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「子どもを産みたくない」が「子ども嫌いの冷たい女」に変換されるのはおかしいのでは? 「子どもが好き」という言葉が持つ好意的イメージの不思議

集英社オンライン / 2024年12月28日 11時0分

「子供を望まない女性にとっての生理は、出荷するものがないのに工場を稼働しなければならず、光熱費と人件費と賃料を毎月支払っているようなもの」とは、30代女性から圧倒的な支持をされているコラムニスト月岡ツキさんの言葉だ。「産む」「産まない」は個人の自由であるはずだが、「産まない」ことを選んだ女性に対する社会の風当たりはいまだ冷たい。

【画像】産みたくなくても、子どもが嫌いなわけではない

書籍『産む気もないのに生理かよ!』より一部を抜粋・再構成し、「子ども好き」という言葉に潜む違和感について、作者の見解を紹介する。

子供が嫌いだから子供を産まないわけじゃない

「子供が好き」という言葉がある。

「子供が好きだから保育士になりたい」とか「あの人は子供が好きだからいい父親になりそう」とか。

「子供が好き」という言葉には、「優しい」「面倒見がいい」といった好意的なイメージがついてくるし、たとえば強面のおじさんが電車内の子供に微笑みかけていたりすると「子供が好きならまあ、悪い人じゃないんだろうな」と他人に思わせる効力がある。

結婚相手を選ぶにあたっても、「子供が好きかどうか」の観点で見ている人は少なからずいる。将来子供を育てたいから、子供好きな人を伴侶に選びたいというやつ。子供が好きな人は、なんとなく大人にも優しいんじゃないか、自分にも優しく接してくれるんじゃないかという期待も本当はあるのだと思う。

しかし、私は最近この「子供が好き」という言葉をちょっと疑っている。学生時代、異性にモテたくてしきりに子供好きアピールする女子を見ていて「けっ。言ってらあ」と思ったりしたこともあったが、そういう種類の疑いではない。

「大人が好き」とは言わないのに、なぜ「子供が好き」とは言うのか?という点に違和感を持っているのだ。

私にはまだ幼い甥と姪が四人いて、彼らとしばしば遊んでいる。子供たちを見ていて思うのが、「血縁がある子供同士であっても、驚くほど一人ひとりの個性が異なる」ということだ。

おもちゃを他の子に譲る者、絶対に譲らない者、そもそもあまり輪に交わらずに一人で遊ぶのが好きな者、大人と遊ぶのが好きな者、大人の前ではめっきり話さなくなる者──。

まだ保育園や幼稚園に入る前の年齢であっても、はっきりとその子の「個性」のようなものが現れているのを見て、「子供と一口に言っても、本当にいろんなタイプがいるのだなあ」と気づかされた。

そして「こんなにいろんなタイプがいるなら、一概に『子供が好き』って言うのってなんか変だよな」とも。

大人が雑に「子供は素直で純粋でかわいい」という違和感

かなり当たり前のことだが、子供だって人間であり、大人との相性や互いの好き嫌いというものがある。「大人が好き」とは言わないのは、「かかわるうえで合う大人と合わない大人がいる」からだが、子供とかかわるときだって「合う子供と合わない子供がいる」のが本当だろう。

子供のほうだって大人とかかわるときに「この人合わないな」と思うことはあると思う。

私は甥や姪と遊ぶのは好きだが、乱暴だったり言葉遣いが荒かったりする子供は正直苦手だ。怖いと思うし、一緒に何かを楽しめるイメージがない。別の人から見たら「元気でいい」という評価になり、よし相撲でも取るか!なんて楽しくやれるのかもしれないが……。

他にも、知人の子供とかかわったりするときに、何があるというわけではないがなんとなく合わないな、という子供がいたりもする(単に慣れていないというわけではなく、他の初対面の大人とは仲良くやっていることもある)。

おしなべて、自分が子供の頃に仲良くしていたような子供とは合うし、子供の頃に苦手だったような子供は大人になっても苦手なのだと思う。

「そうはいっても、やっぱり子供はみんな素直で純粋でかわいいよ」と言う人もいるが、これも私は疑ってしまう。みんな素直で純粋?本当だろうか。

たとえば私が子供の頃は、たぶんお世辞にも素直とは言えない性格をしていたと思う。

母の「女は愛嬌」との教えに反発してますますむくれていたし、写真を撮るときに「笑って」と言われても、「面白くもないのに笑えるかよ」と思っていた。だから私の幼少期の写真はほとんど笑っていない。

初めて幼稚園に行くとき、他の子はみんな親と離れるのが嫌で泣いていたのに、私は「どうせ夕方に迎えに来るのになぜ泣くんだ、バカみたい」と思ったのをいまだに覚えている。

