ジミヘンがギターに火をつけた2か月後に起きたとんでもない事件…ドラム大爆発で髪が燃え、耳に障害も。全米に衝撃を与えたザ・フーの超過激パフォーマンス
集英社オンライン / 2024年9月8日 12時0分
ビートルズ、ストーンズと並んでイギリスの3大ロックバンドとして人気が高いザ・フー。ギターやドラムをぶっ壊しちゃう過激なステージで活動初期から評判になった彼らだが、その中でも観る者の常識を破壊するほど衝撃的な事件を起こしていた。
【画像】布袋寅泰も憧れていた!? ピート・タウンゼンドの演奏スタイル
過激なライブパフォーマンス誕生の瞬間
1964年7月、ザ・フー(当時はハイ・ナンバーズ)は念願のレコードデビューを果たし、ロンドンのモッズ族からの支持を中心に、少しずつ頭角を現していた。
同年9月8日、ロンドンの北西に位置する小さなホテルで行われたライブでのこと。手を伸ばせば天井に手がつくほどの狭い空間で、その後のバンドの方向性を決定づける事件が起きた。
ライブ中にギタリストのピート・タウンゼントが、誤ってギターを天井にぶつけてしまったのだ。
大事なギターに傷がついてショックを受けたピートだったが、それ以上にショックだったのは、客がそのことを全く気にかけていないことだった。
「俺は頭にきて、この大事件を客にアピールすることに決めた。そう、思いっきりギターをぶっ壊すことにしたんだ」
こうしてライブで派手にギターを壊したバンドの噂は徐々に広がっていき、ピートのパフォーマンスはそれだけにとどまらず、腕を大きく回してギターを弾く「風車弾き」を発明したりと、より派手になっていった。
実はピート・タウンゼントにとって、それは未熟なギターの腕を補うための手だった。空き時間のすべてをソング・ライディングに費やしていたので、ギターを練習する時間がなく、ライブを盛り上げるにはテクニックよりもパフォーマンスに頼らざるを得なかったのだ。
やがてライブの最後では、『マイ・ジェネレーション』を演奏中にピートがギターを叩きつけ、キース・ムーンがドラムセットを放り投げて締めくくる、というのがザ・フーの定番となった。
その攻撃的なパフォーマンスが注目されて、翌1965年にリリースされたデビューアルバム『My Generation』は全英チャート5位まで上昇し、英国随一のライブバンドとして知られていく。
1967年6月16日から3日間にわたって開催された、伝説の野外フェス<モンタレー・ポップ・フェスティバル>には、全米から多くのバンドやミュージシャンが集まる中、海を越えて参加したのがザ・フーだった。
本国では絶大な人気を誇るザ・フーだったが、アメリカにおいては同じイギリスのビートルズやローリング・ストーンズの陰に隠れてしまっていた。それゆえにモンタレーの舞台は彼らにとって大きなチャンスだったのだ。
テレビ番組で、火薬を仕込んだドラムが大爆発!
最終日となる18日、ザ・フーの出番が回ってくると、同じくイギリスから参加していたアニマルズのエリック・バードンによってこう紹介された。
「このバンドはあらゆる意味でお前たちを破壊することになるだろう!」
この時もザ・フーはライブの最後に楽器を壊し、観る者を唖然とさせた。ところが、この日もっとも脚光を浴びたのは、ザ・フーの直後にステージに上がったジミ・ヘンドリックスだった。
圧巻のギターテクニックに加え、最後にはギターに火をつけるというパフォーマンスで、会場を熱狂の渦に包んだのだ。
当然のごとく、ザ・フーとジミとの間では「どちらが先にステージに上がるか」で、本番前に一悶着あったらしい。だが、観客席にいたピート・タウンゼントはジミのプレイを見て圧倒されたという。
すっかり話題を持っていかれてしまったザ・フーだが、それから2か月後に出演したテレビ番組でとんでもない事件を起こす。
1967年9月17日。この日はアメリカの人気番組『スマザーズ・ブラザーズ・コメディー・アワー』の収録だった。ゲストとして呼ばれたザ・フーは、代表曲である『マイ・ジェネレーション』を演奏した。
曲が終わろうという時、いつものようにピートがギターを壊し始めると、それに続いてドラマーのキース・ムーンもドラムセットを倒しながら、バスドラムに仕込んだ火薬を引火させた。
しかし、キースはテレビの収録ということもあり、いつも以上の火薬を仕込んでしまった。そのため、ステージは凄まじい爆発音とともに煙に包まれ、爆風が直撃したピートの髪は燃え、耳に障害が残るほどのダメージを負う。バックステージにいたゲスト出演者の中には、気を失う者もいた。
モンタレーのフェスで予言した通り、ザ・フーのパフォーマンスは観る者の常識を破壊するほどの衝撃を全米にもたらした。
「このテレビ番組をポップ史における一大モーメントにしたのはキースだったかもしれない。だがヤツは時に、最低最悪な男だった」
番組での事件による効果は絶大だった。直後にリリースされたシングル『恋のマジック・アイ』は、全米チャートでバンドにとって最大ヒットとなる8位を記録。ザ・フーの全米進出において、ギターとドラムセットの破壊は間違いなく起爆剤となった。
その一方で、破壊的なパフォーマンスはこれ以上ないところまで行き尽くしてしまい、さらなる進化をするためには、新しい何かが必要と感じていたのかもしれない。
そこから誕生したのは伝説のロック・オペラ『トミー』だった。
文・構成/TAP the POP サムネイル/Shutterstock
参考文献:『ピート・タウンゼント自伝 フー・アイ・アム』(ピート・タウンゼント著/森田義信訳/河出書房新社)
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