「日本はIS側と交渉できていたのでしょうか?」中東のテロリズムの当事者性をもはや日本が回避し続けられないと、日本人ジャーナリストが実感した悲劇
集英社オンライン / 2024年12月30日 7時0分
〈「自爆テロをすれば天国に行ける」誘拐した少女の爆弾を巻きつけ、遠隔操作で爆発「テロで一番美味しい思いをしているのは…」〉から続く
シリアに潜入していた日本人ジャーナリストがイスラム過激派「イスラム国」(IS)によって捕らえられ、殺害された。
【画像】2015年1月、ISが「日本人ジャーナリストを捕らえた」と主張し…
当時の出来事を現地にいた気鋭のルポライター・三浦英之が回想した『沸騰大陸』より一部抜粋、再編集してお届けする。
日本人ジャーナリストが殺害された日
シリアに潜入していた日本人ジャーナリストがイスラム過激派「イスラム国」(IS)によって捕らえられ、殺害された。
そのあまりに衝撃的な斬首映像はインターネットを通じて全世界に配信され、日本人の心に深い悲しみとそれをはるかに上回る恐怖の感情を植えつけた。
それは中東におけるテロリズムの当事者性をずっと回避し続けてきた日本人にとって、そこで起きているすべての悲劇に我々は決して無関係ではいられないのだと思い知らされた、おそらく初めての出来事だった。
事件中、私はヨルダンの首都アンマンにいた。2015年1月、ISが「日本人ジャーナリストを捕らえた」と主張し、その映像をインターネットで配信したため、日本政府は急遽、アンマンにある日本大使館に現地対策本部を設置した。私は同僚2人と現地に入り、同僚が日本とヨルダン両政府の動きを追うというので、私はヨルダンで暮らす一般市民の取材を担った。
ISは日本人ジャーナリストの他にも、戦闘機で飛行中にシリア国内で撃墜された26歳のヨルダン軍パイロットを人質として捕らえていた。ISはそのヨルダン人パイロットを釈放する条件として、ヨルダン政府に捕らえられているIS側の死刑囚の解放を要求していた。
アンマンの広場に出向くと、集まっていた市民の多くが「IS側の要求を受け入れ、ヨルダン人パイロットと死刑囚を交換すべきだ」と声を張り上げていた。
日本のメディアでは盛んに「ヨルダン市民は『日本人ジャーナリストも一緒に交換すべきだ』と叫んでいる」と報じられていたが、実際、そういった声はほとんど─と言うよりは、まったく─聞かれなかった。
日本のメディアが日本の視聴者に忖度して作った「フェイク・ニュース」。残念ながら、日本の「国際ニュース」では往々にしてそういうことが起こる。
当時のヨルダン市民の感情については少し説明が必要かもしれない。
日本とヨルダンはとても似ている。歴史的に米国に近く、絶えず米国の強い影響を受けている。ただ、ヨルダンは地政学的に紛争国のシリアやイラクと隣接しているため、市民は米国が始めた戦争に自国が巻き込まれることを極度に恐れている。
だから、米国がIS掃討に向けイラクとシリアを攻撃するために「有志連合」への参加を呼びかけ、ヨルダン政府が国民の声を押し切って「参戦」を決めたとき、市民は政府の動きに強く反発した。
その結果として、戦闘機が撃墜され、ヨルダン人パイロットがISの人質になったため、ヨルダン市民は「これは政府の決定が導いた惨事だ」として、パイロットを無事に生還させるよう政府に強く要求していたのだ。
猶予時間を延長したIS
事態が動いたのは、1月27日だった。ISは捕らえた日本人ジャーナリストの映像をユーチューブに投稿し、その中で日本人ジャーナリストに「私の解放を妨げているのはヨルダン政府が死刑囚の引き渡しを遅らせているからだ」「私に残された時間は24時間しかない」と語らせることで、事実上の最後通告を日本とヨルダン政府に突きつけていた。
ヨルダン政府はすぐさま緊急記者会見を開いた。しかし、政府の担当相は「ISはまずヨルダン人パイロットが生存していることを示せ」「ISが解放を求める死刑囚はヨルダンにいる」と繰り返すだけで、ヨルダン政府が交渉のカードを何も持ちあわせていないことをさらけ出しただけのような会見になってしまった。
政府の対応に業を煮やしたヨルダン人パイロットの父親は日没後、市内の集会場で自ら記者会見を開いた。
カメラの前で「息子の安否だけでも教えてほしい」「政府はなんとしても息子を生きたまま取り戻してほしい」と懇願し、集会場の外では同郷の若者たちが政府に非難の声を上げていた。
翌日、IS側は猶予時間をさらに日没まで延長した。
私はパイロットの父親が待機する市内の集会場に張りつきながら、数百人の市民とともに事件の進展を見守った。パイロットの故郷であるヨルダン中部のカラクでは、故郷の若者の救出を求める市民の一部が暴徒化し、警察車両に向かって投石を始めていた。町のあちこちで炎が上がり、治安部隊が催涙弾で市民の鎮圧に乗り出していた。
そしてそこに、あの日本人ジャーナリストの凄惨な斬首映像が流れた。集会場の周囲からいくつもの悲鳴が上がり、それらはやがて絶叫へと変わっていった。