幼稚園のお昼寝の時間も、「もう赤ちゃんじゃないのになんで昼寝なんか」と思って3年間一度も寝たことがなかった。我ながら「子供らしい」純粋さや素直さがなさすぎる。

たぶん、子供ながらに「子供らしい」純粋で素直なかわいらしさを期待されていることは分かっていて、だからこそ、その通り振る舞うのが嫌だったのだと思う。

「子供はみんな素直で純粋でかわいい」というのは、「子供はそうであるべき」「そうでないと困る」と表裏一体だろう。要は、大人が御し易い振る舞いをしていてほしいのである。

私はその期待に反発したかった。私の何が分かるんだといつも思っていた。そんな気持ちを今でも覚えているから、大人が雑に「子供は素直で純粋でかわいい」「子供が好き」と言ってしまうことに違和感を覚えるのだ。

「子供と遊ぶのが得意である」と「子供を自分で産み育てたい」の間の溝

そんなわけで「子供が好き」とはまっすぐ言い切れない私なのだが、甥や姪と遊ぶのはなんだか得意なようで、彼らからはありがたいことに人気がある。占い師に「魂が小学5年で止まっている」と言われたことがあるので、どちらかというと「遊んでくれる大人」ではなく「一緒に遊ぶちょっと歳上の子」くらいに思われているのかもしれないが。

甥や姪と遊ぶ私を見て、母は「そんなに子供が好きならやっぱり産めばいいのに」と言ってくる。

しかし、「子供と遊ぶのが得意である」と「子供を自分で産み育てたい」のあいだにはマリアナ海溝よりも深くて広い溝があるのだ(マリアナ海溝が実際どれくらい深いのかは実はよく知らないが)。

「子供と遊ぶのが得意」な人は少なからず童心を持っていると思う。たとえば、往年のギャグ漫画『こち亀』の主人公・両津勘吉はめちゃくちゃ子供と遊ぶのが得意かもしれないが、親になるのが向いているかというとそうは言えないだろう。自分が「子供」に近いから子供とノリが合うのであって、親になるにはしっかり「大人」をやらなければならない。

魂が小5であると言われた私も、どっちかと言ったら両津勘吉側の人間なのだろう。子供の頃の自分の感情をわりとしっかり覚えているのも、やはり「子供」に近いからなのだと思う。

ちなみに、母は子供を四人産み育てたが「正直、子供と上手に遊べない。何をしたらいいのかよく分からない。あんたのほうがずっと上手い」と言っていた。

保育士や幼稚園・小学校教諭などはまた別で、彼らは「一緒に遊ぶ」ではなく「遊ばせる」「学ばせる」のプロである。そのための知識や技能を持っているが、やはり「子供を自分で産み育てたい」かというとそれはまた全く別問題だろう。「幼稚園の先生だからいいお母さん(お父さん)になるわね」というのもかなりズレた発言だと思う。

子供嫌いの冷たい女というレッテル

ここまで「大人と子供にも相性があり、馬が合わない者同士もいるため、一概に『子供が好き』とは言えない」「子供は素直で純粋というのは大人の勝手な考えである」「子供とかかわることが得意でも、子供を産み育てたいかどうかは別問題」と書いてきた。

一般的に、子供を持とうとしない人に対して「子供を欲しがらないということは、子供が好きじゃないのか」「子供は素直でかわいくて、子供とかかわるのは楽しいことなのに」という説教(説得?)の仕方があるが、ここまでの内容から分かる通り、私はこの手の説教はセンテンスの端から端までかなりトンチンカンだと思っている。

「子供が嫌いだからかかわりたくない、だから産み育てたくもない」という人だって一定数いると思うが、そうじゃないけど産み育てたいと思えない人だってたくさんいるのである。

特に女は「子供を産み育てたくない」と言った途端に、「子供嫌いの冷たい女。子供という素直で純粋な存在をいいと思えない薄情者」というレッテルをうっすら貼られるのが、本当に腹立たしい。「子供は野球チームがつくれるくらい欲しいなあ」なんて言いながら、DVや不倫をする薄情男だってたくさんいるのに……。

「子供を産み育てる願望」の有無だけでは人間の情の深さなど測れないということを、私は声を大にして言っていきたい。

イラスト/書籍『産む気もないのに生理かよ!』より
写真/shutterstock

産む気もないのに生理かよ!

月岡ツキ
産む気もないのに生理かよ!
2024/12/5
1,760円(税込)
240ページ
ISBN: 978-4868010463

20万部超ベストセラー
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の著者三宅香帆さん推薦!

あなたの人生は、あなただけのものだ。
社会や親や誰かのものじゃなくて。
月岡さんの言葉は、あなたの孤独な選択を、
きっと優しく照らしてくれる。



30代から圧倒的支持! ポッドキャスト『となりの芝生はソーブルー』の話し手であり、DINKs(仮)のつっきーこと月岡ツキによる初の著書。

「母になりたい」とは思えない。
でも、「母にならない」と
ファイナルアンサーもできない。


どうして産みたいと思えないのか、どうして産みたくないと言い切れないのか。自分の身体、自分を産んだ母、母になった友達、生きてきた世界、いま生きている社会。さまざまな側面から「産む産まない問題」を綴ったエッセイ集。

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