ザ・クラッシュのジョー・ストラマーが日本の若者に残した最高にクールな言葉とは…印税を放棄してまでファンを優先した男の生涯
集英社オンライン / 2024年12月22日 12時0分
ロックの歴史上一番熱いバンドと言っても過言ではない、ザ・クラッシュのボーカル兼ギタリストだったジョー・ストラマー。2002年12月22日に亡くなった彼は、いったいなぜここまで偉大なアーティストとして今でも世界中のファンに慕われているのだろうか。
【画像】「80年代最重要アルバム」と米ローリングストーン誌が評したアルバム
ジョー・ストラマーのブレないカッコよさ
1970年代後半のイギリスでは失業者が増えて、将来への希望を見出せない若者で溢れ返っていた。
そんな中、歴然と存在する階級社会や古い伝統に囚われず、「やりたいことをやってもいい。新しい自由な生き方を自分たちの手で作る」というのが、新しく起こったパンクとインディペンデントの精神だった。
1977年にデビューしたザ・クラッシュは、数あるパンクバンドの中でも特別な存在だった。
それは中心メンバーのジョー・ストラマーの、一貫したブレない姿勢によるところが大きい。
1980年、ザ・クラッシュの名を音楽史に永遠に刻むことになったアルバム『ロンドン・コーリング』の成功を受け、ジョー・ストラマーはまさに”時の人”になっていた。
しかし、ジョーはスターとして特別に扱われることを頑なに拒否した。
逆に、ホームレスを見かければ酒代に消えると分かっていてもお金を渡し、コンサートに行くお金がない若者を見つければ、会場にゲストとして招待した。
ジョーの招待者リストはいつだって、そうした人たちの名前で溢れていた。もちろん移動ひとつでさえ、いつも地下鉄を利用していたという。
「撮りたいものはすべて撮るんだ! それがパンクなんだ!」
そんなある日、ロンドンの地下鉄でのこと。
日本から移り住み、熱い空気を何年か吸い込みながら、新しい音楽が次々と生まれるエキサイティングな時代の中に身を置いていた若者がいた。
カメラマンになったばかりのハービー・山口である。
セントラルラインの駅で、カメラ片手の山口はジョー・ストラマーを偶然見かけたのだ。
ジョーにとってはプライベートな時間。撮影は控えたものの、こんな千載一遇な出会いは二度とないと思い、勇気を出して彼に話し掛けた。
「写真を撮ってもよろしいですか?」
ジョーは笑みを浮かべ、撮影を快諾してくれた。
「すぐに列車が来て、僕たちは同じ車両に乗り込みました。列車に揺られながら彼が降りる駅まで4~5枚撮りました。列車が駅で止まり、彼がホームに降りようとする瞬間、彼は僕に向かって言いました」
「撮りたいものはすべて撮るんだ! それがパンクなんだ!」
異国の地で目的を見失いがちだった若きカメラマンにとって、その一言が心の支えとなったという。
その後、山口が撮影するミュージシャン、アーティストたちの素顔のポートレートは高い評価を受けて、スナップ・ポートレート写真の第一人者として認められていく。
ハービー・山口は、今でも講演会やトークショーなどで、このときのジョーの言葉を人々に伝えているそうだ。
「社会的に弱い人間の心の痛みを知る人だったのではないでしょうか。商業的な成功よりも、社会や環境に恵まれず、くすぶっている若者たちを勇気づけるメッセージを伝えたいと活動していましたから」
ファンのことを考えてアルバムに36曲も詰め込む
『ロンドン・コーリング』の成功の後にリリースしたザ・クラッシュのアルバム、『サンディニスタ』に36曲も詰め込んだのも、1枚分のお金でできるだけ多くの曲を聴けるようにしたいと、ファンの負担を考慮していたからだった。
そのためには自分たちの受け取る印税を放棄してまで、レコード会社にアルバムの価格を下げさせる交渉をした。
常にファンや社会的弱者のことを優先し、守りに入ることなく挑戦し続けて、愚直なまでに前に進む。
そして、何よりも音楽で世界を変えていく。
こんなミュージシャン、アーティストは稀だ。
そんなジョーは最後までその姿勢を何一つ変えることなく、2002年12月22日、心臓発作により50歳で突如その生涯を終えた。
最後はザ・クラッシュのアルバム制作を手掛けた、エンジニアでプロデューサーのグリン・ジョンズが書き残した言葉で締めたい。
「彼の誠実さは、私がこれまで出会ったなかで間違いなく指折りだ。才気煥発で、見るからに自らの成功に微塵も酔っていなかった。誠に素敵な、才能に溢れる男。2002年12月、彼の他界は音楽社会にとって多大な損失だった」
文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/1999年11月20日発売『コンバット・ロック』(SonyMusic)
参考文献
『リデンプション・ソング ジョー・ストラマーの生涯』(シンコーミュージック・エンタテイメント)
ハービー・山口『雲の上はいつも青空』(玄光社)
グリン・ジョンズ『サウンド・マン 大物プロデューサーが明かしたロック名盤の誕生秘話』
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