私はすぐさま現地対策本部が設置されている日本大使館へと急いだ。気温が零度を下回るなか、大使館前にはすでに多くの日本メディアが群がっていた。午前4時半に1度、大使館前で記者会見が設定されたが、それはなかなか開かれず、実際に日本の外務副大臣が大使館前に現れたのは午前7時半過ぎだった。
外務副大臣は苦悶の表情で拳を堅く握りしめたまま、肝心なことは何1つ発しない。取り巻く海外メディアが「日本政府はイスラム国と交渉できていたのか?」と何度質問を向けても、彼は事実をはぐらかし、追加の質問を無視してその場を立ち去った。
最悪の対応だ、とその状況を見て私は思った。質問を冷酷に無視することが、無言の回答になってしまっている。「日本政府はISと何一つ交渉できなかった」─海外メディアは日本の失態を外務副大臣の映像付きで報じるに違いない。
「日本はIS側と交渉できていたのでしょうか?」
本当に、日本政府はISと何も交渉できなかったのか─。
私はその後も現地に残り、現地助手の力を借りて独自に日本人ジャーナリストの解放交渉の内側に迫ることにした。
現地助手がヨルダン政府の外交トップである外交委員長と旧知だというので、議員会館に潜り込み、彼の部屋の前で数時間張り込んだ。
彼が外出するタイミングを狙って扉を押さえ、「10分だけ」と懇願して2人で部屋に押し入った。外交委員長は「また貴方か」と言って現地助手を軽くにらみつけ、それでも約30分間、我々の取材に応じてくれた。
「日本はこの期間、IS側とどのような交渉を続けていたのでしょうか?」
私が質問すると、外交委員長は「我々はISと非常に複雑な交渉を続けた」と、主語を「日本」ではなく、「我々」と言い換えて内実を説明した。
「相手はテロリストだ。だからヨルダンと日本は一つのグループになり、第三者を通じて交渉を続けた」
「日本についてはいかがですか?」と私は尋ねた。「我々とはつまり、ヨルダン政府のことなのではないですか?」
外交委員長が沈黙したので、私はさらに質問を重ねた。
「日本はIS側と交渉できていたのでしょうか?」
「いや」と外交委員長は言った。「私の知る限り、日本とISの直接交渉はなかった。でも、それは仕方のないことだ……」
「仕方のないこと?」
外交委員長は首を振りながら言った。
「ヨルダンや日本は、米国ではないのだから……」
その夜、日本大使館の前でヨルダン市民による殺害された日本人ジャーナリストの追悼集会が開かれた。日本から取材に来ていたテレビカメラが何台も並び、その様子は日本でも大きく報道されたが、その集会には過剰な「演出」が含まれていた。
私が知る限り、彼らは大型バスに乗って大使館前に運ばれてきていた。追悼集会があったのは日本大使館の前だけだ。
あまりのタイミングのよさに疑問を感じて参加者に聞くと、彼らの多くが政府系組織の要請によって集まっていることを認めた。ヨルダンは日本から多額の支援を受けている。しかし今回、両国の交渉は失敗に終わった。なんとかして両国の友好関係はつなぎとめたい─そんな両政府の意向が見え隠れする。
日本人ジャーナリストの殺害に関する取材が終わり、日本メディアが帰国の途につき始めた2月3日、今度は人質にされていた26歳のヨルダン軍パイロットの殺害映像がISによってインターネットに投稿された。
まるでCG(コンピューター・グラフィックス)のように、生きた人間を衆人環視のもとで焼き殺す、極めて残虐な映像だった。
ヨルダン軍パイロットの父親が待機している集会場に向かうと、外では1000人を超える市民の怒りが渦のようになっていた。
「殺せ」と誰かが叫ぶと、群衆がそれに呼応するように一斉に叫び始めた。
「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」……。
絶叫が集会場前の路上を覆い尽くしていく。一触即発の状態になったとき、突如、テレビにヨルダン政府が確保していたIS側の死刑囚の死刑が執行されたというニュースが流れた。
すると人々は一気に沈静化し、死刑執行と復讐、ヨルダン政府を支持する掛け声だけが再び路上を伝播していった。
政府による情報操作。私はあまりに恐ろしくなった。この国では、市民が完全に政府にコントロールされている─。
翌日、ヨルダン軍パイロットの故郷であるカラクに向かうと、午前9時前、殺害後一度も姿を見せていなかったパイロットの父親が自宅前にいた。カメラマンと2人で単独会見を申し込むと、父親は受け入れ、嗄れた声で日本政府と日本人に向かって謝罪した。
「ヨルダン政府が大切な日本人ジャーナリストの命を守れずに申し訳なかった。ヨルダン人として、私も遺族に心から哀悼の意をあらわしたく……」
村の中心に臨時のテントが張られ、すでに村人ら約600人が弔問に詰めかけていた。
追悼礼拝の途中、戦闘機2機が爆音を上げて上空を飛び去っていくのが見えた。
その瞬間、父親は「息子よ、息子よ」と大声を上げてむせび泣いた。
私が知る限り、父親が感情をむき出しにしたのは、そのときが最初で最後だった。
文/三浦英之『沸騰大陸』より抜粋 構成/集英社学芸編集部
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