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ジャガー横田『極悪女王』の俳優陣の“プロ根性”を称賛する一方、「あのシーンは心外だった」とブチギレ…スター選手を引退に追い込んだ19歳の横田利美が抱えた孤独

集英社オンライン / 2024年10月2日 11時45分

1980年代の全日本女子プロレスで「全国民の敵」と呼ばれたダンプ松本の知られざる物語を描いたNetflixドラマ『極悪女王』が話題を集めている。ドラマにも登場し、現在も現役を続けている女子プロレスラーのジャガー横田に話を聞いた。(前後編の前編)

【画像】「あれは心外だった」とジャガー横田が語ったシーン

「プロレスラー役の俳優陣に本当にプロ根性を感じた」

「フィクション」と前置きされているドラマは、ダンプはもちろん、ライバルだった「クラッシュギャルズ」の長与千種、ライオネス飛鳥ら登場するレスラー、団体関係者は、ほとんどすべてが実在の人物を役者は演じ、ストーリーが展開されている。

ドラマでは俳優の水野絵梨が演じたジャガー横田は、1977年に15歳で全日本女子プロレスに入団。1986年2月に24歳で一度引退するまで「極悪女王」で描かれた「全女」のすべてを現場で体験している。

63歳の現在も現役レスラーを続けるジャガー横田が話題沸騰のドラマで描かれた「フィクション」と「現実」の違いを明かした。

9月19日に配信がスタートした「極悪女王」をジャガーは、全5話をすぐに視聴し何度か見返しているという。

「何度、見返しても思うのは、主演のゆりやんさんをはじめ、プロレスラーを演じている俳優さんがみんな素晴らしかったということです。

ドラマは実際のリングで戦うプロレスシーンが多いですよね。私は、現役レスラーですから、物語を追うよりもレスラー役の女優さん一人一人がプロレスを演じる部分でどういうところに苦労しているかに惹きつけられました。

プロレスをやりながら演技することってすごく難しいと思います。なぜなら、最初はロクに受け身も取れない状態で技を受けなければならない。

技を受けるって当たり前ですが、めちゃくちゃ痛いんです。マットに叩きつけられると頭の中は真っ白になります。その中でもドラマですから次の演技、型が決まっているわけですよね。

体は痛くて痛くてたまらない状況でも、頭の中では、監督から指導された次の型を追いかけながらリング上で演技をしなければならない。

痛さで演技どころじゃなかったシーンもあったはずなので、これはものすごく難しいだろうなと思って見させていただきました。

そして、その難しい演技を俳優さんたちはみなさん、見事に表現されていました。まさにプロフェッショナルを見た思いがしました」

試合シーンを重ねるごとにダンプを演じたゆりやん、長与千種役の唐田えりか、ライオネス飛鳥役の剛力彩芽ら女優たちの受け身が磨かれていることを感じたという。

「当時、特に若手の試合は、派手な技はなくキックとボディスラム、押さえ込みぐらいしかない試合でした。若手らしい技しか使ってなかったので新鮮でしたし、演じている俳優さんは、みなさん役になりきって受け身の技術もすごく上達していることがわかりました。

そこは本当にプロ根性を感じました。もしも、彼女たちが『プロレスをやりたい』と思ったらレスラーになれるぐらいまでになっていました」

「あれは心外」という問題のシーン 

プロレスラー役の女優たちがリング上で披露した演技は、当時を知るファンに「そっくり」「生き写し」などネット上でも絶賛されている。

「私は、技をやった後と前の動作、表情はすごく各選手の特徴を捉えて似ているなぁと感じました。そこも役者さんたちの努力ですよね。

ただ、水野絵梨さんが演じてくださった私自身は恥ずかしいし、『あんなことやってたのかな?』と思っていましたが、周りからは『似ている』と言われるので『そうなんだろうな』と受け止めています」

フィクションとして『極悪女王』を「すごく面白かった」と称賛したジャガーだが「現実との違いを感じるシーンもありました」と切り出した。それは、エピソード2でエースだったジャッキー佐藤との対戦を控えたシーンだった。

