していた。

引き渡しが切実な理由が韓国政府にはあった。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権が大韓航空機爆破事件を有利に活用するには、国民が納得できる確かな証拠が必要だったのだ。しかし、安企部は急ぐあまり内容確認もせず、不確実な情報を選挙用に発表することもしばしばあって、各種の疑惑を誘発したため、大統領選挙は混沌としていた。

そもそも国民に信頼のない軍事政権ゆえに〝自作劇〟が信じられる側面があった。北朝鮮自身も、安企部要員が機内に爆発物を設置して途中の帰着地に降りたとか、金賢姫をバーレーンから連れてくるために韓国政府がバーレーン政府に数千万ドルを提供したと主張し、これを韓国内の支援勢力が軍事政権ならあり得る話だと噂を広めたりもした。

金大中(キム・デジュン)政権、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で、「大韓航空機爆破事件は軍事政権の捏造によるもの」という疑惑が再び頭をもたげたため、2005年2月から「国家情報院過去事件真実糾明発展委員会(真実委)」が大韓航空機爆破事件に関して、真相究明のために当時の安企部など関連部署が保存している資料などを分析し、関係者とのヒアリング等を通じて調査した結果、真相が明らかになった。

真実委の調査によれば、金賢姫を大統領選挙投票日前日の12月15日までに移送するよう働きかけた文書が、安企部の資料に多数存在していたのだ。

1987年12月14日付「大韓航空機事故状況報告(12)」は、「金賢姫の身柄が遅くても12月15日(火)午後6時(韓国時間)までソウルに到着しなければならないという方針の下でバーレーン側と多角的な引き渡しについて交渉中」と報告している。

朴銖吉(パク・スギル)外務次官補のバーレーン到着後の最初の報告電文では、「現地派遣捜査チームは第一案(12月10日23〜24時当地出発)、第2案(12月11日23〜24時当地出発)、第3案(12月12日までに到着可能な時間出発)などをバーレーン側に非公式に提示し、両国実務者間で検討したい」と報告している。

実際、蜂谷真由美の移送は12月15日に行なわれた。蜂谷真由美とともに蜂谷真一の遺体、所持品などを乗せた大韓航空特別機がバーレーン空港を離陸、午後3時頃、金浦国際空港に到着した。

飛行機から降りる彼女の口には自殺防止用の道具がはめられ、その映像は世界中の人々の目に焼き付けられた。韓国内のテレビやラジオは、この日早朝からトップニュースで〝蜂谷真由美、今日到着〟を繰り返し放送し、到着してからは真由美の印象的な映像を繰り返し流した。

外務部担当のアナウンサーがテレビ中継でこのことを伝えると、国民は画面に釘くぎ付づけになり、関心は大統領選挙よりも大韓航空機爆破事件に集まっていった。

真実委は、与党側が政府各部署の合同で構成された「大韓航空機失踪事故実務対策本部」を通じて大統領選挙で盧泰愚候補の当選を支援するため、この事件を政治的に活用したことを確認している。

この事件発生後、相当数の票が与党候補に流れたことは推測できる。しかし盧泰愚当(ノ・テウ)選の決定打であったかどうかは定かではない。大統領選で野党候補が敗北した主因は、むしろ候補者の分裂によって野党票が割れたことであろう。

金賢姫は、当初は捜査官の尋問に嘘をついていたが、12月23日から心境の変化が生じ、自白を始めた。ソウルに移送されてから8日目である。

金賢姫は1990年3月27日、大法院で死刑宣告を受け、4月12日、大統領裁可で赦免された。1997年12月、鄭炳久(チョン・ビョング)元情報部捜査官と結婚し、2000年秋に長男、2年後には長女が生まれた。

真実委の調査により、金勝一と金賢姫が北朝鮮の工作員であったことが確認され、同時に、韓国政府が事件を大統領選挙で有利に利用しようとして投票日前に金賢姫を移送するための外交的努力を尽くした点と、安企部が中心になって政府主導の「北傀(北朝鮮)蛮行糾弾決起大会」を投票日直前の12月10〜13日に全国各地で開催させたことなどを指摘、政府ぐるみの官営選挙運動であったことが明らかになった。

1987年12月16日、第13代大統領選挙が実施された。全斗煥の分析通り、野党は候補を一本化できず、別々に選挙を戦った。与党民正党候補・盧泰愚に対し、野党は統一民主党(民主党)・金泳三(キム・ヨンサム)、平和民主党(平民党)・金大中、新民主共和党(共和党)・金鍾泌(キム・ジョンピル)が立候補した。

選挙結果は、盧泰愚・約828万票、金泳三・約634万票、金大中・約611万票、金鍾泌・約182万票。野党三候補に票が分散、都合よく大韓航空機爆破事件が発生し、盧泰愚は漁夫の利で当選した。

誰よりも盧泰愚の当選に安堵したのは全斗煥だった。少なくとも5年間は影響力を行使できると判断したのである。盧泰愚の大統領就任直後は、国家元老諮問会議議長として人事を掌握し、影響力を行使していた。

サムネイル写真/shutterstock

秘密資料で読み解く 激動の韓国政治史

永野 慎一郎
秘密資料で読み解く激動の韓国政治史
2024年7月17日発売
1,100円(税込)
新書判/256ページ
ISBN: 978-4-08-721324-9
盧武鉉政権時代の2004年、軍事独裁政権下で起こった不可解な事件を調査する「国家情報院過去事件真実糾明発展委員会(真実委)」が設置され、情報部(KCIA)の秘密資料の調査や、当時の関係者へのヒアリングなどから、金大中拉致事件、大韓航空機爆破事件などに政府がどう関わっていたか、その真相が明らかになった。
この資料に加え、文献・史実、さらには著者自身が金泳三、金大中と直に交流した実体験も交えながら、朴正煕大統領暗殺事件、光州事件、ラングーン事件、東亜日報記者拷問事件……など、民主化を勝ち取るまでの激動の韓国現代政治史を、表と裏から振り返る。
映画『タクシー運転手~約束は海を越えて~』『KCIA 南山の部長たち』『1987、ある闘いの真実』のもとになった現実は、かくも凄まじいものだった!

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください