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安壇美緒×篠田節子「別世界に飛び込んでいくこと」

集英社オンライン / 2022年7月13日 10時1分

小説すばる連載スパイ×音楽小説『ラブカは静かに弓を持つ』(以下『ラブカ~』)が刊行されました。著者の安壇美緒さんにとっては、スパイ、クラシック音楽、法律……とまったく新しい領域を切り開いた、飛躍の一作になりました。刊行を記念して、同じ小説すばる新人賞のご出身である篠田節子さんとの対談が実現。お二人に作品の舞台裏と未知の世界を描くことについてお伺いします。

小説すばる連載スパイ×音楽小説『ラブカは静かに弓を持つ』(以下『ラブカ~』)が刊行されました。
著者の安壇美緒さんにとっては、スパイ、クラシック音楽、法律……とまったく新しい領域を切り開いた、飛躍の一作になりました。
刊行を記念して、同じ小説すばる新人賞のご出身である篠田節子さんとの対談が実現。


デビュー以降、豊かな題材と綿密な取材を通して人間の心に迫られてきた篠田さんですが、連載開始時から『ラブカ~』のアイデアに興味を持っていたそう。
お二人に作品の舞台裏と未知の世界を描くことについてお伺いします。

聞き手・構成/タカザワケンジ 撮影/大槻志穂

『ラブカ~』にはごまかしがない

――お二人はゆっくりお話しされるのは初めてだそうですね。

安壇 お目にかかるのは、小説すばる新人賞の授賞式の会場でご挨拶させていただいて以来です。「二作目、三作目を早く書いたほうがいい」と激励してくださって。具体的なアドバイスをいただいたことをよく覚えています。

篠田 新人作家の方にはいつもそう感じているんですよ。「生き残ってください」って。

安壇 先生はデビューの時に二作目、三作目をすでに用意されていたそうですね。

篠田 私の場合は小説教室に通っていて、たまたま編集者から指導を受けていたんですよ。この作品でデビューしましょうという話になったところで小説すばる新人賞を受賞したので、じゃあ、二作目はもともと出す予定だった出版社からと。稀有(けう)なケースですね。

安壇 すごいですね。私はようやくこの作品で三作目を出せました。

篠田 『ラブカは静かに弓を持つ』、面白かったです。スパイものと銘打たれているけど、007じゃありませんよね。音楽著作権を管理する「全著連(全日本音楽著作権連盟)」の職員が、団体の命令で係争中の音楽教室に生徒として潜入する。このアイデアはどこから思いつかれたんですか。

安壇 『小説すばる』の編集の方から、この作品のヒントになった裁判について「こういう事件があったんですが、知ってます?」と聞かれたんです。「この題材で小説を書いてみませんか」と。一作目の『天龍院亜希子の日記』が派遣会社の正社員の男性の話で、二作目の『金木犀とメテオラ』が北海道の女子校に転校してきた東京の子と地元の同級生の話。どちらもぜんぜん違うジャンルの小説で、三作目も違う方向性でいきたいと思っていました。そこにスパイものをご提案いただいて。自分からは書こうと思わないジャンルですし、スパイ映画が好きというわけでもなかったので、逆に面白いなと思いまして「ぜひ」と。

篠田 「男流作家」が書くスパイものというと、国際的な陰謀があって、アクションシーンがあって、心理戦があって、女がそこにからんできて、というお約束があるんだけど、そういうものとはぜんぜん違いますね。
団体から業務命令を受けて、職員として潜入調査を行う。音楽教室で普通の生徒を装って、著作権料が必要な楽曲使用の証拠を集めてこいと言われる。行ってみると、職員としての生活に感じていたストレスが発散されたり、内向的だった性格が少しずつ開かれていく。そのうち先生やほかの生徒たちを騙(だま)しているということに罪悪感を感じるようになってきて葛藤が起きる。実際の事件をなぞって書いたわけではまったくなくて、これこそ小説の醍醐味(だいごみ)だという作品になっていますよね。

安壇 ありがとうございます。そう言っていただけるととても嬉しいです。

篠田 安壇さんの小説って、ごまかしがないんですよ。「これを書いておけば読者は満足するだろう」みたいなお茶を濁すところがない。「こうなるだろうな」という安直な予想を裏切って、まさに息詰まるようなやり取りになるんですよね。実は今日、もう一度読み直してから来たんですけど、再読するとまた発見があります。

安壇 いや、もう、恐縮です。

縁がなかったクラシックの世界

篠田 『ラブカ~』を書く前に最後までプロットは考えてあったんですか。

安壇 第一部までは考えてありました。連載前に『小説すばる』の編集部にプロットを提出しないといけなかったので。音楽教室は楽しいよ編と、スパイはつらいよ編という二部構成にしようと考えて(笑)、第一部の楽しいよ編は音楽教室の先生や生徒との交流と、発表会へ向けて盛り上がっていく流れを書く。で、マックスまで楽しさが盛り上がったところで、第二部のつらいよ編はちょっとつらい展開にいこうと。さあ、そこからどうオチをつけようかって。書く前は正直何も考えていなかったんです。

篠田 書いていく流れで決めようっていう感じだったんですね。

安壇 そうですね。だから、実は第二部で先生の浅葉桜太郎(あさばおうたろう)がコンクールに挑戦するとは考えてなくて。

篠田 そうなんだ。重要なエピソードですよね。

安壇 偶然、「桜太郎」っていう名前にしたのが幸いして、「春生まれだからさ、ちょっと前に誕生日だったんだよ」というせりふを枕にして、二十代最後の挑戦をさせようってつなげていったんです。

篠田 書いているとアイデアが次々に出てきますよね。よく「書けない、書けない、アイデアが出ない」という話を作家志望の方から聞いたりしますけど「書いてりゃ出ますよ」って思うんです。「このエピソードいいわ、入れよう」みたいなことって、書いているから出てくるんですよね。そうすると、どんどん話が広がって収拾がつかなくなったり、あとで風呂敷をたたむのが大変なんですけど。
そうか、桜太郎先生がコンクールを受けるのは最初から決まっていたわけじゃなかったのね。

安壇 そうなんです。世界的なチェロ奏者の人が出てくるとか、ほかの可能性もいろいろ考えたんですけど、これ以上登場人物を増やしてもボリューム的に難しいとか、シンプルな流れにもっていくにはどうすればいいかとかいろいろ考えてああなりました。

篠田 あれで正解だと思います。桜太郎先生は留学経験もあって実力はあるけれど賞の受賞歴がない。たぶん、日本全国に山のように桜太郎先生のレベルの方がいるんでしょうね。奏者として活躍できるのはごく一部。それも必ずしも実力があるからとは限らない。クラシックの世界のつらいところだと思いますね。

安壇 安心しました。ほんとにそういう感じなんですね。

篠田 コンクールに通ったからといって仕事がどんどん来るかといったらそんなことはないし、自分でリサイタルをすれば持ち出しになる。オーケストラの団員になったとしても、お給料が安くて食べていけない、みたいな世界なんですよ。

安壇 実は最初に登場人物を考えた時に、一番難航したのが浅葉桜太郎なんです。音楽の世界をぜんぜん知らないので、浅葉のようなポジションの人がどんな感じなのかがわからなくて。
調べるにしては失礼な話になってきてしまうというか、「留学していて、かなり弾けるけどうだつが上がっていない人」みたいな人を探して話を聞きにいくわけにもいかないですよね。そもそも私の検索が悪かったのかもしれないんですが、インターネットでもそういう感じの人は出てこないし。確信は持てないけど、これでいってみようっていう感じで始めたんです。

篠田 作家として行き詰まらないための心得ですよね。自分に縁のない世界を調べて書くというのは。新人が書けなくなってしまう理由でよくあるのは、自分の身の回り、わかっていることだけで書いているから。知らない世界に飛び込んでいって、取材して、ストーリーを動かしていくって度胸がいることなんですよ。その世界を知る人に「こんなことあり得ない」って全否定されるかもしれないから。でも生半可にクラシックをかじっている私が読んだ限りですけど、『ラブカ〜』に関しては不自然なところが何一つなかったです。

実はモテる桜太郎先生

安壇 浅葉は書き始める前はこの経歴でいいのかな、こんな感じでいいのかなという迷いはあったんですけど、腹をくくって書こうと決めて、書き始めたら書きやすかったんです。
出だしが、主人公の橘樹(たちばないつき)と上司の塩坪(しおつぼ)が小難しい法律の話をああでもない、こうでもないと話す場面だったので、浅葉が出てくる場面は「さあ、どういう先生が出てくるんだろう」って何も考えずに書いたんです。そうしたら、フレンドリーな感じの人がポンと出てきたので「これはいいな」と思って。

篠田 桜太郎先生はいかにもチェリストですよね。

安壇 そうなんですね。チェリストの男性はモテるっていう情報だけ知っていて。

篠田 えっ、そうなの? そうでもないと思うけど(笑)。

安壇 インターネットの情報と、あと漫画の『のだめカンタービレ』のイメージで。実は浅葉はすごくモテるっていう設定なんです。そのへんはあまり書いてないんですけど。
主人公の橘が内向的なので真逆の性質。外向的な性格で人懐っこい。受付の人とかともじゃんじゃんしゃべってるような感じの人ですね。

篠田 海外に何年か行っていた人独特のさばけ方だって感じましたね。留学してきて、構えずにコミュニケーションをとっていくっていう感じ。リアルですよ。
桜太郎先生は、初めて出てきた時に、雨で濡れたからとスウェットの上下で現れますよね。私のチェロの先生とそっくりそのままですよ。食事に出たら雨でびしょ濡れになっちゃってって、すり切れたペラッペラの、首周りが伸びちゃった半袖Tシャツで現れて「すみません、こんな格好で」って。

安壇 リアル桜太郎先生ですね(笑)。

篠田 うちの先生はそんなにモテないと思いますけどね(笑)。
音楽教室の雰囲気もいいですよね。ご自身が通われてたのかと思うくらいによく書けているなあ、と。

安壇 書き始める前に一回だけチェロの無料体験レッスンに行ったんです。こういう雰囲気なんだってつかめたものはありましたね。楽器の大きさとか、構えた時に何が見えるかとかがわかったので行ってよかったと思います。でも、弾くほうはぜんぜんダメで、続けて通うのは無理だと思いました。主人公の橘は子供の頃にチェロを習っていてけっこう弾ける人だという設定だったので、執筆中にここに通ったら、できない人の気持ちを乗せちゃいそうだと思って。
あとは、最後のほうで原稿の微調整の時に、楽器を借りて演奏できるスタジオでチェロを触ってました。

篠田 ぜんぜん違うでしょ。触ってみると。

安壇 違いますね。楽器に触れた時にしびれるような感覚があって。YouTubeとかで演奏を見ているだけではわからなかったです。

音楽を文章でどう表現するか

安壇 篠田先生はチェロをお弾きになるんですよね。『ラブカ~』でチェロを選んだのは、クラシックの中ではバッハの「無伴奏チェロ組曲」が好きだからなんです。チェロの曲の中で最もいいと言われているそうですね。

篠田 ❝旧約聖書❞って言われてるくらいの古典的名曲ですね。

安壇 チェロを始められたのはなぜだったんですか。

篠田 大学時代に、素人で何も知らないままオーケストラ――学生オケ――に入ることになったんですよ。バイオリンは小さい頃から習ってらっしゃるみなさんがいて、管楽器は小中のブラスバンド部から上がってきてる人がいる。空いてるポストはヴィオラとチェロ。安壇さんと同じでバッハの「無伴奏」が好きだったので、いい楽器だな、いい音だなと思ってチェロにしたんです。
でも、私は高校まで芸術科目は美術を選択していたので、楽譜は読めないし、リズム感もなくて。ついていけなくてオケはやめたんです。でもやっぱりやりたくなって、個人レッスンについて基礎からやり直していまに至ります。

安壇 チェロって、ずっと聞いてて嫌にならないというか。飽きが来ないですよね。でも、いざチェロの音を文章でどう表現しようかと思うと難しかったです。音楽の専門家が書いた評論を読んだりはしたんですが、小説でそれを書くわけにはいかないですし、小説に落とし込む段階では、自分の言葉で表現しないといけない。自分で原曲を聞いてどう感じたかを考えないと言葉にならないわけで。
しかも橘はチェロ経験者だし、浅葉に至ってはプロ。その二人がどう表現するか。「私はこう思うんだけど、素人の意見で合ってるのかな」みたいなところを、気にしながら書きました。

篠田 ご自身で弾かれるのかなって思うぐらいすごくいい表現がたくさんありましたね。何の違和感もなかったです。
ところで主人公の橘樹は子供の頃にチェロを習っていたんだけどやめてしまっていて、その理由にトラウマがありますよね。それはどこから?

安壇 連載のお話をいただく直前に、たまたまトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』を読んだんですよ。冒頭がすごくかっこよくて、簡単に言うと「FBIの行動科学課は建物の最下階にある」という内容の文章で、その一節が印象に残っていた矢先に電話が来たんですね。だから、『ラブカ~』の冒頭は「全日本音楽著作権連盟の資料室は陽の届かない地下にある」なんです(笑)。
『羊たちの沈黙』は、連続殺人事件と殺人鬼のハンニバル・レクター、それに主人公のFBIのクラリス・スターリングのトラウマ。この三本柱で組まれてるなって思って、私には音楽著作権をめぐる話だけではそんなに書けないなと思ったんです。それでクラリス・スターリング的な要素を入れようと思いまして。

文壇バーよりも文壇ジム

――安壇さんはこの対談が先輩作家との初対談だそうですね。小説すばる新人賞を受賞された時は出産されたばかりで作家対談ができなかったと聞いています。

安壇 そうなんです。産んだ一週間後に最終選考に残った知らせをお電話でいただいて。

篠田 それは嬉しかったでしょう。

安壇 そうですね、ダブルで来まして。それで、篠田先生にお聞きしたいことがあるんです。新人賞を受賞した頃にはわからなかったんですが、作家って書き続ける体力がものすごく重要なんじゃないかと。篠田先生は水泳をされているそうですね。

篠田 泳ぎ始めたのはずいぶん前ですが、気が向いたら夏場にぽちゃぽちゃやる程度。お金を払ってジムに所属したのは1989 年ぐらいからですね。
昔の作家のイメージっていうと、夜の雰囲気ってあったじゃないですか。文壇バーで毎晩飲んでるとか。でもあれ、一種の演出じゃないかなって気がします。基本的には、書き続けるって精神と身体の健康の両方が必要になってくるので。心の健康のためにも規則的な生活が必要ですよね。安壇さんはお子さんが小さいから日常生活がちゃんとしているでしょうけど。

安壇 『ラブカ~』を連載していた頃は、子供を保育園に預けてから9時~17時がっつり書いてたんですけど、これは死ぬなと。作家は体力だなと思いました。

篠田 デビューしたばっかりの時に「篠田さん、文壇バーなんか行く必要ないですから。これからは文壇ジムですよ」って言った女性編集者がいたんです。書くものは不健全でいいけど、精神の健康を保たないと実際にものをつくることはできないという意味かな。

安壇 文壇ジム! 私、お酒ぜんぜん飲めないので、バーは行かないんです。実は去年から自宅で筋トレを始めました。

篠田 えらい! それはいいですよね。お子さんがいると、そうそうジムに通ったりできないものね。次の作品にはもう取りかかっているんですか。

安壇 書き下ろしにかかっているのですが、下調べとかに時間がかかってまして。育児問題みたいな話なんですけど。

篠田 子育て中だからご自身の経験も入るのかな。これからはジャンルとしてはどのあたりを書こうと思ってるんですか。

安壇 どうなんでしょうね。自分ではよくわからないので、一作、一作、書くたびに考えればいいのかな、と思っています。読んでくださる方にジャンルを決めていただくスタイルがいいのかもしれないです。

篠田 『ラブカ~』もこういうジャンルとひとくくりにはできない作品ですね。いい小説ってそういうものかもしれない。エンターテインメントとして「ああ、面白かった」って本を閉じる人もいれば、深遠なテーマに取り組んでいるなと読んでくださる方もいるだろうし。『ラブカ~』は実際にあった事件がヒントになっているとはいっても、小説としての普遍性を備えているから、事件自体が忘れられても残っていくんじゃないでしょうか。そういう力を感じる作品だと思いますね。

初出「小説すばる」2022年7月号

関連書籍

ラブカは静かに弓を持つ
著者:安壇 美緒
集英社
定価:本体1,600円+税

金木犀とメテオラ
著者:安壇 美緒
集英社
定価:本体1,700円+税

天龍院亜希子の日記
著者:安壇 美緒
集英社
定価:本体1,400円+税

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