1968年に旗揚げした全日本女子プロレスは、松永高司が社長を務め、弟の国松と俊国による「松永三兄弟」が会社を経営し、リング上の運営を決めていた。ジャガーによると試合を組むマッチメイカーは、国松と俊国の二人。そしてドラマでは俊国を斎藤工が演じていた。

このエピソード2でジャガーと俊国との会話でジャッキー戦へ向けて、試合の勝ち負けに関して繊細な会話が描かれている。しかし、ジャガー毅然とした態度で否定する。

「俊国さんが私のことを目にかけてくれていたことは事実です。とてもお世話になった方です。ただ、このジャッキーさんとの試合前にドラマで演じられているような、そんなことを私は言われていません。

そういうのをドラマでやられちゃうと、世間のみなさんに、プロレスが全部そういうものと思われるのは心外でした」

ドラマで描かれた試合は、現実に行われている。会場は横浜文化体育館。1981年2月25日のことだった。当時、ジャガーは19歳。リングネームは本名の「横田利美(よこたりみ)」だった。

ジャッキー佐藤は、1976年にマキ上田と結成したタッグチーム「ビューティー・ペア」で日本中に絶大な人気を獲得。歌手デビューした『かけめぐる青春』は80万枚以上のレコード売上を記録した。

ジャガーは入団以来、ジャッキーの付け人を務め、公私にわたり世話になっていた。

19歳でスター選手を引退に追い込んだ横田利美が背負ったもの

「ジャッキーさんは、リング上も私生活もとてもきっちりされた方で、私物を人に持たせたりしません。

私は付け人として歌う際の衣装を運んだりが主な仕事で、私に買い物へ行かせたり、無理な練習を強いることは一切ありませんでした。そんなジャッキーさんの背中を見て私はプロレスラーになっていったと思います」

今も感謝する偉大な先輩との試合は、横田がジャッキーを押さえ込んでフォール勝ちした。この敗戦が引き金となり3か月後の5月21日にジャッキーは、23歳で引退する。

現実と同様の試合がドラマでも再現されているが、43年前の試合をジャガーは回想した。

「あの試合があったから今のジャガー横田があると63歳になった現在は思えます。だけど、当時、19歳の横田利美にはそんなこと思えなかった。

あの試合で私は勝てるタイミングが来たら必死に押さえ込むことだけしかできませんでした。戦いですから、どうにか勝って終わりたいから勝負を決めようと思って必死で押さえ込みました。

ただ、試合が終わって、あれほど偉大なジャッキーさんに勝って引退に追い込んでしまったことは、当時の私にとってつらいことでした。

勝った瞬間は負けなかった安堵感だけ。次に襲った感情は『勝ってしまったぁ…』っていうバツの悪さでした。その嫌な思い、つらさは、同期にも先輩にも後輩にも相談できなかったんです。

プロレスラーは、何があってもすべて一人で受け止めて一人で乗り越えないといけません。デビュー4年目で19歳の私が抱えたつらさが想像つきますか? 

ドラマは、フィクションと掲げていますし、物語だからいろんな作りをしても構わないと思います。ただ、私が現実に抱えたつらさ、心情は理解していただきたいと思います」

ジャッキ―佐藤は、1999年8月9日に胃がんのため41歳の若さで亡くなった。

「ジャッキ―さんは、私に負けた後も怒り出すこともなく私には何も言いませんでした。負けたほうは何も言わないものです…本当にスターでした。

本音は、私みたいなダサイ後輩に負けて『はぁ?』とショックだったと思います。ただ、今は亡くなられたので話すこともできませんから…」

ジャッキーへの思いを打ち明けたジャガー。『極悪女王』の中で頻繁に使われているあるセリフに言及した。後編へつづく

〈後編〉「ブックなんて言葉は知らない」話題の『極悪女王』をジャガー横田がブッタ斬り

取材・文/中井浩一 撮影/佐賀章広

ジャガー横田「プロレスにブックなんて言葉はありません。どんな意味なのかも知りません」話題の『極悪女王』をブッタ斬り!〉へ続く

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